【完結】住宅セールス狂詩曲(作品240316)

菊池昭仁

住宅セールス狂詩曲

第1話

 最近、この総合住宅展示場への来場者は激減していた。

 事務所の壁に貼られた営業成績のグラフは、僕が最下位だった。

 次の接客の順番は僕の番だった。

 いつもは万年平社員の田村に順番を横取りされたが、今日は不動産屋回りということで田村はいない。

 おそらくパチンコでもしているのだろう。

 がさつで礼儀知らず、デリカシーの欠片もないこの大阪人が、どうして住宅が売れるのか、不思議だった。


 この展示場のスタッフは大隅おおすみ店長、営業リーダーの小田さん、そして田村と僕。

 現場監督は磯崎さんと寺島君、設計の川久保さんと事務員の陽子さんだった。



 展示場の玄関のセンサーが反応し、僕たちはモニターを注視した。

 店長が言った。


 「30代の子連れかあ? これはいけるな?

 皆藤かいとう、必ずアポを取って来い、いいな?」

 「はい」


 僕は服装を整え、接客に出た。



 「いらっしゃいませ。本日、担当させていただきます皆藤と申します。

 よろしくおね・・・」


 ところがその家族は僕を無視して、そのまま勝手にモデルハウスに上がり込むと、すぐにリビングへと進んで行ってしまった。


 来場アンケート用紙を持って必死に後を追った。


 「お客様、御手数ですがアンケートのご記入をお願いします」

 「そういうのいいから」


 たまにいるのだ、こういう無礼な客が。


 「俺は客だ、どこにやらせるかは俺が決める」



 夫婦というのは似た者夫婦といわれるように、奥さんもまた、酷かった。

 「撮影禁止」と書いているにもかかわらず、スマホでパシャパシャ写真を撮りまくっている。

 そういう親だから子供も同じだった。

 ベッドの上で跳ねまわる、展示場の中を走り回るなど、やりたい放題。


 「喉乾いた! お兄さん、オレンジ・ジュースないの? 100%のやつ」

 「少々お待ち下さい」


 するとモニターを見ていた陽子さんが飲み物を運んで来てくれた。

 絶好のタイミングだった。


 「どうぞこちらでお休み下さい」


 お茶出しのタイミングは極めて重要だ。

 彼女のお茶出しのタイミングは芸術ですらあった。



 家族は商談用のテーブルに就くと、


 「ほら、早く飲んで次に行くぞ。今日は最低5件は回るからな?」

 「もう帰ろうよー、ボク、疲れたー」

 「我慢しなさい克之。ほら、目の前のお家はドラえもんの風船をくれるみたいよ」

 「えーっ、風船なんていらねえよ、この前みたいにミニ四駆がいい!」

 「しょうがない子ね? すみませんけどここの粗品は何かしら?」

 「申し訳ありません、ここには置いてないんです・・・」

 「はあ? 信じらんない。今時何もくれない展示場なんて。お客を馬鹿にしているわ!

 何千万円もする家を売っておいて、何なのその態度?

 何もくれない展示場に用はないわ、もう次に行きましょう」


 その家族はすぐにモデルハウスを出て、向かいの悪名高いモデルハウスへと入って行った。


 

 事務所に戻るとリーダーの小田さんが励ましてくれた。


 「大丈夫、あれはお客じゃないから。

 誰でも彼でもお客にしちゃダメだ、あんな家族に家を建てる資格はないよ。

 住宅セールスは犬じゃない、誰にでも尻尾を振っちゃいけない」

 「リーダーの言う通りだが皆藤、 あの家族もお前と同じなんだよ。

 類は類を呼ぶ。お客の質は営業マンの質だ。

 自分のレベルにあった客しか来ない。

 あの家族が悪いんじゃない、そういうお客を引き寄せるお前に問題がある。

 成績が悪いと焦りが出る。それが顔にも態度にも出てしまうんだよ。

 焦るな皆藤、今、何をするべきかよく考えろ。いいな?」


 僕は崖っぷちだった。

 会社のルールでは3か月、契約がゼロだと本社での地獄の研修が待っている。

 そして半年間受注がないと解雇されてしまうのだ。

 僕は2か月間、受注が無かった。

 今月は何としても契約を上げなければならない。


 


第2話

 皆藤は営業グラフの前で溜息を吐いていた。


 「はあー」

 「辛いよね? ビリは」


 リーダーの小田さんが笑いながら話し掛けて来た。


 「本社の地獄の研修、確定です」

 「見学に来るかい? 俺のスーパー営業テクニック、見せてあげるから」




 皆藤は小田の営業に一緒について行った。

 小田は賃貸マンションの前に来ると、チャイムも鳴らさず玄関のドアを3回ノックした。


 コンコンコン


 「こんにちはー、小田でーす」

 「はーい」


 ドアが開くと女優の上野樹里に似た奥さんが、笑顔で私たちを出迎えてくれた。


 「奥さん、相変わらずお綺麗ですね?」

 「止めて下さいよー、そんな本当のこと言うの、小田っち!」


 (小田っち? 僕は驚いていた。営業マンと顧客がまさかのタメ口?)


