アリスちゃんとハンナさん

名無し

それはネコでもタチが悪いよね

 アルバートの経営する喫茶店でハンナはレジとウェイターの仕事を忙しそうに往復している。やはり猫が沢山いて、一応お客さんがたくさん居るときは店の外に追い払っている。

 お昼時が一段落して、アルがハンナに呼びかける。

「そろそろ休憩入っても良いぞ」

「うん、ありがと」

するとハンナはつい無意識にアルの頬にキスしてしまった。

「あっごめん」

「…………は?」

アルはハンナのことを意識しだしたと言うよりも、もともと広いパーソナルスペースを侵害されて少し不快にすら感じたようだった。ハンナは言い訳した。

「なんてーか、ネコ同士――いや女の子同士の距離と間違えた」

「俺をネコか何かだと思ってるのか?」

アルバートは特に自認もしてなかったが、アセクシャル寄りだった。恋愛感情というものをほとんど持ち合わせていなかったし、だからハンナともゲーム仲間以上の認識はあまりなかった。

「まあ同志だとか同胞くらいには思ってますよ」

「それなら、まあいいが。気をつけなさいよ(「おばあちゃん?」とハンナが言った)。結構お前のことストーカーみたいに追っかけて見てる奴も居るらしいからな。痴情のもつれじゃないが……何かの勘違いで刺されたりとかするかもしれんぞ」

「マジ? やばいね、それは」

ハンナは(それはクレアが俺に黙って尾けさせてるボディガードのことじゃないかなー)と思ったが、知らないテイなので黙っていた。

 ハンナはいつもの奥の席に戻ってくる……そこには白髪はくはつの女の子がちょこんと座って、ダージリンの紅茶と一緒に、アイスクリームの載ったリエージュ・ワッフルを食べている。ハンナは自分向けにコーヒーを注いできた。

「……見てましたよ」

「マズかったかなー、あれ」

「マズいっていうか、ハンナさんは基本的に周りに居る人全員を勘違いさせる可能性のある魔性の人間であることを多少なりとも自覚したほうが良いです。なんていうか、身体距離が近すぎるんですよ。今のはアルさんだから何も起きなかっただけで、普通だったら恋に落ちてます」

「そうかなー……そうなのかも。っていうかアリスちゃん何だか分析的すぎない?」

「カタコトな英語で話すときは語彙が少ないので幼く聞こえるかもしれないですけど、混じりっ気のない私の思考はこんなもんですよ。私ももう、十五なんですから」

二人は魂を分けた双子語というか、二人だけの秘密の言葉で通じ合うことが出来た。

「そうなんだ」

「そうなんです」

ハンナはキス魔だった。それは従妹いとこの春野櫻子サクラコに影響を受けたためで、平たく言うと彼女にキスされてから「いいんだ」と思って気軽にするようになった。

「でも恋に落ちたほうが良いんじゃないの? えーと、何ていうか……」

「ハンナにとっては、ですか?」

アリスとハンナはある秘密を共有している……ハンナの中には、もう一人の「ハンナ」の人格があるということ。

 ハンナは昔、色々あって生死のふちを彷徨って……そこにネコだとかアリスの胞衣パスリェートの魂、浮遊していたオバケカボチャ(つまりジャック・オ・ランタン)なんかが入って今のハンナの人格として蘇生した。いつもだったら、二人は「アリスちゃん」「ハンナさん」と呼び合う。

 そしてもう一人のハンナと二人は、互いを対等な関係として「アリス」「ハンナ」と呼び合う。そしてその「ハンナ」は、昔からここの喫茶店の店主であるアルバートに淡い恋心を抱いていた……。

 今は、ハンナの中で眠っているようだが。

「私にとってはフクザツな心境です……ハンナの恋は応援したいけど、私もハンナさんのことは好きですし。うちのお姉ちゃんと同じで、独占欲が強いんですよ」

「ハンナが後で起きてきたら、怒られるだろうなー、俺。勝手に何してくれとんねんって。アルとの関係性は壊したくないみたいだし」

その「ハンナ」も、人格が表に出て目覚めているときは表面上「いつものハンナ」として振る舞っている。振る舞いに多少の違和感はあるかもしれないが、その違いに明確に気付くのはアリスだけだ。

