【完結】八月のアクアマリーン(作品240324)

菊池昭仁

八月のアクアマリーン

第1話

 都内の女子大に通う、真由美と早苗、そして彩の三人は、出会いを求めて湘南のビーチへとやって来た。


 ギラつく残酷な真夏の太陽と、焼けた砂浜。ビーチパラソルを広げて娘たちはナンパ待ちをしていた。

 ただひとり、早苗だけを除いて。

 早苗も恋愛には興味はあったが、海でナンパして来る男にロクな男はいないと思っていた。

 

 

 平日だというのに、ビーチは人で溢れていた。


 「声を掛けてくるのはみんなヤリチンばっかり。

 脳味噌が蕩けたようなブサイクな男ばかりでもうガッカりよ。

 わざわざ電車賃を掛けて来た甲斐がないわ」


 彩が不満げに溜息を吐いた。

 それを慰めるように、リーダー的存在の真由美が言った。


 「は待つのが基本よ。素敵な男性が現れるまで、じっと待つの。

 だって私たち、美しいマーメイドなんだから。

 ねっ? そうでしょ?」

 「う、うん」

 「でも中々現れないわよね~、イケメン君」


 私はナンパされようがされまいが、そんなことはどうでも良かった。

 早く帰って部屋の掃除をしたかった。洗濯物も溜っている。それに読みたい本もあった。

 真由美と彩から仲間外れにされるのがイヤで、ここまで付いて来ただけだったのだ。

 ただの「付き合い」としか考えていなかった。


 (ああ、早く帰りたい)


 いつも私は真由美と彩の引き立て役だった。

 銀縁メガネを掛けたオカッパ頭の地味な私。

 いつもスッピンで、リップしか付けたことがない。

 真由美と彩は大胆なビキニ姿だったが、私は色気のない、高校生の時のスクール水着しか持っていなかった。



 「ねえ、ここは熱いから海の家で何か飲まない? ここに居たら干からびちゃう」

 「そうね? かき氷でも食べようか?」

 「賛成!」


 私たちは海の家へ移動することにした。



 かき氷を食べていると男の子がひとりでやって来た。


 「どうしてイチゴなの? かき氷は普通、練乳掛けの宇治金時でしょ?」


 その男子はいつの間にか、私たちのテーブルに就いていた。


 「ダサーっ、それってオバサンが好きなやつじゃない? 宇治金時だなんて」


 彩が笑った。まんざらでもなさそうだった。

 その男子は知的で爽やかなイケメン君だった。


 「そうかなあー? 小豆と練乳、そして宇治抹茶のトリプル攻撃だぜ? 最高じゃん!

 かき氷は宇治金時の練乳掛けに限るよ。なあ次郎、功作。お前らもそう思うだろ?」


 少し遅れてふたりの男子がやって来た。こちらも中々のハンサム・ボーイだった。



 「いや、俺は断然メロンだな? あのグリーンの色が好きだ」


 次郎はテーブルに頬杖をつくと、彩のイチゴのかき氷をじっと眺めていた。


 「俺はやっぱりイチゴがいいなあ。

 知っているか? イチゴもレモンも、そしてメロンもみんな同じ味だって事」

 「へえー、そうなんだ? でもシロップが赤いと、何となくイチゴみたいな味がするわよ」


 彩は嬉しそうだった。彩の好みの男は知っている。

 ジャニーズ系のキレイ男子が好みだった。


 「そもそも、あれってイチゴの味なのか?

 ただ甘いだけじゃん」

 「それじゃあ俺たちが各々自分たちの好きなかき氷を買って来て、功作の話が本当かどうか実験してみようぜ?」

 「うん、それ、いいかも」


 彩はかなり乗り気だった。

 リーダーの真由美が絶好のタイミングで男子たちに訊ねた。


 「あなたたち、大学生?」

 「そうだけど。君たちも大学生かい?」

 「私たちは令和女子大」

 「お嬢様大学じゃないか! 凄いね! 俺、お嬢様大好き!

 じゃあ同じ東京ってわけだ」

 「何処の大学?」

 「一応、東京六大学だけど」


 真由美と彩の口元がほころんだのを私は見逃さなかった。


 (これで話が進めば帰る口実が出来た)


 どうせ私は居ても居なくてもいい存在なのだから。




 かき氷を買って、三人が戻って来た。


 「どれどれ、それではお味見を」


 彩がかき氷を試食しようとした時、真由美がそれを制した。


 「ちょっと待って彩、その前に目隠しをしないと。

 そうじゃないと先入観があるから実験にはならないわ」

 「なるほど、そっか?」


 真由美がバンダナで彩に軽く目隠しをした。

 真由美はメロンのかき氷をスプーンで掬い、彩に食べさせた。


 「さあ、これは何味でしょう?」

 「イチゴ! だってさっき私が食べていたイチゴと同じ味がするもん」


 真由美は彩の目からバンダナを外した。

 彩の目の前にあったのは、メロンだった。


 「うそ! メロンだったの?」

 「そうだよ。そしてこれが人間の持つ先入観の恐ろしさでもある。

 赤いシロップを見て、イチゴと書かれているからこれはイチゴ味のかき氷だと思ってしまうんだ。

 勝手にイチゴの味をイメージしてしまうんだね?」

 「そうかー、先入観で物を判断してはダメね?」



 私たちはすぐに打ち解けた。

 三人はそれぞれ個性的だったが、インテリのイケメンだったので、真由美も彩も安心して会話を楽しんでいた。

 会話は弾んでいた。

 