 「私、正直者なので、つい本音が出ちゃうんですよ」

 「もう、小田っちったらあ。まさるちゃん、小田っちが来たよー」

 「上がってもらいなよ」

 「さあどうぞ。今日はイケメン君と一緒なのね?」

 「そうなんですよ、どうしてもウルトラ営業マンの接客を見学したいと、勝手について来ちゃったんですよ」

 「へえー、小田っちの営業をねえ。

 でも真似出来るのかしら? この小田っちはすごいわよー。お客の心を鷲掴みしちゃうんだから」

 「はじめまして、皆藤健一です。よろしくお願いします」

 「ねっ? 面白い奴でしょう?」

 「ホント、お家、売れなさそう。あはははは」



 2DKの部屋は綺麗に整理整頓されていた。

 幼稚園児くらいの女の子が小田さんに走り寄って来た。


 「小田っち! これ真美まみちゃんが描いたんだよ、 見て見て!」

 「凄いね真美ちゃん! よーし、おじちゃんも負けないぞー」


 すると小田さんは鞄から画用紙を取出し、サラサラとダッフィをマーカーで描き始めた。

 目を丸くしてそれを見詰める女の子。


 「ほらね? ダッフィちゃんだよ」

 「すごいすごい! じゃあね、今度はドナルドを描いて!」

 「いいとも、じゃあ真美ちゃんも描いてごらんよ」

 「うん、わかった!」


 小田さんはスケッチブックごと、女の子に渡した。

 ふたりとも真剣である。

 お茶を淹れながら奥さんが言った。


 「いつもこうなのよ、小田っちは。家族みたいでしょ?」

 「ええ」

 「小田さんが来ると、家の話より、娘の真美と遊んでくれるんですよ」


 旦那さんが目を細めて笑っている。


 「お昼まだでしょう? カレーだけど食べる?」

 「いつもすみません、奥さんのお料理は帝国ホテル並みだからなあ」

 「それを言うならリッツカールトンって言ってよね? うふっ」

 「これは失礼しました。リッツカールトンより凄いです!」


 みんなが楽しそうに笑っていた。




 そんな感じで90分が過ぎた頃、小田さんが最後に切り出した。


 「先日のプランを描き直しましたので、じっくりとご覧下さい。

 次の打ち合わせはいつがよろしいですか?」

 「土曜日の10時でいかがですか?」

 「かしこまりました。では土曜日の10時に伺います」

 「よろしくお願いします」

 「小田っち、またねえー」

 「真美ちゃん、またお絵描きしようね?」

 「うん!」


 真美ちゃんと小田さんがハイタッチをした。




 帰りのクルマの中で小田さんが言った。


 「皆藤君、家づくりって何だと思う?」

 「お客さんの夢を叶えることですか?」

 「うーん、25点だな。

 家づくりはね、お客さんの人生を背負うということなんだよ。

 自分や会社の都合を押し付けない、お客さんの気持ちに寄り添うことなんだ。

 お客さんはシロウトだから家づくりをよくご存知ない。

 お客さんの希望通りの家を作るのは簡単だが、そんな家は将来必ず問題が出てくるものだ。

 だからお客さんのことをよく観察し、お客さんも気付かないようなところを先回りして提案して差し上げる。

 相手の気持ちになって家を作らなければならない。

 皆藤君、君は今、焦っているだろう? それはお客さんにも伝わるんだよ。

 いい事も悪いことも相手には伝わるもんだ。

 まずは自分を捨てて無になることだよ。

 いいじゃないか? 本社の地獄の研修も。

 嫌だ嫌だと思うから嫌なんだよ、自分を変えるいいチャンスだと進んで参加すればいい。

 売ることを考えるな、お客さんのしあわせだけを考えろ。

 10年後、真美ちゃんは15歳になる。

 そして20年後は結婚しているかもしれない。

 それにはどんな家がいいだろうと真剣に考えるんだ。

 それだけでいい、それだけで。

 テニスの試合をしている時、君はスコアばかりを気にしてボールを見ていないんだよ。

 お客様からのどんなボールも拾って、それを的確にお客さんのところへ打ち返してあげる。

 そしてゲームを楽しむんだ。

 簡単な事なんだよ、家づくりは「思いやり」なんだ」


 小田さんは社長から本社の営業部長になってくれと言われているらしいが、それでは現場から離れてしまうと栄転を断っているらしい。


 僕はこの仕事の本質を見直すことを決意した。




第3話

 「その後、調子はどうだい?」


 小田さんが話し掛けて来た。


