博物館


 あの日から1週間が過ぎたが小太朗は毎日のようにウチに来ている。

 体験工房で魔法のような作品を描いてからというもの、お母さんがほかにも描かせてみたいと小太朗のお母さんに熱烈にアピールして、小太朗も自分からやってみたいと言ったのが始まりなのだけれど。


「小太朗、入るよ」


「うん、いいよ」


 母の工房から離れたところにある、小さな作業小屋の開けっ放しの引き戸から中に入った。手には冷えた麦茶の入ったコップを持たされている。お母さんが持って行けって小説を読んでいた私を呼びつけて手渡してきたからだ。

 小屋はお爺ちゃんが小さい頃に使っていた練習のための作業場だった。

 お爺ちゃんのお父さん、曾祖父の雷三からここで「陶芸のいろは」を教えてもらったって言っていたっけ。

 3日目に母の陶芸教室があったため、お母さんはこの古い作業場を専用にしてみたらと言い出した。長いこと使っていないところだし、エアコンもない、ちょっと酷いよと私が抗議したけれど、小太朗はむしろ嬉しそうだった。

 手分けして2人で中に少しだけ入っていた荷物を外に出し、学校みたいに掃き掃除や拭き掃除をして、最後に古い蛍光灯をお父さんがすべて交換してくれた。今では見違えるほど綺麗になった室内の窓辺にある2つの作業台、その手前側の椅子に小太朗が座っている。


「暑くないの?」


 窓はすべて開け放たれているが、冷暖房完備じゃない、ただ自然の風が吹き抜けるだけ。

 Tシャツに黒の短パン姿の小太朗は首に巻いたタオルで汗をぬぐいながら、素焼きでできた小さなお皿に筆で絵を描いていた。絵の具ではなく、釉薬という焼いた時に色付けする薬、まぁ、筆で書いたりするから絵の具と言った方が分かりやすいかな。


「暑いけど、暑くないかな」


「それならいいけど…」


 小太朗は額に玉のような汗を浮かべてる。明らかに暑そうなのにその顔には素敵な笑顔が浮かんでいた。


「今は何かいてるの?」


「ん?、これだよ」


 覗き込んだお皿には綺麗な菖蒲の花が描かれていた。

 私じゃまったく書くことのできないくらいに、綺麗な日本画の菖蒲の花だ。ほら、よくお寺とか畳の部屋とかで襖に書いてあるあんな絵のこと。


「もっと今風の絵を描いてくれたらいいのに」


「あはは!そうだね!そうしてみよっか」


 そう言って思いっきり大声で笑った小太朗の笑顔と声に思わず驚いた。

 だって、お皿を作ってくれていたお爺ちゃんにそっくりの笑い方だったから。

 本当に変な気がしている。

 小太朗には出会って少しか経っていないのに、どうしてだろう、家族のように昔から知っている人と住んでいるような気持になってくる。この作業小屋に入ってからは更にその気持ちが強まっている。

 この作業小屋は引退したお爺ちゃんの趣味のために使われていた。小太朗が今座っている席で、同じように座って、同じように汗をかいて、同じように麦茶を飲んで、保育園児だった私のお願いに今さっきのように大声で笑って、そして叶えてくれた。


「何を描いたらいい?」


「え…?」


 さらに驚く、お爺ちゃんも同じように訪ねてきたからだ。


「どうしたの?」


「ねぇ、小太朗ってうちの親戚じゃないよね?」


 その言葉に驚いたような顔をした小太朗が、やがて困ったように頭の後ろを手で掻いた。おかしい、頭を掻く仕草すらお爺ちゃんにそっくりだ。


「親戚じゃないよ。だって僕は引っ越してきたばかりし」


「うん、そうだけど、お爺ちゃんの仕草にそっくりなんだもん」


「え?洋三に?」


 私がそう言った途端、小太朗からの返事に思わず息を呑んだ。

 洋三はお爺ちゃんの名前だ。小太朗が知るわけがない、だって、お爺ちゃんに会ったことなんてないんだから。


「な、なんで、お爺ちゃんの名前知ってるの?しかも呼び捨て!」


「あ!」


 何かを仕出かしてしまったようにバツの悪そうな顔をした小太朗に、私はきっと何かを知ってると確信した。


「もしかして、お爺ちゃんの生まれ変わり?」


 さっきまで転生する主人公の小説を読んでいるところだったから、もしかしたそう言ったことが起こるかもしれない。


「いや、それはないよ。僕は小太朗だからね」


「前世の記憶を持ってるとか、そうでないとあんなに上手にお皿に絵を描いたりできないよ」


 お皿に絵を描くということは、凄く、凄く、練習しなきゃならない。

 お母さんは小さい頃から、沢山、沢山、練習したって言っていたし、実際に私もその姿を見ながら育ってきた。ご飯にしろ洗濯にしろ、絵を描いている時はお父さんがぶつぶつ文句を言いながらしていたし。


