夏休みの客
8月の暑い日のこと、この日は特に暑かった。
どれくらい暑かったかと言えば、手に持っていた、そう、手に持っていたアイスクリームがあっという間に解け落ちてしまうくらいの暑さ、災厄だったけどさ。
「もう!」
私、
母親のお使いを終えての帰宅途中、コンビニに寄って暑さを紛らわすために買ったとこだというのに、手元には棒だけが残ってしまった。落ちたアイスクリームも道路のアスファルトの暑さであっという間に溶けてしまった。
「ああ、もったいない」
災厄な気分で不機嫌になりながら家にとぼとぼと帰っていく途中のこと、あと少しで我が家というところでいつもと違う光景が見えた。
長いこと空き家になっていた隣の家の前に、大きなクマのマークの付いた引っ越し屋さんのトラックが止まっていたからだ。帽子をかぶったお兄さんたちが、綺麗な女の人と私ぐらいの子供の前で挨拶をしているのが見える。やがてお兄さん達がトラックに乗って出ていくのを見計らって、その前をちらりと見ながら足早に通り過ぎようとした。
「あら、こんにちは」
「こ、こんにちは」
綺麗な女の人が私の視線に気が付いたみたいで、挨拶をしてきたので私も返した。隣の子供、私とそれほど背丈の変わらないけれど、すっきりとした顔立ちの美男子系の彼は私をじっと見つめたまま、固まったように動かなかった。
「
彼が驚いた顔をして突然、そんなことを言った。
「え?私は夏姫ですけど…」
「あ、ああ、そっか、もう時が過ぎてるから…、ごめんなさい」
少しきつい言い方になってしまったのかもしれない、表情に出やすい性格だからきっと嫌そうな顔もしたと思う。それを見た彼はしっかりと頭を下げて謝ってくれた。
それだけでも意外と真面目でいい奴なのかもしれない。
「僕は、小松原小太朗と言います。今日、引っ越してきました」
彼は名乗ってからすっと私に右手を伸ばしてくる。
「えっと…、
私は伸ばされた右手に答えるように右手を伸ばして彼の手を握った。妙にごつごつしたその手は家の工場で働く職人さんのような手に思えるほど、大人の手に近い感触がした。
「私は小松原真理子、小太朗の母親です。息子と仲良くしてくれたら嬉しいわ。それからお隣さんって工場の人かしら?」
「はい、
我が家は陶磁器を作る工場を経営している。
お皿とか湯呑とかお茶碗とかを作っては販売している。それ以外にも私の母親で陶芸作家の香夏子の作る作品も、自慢じゃないけど有名だったりする。
でも、私はそんな家があまり好きではなかった。
「お父さん、お母さんはお家にいらっしゃるかしら?良ければご挨拶に行きたいな思うのだけれど…」
「きっとお父さんは工場で、お母さんは工房に居ると思うので、いつでも大丈夫だと思います」
いつだって来客があったりするウチだから、いつでもだれが来てもウェルカムだ。
「そうなの!、ちょっと用意してくるから待ってね」
それを聞いた真理子さんは慌てるように自宅の玄関へと戻っていく。
「ねぇ、西川製陶所ってこの辺には沢山あるの?」
「え?」
彼、小太朗からの突然の質問に戸惑いながら考えてみる。
知ってる限りは市内の陶磁器を作っている会社にも工場にもウチと同じ苗字のところはないはずだ。
「ううん、ウチだけだよ。西川って苗字は」
「そっか」
何かホッとしたような表情で小太朗が少し嬉しそうな息を吐いた。
「さっきは本当にごめん。勝手に別の人の名前を呼んで…」
小太朗は再び頭を下げてしっかりと謝った。やっぱりいい奴なのかもしれない。
「いいよ、気にしないで、でも、私、その人にすごく似ていたの?」
あれほどの驚いた顔を見たことなかったから、意地悪じゃないけれど聞いてみる。
「うん、やっぱりそっくりなんだなって思った」
「なにそれ…」
「気にしないで、あ、そういえば牡丹の大きなお皿はあるかな?」
小太朗の一言で気持ちが悲しくなる。
牡丹の大皿と言えば、大好きだったお爺ちゃんが絵を描いたお皿のことだ。庭に咲いた牡丹の花をまるで切り取ってお皿に描いたように思えるほどの素敵なお皿だったけど、私が不注意で落として割ってしまったのだ。
死んでしまったお祖母ちゃんが私にくれた大切なお皿だったのに。
「なんで、牡丹のお皿を知ってるの?」
