第6話 予期せぬ来客
一週間、時間をください。
ギルド長はそう言った。
あれからちょうど一週間が経った。
「姉さん、姉さん」
「あ、な、何?」
声をかけられ、リリーシュは眺めていたノートから目の前の弟に目を向けた。
「さっきから話しかけているのに、ボッーっとして大丈夫?」
「う、うん、何でもないわ」
ユージーンは、亡くなった母に似て、薄茶色の髪色に、深い藍色の瞳をしている。あまり表に出たことがないため、肌は白いが最近は血色も良くなってきている。食は細いほうだが、好き嫌いはあまりない。
「本当に? 頼りないし、なんにもできないけど、僕ももう十五歳だ。姉さんだけ何でも背負い込まないで」
「ありがとう」
すっかり頼もしくなった弟に、リリーシュは微笑みかける。
「それって、父さんが持っていたノート?」
リリーシュが広げているノートに視線を落とし、ユージーンが聞いた。
「うん、そう。父さんのアイデアノート。ここに父さんが作りたいと思う品物のことが書いてあるの」
パタンとノートを閉じて、懐かしむようにその表紙を撫でる。
「特殊な文字だよね、『にほんご』だっけ。僕も教えてもらったけど、もう僕と姉さんしか読めない」
「そうね」
父が商品開発のアイデアを纏めたノートは、全部で十冊。そのどれも父だけが書くことができる特殊な文字で書かれてあった。そのため、他人が見ても、わかるのはたまに横に書いてある絵や図解だけで、そのお陰で例え盗まれても読み解くことはできない。
リリーシュやユージーンは、父が作った『にほんご』で書いた絵本などで言葉を覚えた。
父がなぜこんな文字を書けるのか。そして数々のアイデアは、どこから来るのか。それを知っているのは、リリーシュだけだ。父からそれを聞いたのは成人になってから。ユージーンにも彼が成人になったら話すと言っていたが、もうそれはできない。だからそれは、リリーシュの役目だと思っている。
はたして信じてもらえるかわからないが。
「お嬢様、お客様がお越しです」
使用人のカークが、客の訪問を告げに来た。
(来た!)
ガタンと、リリーシュは慌てて立ち上がった。勢い余って椅子が倒れそうになり、すんでのところで捕まえた。
「ありがとうカーク。お客様は二人?」
「いえ、男性お一人だけです。昨日、ボウ様から手紙が届いている筈で、自分はその件で来たとおっしゃって……」
「え、そうなの?」
いきなり一人で来るとは思わなかった。
「ど、どんな人?」
俄に緊張して、まずは相手がどんな人か尋ねた。
「背の高い若い男性です。ガッチリした感じはないですが、すらりとしてスタイルは良いです。仕立ての良い高そうな服を来ています。顔は……どこかで見たことがあるような……とにかくハンサムです」
「そ、そう……」
ここに来るために良い服を着てきたのかも知れないので、身なりのことはさておき、高身長で若いイケメンだという情報に、リリーシュの緊張は逆に消えた。
「……もしかしたら、違うかも」
単なるお使いかも知れない。そんな高身長の顔が良い男性で、自分の条件を受け入れてくれる人なんて、どこに転がっているというのか。
「客間にお通しして置きました」
「ありがとう。じゃあ、お茶をお願い。ごめんなさい、ユージーン、そういうことだから、このノート、いつもの所に戻しておいてくれる?」
「わかった。でも、父さんが亡くなってからおばさんたち以外で我が家にお客さんなんて、初めてだね。若いハンサムな男性って、もしかして姉さん……」
「ち、違うわよ……た、単なる知り合いの知り合い……」
喪が明けてから、頻繁に夜会に出掛けたりしていたので、ユージーンが妙に勘を働かせて、意味ありげにリリーシュを見る。
まだそうだと決まったわけでもないし、多分違うと思うので、リリーシュは否定した。
焦って少し動揺したのを落ち着かせてから、リリーシュは客間に足を踏み入れた。
「お待たせいたしました。リリーシュ・マキャベリです」
彼女が中に入ると、来客の男性は扉に背を向けて、客間の窓から見える外の景色を眺めていた。
カークが言うように、客はとても背が高く、肩幅もあってすらりとしていた。
(足、長い)
腰より少し長い丈のコートを羽織り、下ろしたフードから溢れる金髪が、窓から差し込む光を受けて輝いている。
「素敵な庭だ」
庭を見て、来客の男性が言った。
今の時期はライラックが咲き誇っている。庭は母の自慢だったので、忙しい合間に父が良く手入れをしていた。
「ありがとうございます。亡くなった母の唯一の趣味が庭造りでした。母亡き後は、父が…今でも手入れは欠かせません」
どこか聞き覚えのある声だと思った。低く落ち着いた声。耳に心地良く響く。
「あの、お客様?」
「失礼、挨拶が先だったね」
そしてその男性がクルリとリリーシュに向かって振り向いた。
「え! ま、まさか……」
そこに立つ来客の顔を見て、リリーシュは腰が抜けそうなほど驚いた。
「久し振り。リリーシュ・マキャベリ。お父上のこと、とても残念だ。心痛を察するよ。本当に惜しい方を亡くした」
目をパチクリさせているリリーシュに、彼は心からの悔やみの言葉をかける。
「そんな……ど、どうして…あなたが…」
あまりの驚きに、リリーシュは礼儀も何もかも忘れ、ゴシゴシと目を擦った。
「……ロ、ロードバルト殿下…」
客間でリリーシュを待っていたのは、この国の王弟ロードバルト・クライスナー、その人だった。
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