知る人

引っ張って出たはずが小太朗に引っ張られるように歩く羽目になった。

 着替えてきてなんて言わなければよかった。ご近所さんから稀有な目で見られてしまっている。


 「あら、いいわね」

 「おお、春が来たな、西川のお嬢に春だ」

 「あら、ほんと、格好いい子ねぇ」


 おじいさん、おばあさん、から熱烈な視線を浴びて慣れていない私は、恥ずかしくて恥ずかしくて俯いて顔を真っ赤にしながら歩いている。途中で耐えきれなくなってコンビニに寄り飲み物を買って、歩きながら飲むと気分が少しだけよくなった。小太朗の顔が見れていなかったからどんな表情をしているかと思ったけど、私とのことなんて気にしもしていない様子だ。

 それぐらいは私でも分かる。

 すごく真剣な顔つきで背筋を伸ばしながらしっかりと歩いていて、なにか緊張しているようで手に持ったペットボトルを力強く握っているのがその証のように思えた。


「ねぇ、モロに行くと何が分かるの?」


 着く前に気になってしまって私は聞いてみることにした。だって、ここまでされて何も教えられなかったら無駄足に成っちゃうし、小太朗が秘密にしていることが、さっきから気になってしょうがない。


「えっとね、笑わないで聞いてくれる?」


「う・、うん」

 

 真剣な声と表情に私も真剣になる。ふざけていいような雰囲気ではない。


「夏姫のお爺ちゃんは、洋三さん。お祖母ちゃんは、きっと頼子さんじゃないかな?」


「お爺ちゃんの名前は間違いないよ…、お婆ちゃんは…あ、頼子だよ」


 お爺ちゃんがお婆ちゃんを呼ぶときは「おい」とかしかなかったけど、外出している時は「頼子」と呼んでいたのを思い出した。そういえば、私が小太朗と出会った時も私を「頼子」って呼んでいたっけ。


「夏姫のひい爺ちゃんは、雷三さんて言うんじゃないかな?」


「う、うん。雷三だよ。博物館にもひい爺ちゃんの作品あるから」


 西川雷三といえば瀬戸でも名を知られた存在なのだ。

 お母さんと同じくらい素敵な作品を沢山作っていて、そして、美術品と呼ばれるほどの作品もある。家に1つと、これから行く博物館に1つ、あとは全国各地の美術館とかにも収められているはずだった。


「笑わないで聞いてね。僕は、洋三さんが僕たちくらいの時に話したことがあるんだ」


「え?」


「馬鹿みたいなこと言ってるって思うかもしれないけど、タイムスリップって知ってるでしょ?ほら、過去に行けること、僕、きっとそれをしたんだと思う。」


 普通なら馬鹿な事言ってるとか、冗談言ってるとか、言えてしまうようなことなのに、小太朗の声にも表情にも嘘偽りのない真剣さ溢れていた。

 そして話し終えると少しだけ寂しそうな顔をした。何かこう嫌な思い出があったからかもしれない。


「私は信じるよ」


 その言葉はスッと喉の奥から通り抜けるように出た。心から出るってのはこういうことを言うのかもしれない。


「本当に?」


 不安そうな顔になっている小太朗の両手を握って引き寄せると、私はしっかりと視線を合わせた。


「うん、だって、証拠を見せてもらったもん」


「証拠?なんにも出して…」


「あの牡丹の描き方は絶対にお爺ちゃんと同じだもん」


 私は小太朗の不安を払うように笑みを浮かべる。

 だって本当にうれしかったんだ、割ってしまったお皿の絵、悲しくて二度と戻らないと思っていたのに、小太朗の手によって目の前に再び現れてくれたのだから。


「そこまで見てるなんて凄いや」


 ほろりと涙を流して嬉しそうに小太朗が笑う、きっとこの話をして嫌なことでもあったんだろう。だから、心の中に隠してしまっていたのかもしれない。


「誰が何を言っても、私は、小太朗の話を信じるよ。私は絶対に信じるから」


 しっかりと握ってしっかりと頷く。小太朗の顔に少しだけ笑顔が戻ってくるのがすぐに分かった。


「ありがとう」


「うん、さぁ、行こ!」


 片手を離して、でも、もう片方は離さないままで歩いていく。

 どうしてか分からないけれど、離してはいけない気がして暑い中でもしっかりと握ると、小太朗も優しく握り返してくれて、互いに少し恥ずかしくなったけれど、それでも何かを確かめるように握り合っていた。


