第5話 水の琥珀糖(5日目・琥珀糖)


神社に出ていた店で、綺麗な水色の琥珀糖を買った。

それは甘くて美味かったけど、食べてから俺は世界から消えてしまった。誰にも見えず、触れられず、記憶からも消え、俺を知る人は居なくなってしまった。透明人間みたいだ。好奇心で、学校に行ってみた。俺の席は空席で、でも誰も疑問にも思っていない。ぐるりと教室を見渡して、気付いた。宗也がじっと、俺の席を見ている。いつもの、何か考え込んでいる顔で。まさかと思いつつ、昼休みにメッセージを送ってみる。学食裏のテラスでまだ考え込んでいる、宗也の目の前で。

“俺が分かるか?宗也”

宗也はスマホへ目をやり、目を丸くした。メッセージは直ぐに来る。

“満寛、どこにいるの?”

“目の前”

何故、宗也だけ俺を覚えているのか。見えてはいないようだが。つか、なんでこういうやり取りは出来るんだ。つくづく訳が分からねえ。宗也は俺に顔を向ける。俺を探す目は、不思議な色をしているように見えた。

「ーー水色」

口から溢れたような、宗也の声。俺は、琥珀糖を思い出した。宗也はメッセージを打つ。

“僕しか満寛を覚えてない。何があったの?”

俺が知るか、と思いつつ、返事を返す。

“神社に出てた店の琥珀糖食べたら、こうなってた”

宗也はまた、何か考えているようだった。

“その神社って、どこ?”

神社の名前と場所を打つ。

“帰り、案内してほしい”

宗也の目は、その神社の方を見据えているように見えた。


放課後。

件の神社に、スマホで宗也に案内しながらやって来た。真横にいるのに、まどろっこしい話だ。宗也は、初めから分かっているかのように、境内を進んで行く。店があった場所には、大きな水溜まりがあった。雨なんて降ってないのに。宗也は辺りを見回す。鴉を一羽見つけると、おもむろに近付いて屈む。鴉に小声で、何か話しかけた。話しかけられた鴉は、カァ、と一声鳴いて飛び、水溜まりの前に降り立つ。宗也はそれを見、がっかりしたように肩を落とした。これまでの人生で見たことの無い光景だが、自分の存在が消えている今、それは酷く小さいことのように思える。

「満寛、いる?」

宗也の声に、スマホでメッセージを打つ。

“いるぞ”

「僕が戻るまで、ここで待っててほしい。どこにも行かないで」

“どこ行くんだ?”

「琥珀糖買いに行く」

は?と声が出た。宗也は、水溜まりの淵に立つ。深呼吸を一つして、両手を強く握りしめていた。水溜まりが苦手だと、前聞いたことがある。触れられないことも忘れて、宗也の腕へ手を伸ばした時。宗也は水溜まりに飛び込んで、消える。大きく水が跳ねた。


どれくらい待ったか。気付くと、傍らに宗也と話していた鴉がいる。カァ、と鳴いた。瞬間、ザバっと音がして、水溜まりの中に宗也が立っている。真っ直ぐに俺を見て、笑った。

「お待たせ、満寛」

「……見えるのか」

宗也と目を見て、話が出来る。それだけのことなのに、安心した。

「見えるよ。早速だけど、これ食べて」

駆けて来て、俺の手に赤い宝石のような欠片を落とす。琥珀糖。

「これ、」

「大丈夫だよ。僕も食べるから」

宗也も同じ物を持っている。ならいいか。揃って口に入れた。視界が一瞬、水色と茜色に歪んだ。ふらついたところを、宗也に腕を掴まれて立て直す。

「……これで戻ったのか?」

「うん」

宗也が頷いた途端、蝉の声が煩く聞こえ出す。そういえば、この神社に入ってから、鴉以外の鳴き声を聞いていなかった。宗也の方を向いた時、世界が暗転した。


気分の良い揺れで、意識が戻って来る。

宗也の背に負ぶさっていた。瞼が重く、身体が怠い。

「……身体が動かねぇ……」

「うわ、起きたの、満寛」

「今どこ」

「もう少しで満寛の家」

「よく道分かったな」

「……頑張った」

間が気になったが、それどころでもないから黙っておく。宗也も黙っている。気分が落ち着いてきた。

「何だったんだあの琥珀糖……」

「あれね。水になる琥珀糖なんだって。あのままだったら、何もかも忘れて水になってたところだったって。間違えて人に売ってて、謝ってたよ」

「誰に聞いたんだ?」

「赤い琥珀糖売ってくれた人」

「……間違えんなよな」

「そうだよねぇ」

頭が働かないから、考えるのは止めた。終わったんなら、もう良い。口を開くのも億劫になってきた。

「しばらく琥珀糖は見たくない」

「僕もだよ」

「宗也。考え過ぎるなよ。もう終わったんだから」

「満寛」

緩やかに、宗也が歩みを止める。視線を感じたけど、目を開けられない。

「明日、今日の授業分のノート持って来ることだけ考えろ。写すから」

「分かったよ」

またゆっくり歩き出す。眠い。どうしようも無くなって、宗也に身体を預ける。

「……ありがとな」

「どういたしまして」

静かな笑い声が、心地よく耳に響いた。

















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