第6話 抱き着く子(6日目・呼吸)


担任に命じられて、僕は旧校舎の倉庫へ授業の備品を片付けに行った。その帰り、これから旧校舎へ入ろうとしている藪見やぶみという数学の非常勤講師とすれ違う。性格が大変よろしくなく、全校生徒に良く思われていない人で緊張する。とりあえず挨拶はしたけど、すれ違い様に方向音痴を馬鹿にされて気分が下がった。足早に通り過ぎて、僕はおや?と思う。彼が何か抱えていた気がしたから。少し歩いてから振り向くと、それは小さな男の子だった。子ども?

日田技ひたぎじゃん。どうした」

友人の十朱とあけに後ろから肩を叩かれ、僕は跳ね上がりそうになる。

「十朱……。藪見先生がさ、男の子抱えてて……変だよね。人形かな」

「男の子?あいつが?」

十朱は彼を見て、首を傾げた。

「誰も抱えてないぞ」

僕はもう一度見る。黒い着物姿の男の子がしっかり藪見先生に抱き着き、肩に顔を乗せて、僕を見ていた。目は真っ黒で、笑った口は裂けている。

「もうボクのだよ。返さないよ」

ぎゅっと、小さな両手が藪見先生を掴む。ゾッとした。遠ざかり、距離が離れて行くのに、その声ははっきりと聞こえる。満面の笑みと行動からは邪悪さしか感じられず、冷や汗が流れた。動けないでいる内に、藪見先生は角を曲がって消えて行った。

「日田技?」

何も言えず十朱を見ていると、満寛としばがやって来た。

「十朱、日田技。ちょっと手伝ってくれないかな」

「芝に弓守ゆみもりもいる。何?」

「校舎の四階に資料室、というかガラクタ部屋あるじゃん。そこ、ヤブが荒らしたみたいでさ。通り掛かっただけなのに、片付け押し付けられちゃって」

ヤブ、というのは藪見先生のあだ名だ。僕ら生徒間だけの。

「げー。マジで最低野郎だな、ヤブ」

「顔青いな、宗也。大丈夫か?」

満寛に言われて、ようやく息をつく。僕は今見たものを、全員に改めて説明する。

「俺はその子ども見えなかったんだよなあ」

十朱が残念そうに言うのを見ていた芝が、あ、と声を出す。

「関係あるか分からないけど……とりあえずガラクタ部屋に来てよ」

芝に急かされて、僕らは四階のガラクタ部屋に向かう。中は手当たり次第に何かを探して、見つけたから片付けずに出て行った、というような散らかり具合。

「日田技が、黒い着物の男の子、って言うからピンと来たんだけど。これ、似てない?」

芝が、床に転がっている古い人形を指差した。見た瞬間、ひゅっ、と胸の奥で呼吸がおかしくなる。紛れもなく、さっき藪見先生に抱き着いていた男の子。古い粘土細工のそれは、生徒の作品のようにも見えた。腹部から、真っ二つに割れている。

「……うん。この子」

芝は、僕を見て頷く。

「美術の課題とかで作ったんだろうけどさ。気味悪いよね。黒い着物で子どもなのもそうだけど、これ左前の着方だよ。どういう意図で作ったんだろうね」

芝が人形に目を戻してしげしげと眺める横に、十朱も並ぶ。

「顔もなあ。両目が真っ黒で、口裂けてて満面の笑みって日田技が言ったまんまじゃん」

僕は立ったまま人形を見下ろして、何となくの想像をする。多分、この人形には何か中身があったのだろう。それを、藪見先生が知らずに割って出してしまったのではないだろうか。外に出してもらえたのが嬉しくて、それでーー

「お前らヤブ大好きかよ。さっさと片付けて帰ろうぜ」

満寛が呆れたような顔で言う。

「だってよー日田技が見た男の子と同じ人形だぜ。絶対これ、呪いとか曰く付きのヤツじゃん。この人形に憑いてた悪霊が、ヤブに取り憑いたんだろ。それを、日田技が見た!」

「知るか。あんな人間を気に入るんならめでたいもんなんじゃないか、むしろ」

どうでも良さげに言う満寛に、芝も頷いた。

「言えてる」

「芝まで!?」

十朱はわざとらしくショックを受けたリアクションを取ったが、満寛の言うことも一理ある。

「男の子、嬉しそうだったし、案外相性良いのかも」

そう呟いたら、場がしんとした。

「……日田技が言うと洒落にならん」

「日田技の話と様子じゃ、祝いにはならなそうだけどね……無事に済むと良いけど」

十朱と芝が顔を見合わせた。満寛は溜息をついて、散らばった物を拾い集め始める。僕も加わった。


それからいくらもしない内に、藪見先生は突然退職した。あの日以降急に連絡がつかなくなり、今も誰も行方が分からないらしい。職員室での話が、たまたま聞こえた。何も知らない大半の生徒は大歓喜だったけど、僕は複雑な思いのままでいる。









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