「前世か…、それに近いものがあるかもね」


「え?」


「あの工場の前のモロがあれば説明しやすくて良かったんだけどな…」


「おかしい!なんでモロなんて言葉知ってるの!?」


 私は驚きのあまり大声で叫んでいた。

 モロというのは瀬戸で陶磁器を作る工房の呼び方だ。

 それを外から引っ越してきた小太朗が知っている可能性は限りなく少ない。地元の人だってもう陶器に詳しい人か生産に関わっている人しかそんな呼び方知らないのに。

 

「ああ、もう、モロなんて言わなくなってきてるんだね…」


 寂しそうな顔をした小太朗にお爺ちゃんが重なって見える。


「お爺ちゃん?」


 思わずそう呼んで見ると小太朗は違う違うって首を振った。

 

「だから、違うってば!」


「なんだ…、そうだったら面白かったのに…、あ、でも、ウチの工場のモロなら残ってるよ?」


 そう言った途端に書きかけの皿のことも忘れて小太朗が椅子から立ち上がった。

 お皿が地面に落ちてカシャンと割れる音を立てる。私は驚いたけど、そんなことはお構いなしに小太朗は詰め寄ってきて、絵の具で汚れた手で私の両肩を掴んだ。


「どこに残ってるの!?」


「小太朗、痛い!」


 肩を握る手に小学生とは思えないくらいの力が入る、そして心から大切なものを探しているような人がきっと浮かべる表情で私の鼻先まで美男子の顔を寄せてきた。

 

「ねぇ、モロはどこにあるの!?」


「は、博物館だよ、駅前に近くにある博物館!立て直して壊そうとした時にね、お爺ちゃんが寄付したんだよ!」


 私はそう言って小太朗の手を逃げるように振り払って後ずさる。

 そして痛かった肩を摩りながら、怒って小太朗を睨みつけたけれど怒りはすぐに消えてしまった。

 ポタポタと涙を流しながら嬉しそうに小太朗が笑っている。まるでずっと無くしていた宝物を見つけた時みたいに、嬉しくて仕方ないと言った感じだ。

 この顔を私は見たことがある。

 お爺ちゃんがあるものを見ていた時の顔だった。

 夏の日にお爺ちゃんの友達が一本の筆を持ってきた時、保育園児の時だったけれどその姿はとても印象に残っている。だって嬉しそうに泣きながら筆を眺めて、アイツは元気かなって、まるで筆がそのアイツのように語り掛けていて、友人のおじいさんも、同じように涙を零しながら同じように頷いていた。

 あとあとお母さんに聞いたら、それは嬉し泣きというらしい。


「モロがあった…。だったら約束、守らなきゃ」


 グッと拳を握って嬉し泣きをする小太朗が泣き顔のままで私へと振り向いた。


「痛いことしてごめんなさい。でも、教えてくれてありがとう」


「い、いいよ」


 とでも怒れる雰囲気ではなかった。だって、顔クシャクシャにして泣いてる人になんて怒ることはできない。それでいてにこやかに笑っているんだもの。


「博物館はここから遠いのかな?」


 小太朗はすぐ分かるほどにそわそわして行きたそうにしている。

 それが尻尾を振った犬みたいに見えて思わず私は笑ってしまった。


「ウチから近いよ、そうだなぁ、10分くらい歩けば着くかな」


「学校よりも近いんだね」


 そう、私が通い小太朗も通う予定の瀬戸第一小学校は歩いて20分くらいかかる、そう考えると確かにそっちの方が近い。


「夏姫、お願い、博物館へ連れってくれる?」


「うん、いいよ」


 断る振りをしてもいいかもと思うけれど、小太朗はしっかりと頭を下げて私に頼み込んできた。だから、それをしたら失礼だろう。だって、こんなにも真剣に頼んでいるんだから、それに真剣な人には真剣に答えなきゃダメだぞってお爺ちゃんも言っていたしね。

