あやめも知らぬ恋もするかなぁ?

「ギルはさぁ」

「うん?」

ベッドの中で、営みを終えた男女は睦言を交わしていた。

「ギルの初めての人って、どんなだった?」

あー……とギルは言葉を濁すようにした。

「まあ普通の人というか、何というか」

「曖昧にするんだね?」

「高校のとき、ちょっと付き合ってた彼女とはキスまでだった」

「どんな人だったの?」

イリスは話題の誘導に気付いていたがそのまま話を続けた。

「すごく真面目で純粋なタイプ。カトリックでさ。結婚するまではそういうのは駄目だって」

「ギルもしなかったんだ」

「悪い気がしてさ。ハグされるたびにおれは悶々としてたよ」

「なんで別れたの?」

「ジュニア・プロムのあとに浮気されて」

「ギルのほうが真面目だったんだ」

「つまんない男だって思われたんだろーなー。あれは彼女なりに誘ってたのかも」

「じゃ、初めては成人してから?」

「……そう」

「詳しく教えてくれないの?」

「ちょっと……初めてで、早く出しちゃってさ。恥ずかしかったんだよ」

「そうなんだ」

刑事のイリスは少し考えて、

「年上の人?」

質問の方法を変えた。

「…………そう。ちょっとだけな」

「今も好き?」

「……なんつーか、友だちとして? なんかさぁ、おれが早くイっちゃったから、向こうがウケて、それでお互いに笑っちゃったんだよね。それから姉みたいにしか思えなくなったっつーか……」