 「はい、お陰様で先日、いいお客さんをゲット出来ました」

 「そう、良かったね?」

 「土地を探して欲しいと言われたんですが、中々連絡が取れなくて」

 「24時間以内に返信がないお客さんは、お客さんにしちゃダメだよ」

 「どうしてですか?」

 「それは皆藤君に真剣じゃないからだよ。まあ、ハッキリ言って、君に魅力がないということだよ」

 「魅力がない・・・」

 「たとえば君に好きな女の子がいるとして、彼女から連絡が来たらどうする?」

 「すぐに連絡します」

 「それと同じだよ。君はそのお客さんから好かれていない、信頼されていないということだ」

 「・・・」


 僕はがっかりした。


 「家を作ることにお客さんは必死だ。いつも家のことばかり考えている。

 それなのに連絡が取れないなんておかしいだろう?

 他の会社と天秤にかけているか、皆藤君のことがあまり好きではないのかもしれない。

 信頼関係が出来なければ、いい家にはならないからね。

 当社の商品を説明する前にお客さんに好かれること。それが大事だ。

 君はまだ恋愛関係にない女性の前で、すでにパンツを脱いで迫っているんだよ。

 それはただの変態だ。強制わいせつ罪。

 いいか皆藤君、お客さんと僕たちは対等なんだよ、上でも下でもない。素晴らしい家を作るための同志なんだ。

 だからそういう時はきっぱりと諦めることだ。

 断るのも仕事のうちさ。

 まあがっかりすることはない、次を探せばいい。

 100人の人すべてがお客さんになるなんてあり得ない話だからね?

 俺たちの商売は「センミツ」と呼ばれているからな?」

 「センミツ?」

 「1,000に3つ、つまり1,000件のお客様とお会いしても、成約になるのはたった3件だけという話だ。千分の三の確率というわけだ。

 でもね、いい仕事をしようとしたらいいお客さんを選ばなくてはいけない。

 住宅を作るには大変な労力と時間がかかる。だから自分が担当出来る仕事の量は決まって来る。

 なんでもかんでも受けては駄目だよ。いい仕事が出来なくなる。

 私も誰でも良ければ今の2倍の成果は挙げられるが、途中で挫折するだろう。

 いい仕事を続けていれば、お客さんは絶えることはない」


 小田さんの成約は殆どがお客様からの紹介受注だった。

 向こうの方から小田さんに依頼がやって来る、伝説の営業マンだった。

 そして小田さんは年間で12棟しか受注をしない。

 それは自分の目が行き届く現場が年間12棟だからだと言う。

 「理想は毎月1棟の受注と1棟のお引渡なんだけどね?」と、笑っている余裕があった。

 

 「じゃあどうすればいいんですか?」

 「急がば回れだよ、皆藤君。

 お客さんを見つけるだけが営業の仕事じゃない。

 勉強することも大切な営業の仕事だ。なるべく現場に行きなさい」

 「現場ですか?」

 「そうだ、現場だ。現場で汗を流すんだ。おが屑まみれになって掃除をするんだ。

 現場は自分の子供みたいなものだよ。

 住宅営業はね? 手塩にかけて育てた娘を嫁がせる、親と同じなんだ。

 そして職人さんの手伝いをすること。

 そうすることで彼らがいかに大変な思いをして家を作っているのかが理解出来るようになる。

 家はコンピュータが作るものじゃない、大工さんや電気屋さん、水道屋さんたち、大勢の職人さんたちが汗をかいて作ってくれるものだ。その大変さを理解することはとても大事なことだよ。

 職人さんはそんな君を必ず応援してくれる。現場のことも教えてくれる筈だ。

 気は心だよ、皆藤君」

 「このお客さんはどうすればいいですか?」

 「田村君にでも回してあげれば? 彼はダボハゼだからなんでも食べるよ。あはははは」



 そのお客さんは田村に回した。


 「ホンマにええんか? ワシが貰って?」

 「私には手に負えないお客さんなんで」

 「まあ、新米の皆藤君には少し荷が重い客かもしれんなあ?

 よっしゃ! ランチおごったるさかいそれで決まりや!」


 田村は歓喜していた。




 だが契約後、田村はその客をなじっていた。


 「あの客はクソや! 頭来るでホンマ! 皆藤! ワレ、知っててワシに押し付けたんか!」

 「どうしたんですか田村さん?」

 「どうもこうもあらへん! あの客、めちゃくちゃやで!

 変更ばっかり言いよる! そして文句ばっかしや! あれはダメ、これはイヤのオンパレード!