 そして一緒に海に浸かったり、ゲームをして過ごした。


 「自己紹介がまだだったよね? 俺は後藤健太。

 啓明大学の文学部の2年生で出身は広島。

 高校までは陸上をしていたんだ。400mハードルが専門で、一応インターハイにも出たんだぜ。

 6位だけどね? あはははは

 趣味はカラオケ。持ち歌は2,000曲以上、ミスチルのファンです!」

 「僕は木村次郎。健太と同じ大学の英文学科。

 趣味は食べ歩きと料理。出身は群馬の前橋」

 「幸村功作。同じく文学部の2年。熊本出身」


 幸村君は山ピーのような好青年だった。

 真由美は幸村君に照準を合わせているようだった。


 「磯村真由美です。家政学部の2年生です。

 高校時代は吹奏楽部でフルートを吹いていました。

 今は何もしていませーん。現在、彼氏募集中でーす!」

 「おお! 俺立ちも全員、絶賛彼女募集中! どう? 俺たちの誰かと付き合わない?」


 真由美はちらりと幸村君を見たが、彼は海を見ていた。


 「私は河原彩。アヤって呼んでいいよ。

 真由美と早苗と同じ、令和女子大。

 趣味はビリヤードとピアノ。これでも結構上手のよ、自分で言うのもなんだけど。うふっ」


 彩はそう言ってはにかむように笑ってみせた。極めて効果的にそれをやってのけた。

 彼女は女のどんな仕草に男がグッと来るのかを熟知していた。

 次郎君と彩はお互いを熱く見つめ合っていた。

 どうやらカップル成立のようだった。


 ついに私の番になった。

 私は人前で話すのが苦手だった。

 小さな声で呟くように言った。


 「園田早苗です。彼女たちと同じ大学の2年生です。出身は福島県です」


 雄太君が気を利かせてくれた。


 「園田さんって福島なんだ? うちの親父の実家も福島なんだよ。

 小さい頃、夏休みにはいつも福島のお爺ちゃんの家で遊んだなあ。

 いいところだよね? 福島」


 そして次郎君が言った。


 「自己紹介も済んだことだし、どうだろう? 東京に戻って新橋で一緒に飲まないか?」

 「どうする?」


 真由美が彩に尋ねるフリをした。既に答えは決まっている。


 「私は別に構わないけど」

 「早苗は?」

 「私はレポートがまだ終わっていないから、みんなで楽しんで来て」

 「それじゃあ3対3にならないよー」

 「だったら俺も帰るかな?」


 幸村君がそう言った時、真由美の顔色が変わった。


 「何も今日やらなくてもいいじゃない? レポートなんて。私なんかまだ全然やってないわよ。

 水曜日までに出せばいいし」

 「それじゃあ・・・」


 私は仕方なく、参加することに同意した。

 自分が参加しないと、合コンのバランスが取れなくなると思ったからだ。

 私のせいで幸村君が帰ってしまったら、あとで真由美たちから何を言われるか分かったものではない。

 渋々私は合コンに参加することにした。


 日焼けして火照った体に夕暮れの潮風が心地良かった。

 私たち6人は、着替えて電車で新橋へと向かった。

 



第2話

 私たち6人は、新橋のガード下にある、狭い焼き鳥屋さんに入った。



 「かんぱーい!」

 「ビーチ、平日なのに混んでたわね?」

 「もうすぐ夏休みだしな? 真由美ちゃんは帰省するの?」

 「私は東京生まれの東京育ちだから、田舎はないの。いいなあ、田舎のある人は」


 真由美は東京を強調した。とは言っても、真由美は都心からかなり離れた八王子が実家だった。

 両親は真由美が小学生の時に離婚し、彼女は父親に引き取られたが、父親は若い女とすぐに再婚をしたので、真由美は実家から大学に通うことなく、大学の近くで独り暮らしをしていたのである。


 「彩ちゃんは?」

 「今、考え中。実家は神戸だから帰りたいんだけど、面倒臭くて」

 「神戸のどこ?」

 「・・・一応、芦屋」

 「お嬢様じゃん!」


 彩は満足そうな顔をしていた。

 彼女の自慢は家が芦屋の名家で、本物のお嬢様だと言うことだった。

 彼氏も何人かいたが、彩の我儘な性格から男子たちは彩と距離を置いていた。

 彩はいわゆる「都合のいい女」であった。

 彩は次郎君と一緒に夏休みを過ごしたいと思っているようだった。


 「早苗ちゃんは福島に帰るの?」


 健太君が私にも話題を振った。


 「おばあちゃんのお墓参りもあるので・・・」

 「そういうところ、早苗ちゃんらしいな?

