第10話 黒い花(10日目・散った)
教室の自分の机の中に、真っ黒な花があった。
花紙で作った、紙の花。不思議に思って手に取ると、それは煙のように消える。そんなこともあるかと、特に気にしなかった。
その晩、夢を見た。
真っ黒の花の中に、仰向けの状態で磔にされている。周りには誰もいない。胸元には一抱えはありそうな黒い花が置かれていて、それが僕の身体を重く抑え込む。早く逃げなきゃ、と思うのに、縛めは解けず、身体がどんどん花に沈んで行く。声も出ない。焦る気持ちのまま、視界が完全に黒くなる瞬間、机の中にあった花紙の花を思い出した。
悪夢はそれから、同じ内容で毎晩続いた。
机の中からは、変わらず黒い花が出て来る。手に取る度、黒さが増している気がするし、嫌な感じもした。多分、無関係では無いだろう。直ぐ消えてしまうのが厄介だ。何となくだけれど、多分、本体と呼べる実物の花か物体があると思う。でも、寝不足で頭も身体も上手く働かない。感覚もいつもより鈍い気がする。鈍いと思うほど、敏いわけでもないけど。
今夜の夢は、いつもと様子が違った。僕は立って歩ける状態で、自由。いつも寝かされている寝台にいたのは、満寛だった。目を閉じて、苦しそうに顔を歪ませている。それだけで、辛さが伝わって来た。胸元には、僕のところにあったのと同じ、黒い花。話したら、相手にも伝染るのか。そう、分かってしまった。僕は、満寛の元へ向かい、花を持ち上げる。じっとりとして重い。軽そうな見た目なのに、絡み付いて来るようで、気持ち悪かった。満寛の顔が和らいだものになる。終わらせないといけない。僕一人で。こういうことは、高校生になるまではいつもそうしてきたはずなのに、初めて、妙に寂しく、心細く感じた。
次の日の昼休み。
黒い花の気配を感じた。上手く言えないけど、あの花がある、そう思った。それを追って行くと、中庭の
目を開けたら、白い天井。
微かな薬品の匂いも。保健室だ。
「
名前を呼ばれ、声の方を向く。満寛が、ベッド脇に座っている。
「……満寛」
「分かるか?」
「うん。僕、どうしたの」
「花水園に落ちたんだぞ」
保健の先生も、カーテンを少し開けて、顔を覗かせた。
「大丈夫?
「えっ、」
僕は思わず満寛を見る。満寛はふいと顔を反らす。
そんな僕らを見て少し笑った後、先生はもう少し休んで行くように言いおいて、出て行った。
「ありがとう」
「心臓に悪い。お前が花水園の前に居たと思ったら、何かに押されたみたいに落ちた。ーー何があった」
不機嫌そうな顔の満寛は、怒っている。悩んでいると、更に睨まれた。
「水の中、真っ白な顔で、ぐったりしてる宗也を見た俺の身にもなれ。どんな気持ちで引き上げたと思ってんだ」
あの晩の夢で見た満寛を思い出す。難しいな、と思いながら、僕はこれまでのことを、全部話した。
「参ってんな、とは思ってた。早く言え」
「ごめんなさい。花は直ぐ消えちゃうし、悪夢が伝染ると思ったら、話しづらくて」
「今更そんなこと言ってんのか。何かあってからじゃ、遅ぇんだよ。現に溺死しかかってんだろ」
激怒。言う通りだから、返す言葉も無い。満寛が居なかったら、死んでるとこだった。
「……あと一時間。授業出て来るから、大人しく寝てろ。どっか行ったら、今度は俺が花水園に沈めるからな」
「……分かった」