 おまけに値引きしろの一点張りや! だからワシに押し付けたんやろう!」


 するとそれを黙って聞いていた小田さんが言った。


 「類は友を呼ぶ、か? あはははは」


 そう言って小田さんは笑って事務所を出て行った。


 「なんやあのオッサン! 胸糞悪い!」


 僕は小田さんに感謝した。

 自分がそのままやっていたら、大変なことになっていたかもしれない。

 お客さんを選ぶ余裕のある、小田さんのような営業マンになりたいと思った。


 


第4話

 小田さんから言われた通り、僕は早速現場に出掛け、掃除をしたり、職人さんの手伝いをした。

 大工の村上親方とも親しくなった。


 「皆藤君、無垢材の床を貼る時はね、将来的にこの板材はどう動くのかを予想して貼るんだよ。

 このオーク材だったら0.5mmかせた方がいいとかね?

 普通のフロア材ならそのまま貼っても大丈夫なんだけどさ、無垢材の場合は狂うからね。適材適所っていうだろう? 木も同じさ、例えば梁や桁などの横架材は強度の強い松材がいいが、木肌を見せたい和室の真壁の柱などには杉や檜を使う。木目がキレイで香りもいいからな?

 ただし垂直荷重を考えると「芯持ち材」と言って、木の中心部分の特一等の杉材を使うことが多い。

 だが芯持ちにも弱点があるんだ。芯持ち材はじれ易いんだ。

 それらの変形を避けるために、柱に「背割り」と言って、敢えて柱に縦に切れ目を入れたりするんだ。それによって変形を逃がすんだ」

 「そうなんですか? 全然知りませんでした」

 「営業さんだけじゃなく、監督も設計も木のことを知らない人が多くなったよ。

 もっとも俺たち大工も同じだけどな? 今じゃかんなやノミも使わなくても家が建つような時代だからな? 和室も少なくなったよ」


 僕は段々家づくりが好きになって来た。




 「小田さん、僕も家づくりが好きになってきました」

 「そうか、現場には色んなナマの知恵が落ちている、それを拾い集めることで君の話には説得力が出てくる。

 ただの営業マニュアルの丸暗記より、実際に自分が現場で経験することで、それが君の説明や提案に重みが生まれて来るようになる。

 それからこんなノートをつけるといい」


 小田さんは一冊のノートを僕に見せてくれた。


 「これはね? 『あすなろ帳』って呼んでるんだけど、今日学んだ事や、わからなかった事、失敗した事や良かった事をメモしておくノートなんだよ。

 「明日は出来るようになろう」という想いを込めて『あすなろ帳』さ。

 皆藤君もやってみるといい」

 「小田さんでもこんな新人みたいなことをやっているんですか?」

 「新人もベテランも変わりはないよ、学ぶ事や気付いた事、知らない事や失敗なんて山ほどあるからね?」



 僕はすぐに『あすなろ帳』を作くり、実践した。


 


 展示場の事務所でコンビニ弁当を食べていると、展示場の来場を知らせるチャイムが鳴った。

 どうせ不動産屋の営業だろうと思ったが、誰もいなかったので僕が応対に出た。



 「はーい」

 「すみませんが見学させていただいてもよろしいですか?」


 そこには30代くらいのご夫婦が立っていた。

 モニターも確認しないで出て来たので、お客さんだとは思わなかったのだ。


 「はい、どうぞご覧になって下さい。今日は何件か回ってこられましたか?」

 「ええ、2件ほど。参考になるお家が多いですよね? 展示場は」

 「各社それぞれの自信作ですからね? その意味でも展示場はなるべく多く回るべきです」


 不思議だった。今までの自分は売る事ばかりを考えて接客していたが、いつの間にかお客さんの立場で接している自分がいた。


 「家は一生のお買物ですから、じっくりと他のメーカーさんも比較して下さい、家づくりって本当にワクワクしますから」

 「そうですよね? でも、どこの会社さんに伺っても住所や電話番号、名前も聞かれますが、あなたは訊きませんよね? アンケートに記入しなくて見学させていただけるんですか?」

 「かまいませんよ。どうぞゆっくりとご覧になって下さい。写真を撮っていただいても結構です。

 申し遅れました、私、営業の皆藤と申します、よろしくお願いします。

 アンケートは強制しませんが、もし、この建物が気に入ったらお願いします」

 「わかりました、高橋と申します」

 「では高橋様、ご案内をさせていただきます」



 一通り案内が終わり、商談スペースに座ると高橋さんが言った。


 「皆藤さん、ひとつご相談があります。年内に完成することは可能でしょうか?」

 「ご希望の建物の大きさにもよりますが、通常ですとご契約いただいてから半年はかかります。

 何かお急ぎの理由でもあるのですか?」

 「そうですか? 今、6月ですからギリギリですね?」

 「いずれにしても、一度弊社の実際の建物をご覧になってはいかがでしょうか?

 参考になると思いますよ」

 「そうですね? では今週の日曜日なら空いているのですが・・・」

 「わかりました。では日曜日の10時に展示場の駐車場においで下さい、ご案内いたします」

 「よろしくお願いします。あっ、書きますよ、アンケート」

 「お手数をおかけします」


 僕と高橋ご夫妻の出会いだった。

 



第5話

 高橋さんご夫婦を現場にお連れすると、大工の村上親方が丁寧に説明をしてくれた。



 「この建物は二世帯住宅でね、中々いい間取りですよ。

 皆藤君は毎日のように現場に来て、掃除をしたり私の手伝いをしてくれます。

 家づくりが好きなんでしょうね?