 

「その代わり、私からもお願い」


「いいよ、僕の秘密でしょ?」


「うん、それを話してくれる?」


「もちろん、もう、隠してごまかす必要もないから、モロがあればきっと信じてもらえるし」

 

「どういうこと?」


「それはついてからのお楽しみ、さ、行こうよ」


 近くに置いてあったタオルで顔を拭いた小太朗がそのままの姿で出ていこうとするので慌てて止めた。


「小太朗、着替えてきてよ」


「え?」


「だって、商店街も通るし、それに博物館はいろんなお店も入ってるから、ちょっと…」


 これは半分正しくて半分正しくない言い訳だ。

 正しいの半分は、Tシャツた短パンは釉薬や土で汚れてもいいような恰好をしてきているから、そのままで出ていくにはちょっと申し訳ない。きちんと着替えてきてくれれば、たとえばあの出会った時にみたいな普通の格好をしてきてくれたら、見栄えもよいし素敵な男子に見える。

 正しくないの半分は、私の身勝手だ。だって、商店街や博物館に行くのは友達に会う機会もあるし、知ってる人にも見られる可能性がある、できれば、格好いい男の子と歩いていたねって言われたい。

 私だって乙女なのだ。そう言われてみたい。


「そっか、じゃぁ、そうしよう。着替えてくるから待っててね」


「うん、私も準備してくる」


 小太朗が走って家に帰ってゆく。

 久しぶりに商店街とかにいくから私も着替えようと戻って着替えたけれど、ショップに出るとお母さんが驚いた顔で私を見た。


「もうデートなの?」


 ニヤニヤしながら言うのや止めてほしい。お母さんだって昨日お父さんとお酒飲みながらイチャイチャしてたくせに。


「ち、違う、博物館に行ってくるから」


「デートじゃない?」


 そう言われてふっと立ち止まって考えてみた。

 2人そろって博物館に出かけてきます、服もちょっとおしゃれしてます。

 どうやってもデートに見えますね、ええ、見えますよね…あ、いや、ちょっと待って。


「小太朗がね、ウチの昔のモロを見たいんだって」


「懐かしいわね、その言い方、でも、なんでモロなんて」


「なんかね、そこで小太朗の秘密を話してくれるんだってさ」


「デートじゃない?」


 ああ、駄目だ。

 お母さんの中では男勝りの娘にようやく春が来たみたいな顔をしてる。くふふって笑いが聞こえてきそうなほどに、ニマニマしてるのが気に食わない。


「気を付けて行ってくるんだよ」


「あ、お父さん、えっと…うん…行ってきます…」

 

 ショップ廊下の柱の陰に顔を半分だけだして、そう言って私を見つめるお父さんは、どことなく寂しそうに見えた。

 

「でも、デートじゃないからね、本当にモロを見に行くだけだから」


 そう言った直後、小太朗の元気な声がドアを開けて入ってきた。


「準備できたよ!夏姫、行こう!」


 声の方に振り返って私は絶句した。

 さっきまでの服装が嘘みたいだ。

 黒色のスラックスにブランド物のTシャツ、そして暑いのにきちんと薄絹の涼しそうなシャツを羽織っている、髪型もきちんとセットされていて、美男子にもっと磨きが掛かっている。

 シンプルに言って、格好いいし、素敵だ。


「デートじゃない!」


 お母さんの嬉しそうな声が響く、もう本気にしているような気がする。そして顔も綻ばせているのが良く分かる。

 ふっと、お父さんを見ると、視線の奥にどす黒い何かを見せているような気がして少し怖い雰囲気だ。


「じゃぁ、行ってきます!」


 私はそのまま大慌てで小太朗の手を握ると小走りにショップを出た。


「デートじゃない!!」


 さらに嬉しそうに高々に叫ぶお母さんの声に続いて、お父さんの泣く声が聞こえてきた気がした。


「これデートなの?」


「知らないわよ、馬鹿!」


 不思議そうに私に聞いてくる小太朗に察しろとばかりに視線を送ったけど、普通に微笑まれて返されてしまう。

 あの泣き顔からは想像できないほど、思わず立ち止まって見惚れてしまうほどに素敵な笑顔だった。

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