 俺は広島だから、帰省費が勿体ないから東京でバイトしてるよ」

 「俺は群馬だからしょっちゅう帰ってるし、お盆だからって特別感はないなあ」


 次郎君はそう言った。



 「俺は帰るよ、実家のある熊本に」


 幸村君の父親は、幸村君が中学の時に他界したそうだった。



 真由美がある提案をした。


 「ねえ、「カップル誕生ゲーム」しない?」

 「何だよそれ?」

 「面白そうじゃん!」


 次郎君は乗り気だった。もちろん彩も。


 「ルールはいたって簡単、この箸袋に付き合いたい人の名前を書くの。

 そしてそれをテーブルの上に並べるだけ。ねっ、簡単でしょう?」


 それはいつもの真由美の作戦だった。

 あくまでゲームなので、付き合い易く拘束力もない。

 そしてお互いにあまり傷付くことも少ないからだ。


 「やろうやろう! つまりそれでカップルが成立したら、そのままデートというわけだな?」

 「そうなのよ、ゲームだから後腐れなし。みんないいわね?」

 「いいわよ、どうせお遊びなんだから。あはははは」


 彩は敢えておどけてみせた。


 「俺は本気だよ」


 次郎君と彩は熱い視線で見詰め合っていた。

 すでにカップルの一組が成立していたというわけだ。

 真由美は幸村君狙いだから、私は気がラクだった。



 みんなは各々誰にも分からないよう、箸袋に相手の名前を書いた。

 私は白紙にした。彼女たちと被るのがイヤだったからだ。



 「それじゃあジャンケンで負けた人から開けるわね?」

 「最初はグー、ジャンケンポン!」

 「あいこでしょ!」

 「あいこでしょ!」


 健太君が負けた。


 「俺からかよー」

 「ハイ、早く箸袋をひっくり返してちょうだい!」


 もじもじしながら健太君がそれを表にした。

 健太君の箸袋には真由美の名前が書かれていた。

 真由美は全員が自分を指名すると思っていたので、予想通りの結果にうれしそうだった。


 「おおっー! そして真由美ちゃんの箸袋には?」

 「ごめんなさい・・・」


 真由美の箸袋には「幸村」と書かれていた。


 「クソーっつ、まあ仕方ねえか? お前らお似合いだもんな?」


 健太君が言った。

 真由美は幸村君と両思いだと確信していたようだが、結果は意外なものだった。

 幸村君の箸袋には意外にも私の名前が書かれてあった。


 「早苗ちゃん・・・」


 その場に気まずい沈黙が流れた。


 「早苗の箸袋には誰って書いてあるの!」


 真由美が叫んだ。

 すると彩がすぐに私の箸袋を表にした。

 私の箸袋はもちろん白紙だ。

 真っ先に真由美が私をあからさまに非難した。


 「ちょっと何それ! ゲームにならないじゃない!

 ホント、早苗って白けることするわよね! 空気を読みなさいよ! 空気を!」


 (空気を読む?)


 そうなのだ、私は空気を読めない人間だった。

 子供の時からそうだった。


 「ごめんなさい、私なんかには勿体ない人たちだったから・・・」 

 「それでも書くの! ゲームなんだから!」


 真由美は自分が恥を掻いたので、興奮気味に私を責めた。

 そこに幸村君が私たちの会話に割って入って来た。


 「まあいいじゃないか。どうせ「お遊び」なんだから」


 私は幸村君に救われた。


 「そうだよ、お遊びなんだからさあ。

 許してあげなよ、真由美ちゃん」

 

 健太君がまた気を利かせてくれた。


 「みんなまだ飲み方が足りないんだよ!

 今日は飲もうよ! 生ビールお替りする人っつ!」

 

 私を除いた全員がお替りを頼んだ。




 御開になった時、次郎君が言った。

 

 「それじゃあみんな、悪いけど俺と彩ちゃんはこれから別行動だから。後、よろしく!」

 「割り勘だぞ、ひとり2,000円!」

 「ケチ臭えなあ! それくらいご祝儀だろう? カップル誕生の。ほれ、彩ちゃんと俺の分」


 次郎君は財布から4,000円を出して健太君に渡した。


 「真由美、早苗、ごめんね? そういうことだから、バイバーイ!」


 ふたりは嬉しそうに手を繋いで店を出て行った。



 残された4人はまるでお通夜だった。

 真由美は怒っていた。


 (功作のバカ! あんな小学生みたいな子のどこがいいのよ!)



 私はひとり、落ち込んでいた。

 少女漫画の主人公のような幸村君が、私を好きだと言ってくれるのはうれしかったが、それよりも真由美のことが気になっていたからだ。


 (どうしよう・・・、真由美、絶対怒っている)


 真由美が席を立った。


 「はい2,000円、私、先に帰るから」

 「待って真由美、私も一緒に帰る」


 私が財布からお金を出そうとした時、幸村君がこっそりと私のバッグの中に箸袋を入れた。


 「気をつけてね?」

 「おやすみなさい」

 「おやすみ、早苗ちゃん」


 私は慌てて真由美の後を追った。





 「待ってよ真由美! 一緒に帰ろうよ!」

 「アンタは功作とデートでもすれば良かったでしょ! まだバージンなんだから! 功作にしてもらえば良かったのに!」

 「私はただ幸村君にからかわれただけだよ、あんな女子ウケしそうな男子が私みたいなのを好きになるわけがないじゃない。本当は真由美のことが好きだったのよ! 私はただの当て馬にされただけ!」