 若いが熱心な営業さんです。

 彼なら必ずいい家を作ってくれると思いますよ」


 親方は僕を応援してくれた。

 現場の職人さんの意見は説得力がある。村上親方は現場の整理整頓も行き届いていた。



 「この家の施主様は、奥様のご両親様との同居になります。

 まだ工事中ではありますが、今回、高橋様をご案内したのは、是非、建築途中の構造躯体をご覧になっていただきたかったからです。

 出来上がってしまえば皆、同じ家ですが、弊社の建物には様々な工夫があります。

 例えばこの柱ですが、集成材を使っています。

 接着剤が人体に有毒であると言われるお客様もいらっしゃいますが、今では大分改善され、強度はそのままに、人体への影響も安全性が確認されております。

 どうして無垢材を使わないのかというご指摘もありますが、本当は無垢材の方が安価なのです。

 ですが弊社のような高気密高断熱住宅にそれらを使用いたしますと、木材に大きな狂いが生じ、構造材が変形することになります。

 あの仏像も寄木よせぎと言って、木をにかわ等で接着させ、それを使用している物が多いそうです。

 長い間の経年変化を考慮してのことです。そうですよね? 親方?」

 「無垢材はいいんですけどねー、変形しやすいというデメリットもあります。

 ですから安全性に関わるところは狂いの少ない材料を使うのは当然ですが、この建物のように、大きな梁が露出している家では、敢えて米松の無垢材を使用しています。

 無垢材なので割れたりすることはありますが、それが本物の木の温もりが伝わるからです。

 ここの施主さんにもご説明しましたが、喜んでいらっしゃいました」


 村上大工さんのお陰で、高橋ご夫妻の反応はすこぶる良かった。




 展示場に戻り、打ち合わせを続けた。


 「いかがでしたか? ご参考になりましたか?」

 「ええ、完成が楽しみですね?」

 「あと2か月ほどで完成しますので、是非またご覧下さい」

 「温厚な棟梁さんですね? あんな人に作ってもらいたいなあ」

 「ありがとうございます。代々続いている由緒ある棟梁さんなので、親方で5代目になるそうです。

 私も信頼している大工さんのひとりです」

 「御社の家づくりが素晴らしいことはよくわかりました。

 実は設計プランはもう出来上がっているのです。

 そこでご相談なんですが、お見積りをしていただいて金額的に折り合いがつけば、是非、皆藤さんにお願いしようと家内とも話しました。

 ただ、条件と言いますか、お願いしたいことがあります」

 「何でしょうか?」

 「年内に入居したいということです」

 「年内ですか? 仮に今月にご契約を頂戴したとしてもギリギリですね?

 お急ぎになる理由は何でしょう?」

 「義父がガンになってしまい、余命半年と診断されました。

 ですから義父には新しい家から天国に旅立って欲しいと思っているのです」

 「私は長女で家を継がなければなりません。主人の理解もあり、主人が家督を継いでくれることになりました。 

 家自体は昔の家なので広いのですが、高齢者の親には不自由なことも多い家なので、建て替えることにしたんです。

 ですからせめて快適な家から父を送り出してあげたいんです」

 「そうでしたか・・・。それは大変でしたね?

 ただし、それをお約束することは出来かねます。

 他の住宅メーカーさんはいかがでしたか?」

 「みなさん出来るとおっしゃっていましたが、どうも依頼する気になれなくて・・・。

 でも皆藤さんならお願いしたいなあって思いました。

 いちばん私たちのことを親身になって考えて下さっているので」

 「ありがとうございます。ではこの件に関しましては私の一存では判断しかねますので、次回、お会いするまでの宿題にさせて下さい」

 「わかりました。これが設計図になります」

 「かしこまりました」




 「良かったじゃないか? 皆藤君の努力が実ったんだね?」


 小田さんはそう言って褒めてくれたが僕は不安だった。


 「ご予算的には問題はないのですが、年内にご入居されたいそうなんです」

 「年内かあ。ギリギリだな?

 監督や店長とよく相談して、工程を見直す必要があるね?」

 「はい、なんとかお父様を新しいお家に入れて差し上げたいと思います」

 「皆藤君、君は変わったね?

