レモネード・セレネード・グレネード

「見で下さい、これ」

スコットランドで生まれ育った双子の姉シェーラ・レモンは、物書きをしているヘンリー・ガーネットに手帳大の電子機器を見せて言った。

「あー、いわゆるスマートフォン……ってやつ? iPodからホイール部分を省略したみたいなデザインだね」

「まあ、要は電話機能付きPDAですよ。iTunesとの連携も出来でぎます」

「僕まだ液晶のないiPod shuffle使ってる。書き物するときに」

「おらもです。ちちゃこくて、めごっこいですよね」

……そんで……と言いかけて、曲がり角からばったりと、長身痩躯で黄ばんだ白髪をした紳士のような男と出くわした。シェーラが目を丸くして言った。

「あれまぁ、こごで何すてらの? アメリガさ来でらったの?」

「ん、ちょっと寄っただけ。二人が居るとは思ってたけどね」

「や、でも、久しぶりでね? 連絡スてくれればベッキーも呼んだのさ」

「二人に迷惑をかけるかなーと思ってさ。こっそり見守るだけにしようかなと思ってたんだけど」

ヘンリーが訝しがって「お知り合いですか?」と訊いた。

「これ? おらほのっちゃ」

シェーラが答えた。ヘンリーは、その「父親」とシェーラの話す英語のアクセントが大きく異なるので、不思議に思った。父親は娘の持つデバイスのほうに興味があるようだった。

「ていうかその端末何? タッチパネル式でインターネット・ブラウジングも出来るの?」

「んだ。最新型」

シェーラは画面を何度かスワイプとタップして、猫の写真を二人に見せた。

「これは今日び流行ってるミームの"I can has cheezburger?"の画像」

「流石うちの娘だなー」

「けっこう朝がら並んで買ったんでゃ。疲れだった」

父親はヘンリーのほうに向き直ると訊いた。

「で……君はどなた。娘の彼氏?」

「いや、違うと思います。自分はヘンリー・ガーネットです……レニー・ハッターの筆名で小説や記事なんかを書いたりしています。細々と」

「あ、サミュエル・フラー新聞に連載してるやつの? 僕もたまに読んでるよ、ネット版で。ひょっとして、筆名は本名のアナグラム?」

「あー、ありがとうございます……あんま読者から反応をもらえないもんで……そうです、アナグラムです」

Henry Garnettを並べ替えてRegnny Hatterとしていた。

「この辺でガーネットさんというと、あのカナダの義肢会社の?」

「はい。リシャール・ガーネットは自分の父です」

「それは、それは。僕もお世話になったことはあるよ、ベトナムで地雷を踏んだことがあって、左足が義足でね。侵襲型サイバネ義肢の設計に関与したことも……いやこれは言っちゃいけないやつだったな……まあいいや」

意外と口が軽そうだなとヘンリーは思った。

「ところで、何の用事でこの辺にいらしたんですか?」

さてシェーラの話すスコットランド方言のように、このマサチューセッツ州に暮らすヘンリーを始めとした住人も、ニューイングランド訛りを僅かに残していた。シェーラと話すことでカナダ出身のヘンリーも、つられて少しばかり非標準的な英語が口をついて出ることが、稀にあった。

「国際的な武器商人の隠れ家が見つかったので、参考人として出席せよって言われてねぇ。なんで軍人たちっていつも偉そうな言い方しか出来ないんだろうね? 君んとこの親戚にクローディアって軍人の子が居るだろ……僕あの子の事も苦手でさぁ。たぶん今回も顔合わせるんだよ」

「冗談ですよね?」

「ま、冗談でもいいけど……ああ、それに娘たちに会いたかったしねぇ」

先刻さきたと言っでらごどがつがるでゃ」

「その辺は臨機応変にね」

捉えどころのない人だなとヘンリーは思った。それこそシェーラに似ているかもしれない……というよりも、彼女がこの父親に似ているのか。

「ところでレベッカは?」

「ベッキーは、今日はデートだって言っでらった。いや本人はデートだとは言ってねがったけんど、まあ実質そう。エドっていうムスリムの看護師ナースの人と出がけるんだと」

「へー! あの奥手なレベッカがねぇ。皆でこっそり見に行こうか」

「あー良いがもすんね。行ぐべ、行ぐべ。な、ヘンリーさんも」

やはり、この父親にしてこの娘ありだなとヘンリーは思った。……え、僕も行くんですか? ああ、そうですか……。


 オープンカフェに座った三人は、サングラスや帽子などで変装しつつ、わざとらしく新聞紙を広げるなどして……離れた席からエドとレベッカの様子を伺っていた。映画でいうと『8 1/2』の中盤のシーンがその印象に近かった。

「なんか……意外と普通だね」

「んだなす。二人とも探りあっているというか……」

「……(僕は何故ここに居るのだろうというヘンリーの沈黙)」

ヘンリーはミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーを、シェーラはレモンティーを、父親のジョンQは鴛鴦茶を注文していた。正確にはコーヒーと紅茶を注文して混ぜながら飲んでいた。シェーラはマルボロメンソールに火を点けるために、「カキン!」とジッポ・ライターの蓋を鳴らした。