 私は必死に弁解をした。


 それもそうだと真由美も思ったようで、真由美の顔が急に穏やかになった。


 「お茶して帰ろうか?」

 「うん」


 私と真由美は深夜営業のカフェでお茶をして、始発電車を待つことにした。




第3話

 真由美はアイスココアを、そして私はメロン・クリームソーダを飲んでいた。

 私のクリームソーダのバニラアイスは既に溶けてしまい、美しくクリアなグリーンは乳白色となり、サクランボはグラスの底に沈んでいた。

 私はそのサクランボを掬い上げようと必死だった。


 「さっきから何やってんの?」

 「沈んだサクランボを取ろうとしてるんだけど、中々取れなくって」

 「貸してみなさいよ」


 真由美は私からグラスを取ると、あっという間にサクランボを掬ってみせた。


 「凄い! 真由美は何でも出来るんだね?」

 「アンタが鈍臭いだけよ。私、絶対に功作を振り向かせてみせるから」

 「真由美なら大丈夫だよ、美人で頭もいいし」

 「それだけ?」

 「お料理も出来て家事全般が得意で、奥さんにするには最高な女」


 私はやっとサクランボを食べることが出来たという喜びに安堵していた。美味しかった。

 クリームソーダにこの赤いシロップ漬けのサクランボがなかったら、それはカツ丼に三つ葉が入っていないくらいに味気ないものになってしまうだろう。

 私はクリームソーダが好きというよりも、このサクランボが好きなのだ。

 だからといってレモンスカッシュでいいというわけではない。

 アイスクリームとソーダ水、そしてこのサクランボの三位一体が良いのだ。


 「セックスだって自信があるわよ。男を喜ばせるのなんか簡単」

 「・・・」


 その話題について、私は言及出来る立場にはない。

 私はまだ、男性経験がなかったからだ。


 「もう早苗も二十歳はたちなんだからさあ、ロスト・バージンしなきゃ駄目よ」


 真由美はそう言って、面倒臭そうに二本目のタバコに火を点けた。

 美人がタバコを吸うと、こんなにも様になるものかと私は思った。


 「連絡先とか交換したの?」

 「してないわよ、するような雰囲気じゃなかったじゃない? アンタのせいで」

 「ごめん・・・」

 「でも心配しないで、彩がいるから大丈夫。

 今頃次郎とよろしくやってる筈だから。

 彩が次郎から功作の携帯番号を聞き出せば済む話よ」

 「流石は真由美、やるわね?」

 「恋愛なんてね? じっと待ってちゃ駄目。こっちからドンドン仕掛けていかないと。

 あんなイケメン、周りが放おっておくわけがないんだから」

 「そうかもね」

 「そして今度はアンタには悪いけど、私と功作、そして彩と次郎で会うことにするから悪く思わないでね? 私と彩は恋愛上級者だから。あはははは」


 私は安心した。これでふたりとも新しい彼氏が出来れば、自ずと忙しくなり、私は彼女たちに振り回されずに済むからだ。

 私はアイスが溶け、炭酸が抜けたクリームソーダをストローで啜った。


 


 学生アパートに戻ると、バッグから功作がくれた箸袋を取り出してみた。

 驚いたことに、そこには彼の携帯番号が書かれていた。

 心臓がドキドキした。

 私は男子と付き合ったことも、告白した事も、されたこともなかったからだ。


 だがそれは密かな憧れでもあった。

 少女漫画のような、胸キュンの話にのめり込んだりすることもある。

 でも現実には想像すら出来なかった。


 「自分みたいな女の子には関係がない話・・・」


 私は子供の頃から目立つような子供ではなかった。

 クラスでは苛められ、よく泣いて家に帰った。

 死にたいと思ったことも何度かあった。

 だから私は自分を守るために、いつの間にかカメレオンのように周囲と擬態することを学んだ。

 つまり空気は読めないが、それに同化することは出来た。

 自分の考えをハッキリと主張出来る、真由美や彩が不思議でもあり、羨ましくもあった。



 そんな私に彼は連絡先を教えてくれたのだ。しかも私だけにコッソリと。

 こんな古典的なやり方で・・・。


 中学の時、クラスメイトの男子からからかわれたことがあった。

 好きだった男の子からの手紙が机の中に入っていたのだが、それは彼らが偽造したものだった。


 「緑ヶ丘公園で待っています」


 

 緊張してそこに行くと、男子たち数人が大笑いをして立っていた。


 「なっ? やっぱり来ただろう? ほら、1,000円ずつ出せよ、俺の勝ちだ」


 酷い苛めだった。


 「バカヤロー、何で来んだよ! お前みたいなブス、誰も相手になんかするかよバーカ!」


 死にたいと思った。私は泣きながら河川敷に向かって歩いた。

 そのことがトラウマになり、それ以来私は男性不信になってしまったのである。


 故にそれを手放しでは喜ぶことが出来ない自分がいた。

 うれしさ半分、不信感が半分。いや、不信感の方が遥かに勝っていた。


 (あんなイケメンが、私と本気で付き合いたいなんて思うわけがない)


 私は電話番号の書かれた箸袋を、大切にクリアファイルの中に挟んだ。


 「嘘でもいいじゃない? いい記念だと思えば」


 早苗が功作に電話をすることはなかった。




 翌日、大学に行くと彩は満面の笑みで昨夜のことを赤裸々に語り始めた。


 「彼ね、とってもやさしかったわ。久しぶりにすごく感じちゃった。エヘッ」

 「はいはい、それはそれは良かったわね? どうもごちそうさま。

 私たちは最悪だったけどね? ねっ、早苗?」

 「う、うん」


 功作から電話番号を教えられたなんて、とても真由美たちには口が裂けても言えなかった。


 「真由美、ありがとう、誘ってくれて。やっぱり湘南に行って良かったわ!

 これで退屈な夏休みにならなくて済むわ」

 「よかったわね? 今度、一緒にダブルデートしない?」

 「ダブルって、早苗は?」

 「今回、私はちょっとパスかな?」

 「だから今度は次郎と功作を誘って私たちだけで会うの。

 もちろん彩と次郎はすぐに離脱してよね? あとは功作と私で仲良く「する」から」

 「キャーッ、真由美のベッド・テクニックで功作、メロメロにされちゃうわけだ。

 メロンメロン・パーンチ! あはははは」

 「私の魅力で蕩けさせてやるわよ、必ず」

 「わかったわ、じゃあセッティングしておくわね?」

 「頼んだわよ彩」

 「まかせて頂戴!」

 「ああ、ヤリ過ぎてお股がヒリヒリするう」

 「あはははは」


 私は複雑な心境だった。

 

 (もし、本当に私に好意があって・・・。ないない、そんなの絶対にない!)


 私はそれを必死に打ち消そうとした。




 夜、大学のレポートを書いていても、功作のことが頭から離れなかった。

 何度も箸袋に書かれた電話番号を見た。

 それは功作のポートレートのようだった。


 気が付くと、無意識に彼の携帯番号を入力している自分がいた。

 携帯番号は嘘かもしれない、それならそれで諦めも付く。

 私はそれを確かめてみたくなった。その奇跡を。


 遂に私は発信ボタンを押してしまった。

 少し遅れて呼び出し音が鳴り始めた。それは凄く長く感じた。


 (どうか出ないで欲しい、でも出て欲しい・・・)



 「もしもし」


 功作の声だった。


 「あ、あのー、幸村さんの携帯ですか? 私、昨日湘南の海でお会いした・・・、園田です」

 「もう電話してくれないのかと思ったよ、ありがとう、凄くうれしいよ」

 「どうして私に携帯番号を教えてくれたんですか?」

 「園田さんが、早苗ちゃんが素敵だったからだよ」

 「からかわないで下さい! 素敵だなんて。

 私は根暗で地味な女です。みんなから『若オバサン』なんて呼ばれているんですから」


 うれしかった。


 「それは酷いなあ。でも僕はそうは思わないよ、君は光り輝くダイヤモンドの原石だから。

 ぜひ僕に君を磨かせて欲しい。明日、忙しいかい?」

 「いえ、別に用事はありませんけど・・・」


 (ダイヤの原石? この私が?)