 その気持ちを忘れなければ、君はきっといい営業マンになる。

 お客さんのことを真剣に考えることが出来れば、君はもう一人前だ」

 「小田さんのおかげです」

 「君の一生懸命な行動が周りを変えたんだよ。

 僕が言っただろう? 「類は友を呼ぶ」って。

 自分と同じ想いの人が集まるんだよ、だから高橋様のようなやさしいお客さんに出会うことが出来たんだ。 

 高橋様は皆藤君が引き寄せたんだよ。

 僕らの仕事はお客さんの家族の人生を豊かにもするし、台無しにもする。

 常にお客さんのことを真剣に考えて、いい家を作ってあげたいよね?」

 「はい!」


 そして僕はどうすれば高橋さんの家を年内に完成することが出来るかを考えた。 




第6話

 月曜日の定例ミーティングで、僕の顧客の高橋さんのことが話題になった。



 「ギリギリで本社研修を免れたな? 皆藤。

 問題は工期だなあ? 図面は完成しているから確認申請でセンターに出して3日、後は職人の段取りだな?

 大工をダブルで入れるか?

 どうだ磯崎君、現場の方は?」


 店長の大隅がカレンダーを確認しながら言った。


 「無理っすね。ただでさえ忙しいのに年内に引き渡せなんて冗談じゃないっすよ。現場を知らない営業さんには困ったもんだぜ」

 「そこをなんとかなりませんか。高橋様は1日も早くご入居されたいんです。

 お父さんがガンで、余命がないんです!」


 私は磯崎に必死で食い下がった。


 「そんなのお客の都合だろ? 現場には関係ねえよ、だったら他の住宅屋に頼めばいいじゃねえか。

 おめえら営業の都合で工事の段取りを狂わされちゃたまんねえんだよ!」


 現場監督の磯崎は地元の工業高校を出て、新卒で入社した、15年のベテラン社員だった。

 いわゆるお山の大将的な男で、店長の大隅にも従わない問題児だった。

 それゆえ未だに主任止まりだったのである。


 「いずれにせよ、今年中ということは高橋様には確約することは出来ないな?

 工程通りには進まないのが現実だ。

 ましてやこれから台風や秋雨の時期でもある、12月になれば雪の心配もあるからな?

 その旨を高橋様によくお話ししてご理解をいただくしかないだろう。

 余命が半年といっても伸びることもあれば、短くなることもあるわけだから」

 「わかりました。高橋様にはそうお話ししてみます」

 「俺も同席するよ、せっかく皆藤を信頼して任せていただけたお客様だからな?」

 「ありがとうございます、よろしくお願いします」


 田村は皆藤が契約を取った事が面白くないのか、口を挟んで来た。


 「しかし難儀な客やなあ、そいつ。

 親が死ぬから早よう建てろゆうて、ホンマ、迷惑な話やで。

 なあ、磯崎はん」

 「まったくだよ、そんな面倒な客、取ってくんじゃねえよ」


 田村と磯崎は仲が良かった。

 すると、今まで黙っていた小田さんが口を開いた。


 「その通りだよ皆藤君、田村君や磯崎君の言う通りだ。ウチでは無理だよ」

 「小田さんまで・・・」

 「ウチの駄目な現場監督では無理だよ、あんな杜撰ずさんな現場管理ではお客様に迷惑がかかるからね?」


 磯崎が席を立って仁王立ちをした。


 「何じゃコラ! ぶん殴られてえのかクソオヤジ!」

 「僕たちはね? 君たちのような性根の腐ったチンピラのために仕事しているんじゃない。

 お客様に最高の家を作って差し上げたいからがんばっているんだ。

 そんな下っ端ヤクザみたいな言動は、会社の品位を損ないますよ。あはははは」


 そう言って小田さんは笑った。

 磯崎が小田さんの背広の上着を掴んだ時、大隅店長が言った。


 「止めろ、磯崎」


 磯崎は手を離した。


 「それでは今日のミーティングはここまで」

 「あー、もう昼かあ? 皆藤君、『満腹食堂』でランチするから乗せてってくれるかなあ?」

 「はい」


 僕は小田さんとランチに出掛けた。





 「んー、アジフライ定食にしようかなあ、ちょうど旬だしね? 皆藤君は?」

 「じゃあ、僕もアジフライで。

 さっきはありがとうございました。僕を庇っていただいて」

 「別にいいんだよ、いずれ彼とはよく話す必要があるからね? 彼は不安なんだよ、だからすぐに怒るんだ。

 哀れなヤツだよ。

 どこの住宅会社にもいるんだ、あの手の現場監督が。

 ロクに勉強もしないから知識もない。現場管理は出鱈目で掃除もしない。

 工業高校からの叩き上げの場合は特に多い。元ヤンもいるしね?

 でもね? 磯崎はまだ見込みはあるんだよ、自分の知識や技術に不安があるからね?