「変な感じ」

「おれも変だと思うよ。セックスから始まって、それからただの友だちになるなんて」

「ギルってさぁ」

「……はい」

イリスは揺さぶる目的で、思いつきだが訊いてみた。

「ハンナさんと結構、仲いいよね。一緒にゲームとかしてたり」

「ハンナ? いや違う違う、ハンナは違うよ。あいつが好きなのは――好きだったのは、たぶんアルのほうで。それも記憶喪失する前のことだし」

ギルは意外そうに答えた。ハンナのことは、周囲の認識としては記憶喪失ということになっていた。

「たぶんって?」

「付き合いが長かったら分かるだろ、ずーっと相手のこと見てるとか、ああ恋してるなって感じの動きっていうか……」

「まあ、じゃあ、それは信じますよ。その初めてのお姉さんについてはどうなんですか」

「別に付き合ってたとかじゃないから。そういうことになったのは、その時の流れで……そう、酒の席でさ。それっきりだよ」

「ふーん……」

まあ相手に未練がないなら、それでいいか。その時のイリスはそう思った。


 後日になって、イリスはいつものように酒の席でスザンナと一緒に飲んでいた。

「こないださぁ」

「何?」

「ギルの初めてのときのこと訊いたのね」

「あー」

「知ってる?」

「いや、プロムで浮気されたって話は知ってるけど」

スザンナは目を伏せて煙草に火を付けた。

「初めてで、その……早く出ちゃったんだって」

「あー、そんなもんよね、男の子って」

「それで恥ずかしい思い出だからあんま言いたくないって……でも全然、相手のことは教えてくれないの。変じゃない?」

「それはまあ……気を遣ってくれてんじゃないの?」

「好きな人のこと知りたいと思うの、そんなに変かな?」

「そりゃ、変じゃないわよ」

「その人は、年上だったんだって。私、少し年下だから。ちょっと気になって」

「でも初めてじゃそんなもんでしょ。相手がイクよりも前に先走っちゃうなんてさ。緊張も興奮もしてんだから」

スザンナは横を向いて大きく煙草のけむりを吐いた。

「……ふーん……」

イリスは視線を離さず机の下で携帯電話のメールを打っていた。

「スーとは結構ずっと友だちだけど、あんまこういう話、したことなかったよねー」

「まあ、あんたがズブの生娘しろうとだったからね」

「私、全部ギルが初めてだからさー、そういうの他の人はどうなんだろうって、気になっちゃって」

「あたしもまあ高校のときだったかな。まだアラバマに居た頃よ」

「良い思い出? それとも嫌な思い出?」

「まあ、半々かな。変なクセが付いちゃったけど」

「ふーん……それってどんな?」

「……やっぱり話題、変えようかしら?」

煙草を消してグラスを傾けると、カランと氷の音が響いて、二人の席にギルがやってきた。

「え?」

「あれ?」

ギルとスザンナはお互いに顔を見合わせた。

「もう迎えに来たの?」

「一人で飲んでるんじゃなかったの?」

二人は無意識にイリスに視線をやった。イリスが口を開いた。

「あの、さ」

「え」

「二人とも、私に何か隠してるよね?」

「あのー」

「まず座って。お酒も注文して」

「はい……」

すごすごと並んで座った。イリスと向かい合せになる形だ。

「……なんとなく想像はしてるんだけど」

スザンナはもう半分ヤケになっていた。

「うん、じゃあもう、ハッキリ言っちまうか――こいつの筆下ろしは、あたしがやりました!」

「ああっ――、……やっぱり!!」

ギルは「なんで言っちゃうんだよ……」と頭を抱えていた。「刑事に隠し立て出来ると思う?」とスーは答えた。

「もう良いでしょ。時効よ、時効。たしか五、六年前だっけ?」

「……七年前。俺が十九のとき」

「じゃ、あんたらが再会する前の話だ。9・11の頃でしょ? あたしも二十二か二十三で……いやー、二人とも若かったわねーッ」

「……複雑な気持ち――!」

イリスは感情のやり場を失っていた。茫然自失として、ウォッカのショットを一杯呷った。

「え、え……ちょっと待って、なんで? どうして……二人とも。付き合ってた? ずっと私に黙ってた? え?」

「セフレですらなかったわよ。なんだっけあんたが何か別の法執行機関でさ、うちの署と交流がちょっとあったのよね。それで酒でも飲むかってなって……」

「……計算が合わなくない? 飲酒可能年齢って二十一からでしょ?」

「まだ9・11の前だったから、モーリスの店で飲めたのよ。あたしのほうは問題なかったし。だいたいあたしだって、十六から煙草吸ってるし。……大丈夫?」

スザンナも流石に少しはイリスのことを心配した。ストリチナヤの瓶からなみなみとグラスに注いでいた。

「まだショックで混乱してるっぽい」

「無理もないや。だから黙ってたのよ」

イリスはショットを手に持ったまま呆けた顔で訊いた。

「……えっと、付き合ってた?」

「付き合ってないって。セフレでもない。言っちゃあ悪いが、一夜の過ちよ」

「お前、人の初体験を過ちって」

「言葉のアヤでしょ」

「はい」

「……キスとかもした?」

「あたしは、ほっぺたとあっちの方にね。ごめんウォッカくれる? ありがと。(と言って一息でショットを飲んだ)この人もウブだったから。ああ他に好きな子が居るんだなと思ったわ」

「スーはそれで良かったの?」

「あのですね」

「……はい」

「変なクセってのはね、あたし――童貞ドーテーを食べがちなのよ」

「……ああそう……」

「笑い事じゃないって――いや笑ってないか。いや、そう、だから男と長続きしないの。分かる? あたしがセックスすると、なんだか姉と弟の関係になっちゃうの」

「……確かに、そんなこと言ってたね」

「だろ?」とギルが言った。

「ああそうだから、最中も、ああこいつは意中の相手が居るんだなと思ったわ。分かるでしょ? 恋に恋してる子の気持ちって……」

「…………いま、私はとても複雑な気持ちですけど、……ギル、ちょっと目と耳つぶってて」

ギルは割と素直にイリスに言われたとおりにした。

「……それでも、ギルと私の恋を応援してくれたの?」

「ま、ちょっとはビックリしたけど」

スザンナは目と耳をつぶるギルをちらりと見て、

「まあ悪いやつじゃないし良いか、って思ったから」

「……そっか」

「そうよ」

「スーのほうが私より上手いのかな」

「経験の差が出たわねー……参考までに言っておくとバックだったわ」

「あのー、もういいか?」

いい加減まぶたが疲れてきてギルがそう言った。スザンナが肩を叩いて、「もう向こう行きな」とイリスと並んで座らせた。

「そっちのほうが良いわ。割れ鍋に綴じ蓋、蓼食う虫も好き好きで……」

「どういう意味だよ、それ」

「お似合いのカップルって意味よ」

「まあその、何ていうか」

イリスは半ば諦めたように言った。

「今になってみたら、なんていうか、スーで良かったかも。他のひとだったら、嫉妬がすごかった気がする」

「何よそれ」

イリスは急に気が抜けて、ぐったり背もたれに体重を預けて言った。

「あーあ、私もギルの初めてが欲しかったなーっ」

「あんた、今日こいつの機嫌とり続けなさいよ」

「どうしろっていうんだよ」

「知らないわよ。結婚でもすれば? 初婚でしょ」

「ギルは私とスーどっちのほうが気持ちよかったの?」

「そりゃもちろんイリス――」

「『もちろん』って何? ちゃんと考えて」

「七年前のことなんて覚えてない――」

「私はギルとの初めての時の事、ちゃんと覚えてるよ。しっかり思い出して」

「……あんまり人と人を比べるのは良くない――」

「私のこと、メンドくさい女だと思ってる? 酒癖が悪い世間知らずの処女だって?」

「いや、そんなことないって――」

「あーあ、私はギルに初めて全部あげたのになーっ、やっぱり初めての人のことは忘れられないかーっ」

痴話喧嘩は犬も食わないと言うが、ま、酒の肴にはなるかと、他人事のようにスザンナは思った。

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