 真由美たちの顔が眼に浮かんだ。


 「だったら少し話をしないか? お互いのことをもっとよく理解するために。

 東京駅の『銀の鈴』ってわかる?」

 「あの東京駅の地下にある、待ち合わせ場所ですよね?」

 「そこに夕方5時でどうだろう?」

 「わかりました・・・」

 「それじゃあ、明日5時に。

 遅れてもいいから気をつけて来てね?」

 「ありがとうございます、では5時に『銀の鈴』で」



 電話を切った後、私は携帯電話を抱き締め、仰向けになって足をばたつかせて喜んだ。

 夢を見ているようだった。

 私は早く明日が来ることを願った。 




第4話

 私は15分前に『銀の鈴』に到着した。

 彼はまだ来ていなかった。

 髪を整え、出来るだけのお洒落もしたつもりだ。

 私はもう一度化粧室に行き、服装とメイクをチェックした。

 

 (どうして私には華やかさがないんだろう・・・)


 悲しくなった。

 口紅を整えたり、髪をブラッシングしている人たちが眩しく見えた。

 私は地味な女だった。


 もちろん「万が一の事」も考え、一番大人びた下着も着けて来た。

 男慣れした女子なら、わざと遅れて「ごめんね、待った?」と、笑顔を見せるところだろうが、私にはそんな余裕はない。

 折角私なんかを誘ってくれた功作を、待たせては悪いと思ったし、早く彼に会いたかった。




 定刻の5分前に功作は現れた。

 誠実な人だと思った。彼は黒のポロシャツにクリーム色のチノパン、デッキ・シューズを履いていた。



 「ごめん、待たせちゃったね?」

 「ううん、まだ約束の時間の5分前よ。私も今来たところ」


 嘘を吐いた。


 「それじゃ行こうか?」

 「どこへ?」

 「まずは映画だな? 何が観たい?」

 「オカルト以外なら何でも」

 「古いイタリア映画なんかどう?」

 「うん、好きかも・・・」


 意外だった。映画を一緒に観ることは、の最初のデートの定番だったからだ。

 私はもっと奇抜なものを想像していた。


 (功作が映画好きだったなんて。しかも私の好きなイタリア映画)



 私たちは渋谷のミニ・シアターで、フェデリコ・フェリー二の『道』を鑑賞した。

 だが私にはその映画の内容が全く頭に入っては来なかった。

 暗い映画館で功作と隣同士だったからである。

 時々彼と肩が触れた。


 手なんか握られたらどうしようと思っていると、てのひらがじんわりと汗ばんで来たので、私はバッグからハンカチを取り出し、握りしめた。




 何事もなく映画は終わった。

 映画館を出ると功作が言った。


 「やっぱりフェリーニはいいね?」

 「そ、そうだね?」

 「次はボウリングに行こう。

 ボウリングはしたことあるよね?」

 「恥ずかしいんだけど、したことないの」

 「そうなんだ? じゃあ僕が教えてあげるよ」




 ボウリングは初体験だった。シューズの履き方からボウル選びまで、功作がみんなしてくれて、投げる時には私の後ろにそっと立ち、手を添えて投球フォームを教えてくれた。


 「いいかい、最初から上手く投げようとしなくてもいい。今日はまずボウリング場に慣れることだ。

 まっすぐにピンを見詰めて真ん中のピンに向かってボウルを転がせば大丈夫だから」


 功作の顔が私のすぐ脇に来た時、自分の心臓の鼓動が功作に聞こえはしないかとドキドキした。


 案の定、ガーターの連発だった。

 私のスコアは52しかなかった。

 彼はストライクを連発し、その度に私とハイタッチをした。うれしかった。



 「ハイこれ、初ボウリングの記念」


 功作はそのスコアを私に渡してくれた。




 あっという間に夜の9時になった。

 私たちは近くのファミレスで遅めの夕食を摂った。



 「今日は楽しかったよ、ありがとう、俺につき合ってくれて」

 「ううん、こちらこそとっても楽しかったわ。誘ってくれてどうもありがとう」

 「うれしかったよ、園田さんから連絡を貰った時は」

 「どうして?」

 「君が好きだからに決まっているじゃないか?」


 彼は照れ笑いをした。

 私は危うくチーズハンバーグの付け合せのニンジン・グラッセを落としそうになった。


 「からかわないで下さいよー」

 「僕は本気だよ」

 「幸村君はイケメンでやさしいし、頭もいいから本当は彼女さんがいるんでしょう?」


 否定して欲しかった。


 「いないよ、彼女なんて」

 「どうして?」

 「確かに告白してくれる子もいるけど、興味がないんだ。

 美人だけど個性がないっていうのかなあ、僕の内面を知ろうともしない。

 でも、園田さんには惹かれるものがあったんだ」

 「何もないわよ、私、地味だし」

 「僕と付き合って欲しい」

 「えっ?」

 「僕じゃダメかい?」

 「私をバカにしてるんじゃないわよね? 次郎君たちと賭けをしているとか?」

 「賭け? 何の事だい?」

 「ごめんなさい、何でもない」


 ついトラウマが甦ってしまった。


 「ダメかな?」

 「本当に私でいいの? こんな私で?」

 「君がいいんだ、早苗ちゃんが。

 そして僕と付き合ってくれるなら、ひとつお願いがある」

 「なあに?」

 「二度と自分を卑下しないこと。いいかい早苗ちゃん? 人間は自分が思った通りの人間になるんだ。

 だから絶対に自分を悪く言っちゃいけない。

 自信を持つんだ、自分の生き方に、自分の姿に。

 自分は出来る、自分は綺麗だと。

 君はまだ「さなぎ」、いや芋虫のままなんだ。

 だけど君は必ず美しいアゲハ蝶になる。

 だからもっと自分を大切にして欲しいんだ、愛して欲しいんだ、自分の事を」


 身を乗り出すように話す功作に、私は躊躇ためらった。


 「う、うん。努力してみる・・・」


 すると功作はいつもの笑顔になった。

 私は夢なら醒めないで欲しいと願った。最高の一日だった。



 