 まあ、一度は派手にやらなければならないかもしれない。あはははは」

 「僕、苦手です、あの人。すぐに怒るし」

 「それは君がまだ舐められているからだよ。僕たち営業は現場監督や設計から舐められないような仕事をしなくちゃいけない。

 彼らよりも上を行かなければいけないんだ。

 それには経験を積んで勉強することだよ皆藤君。

 僕たちの仕事は100点満点か0点なんだよ。

 八百屋さんみたいに「今日はカボチャが5個売れました」じゃあない、3,000万円売れたか、全然売れなかったという商売だからね?」


 大きなアジフライが2枚乗った定食が運ばれて来た。


 「うん、旨い。臭みもなく、ふっくらとしていて。

 大将、最高ですよ、このアジフライ」

 「ちょうど今、アジの時期だからね?」


 大将は満足そうに笑った。




第7話

 日曜日は住宅総合展示場のイベントがあり、来展者も多く、この日2回目の接客だった。

 

 「いらっしゃいませ、ご来場ありがとうございます。

 イベントには参加されましたか?」

 「はい。もうクタクタです、人が多くて」

 「今日はセーラームーン・ショーもありましたからね?

 よろしければ少しお休みになってから、ゆっくりとご覧下さい。

 今、お飲み物をお持ちします、何がよろしいですか?」


 すると事務所でモニターを見ていた陽子さんが、また絶妙なタイミングで来てくれた。


 「いらっしゃいませこんにちは。

 どうぞ、こちらからお好きな物をお選び下さい」

 「あら、いいの? じゃあ私はアイスコーヒーで。

 あんたたちはどうするの?」

 「じゃあ私は温かいお茶で。ノンちゃんは?」

 「オレンジジュース」


 はにかむように幼稚園くらいの女の子が言った。


 「かわいいお嬢さんですね?」


 と言うと、その若い女性は言った。


 「うふっ 妹なんです、この子」

 「えっ、これは大変失礼しました」

 「いいんですよ、いつものことですから」

 「あはははは ふたりとも私の子供よ」


 体格のよい、がっしりとしたその女性は豪快に笑った。


 「うちは大家族なの。この子が長女で一番下がこの紀子。

 9人家族なのよ」

 「凄いじゃないですか。テレビの「ビッグ・ダディ」みたいですね?」

 「そうね? でもダディはもういないけどね・・・」



 陽子さんが飲み物を運んで来た。


 「ごゆっくりどうぞ。

 ノンちゃんはお姉ちゃんと一緒に遊ぼうか?」


 女の子は頷き、陽子さんとキッズコーナーで折り紙を折りながらジュースを飲んだ。



 「申し遅れましたが、皆藤健一と申します」

 「野上です、皆藤君、イケメンね? 何歳?」

 「来月の誕生日で26歳になります」

 「そう、じゃあアンタより2つ年下かあ。

 どう? 皆藤君、うちの五月さつき、中々の美人でしょ? あたしに似て? あはははは」


 また野上さんは楽しそうに笑った。


 「ごめんなさいね皆藤さん、お母さんたらいつもこんな感じなんですよ。

 気にしないで下さいね?」

 「いえ、とても光栄です」


 悪い気はしなかった。

 すると野上さんは急にまじめな顔になった。


 「旦那が三か月前に亡くなって、それで主人の残してくれた保険金で家を作ろうと思ったの。

 お金なんてすぐになくなるでしょう?

 だから残る物に変えようって家族みんなで相談して決めたのよ。

 予算は土地建物込みで3,000万円なんだけど、皆藤君のところで出来る?」

 「土地からですね? 場所はどのあたりをご希望ですか?」

 「子供たちの学校もあるから、転校はさせたくないの、かわいそうだしね?

 だから天神町で探しているんだけど、あまりいい土地がなくて、それに予算も合わなくてねえ」

 「そうですね、天神辺りだとあまり物件情報の出ない場所ですからね?」

 「そうなのよ、そしてこの子たちには各々部屋をあげたいの。

 今まで6帖2間の借家の1件家だったからさあ、自分の部屋を持つのがこの子たちの夢なのよ」

 「すると9部屋が必要になりますね?」

 「そうなんです。この予算では無理ですよね?

 私の部屋はいりませんから、8部屋でも構いません」


 五月が言った。


 「他にご要望はいかがですか?」

 「要望はそれだけ。あとは予算だけね? あはははは」


 野上さんはまた、大きな声で笑った。


 「ではこれから展示場をご案内しますので、ご参考にしてみて下さい」




 一通り展示場を案内して、来週のアポイントをいただき、野上さんたちは帰って行った。

 陽子さんと一緒に、ノンちゃんの散らかしたオモチャを片付けていると、


 「何とかしてあげたいですね? 野上さんたちのお家」

 「喜んでもらいたいなあ、ご主人の形見になる家ですからね?」


 僕はまず、土地情報の収集から始めることにした。

 



第8話

 野上さんの土地は2か所が候補となったが、予算の都合から1か所に決まった。

 問題はプランだった。

 どうしたら建築面積を広げることなく、子供部屋を8室作ることが出来るか、設計の川久保さんに相談した。


 「無理だね。8つも子供部屋を作るなんて、この予算では出来るわけがない」


 頭から否定されてしまった。

 すると、それを聞いていた小田さんが言った。


 「メゾネットにしてあげればいいんじゃないかなあ? 要するに個室が欲しいわけだろう?