「さっさとやることやっちゃえばいいのに。うちもそうだったよ」

実の娘にそういう事、言うか? とヘンリーは思った。

「うん、おらほって出来ちゃった結婚ショットガン・マリッジだど思っでらった。避妊コばスてがったがらって」

「あれ、言ったっけ? それともヴィッキーから訊いた?」

「んにゃ。んでも、おらがちゃこがっだ頃に病院さ行ったどぎ、おらさ言っでらった【やればできるのだから、より安全に】"You would bear some fruits, so do it safer"って、そういう意味で無がったのスか?」

「いや、そうだけど。あれは、ちゃんとゴムは付けなさいって意味だよ。お互いに望まない妊娠をすることもあるから。当時はエイズも流行ってたし……セーフ・セックスは大事だっていう」

「あれは本当に感動した。おらの心さ刻んだ人生訓です」

父娘でなんて会話をしてるんだとヘンリーは思った。話題を変えようとして尋ねた。

「ヴィッキーさんというのは、奥さんですか?」

「うん、そう。ヴィクトリア・レモンっていうギリシア系の歌手。昔は結構フランスとか西ドイツとかで人気だったんだよ……って、こう言うと怒るんだけど。今でも人気だろうがって」

「え、あのヴィッキーですか……僕けっこう昔からファンでした。フランス・ギャルの『おしゃまな初恋』(原題:『サメの赤ちゃん』)とか『彼は立ったままピアノを弾いていた』『レジスト』『エラ・エ・ラ』に……、フランソワーズ・アルディの『男の子女の子』『さよならを教えて』『月の花』『しあせな愛はない』、それにジャネットの『あまのじゃく』『はにかみ天使』(原題:『行ってしまうから』、あるいはヤスミン・タバタバイの『ドオシテ』)のフランス語版とかカヴァーしてましたよね?」

「あ、よく知ってるじゃないの。そうだねぇ他には、『恋はみずいろ』とか『想い出に生きる』『輝く太陽』、あとダリダの『悲しき天使』(または『花の時代』)と『あまい囁き』も歌ってたよ」

「まだiPodのプレイリストに入ってます……『はにかみ天使』は原語のスペイン語版よりフランス語版の歌詞が、本当に好きで」

はにかみ天使ポルケ・テ・バス』のスペイン語版は映画『カラスの飼育』で使用されていた。フランス語吹替版VFでも歌はスペイン語のままだったが。ヘンリーはフランス語版『カラスの飼育』のフィルムを取り寄せて、自分で歌の部分をフランス語版の歌詞に編集するくらい『はにかみ天使』のフランス語版が好きだった。

「ていうか、シェーラは言ってなかったの?」

シェーラは「ん」と漏らすと、

「や、あんまほら、有名人の子供だと思われだぐがったへで」

目をそらしながら煙草を咥えて、そう答えた。

「あっほら見て。一つのアメリカン・ピザをシェアすることで偶然手が触れ合い、なんだか二人の物理的身体的距離が縮まっている」

「あっすごい。チュウだ、これから『はじめてのチュウ』するんでねが?」

仮にも娘や双子の妹のデートを、こんなにはしゃいで見ることがあるだろうかとヘンリーは思った。

 すると、エドが店員さんを呼んで視線を彼女から外したときに、レベッカがこちらをしかめっ面で睨みつつ、人差し指と中指で自分の目を差したあとこちらを指して……「見ているからな」のジェスチャーをした。

「あ……バレてる」

「数年ぶりの父親との再会が、こんなんで良かったんでしょうか?」

「いいんでねの。向ごうも父っちゃの性格はってらし」

「ちゃんと後で謝ったほうがいいですよ、心残りになったりしますから」

クレアの兄であるヘンリーはあまり意識に昇らせることはなかったが、死んでしまった母親と少し喧嘩別れみたいになってしまったことを、ときどき後悔のようにして思い出すことがあった。そうしたって仕方ないことは知っているのだが。

 シェーラは、そのヘンリーの淋しそうな顔を見逃してはいなかった。

「じゃ、僕はこの辺でそろそろ……あとは父娘水入らずで」

お勘定は? と訊いて「僕が払っておくよ」とジョンQが答えた。ヘンリーが立ち上がると、「あの!」とシェーラが声を上げた。

「あの……連絡先、交換しておきますか?」

と、シェーラはようやく言いたいことを言えた。ヘンリーは「ああうん、そうだね」と言って携帯電話を取り出した。スマートフォンに赤外線通信は無かったので、二人は口頭でたどたどしくメールアドレスや電話番号を交換しあって……それからお互いに確認した。

「ふーん」とジョンQは思った。

「いつまでも幼子だなんて思ってらんないな」

父親は二人の様子を眺めながら、コーヒーと紅茶の混じり合った鴛鴦茶を飲んでいた。

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