 ファミレスを出て、一緒に夜の街を歩いていると、さりげなく功作が私と手を繋いでくれた。

 温かい手だった。


 (これが男の人の手なのね? すごく大きくてあったかい)


 そう思った瞬間、功作が軽く私にキスをした。

 驚きのあまり、私は石のように固まってしまった。ファースト・キスだった。


 「好きだよ、早苗」


 すると功作は何事もなかったかのように、再び駅への道を歩き始めた。

 美しい大きな満月の夜だった。


 私はこのままずっと歩き続けていたいと思った。 




第5話

 功作の出現によって、私の生活は大きく変わり始めた。

 それは自分でも不思議だった。

 恋をするということが、こんなにも素晴らしいものだとは知らなかった。

 周りのすべてが耀いて見えた。


 いちばん変わったのは、自分を愛せるようになったことだ。

 今までは自分に自信がなかった、自分のすべてが嫌いだった。

 それが功作の一言によって大きく変わった。


 「自分を愛してごらん」


 今、私は自分が愛おしくてたまらない。





 「早苗、今度の週末、僕の下宿に遊びに来ないか? 東京の叔父の家に住まわせてもらっているんだけど、叔父の家族に君を紹介したいんだ」

 「えっ、叔父様のご家族に?」

 「彼女なんだからいいだろう?」


 「彼女なんだから」という功作のその言葉に、私はうれしさのあまり、俯いて泣いてしまった。

 「別に泣かなくてもいいだろう? 早苗は僕の大切なひとなんだから」


 功作は私を優しく抱きしめてくれた。




 叔父様ご夫婦は穏やかな人たちだった。

 叔父様は高校の物理の先生で、叔母様は小学校の教師をされていて、好感の持てるやさしいご夫婦だった。

 お庭には家庭菜園があり、トマトが赤く実っていた。


 「早苗さん、トマトのお味はいかが? ウチの庭で採れたトマトなのよ」

 「すごく美味しいです! このちょっと青臭いところなんて、スーパーのトマトにはないものですね?」

 「そうなのよ、やっぱりもぎ立てのお野菜は美味しいわよね? 沢山召し上がれ」

 「家内は料理上手でね? 遠慮しないで沢山食べて下さい」

 「ありがとうございます」


 こんなひとたちと親戚になれたら、どんなにしあわせだろうと思った。



 丁度そこへ娘さんの直子さんが外出から戻って来た。

 直子さんは大手の化粧品メーカーにお勤めだと功作から聞いていた。

 流石に化粧品会社の社員さんだけあって、女優さんのようにきれいな女性だった。

 直子さんの周りがほんのりと明るく見えるほどだった。



 「はじめまして、功作さんとお付き合いさせていただいている、園田早苗です」

 「あなたが早苗さんね? 功作から聞いているわ、よろしくね?

 食事が終わったらちょっと私の部屋に来て頂戴」

 「はい・・・」


 私は少し不安になった。

 もしかすると「功作と別れて」と言われるのではないかと思ったからだ。



 食事が終わり、2階の直子さんの部屋をノックした。


 「どうぞー」

 「失礼します・・・」


 そこは大人の女性の部屋といった感じで、白とブラウンで統一された、アンティーク調の部屋だった。

 インテリアのコンセプトは、パリの屋根裏部屋といった感じだった。



 「緊張しなくていいわよ。早苗ちゃんて言ったわよね? あなた、凄く勿体ないわよ、そんなに整った顔立ちをしているのに。

 ちゃんとしたメイク、したことないでしょう?

 私、化粧品会社に勤めているから、ちょっと気になってね? 

 どう? お化粧してみない?」


 私は安堵した。どうやら直子さんは「味方」のようだった。


 「はい、ぜひお願いします!」


 私は今まで本格的な化粧をしたことがなかった。


 「それじゃあここに座ってみて」

 「はい」


 直子さんのメイクはまるで魔法のようだった。

 手際よく、しかも正確に化粧を進めて行った。

 私の顔はみるみる変貌を遂げて行った。




 30分ほどで私のメイクが完成した。


 「こ、これが私ですか?」

 「そうよ、すごくいい感じでしょ? 思った通りだわ」


 鏡に映る自分の顔は、まるで別人のようだった。




 直子さんと一緒に下のリビングに下りて行くと、みんなが溜息を吐いた。


 「すごいわねー、どこの女優さんかと思ったわ。

 流石は直子、早苗ちゃん、とっても綺麗よ」

 「直子姉ちゃん、ありがとう。早苗をこんなに美人にしてくれて」

 「私は化粧品会社の人間だからね~」


 みんなが笑った。




 駅まで功作に送ってもらう途中、ふいに功作にキスされた。

 今度は私もそれに素直に応じることが出来た。


 「早苗、とても綺麗だよ、惚れ直した」

 「なんだか照れちゃうわ、直子さんから高いお洋服も沢山もらっちゃったし」

 「良かったじゃないか? 直子姉ちゃんは高い服ばっかり持っているからな?」

 「素敵な人たちね? 叔父様たちご家族は」

 「ああ、僕はあの家族が大好きなんだ。そして君もいずれはその親戚になって欲しい」


 天にも昇るような気分だった。


 「しあわせ過ぎて怖い」とはこんなことを言うのだろうか?


