夕陽が紡ぐ物語

三門兵装

第1話 夕陽が変えた未来から

 また、この気持ち。後悔するような、古傷が疼くような、そんなことこれっぽっちも考えたくないときに来る、不思議な気持ち。

 私はきっと、みんなと違う。多分、良くも悪くも。私はみんなが当たり前にできるような運動なんてできないけど、頭は悪くない。これも、多分。

 毎日相変わらず真っ白いコンクリの壁にだんだん黄ばんできた天井。

 「いつ、終わるのかな」

 溜息くらい、ついてもいいだろう?

 最近ようやく動くようになった足は、筋肉が固まってしまっているらしい。反対に、今まで読み続けてきた本たちは今の子たちには、もう、古いのかもしれない。

 外では、子供たちが見せつけるかのように無邪気に遊んでいる。ここに来た日から多分毎日、誰かが来ている。 あれからか。夕焼け時にあの公園を見るのが怖くなったのは。

 でも、あの小さな公園はもうなくなるんだっけ。

 私の時が止まった場所はなくなるんだっけ。

 悲しいような、嬉しいような。一概に言えるのは、思い出が詰まってるってところか。

 もう7年もたっていたのか。本当なら私も来年から高校の門をくぐれるんだっけ。

 

 6年前のあの日、私もあの公園にいた。ーそうだ、心端ここはちゃんだ、またこうやってあの娘は私を動かしていく。

 あの日もいつもと同じように心端ちゃんと遊んでて、5時になったから帰ろうって言って。でもその日私はお母さんと喧嘩してたから帰りたくなくて。心端ちゃんに「またね」って言って先に帰ってもらったら寂しくなっちゃって。そうだ、お母さんにごめんなさいって言おうと思って走り出したら、

 空を、舞ってたんだった。

 自分でもわかるほど曲芸じみたように錐揉んで、何もわからずに血のように赤い夕焼けが目の前いっぱいに広がってからを私は覚えていない。

 聞いた話になるけど、私は直ぐに病院に運ばれたから命は助かって、けれども無事とはいかず、脊椎にヒビが入ってしまったらしい。知っての通り、私は足が動かなくなった。

 それから、私の時は止まった。

 元々勉強よりも運動のほうが好きだったから、立つことすらできない足が恨めしくなって、今の自分に悔しくなって、それでまた足が動かないことに気づいて悲しくなって、初めのころはよく泣いていたっけ。

 ただただ悔しくて、でもまた学校に行ったときにみんなからまた「すごいね」っていわれたくて、あんまり好きじゃなかった勉強も一生懸命頑張った。

 心端ちゃんもはじめはよくお見舞いに来てくれてたけど、途中で転校しちゃったんだったかな。だいぶ前から連絡も取れていない。半月以上たって小4になっても足が動かなくて途中で何もかも投げ出そうかとも思ったけど、なんだかそれも悔しかったから、本に逃げた。こうして今まで無駄に知識と頭の中の世界だけが増えて、大きくなった。披露する相手もいないのに、無駄だとわかっていたけれど。結局活用する場面なんてこの前のたかが入試一回ぽっちだった。

 あぁ、悲しいなぁ。

 もう、消えるのか。

 何でだろう。今日はうずうずした気持ちで終わらなくて、室内なのに雨が降った。もう降らせようとする希望くもすらなかったのに。

 あぁ、寂しいんだなぁ。

 あれだけ恨んだ公園も、あれだけ呪ったあの土地も、いざ消えるとなると、楽しかった思い出とともに、もう一度公園で遊びたかったなぁなんて叶わない願いまで溢れてくる。


 コンコンコン

 扉が開くと、そこにいたのは見知ったははおやではなかった。

 「元気、してる?」

 ちょうど今さっきまで回想していた顔。あの時よりも幼さが落ち着いた顔。心端だ。すぐに分かった。

 「…」

 目元が恥ずかしいほどに赤く腫れていることすら忘れて、ただ、啞然とした。

 「あの公園、小さかったけど、明後日着工式があるから、あなたの家を訪ねて会おうと思ったら、留守で。お隣さんに聞いたら、まだ、戻ってきてないって言ってたから」

 …その、昨日、中学の卒業式だったの。中央高、分かる?ここの一番上の。あなた、負けん気が強いもの。それがどうしたって?…ただの確認よ。行くんでしょう?