でも、彼は何でそんなこと知ってるんだろう。誰にも話したことなんてないことなのに。
「それは…」
そう言って小太朗が言葉に詰まる。真理子さんがちょうどやってきて、私達の微妙な雰囲気を察したのか、困った表情をする。私は後で小太朗に聞くことにしてウチへと案内することにした。
ウチは道路に面したところに母の工房兼ショップと、その奥にいかにも工場といった作りの建物でできている。
陶器をろくろを使って手で作ることも少なくなった。今ではほとんどが機械化されていて最小限の人手で作っていて、100円ショップでも手軽にお皿が手に入るから、外国産の陶磁器に押されて、正直に言えば売り上げは少ない。
お爺ちゃんやお祖母ちゃんの若い頃はとても繁盛していたらしく、昔を懐かしんで2人が涙ぐんでいたっけ。
「おかーさん、おかーさん!お客さんだよ!」
大きなガラスの付いた扉を開けてお店にはいる。店内には所狭しとお茶碗や湯呑、お皿やコーヒーカップなどが並んでいて、どれもこれもがカラフルに彩られて可愛らしい。
母の香夏子の作品で嫌いなわけではないけれど、でも、お爺ちゃんが描いてくれた牡丹の花の方が私は好きだった。
「なんなの夏姫!お店で大声ださないで!」
奥の工房から母の香夏子が出てきた。
バンダナを頭に巻いて筋骨隆々ってボディービルダーみたいな体形をした母は、瘦せていて美人の小太朗のお母さんとは正反対の姿だ。首にタオルを巻いて汗を拭きながら、のれんをくぐって出てきた母だけど、私の後ろにいる二人に気が付くとしまったといったような顔をした。
「あ、えっと、失礼しました。夏姫、そのお二人は」
今更営業スマイルをして取り繕ったって遅いと思いながら紹介をする。
「お客さんていったじゃん、隣に引っ越してきたんだって」
「どうも、初めまして、隣に引っ越してまいりました、小松原と申します」
「これはご丁寧にどうも…こんな格好で申し訳ございません」
「いえいえ…」
母親同士で通じるものでものでもあったのだろうか、2人がおしゃべりを始めると、小太朗が店内の食器類をじっくりと見始めた。いや、目つきは観察をするような感じだ。
どこかで見たことのある目つきだと思い返していると、不思議と私の視線は母に向いた。
そうだ。作品展や美術展で母が他の方の作品を見る時の目つきだ。観察眼とでもいうのかもしれない。
離れたり近づいたりと身を動かしながら、方向を変えて、視線を変えて、じっくりと一つ一つの売り物であり、作品でもあるそれらを、小太朗は興味深そうに唇に笑みを浮かべてじっくりと見ていた。
時より目つきが真剣なものになってゆくと、すっきりとした顔立ちの美男子の表情に私の視線は惹きつけられる。
「小太朗君、面白い?」
「ん、うん。面白いっていうより、とっても素敵だよね」
真剣な顔で小太朗がそう言ってこちらに振り向いた途端、私は思わず頬が赤くなるのが分かった。
こう、なんて言ったらいいのか分からないけれど、小太朗のその表情に胸の奥がギュッとなる。きっとこれが漫画とか小説とかである一目惚れをする瞬間なんだろうか。
ぼんやりと小太朗を見たままでいると、表情がころっと変わって困ったような顔になった。
「えっと、西川さん」
「あ、ごめんね。それと西川じゃなくて、夏姫でいいよ、夏姫で。でも、そんなに素敵かな?」
普段から見慣れた私にとって慣れ親しんでいるから、それほど素敵には思えないけど、でも、それを聞いた小太朗の目には何かが宿ったような輝きが見て取れた気がした。
「うん、とっても素敵だね」
「よかったら、絵付けしてみる?」
私は不意にそんなことを言ってしまう。
工房には体験施設みたいなものもあって、そこで母が陶芸教室もしているから、きっと母の作品を素敵と言ってくれる人がいるなら、小太朗にも体験させてみたいと思ってしまった。
「なに、描いてみたいの?」
親同士でおしゃべりしていたくせに、母がその言葉を耳聡く聞いていたらしい、会話の途中で話に割り込んできた。
「えっと、できるようでしたら、やってみたいです」
少し恥ずかしそうに小太朗がそう言って頷く。
そして小太朗は私にあの立派な牡丹を描いてくれた。
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