 功作は駅の改札口で、いつまでも私に手を振ってくれていた。


 


第6話

 功作と会う日は、直子さんに教えてもらったようにメイクをし、私は精一杯のお洒落をしてデートに出掛けた。

 銀縁のメガネも辞めて、コンタクトに変えた。


 「早苗、すごく綺麗だよ! やはり僕の目に狂いはなかったようだ」

 「ありがとう功作。功作が拾ってくれたおかげだよ」


 私は自信に満ちていた。


 「拾ったなんて言い方、止めろよ。僕は早苗と恋に落ちたんだ」


 こんな何気ない会話が、私にはとてもうれしかった。

 ずっと男の人とは無縁な生活を送って来た私でも、いつかは自分も結婚をして、子供を産み、家庭を作るんだろうとは思っていたが、そこにドラマチックな恋愛は想像出来なかった。

 それが今、私の未来予想図がどんどん広がって行く。



 「今日は私のアパートに来る?」

 「いいのかい?」

 「家飲みの方がコスパもいいしね?」


 部屋の掃除は完璧にしておいた。


 「感激だなあ、早苗のアパートで飲めるなんて」

 「功作は何が食べたい?」

 「そうだなあ~、鶏の唐揚げとカルパッチョがいいなあ」

 「わかったわ、じゃあ作ってあげる」

 「楽しみだなあ、早苗の作る手料理」

 「そんなにプレッシャーを掛けないでよ、期待されるほどの物は作れないわ」

 「その時は僕も手伝うよ」

 「ありがとう功作」




 近くのスーパーでカートを押して、ふたりで並んで買い物をした。


 「カシオレは2本でいいか?」

 「1本でいいよ、そんなに飲めないから」

 「そうか? 俺は缶ビールにするよ」


 そう言って功作はカシオレと缶ビールをカートに入れた。

 スーパーで功作と一緒にするお買物。うれしかった。

 まるで新婚夫婦のような気分だった。

 食材を買い、手を繋いで歩いた。

 

 

 アパートに着いた。


 「きれいにしているじゃないか? いい匂いがするね? 女の子らしい匂いだ」

 「女の子の部屋に来るのは初めてじゃないくせに」

 「それが初めてなんだよ、実は」

 

 恥ずかしそうに功作が言った。私は安心した。

 誠実な彼のことだ、嘘ではないはずだ。

 私たちは笑いながら軽いキスをした。



 「功作はテレビでも観ていて頂戴。もちろん飲んでいていいわよ」

 「俺も一緒に料理するよ、その方が楽しいし」



 狭いキッチンに並んで立つと、功作と時折カラダが触れた。

 功作が唐揚げを揚げている最中、私は鯛のカルパッチョを担当した。


 「こうして料理をしながら飲む酒は最高だな?」


 功作は缶ビールを飲んでいた。

 彼がカシオレの缶を開け、私に渡してくれた。乾杯をした。


 「乾杯!」

 「あー、美味しいー!」


 そして功作がキスをした。


 「そろそろ揚がったかな? どれどれ」


 ハフハフ言いながら功作が唐揚げをつまみ食いすると、それを素早くビールで流し込んだ。


 「美味い! 早苗もどうだい?」


 功作は少し小さめの唐揚げを、私の口に入れてくれた。


 「うん、美味しい! お店屋さんの唐揚げみたい!」


 私は功作の大きなカラダに抱き付いた。




 カルパッチョも出来上がり、私たちはちゃぶ台に並んで座った。

 最高にしあわせだった。




 酔いもまわり、ついにその時がやって来た。ロスト・バージン。

 あらかじめ清楚な下着を着け、香水も付けていた。

 功作はそのまま私を静かに押し倒し、濃密なキスをした。

 それは映画で見たラブシーンのようだった。カラダが熱くなり、蕩けてしまいそうだった。


 「早苗が欲しい・・・」


 功作の手が胸に触れた。


 「シャワーを浴びたいの・・・」

 「別にいいよ、後で浴びれば」

 「そうはいかないわ、ちょっと待ってて」


 私はドキドキしながらバスルームへ入った。

 もちろん覚悟は出来ていたが、最後に心の準備を整えようとしたからだ。



 タオルを巻いて私が出て来ると、功作が全裸で立っていた。


 「僕も浴びてくるよ」


 功作は私と入れ違いに浴室へと入って行った。




 私は灯りを消してベッドに入いり、彼を待った。

 私は恥ずかしいほど自分が潤っているのを感じていた。



 すぐに功作がベッドにやって来た。


 「早苗、愛しているよ」


 功作は私の乳首に唇を寄せた。

 私はその初めての感覚に、体がビクンと反応した。


 「私、初めてなの・・・、お願い、やさしくしてね?」

 「実は僕も初めてなんだ。嫌だったり、痛かったりしたら言ってね?」

 「うん・・・」



 私たちは無我夢中だった。セックスによる快感はまだわからなかったが、初めて功作と結ばれたことの喜びは、実に大きなものだった。

 私は身も心も「大人の女」になった。




最終話

 最悪の合コンだった。

 知性も教養もない、ただ馬鹿騒ぎをするだけの秋葉系大学生たちに、真由美と彩はガッカリしていた。



 「ねえねえ、ふたりとも美人だよね? LINE、交換しようよ?」

 「ごめんなさい、私たち、携帯持ってないの」

 「ウケる~、それじゃあ糸電話とか? うへへへへ」


 そんなカンジだった。

 話題と言えばネットゲームにアイドルの話、それと同じ大学の友だちのバカ話だった。


 真由美と彩は彼らとの合コンを切り上げようと、席を立った。


 「ごめんなさい、急にお腹がいたくなっちゃって。今日はこれで失礼します。

 ごちそうさまでした」

 「真由美ちゃん、今日は生理なの?」

 「生理! 生理!」


 真由美たちはそんな彼らを軽蔑してすぐに店を出た。


 「今日の合コン、最悪ね!」

 「真由美がセッティングしたんだよ、イケメン揃いだからって」


 彩は不満そうに口をへの字に曲げた。


 「どっかで飲み直そうよ、お清めしなきゃ」

 「うん、お清めお清め。塩もって来ーい! あはははは」


 真由美と彩は気分転換のために、この華やかな街、銀座をぶらついていた。

 ショー・ウインドウに映る自分の姿を見て、真由美はご満悦だった。


 (まるで女子アナみたいじゃないの? 私ってかなりイケてるわ)


 しあわせそうに歩く恋人たち、真由美はあの夏、海で出会った功作のことを思い出していた。


 (いい男だったなあ、すべてにおいて理想の男だったのに、よりによってあんなダサイ早苗を気に入るなんて、ホント、バッカじゃないの!