 当たりだ。まるで心でも読まれたかのような。

 「凄い、そう。」

 「私も、行くの。」

 奇跡とも思った。多分喜ばせるつもりだったんだろう。それは嬉しい...でも

 「でもね、私、足が、まだ動かないの。…だからごめんね。私はあなたの思ってる通りには動けないかな」

 「知ってる。私はあなたが治ってると思って来たのに、あなたがここにいたんだもの。

でも何もしないと思う?貴方が来れるようにしておくから」

 柔らかく微笑む心端の思いやりがつらい。

 ありがとう。でも、ごめんね

 「無理。気にしないで。さっきも言ったように私は貴方の期待に応えられない。」

 つっけんどんに返してしまう。

 ふっと笑ってしまいそう。この瞬間まで感じていた明るい光を自分から切ってしまうんだ。ここは「嬉しい」とでも言っておけばよかったものを。でも、心端なら、私なんかがいなくてもやっていけるはず。こんな私にもう構わないで、あなたはあなたで自由に楽しんでよ。だって

 「そんなこと言わないでよ、あなただって頑張ってきたんでしょう?私だって楽しみ。1年リハビリにかかるってことは、来年からは来れるんでしょ?それまでの埋め合わせは私がするから」

 だって

 「また、ね?」

 だって


 「あの時みたいに」


 何を、

 「私はもう貴方の思う私じゃないのっ!」

 スポーツが得意で、あなたと二人で公園で遊んでいられた無邪気な二人じゃないの。

 リハビリはリハビリだ。あくまでも治療に過ぎない。日常生活に支障はないかもしれないけど、あの時みたいには動けない。

 まずの問題、趣味も変わっているだろう。

 「だから、あの時の私たちには戻れない。きっと」

 あなたもわかるでしょう?ここまで大きくなったなら、あなたも感じてるでしょ?これまでの会話での溝を。

 あなたはまっすぐ道を歩んでる。私はそこから転落した。感じるでしょ?同格じゃないの。

 言い訳になるけど、ごめんね。お願いだから貴方は私の前にいて。私のために足を緩めないで。


 ふと、右の手に暖かいものが触れた。

 「覚えてる?あの時、こうやって右手を挙げて」

 「貴方はこれから頑張るの、いい?」

 「...」

 「その、ファイト、だよ。」

 少しはにかみながらも病室によく響いたその言葉で一気に記憶が蘇る。そうだ、こうやって私がいじけたときは何度も...ちょっと悔しくなってふっと息を吐いた。

 「見てて、よね」

 「ただ来てくれればそれでいいから、あの時の私たちに逆戻りしたいわけじゃない。いい?私は貴方とまた、まだ、親友でいたい。でも、私たちはあの時のままじゃない。」

 あの時以上の思い出ができないわけがないでしょう?と問うような目に見つめられて言葉につまる。

 そんなの、そんなの、狡いじゃないか。

 私だって、夢見ていないはずがないだろう。

 「...またね。あなたならできるとか、立ち直れるとかは無責任すぎて言えないけど。でも、元気にしててね。」

 「...ん、じゃあね。」

 どこまでも素直になれないらしく、少しそっけなくなってしまう。扉がどんどん閉まっていく。名残惜しくて、思わず小声で、楽しみにしてる、と付け加えて見送った。聞こえていなくても知るものか。

 体が言うことを聞かなくなって、口角が上がって行くのを抑えられなくて、それが恥ずかしくなって顔をそらしちゃってたのは、また秘密。

 ガシャン、と、扉が閉まる音がして、またここが静かになる。

 今日はやけに視界が明るく澄んでいる。どうやら私は機械的な日常に差した、一筋の光にすがっていたいらしい。

 (「見ててよね」)頭の中で繰り返す。

 こんな私にも明日があるような気がした。

 無機質な生き方に彩りを。毎日同じ色なのに、見飽きたはずなのに、今日の夕日はあの時のものに見えた。何故だろう、今日の夕日は燦々と輝いて、私を祝福するように白色の壁を彩っていた。

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