「あの絵の描き方とか、筆の使い方とか、お皿の構図や描き方とか、それは雷三さんから教えてもらったんだ」


「ひい爺ちゃんに?」


「うん、2年前から引っ越してくるまで、夜眠るとさ、昔の瀬戸に来てたんだ」


「昔の瀬戸?どうしてわかるの?」


「字をね、右から左に読むんだよ、そして着物の人も多かったからね」

 

「じゃぁ、博物館に着いたらきっと嬉しいだろうね」


「どうして?」


「それは内緒、でも、その夢の中でどうやって過ごしてたの?」

 

「えっとね、雷三さんのいる西川製陶で洋三と頼子さんと、ほかの職人さん達と働いて過ごしてたんだ。今より町はもっと古かったけどね…、あ、でも変わらないものもあるんだね…」


 坂を下りきって今はお客さんが少なくなってしまった商店街を抜けると大通りへと出ると、その大通りに挟まれるように1本の川が流れを、小太朗が懐かしいモノを見るような目をして眺めていた。


「昔もこんなんだったの?」


「あはは、アスファルトはなかったし、建物も木造のばかりだったけれどね。でも、この瀬戸川が白く濁っていてさ、護岸は手作りの石積で橋は木でできていたっけ、ああ、兵隊さんが歩いていたところも見たよ。とにかく今とは全然違ってた。臭い処もいっぱいあったし、貧乏って良く分かるくらいに酷いところもあったけれどね。あとはきっと知ってると思うけれど煙突もたくさんあったよ」


 空を見上げる小太朗の視線は見えない沢山の煙突を見つめているようだ。

 お爺ちゃんもここに来ると昔は煙突がたくさんあったなぁ、なって言って空を見上げていたのを思い出して、思わず面白くて噴き出してしまう。


「な、なに!?」


「だって、お爺ちゃんと同じことするんだもん」


「ああ、だってここから眺めたんだよね。3人で時より抜け出してさ」


「え?」


「子供だからって手伝えることは手伝うし、なんだってやったよ。それが当たり前だったからね。でも、自由もあった」


「手伝いばっかりだったのに?自由があったの?」


「うん、手伝いの合間に遊びの時間もくれたし、あとは、雷三さんは職人さんだったから、悪ガキどもって口は悪かったけど、練習せい!練習せい!ってのが口癖だった」


「うわ、厳しそう」


「本当に厳しかったよ、でも、熱心さが僕でも分かるくらいだった。教えてくれる時の眼がね、宝石みたいにキラキラしてた。嘘だと思うかもしれないけど、好きな事を仕事にしてる人、真剣にそれに向き合ってる人ってさ、目がキラキラしてるんだよ」


「あ、それは分かるかも。お母さんも作品と向き合ってるときは目がキラキラしてるもん」


 お母さんの作品に向かっている時の目はガラス玉のように輝いている。

 表情もいつもと違い引き締まって、そして、緊張した空気が張り詰めて漂っているのだ。音を立てると気が散る!なんて怒る人がいるって聞いたことがあるけど、本当に真剣になりすぎている人は周りが見えなくなる。

 お母さんがいい例なのだ。


「僕はさ、東京に住んでたんだけど、絵の教室に小さい頃から通ってたんだ。保育園の時にさ、描いた絵が賞を取ってね。お父さんは画家だったからとても喜んでさ、それで通い始めたけど、直ぐにつまらなくなっちゃった」


「どうして?」


「だって、毎日、好きでも無いものを書いて練習するんだよ。花瓶とか、石膏像とか、やる気がだんだんと落ちていくから周りと差が開いていくんだ。家でも練習するけどやる気にならない。本当につまらなかった。真っ白いキャンバスに向かうのすら嫌だった」