 こんなにいい女を無視して、マジむかつく!)



 するとその時、ひと際目立つハンサムな男性と、すごい美人が正面から近づいて来た。それはまるで芸能人カップルのようで、すれ違う人たちがみんな、振り返るほどだった。


 (功作⁉ そしてなんて華やかな彼女なの? やっぱり功作には彼女がいたんじゃないの! 功作のウソ吐き!)



 「あれ、真由美さんと彩さん? こんばんは」

 「いいわね~? 今日は彼女さんと「おデート」?」


 と、チラリと連れの女を見た瞬間、真由美は思わず叫び声を挙げた。


 「もしかしてアンタ早苗なの!」

 「うん、今日は功作と銀座にお買い物に来たの、真由美たちもお買い物?」


 (早苗が功作と付き合っていた? しかも何? この変わりようは! 本当に早苗なの! 

 大学ではいつもと同じ服ばかり着て、ガリ勉の地味な早苗が、髪を軽くウエーブさせ、あのダサい眼鏡は辞めてコンタクト? メイクもばっちり決めてハイ・ブランドの服を纏い、しっかりと功作と腕を組んでいる!

 一体どういうことなの! 私、悪い夢でも見ているの?)


 「どうしたの早苗! そのカッコは! まるで別人じゃないの!」

 「この服、素敵でしょう? 功作の従姉妹いとこさんからいただいた物なの、私、地味な服しか持ってないからって」

 「従姉妹からもらったって、そのメイクはどうしたのよ!」

 「功作の従姉妹のお姉さんに教えてもらったの」


 (家族にまで紹介されちゃっているってこと? しかもこんな高い服まで貰えるほどの関係だなんて!)


 目の前の銀座の街がガラガラと音を立てて崩壊して行くようだった。


 「これから功作とお食事なの、じゃあまた明日ね? さようなら」


 そう言って早苗は功作に寄り添い、人混みの中に消えて行った。

 真由美と彩はしばらくそこを動くことが出来なかった。


 「あの娘、本当に早苗だった? あの「若オバサン」の早苗なの?」

 「・・・、許さない! 絶対に許さないから!」




 私と功作はレンガ亭で食事をしていた。



 「真由美ちゃんたち、すごく驚いていたね?

 まさか早苗がこんなに美人になるとは思ってもみなかったんだろうね?

 口をポカンと開けたままだったよ」


 功作はそう言って可笑しそうにハンバーグにナイフを入れた。


 「まさかあんなところで真由美たちに遭うとは思わなかったわ。

 以前の私なら、怯えて何も言えなかったと思う。

 自信を持って生きられるようになれたのは功作のお陰よ、ありがとう、功作」

 「僕は何もしてはいないよ、早苗が自分の魅力に気付いただけさ」

 「私、すごくしあわせ」

 「僕もだよ、早苗。こうしてレンガ亭のハンバーグを食べていると、いつ死んでもいいと思っちゃうよ」

 「私もよ、功作」


 私たちは見つめ合い、微笑み合った。





 次の日、大学に行くと案の定、真由美と彩に詰問された。


 「早苗! よくも昨日は功作とアツアツのところを私たちに見せつけてくれたわね!

 どうして黙っていたのよ! 功作と付き合っていることを!」

 「アンタ私たちをバカにして笑っていたんでしょう!」


 ふたりともすごい剣幕だった。


 「私たちを裏切ったのね! 自分ばっかりしあわせになって! 許せない!」

 「私たち、親友だったじゃない!」


 あんなに次郎と盛り上がっていた彩は、次郎に二股を掛けられていたことが発覚し、ふたりは破局していたのだ。

 私は真由美と彩の罵声が止むのをじっと待って、静かに反論を始めた。


 「親友? 私は一度もあなたたちを親友だなんて思ったことはなかったわ。

 私はいつもあなたたちの引き立て役。ただの当て馬、人数合わせだったじゃないの?

 それはあなたたちが一番よく知っている筈よ。

 私はもうあなたたちの都合のいい女友だちじゃない。いえ、もう友だちですらないわ、いつも私を利用していただけじゃないの!

 そんな私の気持ちがあなたたちにはわからないでしょうね? 真由美も彩も美人で人気者だから。

 いつも私はあなたたちの影のような存在だった。

 あなたたちが明るいスポットライトを浴びて出来る、私は影だった! 私は今まであなたたちに仲間外れにされるのが怖かった。自分に自信がなくて、いつもオドオド、ビクビクして生きて来た。

 でももう辞めたの、そんな自分を嫌いな自分でいることを。

 仲間外れにしたければすればいい、虐めたいならどうぞ好きにすればいい。

 これから私は自分を信じて生きて行くだけだから!」


 泣くまいと思ったが駄目だった。

 私はようやく真由美たちの呪縛から自分を解き放つことが出来た喜びに、打ち震えていた。

 真由美と彩も泣いていた。


 「ごめんね、早苗・・・」

 「早苗許して!」


 私たちは抱き合って泣いた。



 「ねえ早苗、今度、メイクの仕方、教えてね?」

 「うん、いいよ」

 「私にもだよ。お洋服も貸してね?」

 「もちろん!」


 夏が終わり、キャンパスのプラタナス並木も色づき始めていた。

 秋晴れの空は抜けるように青かった。


                   『八月のアクアマリーン』完


                 

               


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【完結】八月のアクアマリーン(作品240324) 菊池昭仁 @landfall0810

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