不機嫌の塊になって、満寛は出て行った。僕は息を吐き出して、天井を見上げる。満寛は怒ってるけど、じんわりと嬉しさを感じる。心配してくれてるのを感じるから。今までになく。僕は酷いことをしてたんだなと、静かに打ちのめされていた。話せば良かった。そう分かってはいても、やっぱり怖かった。満寛に何かあるのは、嫌だなあといつも思っているから。しばらくへこんだ後で、花水園のことを思い返す。もう考えたくないけど、命にも関わる。確かに、背を押された。でも、それを見てた満寛には、その姿は見えなかった。生身の人間の仕業だと思ってたけど、違うのか。とにかく、黒い花の現物を探さないといけない。学校にあるだろう。満寛に話してしまったし、今日中に何とかしないといけない。そもそも、これを行っている人なのか、何なのかは、何が目的なんだろう。僕に悪意があることは分かるけど、こんなややこしい方法でなくても。つらつら考えている内、気づいたら意識が遠退いていた。
りん、と鳴る鈴の音で、目を開けた。
学校の廊下。無人だ。鈴の音はまだ聞こえる。何となく、追った方が良いと思って、僕は鈴の音を追った。階段を上り、廊下を通って、現実の校舎とは違い、随分ぐるぐるした地形になっているところを歩いて、ガラクタ部屋ーー資料倉庫ーーに辿り着いた。ああ、花はここにあるんだ。そう感じた。扉に手を掛けようとして、知らない声が聞こえる。
“ツ……ゾ……ノ……ニ、キヲツケロ”
「え?」
自分の声で、目が覚めた。
起きたら、放課後になっていた。
満寛は、窓際の壁に背を預けて、外の景色を睨んでいる。起き上がって初めて、ジャージを着せてもらっていることに気付く。ベッドから出て、満寛に近付いた。
「ジャージ持って来てくれたの、満寛?」
「ああ」
僕を見ない横顔に、話し掛ける。
「ありがとう。僕、今から資料倉庫に行かなきゃ行けないんだ」
満寛は答えない。
「いつも満寛は話を聞いてくれるの、分かってるのに。心配かけて、本当にごめん。満寛が嫌な目に遭うの、嫌だなって自分の気持ちばっかりで、自分勝手だった。怒ってくれて、嬉しかったよ」
満寛の目が、僕を向く。
「倉庫、何しに行くんだ」
「多分、花がある。何をするかは、見つけてから考えるよ」
満寛は長く息を吐き出した。
「……悪かった。宗也の様子が変だって気付いた時、さっさと聞けば良かったんだ。俺だって、宗也が一人で抱えて考え込むの知ってんだから。なんつーか、俺はまだ信用ねぇのかと思ったら……八つ当たりしてた」
「満寛が僕を怒って心配してくれるのと同じくらい、僕も満寛に嫌な目に遭ってほしくないし、心配もしてるよ。頼りにもしてる」
満寛は目を丸くする。僕の目に見えたり僕が感じたりすることの全部を言ったり言わなかったりするのは、満寛を失いたくないからだ。僕の、最大のわがまま。
「だから、一緒に来て欲しいんだ。あと、倉庫までの道順に自信が無い」
一瞬の後、満寛は噴き出した。
「言われなくても」
倉庫に着いてからは、早かった。
ここだと思った場所のガラクタの底から、真っ黒な花紙で出来た花が出て来た。中には、ご丁寧に僕のフルネームが記された紙と髪の毛も入っている。いつの間に手に入れていたのか。多分、何かの
「これか?諸悪の根源は」
地の底から響く声。僕は黙って頷く。満寛はそうか、とだけ言って、花をビリビリに引きちぎった。黒い紙片が、花びらのように散って行く。花だったことが分からないまでに、それは粉々になった。今はもう、黒い紙の山。僕の名が記された紙も、同様。髪の毛は、回収した。また何かに使われても困る。
「憂さ晴らしだ。誰か知らんが、くだらないことしやがって」
終わった。
呆気なさ過ぎて、少し引っかかるけど。悪夢はもう見ないだろうなと、漠然と思った。
「ありがとう、満寛」
「今日は、早く帰って寝ろ」
「そうする」
背を叩かれ、僕は笑った。
保健室で見た夢で聞いた「気をつけろ」というのは、何のことなのか、誰がこんなことをしたのか、それらは、よく分からないままだけど。
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