 絶望するように暗い表情をした小太朗だけど、次の瞬間、キラキラと輝くような顔つきに変わる。


「そんな中で夢を見たんだ。モロの前にいつの間にか立っててさ、周りが不思議そうな顔をするんだけど、雷三さんは違った。「つったとらんで手伝え!」って大声で言われて、そのまま知らないことを教えてもらいながら手伝った。絵が描けるか?線ひけるか?って言われたから、こんな感じに書けますって鉛筆で紙に書いたもの見せたら、そんなつまらなそうに書くな!って怒られて、教えてやるから来い!って言ってくれた。言い方は怖かったけどね」


「なんか、お爺ちゃんのお父さんぽい」


 お爺ちゃんもぶっきらぼうなところがあったから、どことなく想像できてしまう。

 

「昔のモロはどんな感じだったの?」


「機械はなかっからすべてが手作業だったよ。1つ1つ手で作り上げていくんだ。土を掘って、足で踏み練り、手で作り、火で焼いていく。機械が入った今と作るものは変わらないんだけど、なんだろう、器の1つ1つが輝いて見えたかな」


「輝いて?」


「うん、沢山作るから同じような形の物ばかりができるんだけどね、でも、それは違うんだ。1つ1つに小さな小さな違いがあるんだよ」


 それはお父さんがよく言っている言葉だ。

 ウチの工場は機械で作っている。同じ商品が瓜二つのそっくりさんで作られては出荷されていく。でも、そのお皿はどことなく冷たく感じることがあった。お母さんのセット物のティーカップはそっくりだけれど、どこか、何か違いのようなものがある。それは温かみだってお母さんは言っていた気がする。

 でも、工場はそっくりなものばかりが、そっくりに送り出されていく。同じものであることが良いみたいに…。それが当たり前で製品としては間違ってないってお父さんは言っているけど、どこか、なんとなく、寂しそうに思えてしまった。


「機械が悪いって言ってるんじゃないからね、雷三さんもそれは分かってて、そうなってくだろうなぁって言ってた。でも、これだけは忘れるなって」


「なんて言ったの?」


「機械でできたものでも、手作りでもいいから、相棒を持てってさ」


「どういうこと?」


「う~ん、着いたら話すよ、ここだと暑いし説明するのも難しいし…」


 立ち止まったのを止めて再び歩き出した私達は川に掛かる橋の上を歩いていく。

 やきもの橋と呼ばれていて、瀬戸で焼かれた陶器やら磁器が飾られたり、端に一部になったりしていて面白い。朝と夕方の光の加減で色合いも変わのも魅力だ。そうだなぁ、朝はいってらっしゃい!って元気よく、夕方はおつかれさまって感じに優しく、心に訴えてくるのだ。でもこれは、製陶所の娘だから、感じることなのかもしれないけど。

 

 橋を渡り終えて交差点を渡ってすぐのことだ。突然、小太朗がその歩みを止めて立ち止まった。博物館までもう少しだというのに、その建物を見上げて目を見開いて驚いていた。


「小太朗?」


 戸惑いながら声を掛ける。小太朗の視線は相変わらず博物館の建物を見つめたままだ。

 いや、違う、きっと建物から吊り下げられている垂れ幕を見ているのだと気が付いた。ウチのモロの写真が印刷されていてそこに、西川雷三 展と書かれている。そういえばそんな催し物を行うってお母さんが張り切っていたのを思い出した。

 

「なんか…、運命みたいだね」


「うん…」


 小太朗は立ち止まったままで再びの一歩が前に出てこない。

 何かをためらっているような気がする、いや、怖がっているような気がする。


「もし、違ったらどうしよう…。あれが夢で…」


 今までの悲しいことを思い出したんだろう、不安そうな顔をした小太朗の背中を私はバシっと手で叩く。


「きっとモロが待ってるよ、それに私が信じてるんだから大丈夫!」


 私は小太朗のをしっかりと握って引っ張る様に一歩を踏み出させる。


「ウジウジしてたら、きっと、雷三さんに怒られるよ!」

 

 私は手を引っ張って博物館に突っ込んでいく、足をもたつかせながら少し困ったような顔をした小太朗が面白かった。

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