 そのためアリスは自然と、二人のハンナの仲介役というか……橋渡しの役割になっていた。

「っていうかハンナさんは私の気持ちの事どう思ってるんですか」

「俺は大切に思ってるよ。なんせ魂を分けた双子だし」

ロシア系のアリスには胞衣えな信仰があって、人はみな双子として生まれてきてその片割れが胞衣だと考えられているのだった。

「……そういうんじゃなくて……ああ、もう、だからこの人は……」

アリスは多少のヤケになってワッフルを食べ進めた。ハンナがしばらく目をつむっていて、それから静かに言った。

「……でも、わたしもアリスのこと応援したいと思ってるなー」

あ、「ハンナ」の人格に変わったとアリスには分かった。

「本当に?」

「本当だよ。アリスにとって初めての友だちで、すごく大切な人なんでしょ? それならやっぱり、応援したい」

「ありがと。でもハンナさんも朴念仁っていうか恋愛感情ない寄りなんだよねー……あんま男女の概念がないんじゃないかな? そう、それこそ、アルさんと同じで」

「そうなんだよねー……わたし達ってさ、実は同じところで悩んでるよね?」

「確かにそうかも。恋愛感情がない人に親愛じゃなくて恋愛的に好きになってもらうには、どうしたらいいの?」

「それは……本当にそう。しかも、こんなフクザツな情況で」

ちりんちりん! とドアのベルが鳴って、「あ、クレアが来た」また状況が複雑になった。

 クレア・ガーネットは裕福な家の娘で、ヘンリーという兄が一人いた。アルバート、ヘンリー、それからギルという男三人組は昔からよくつるんでいて、そのためハンナやクレアもそこに加わることがあった。ちなみにそのギルはというと、アリスの姉であるイリスと絶賛恋愛中。閑話休題。

 とにかく、クレアにとってもハンナは大事な存在だった(これだからほうぼうに愛想を振りまく人たらしは……)。クレアには母親が居らず、だから皆のお母さんになりたくて、その有り余る経済力と行き場のない母性を持て余していた……。

「じゃじゃーん」

「あ、日本のお土産」

「いっぱい買ってきちゃった。アルにもあるよ。特撮もののグッズとか」

「それは非常に助かる」

アルバートは特撮、それも特に怪獣映画のオタクだった。普段は感情を表に出さない彼が興奮するのはおよそ特撮ジャンルに関することのみだと言ってしまっていい。

「大学院の研究の関係だっけ」

「そうそう、まあ観光も兼ねてね。本当は皆で一緒に行きたかったけど……」

「予定が合わなかったんだから、仕方ないよ。また機会はあるって」

ハンナは努めて、いつものハンナのような口調で話した。

「アリスちゃんには、これね。シェーラにも買ってきたけど、浴衣とか着物とかー」

「あっ。……そんな、わざわざ、ありがとうゴザイマス」

アリスは母語がロシア語、得意寄りの外国語もフランス語なので、苦手な英語で話すときは少しカタコトになった。クレアはフランス語や日本語などを含め十数ヶ国の言語を流暢に操ることのできるマルチリンガルだったので、その点は問題なかった。

「高かったんじゃないの、これ。いい布地だよ」

「どうせ買うなら良いものがいいかなって」

「でも着付けとかできるの? わた……俺は作務衣しか無理だよ」

「その点は抜かりなし。ちゃんと連れてきたから」

「……誰を?」

再び「ちりんちりん」が鳴った。すると和装の女の子が飛び出してきて、パタパタと草履を鳴らしてハンナに飛びついた。

「ハンちゃーんっ、なんや久しぶりやんかーっ」

「わ、え、さーちゃん? いや間違えたサクラコ? えっどないしてん……いや、えっと、どうしたの?」

「ハンナ」は「ハンナさん」と違って、従妹のサクラコのことを「さーちゃん」と呼び、またサクラコの関西弁の発話につられて自身も関西弁で話してしまうクセがあった。

「……あれ、あっちゃん? や、それともハンちゃん? まあええわ」

サクラコは一歩下がって、丁寧にお辞儀しながら周りに挨拶をした。

「春野櫻子と申します。ふつつか者も三日四日もありませんが、どうぞよろしゅう御頼申します」

実はアリスの他にも二人のハンナの違いを嗅ぎ付けられる存在が居た……。それはこの従妹のサクラコだ。彼女はハンナの詳しい事情は知らなかったが、ほとんど動物的なカンで二人の差を肌感覚で分かるのであった。

 サクラコは血縁である従妹としてのハンナを「あっちゃん」、オバケカボチャのチェシャ猫のハンナのほうを「ハンちゃん」と呼び分けていた。

「着付けの人を雇おうと思ったんだけど、来たいって言うから連れてきたの。ハンナも久々に会いたいだろうし、ちょうど良いかなって思って。サプライズよ」

「うん……ビックリした」

サクラコは呆気にとられるアリスの手を取って、ニコニコ笑って嬉しそうに言った。

「自分がアリスちゃんやね。お人形さんみたいやんなぁ、ナイストゥミーチュー、ユアベリーベリーキュートやで」

「あ……さ、さんきゅー? です??」

アリスはサクラコのペースに呑まれつつあった。

「……さーちゃ……サクラコって英語分かるの?」

「あんま話せはせんけど、まあ聞くくらいやったら。がっちゃん(クレアのこと)もえらい流暢に日本語話してくれはるし」

「そうやったん……そうだったの。いやいつもほらここは日本語で話すから、知らなかった」

「なんや馬鹿にしくさって。ウチもたまには学校に行っとるんやで」

思わぬ来客に喫茶店は和気あいあいとしていた。持ってきた日本茶を淹れたり、持ってきた和菓子とかチョコチップ・クッキーなんかを分け合ったり。

 みんなは言葉や文化の差はありつつも、コミュニケーションを交わすことで、それなりに打ち解け合うことができた。


――それはそれとして。好きな人への独占欲の強いアリスは、……無意識ながら、この状況に危機感を覚えていた。

 これじゃまるで……ハンナさんを中心にしたハーレムものだ!

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