 だったら水平に部屋を広げるのではなく、小屋裏を活用してはどうだろう?

 ロフトなら子供さんも喜ぶだろうしね?

 そして同じ大きさの部屋ばかりを考えないことだ。

 大家族とはいえ、家に残る子は限られてくる。大人の部屋を優先して、小さい子供さんの部屋はフレキシブルに考えた方がいい。子供部屋は大人の部屋を一時的にレンタルしてあげると考えるべきだ。

 子供はやがて親元から巣立って行くものだからね?

 子供部屋を二階に作ると、子供が家を出て行ってしまった時、二階が物置になり、1週間も二階に上がっていないなんて話はよくあるからね?」

 「ロフトかあ、それなら出来るかもしれないな?

 よし、考えてみるよ」


 川久保さんはその案を承諾してくれた。




 ラフ図面も出来たので、全体の資金計画を作成し、野上さんに連絡をした。


 「全体のイメージが出来上がりましたので、お打ち合わせをお願いします」

 「わかったわ。皆藤君、ウチの他の子供たちにも展示場を見せてあげてもいいかしら?」

 「もちろんですよ、では今度の日曜日の10時にお待ちしております」

 「それじゃあよろしくね?」


 僕は携帯を切ると、陽子さんに言った。


 「陽子さん、すみませんが今度の日曜日の10時、先日お見えになった野上さんのご家族がまたいらっしゃいます。

 お世話の方、またよろしくお願いします」

 「わかったわ、任せて頂戴。全部で9人様よね?」

 「すみません、忙しいのに」


 すると田村が不機嫌そうに言った。


 「なんや、子供が9人もおるんかいな? 子作りしかやることがなかったんか?

 日曜日は書き入れ時やで、ホンマ、迷惑な話やで。

 なんでそんな「みんな来てええよ」なんて言うんや?

 日曜日は混雑するさかい、お二人でおいで下さいと、ワシならそういうけどなあ」


 僕は黙っていた。

 この関西人に反論したところで、どうせ無駄だと思ったからだ。




 日曜日当日、野上さんは先日の五月さんを筆頭に、5人でのご来展だった。


 「ごめんなさいね? 大勢で押しかけて。

 今日は長男の順が仕事で、次女の緑が彼氏とデート、それから高三の美里と中二の登は部活なのよ」

 「そうでしたか? ではいつでもご案内いたしますからご連絡をお待ちしていますね?」

 「ありがとう、皆藤君。 あはははは」


 野上さんはいつものように豪快に笑った。



 僕はまた同じように展示場を案内して回った。

 子供部屋を案内した時、小学校三年生の勝君が言った。


 「これが僕の部屋になるの? すごく広いなあ」

 「馬鹿ね、こんな広い部屋ばっかり作ったら、お金が足りなくなるでしょう!

 ねえ、皆藤さん?」


 野上さんが笑って言った。

 僕は苦笑いをするしかなかった。



 打ち合わせは和室で行うことにした。

 商談テーブルでは椅子が足りなかったからだ。


 「土地は先日ご案内した通りですが、あの土地でよろしいですか?」

 「本当はもう少し広い方がいいけど、しょうがないわよね? あそこでいいわ」

 「わかりました。では先方にこちらの買付証明書を出しておきますので、ご署名とご捺印をお願いします」

 

 野上さんが書類にサインをした。


 「ではこちらが最初のイメージプランになります。ご家族が集まるリビング・ダイニングはなるべく広く考えました。

 それから五月さんと野上さん、緑さんと順さんのお部屋は6帖のクローゼット付きになっています。

 美里さん、登さん、さやかさん、勝さん、紀子さんは下が3帖、そしてその上のロフトが1.5帖の個室にしてみました。

 これですと、ギリギリご予算に収まるかと思います」

 「へえー、これなら要望がすべて入っています。

 お母さん、どう?」

 「いいんじゃない? これなら。

 子供たちに自分の部屋をあげることが出来るし、それにどうせ私もそのうち死んじゃうしね?」


 その時だった、勝君が大声を上げたのは。


 「そんなこと言うな!」

 「勝・・・」

 「かーちゃんは俺が絶対に死なせやしねえ!」


 熱いものが込み上げて来た。家は家族の「しあわせの器」であるべきなのだ。

 勝君は野上さんご両親が大好きだった。

 お父さんが亡くなった今だからこそ、母親の野上さんには長生きをして欲しかったのである。

 僕は改めて、野上さんご家族に喜んでもらえるような、素敵な家を作って差し上げようと心に誓った。

 



第9話

 年内の完成は確約が出来ない旨を、大隅店長同席のうえ、高橋さんにお伝えした。



 「仕方がありませんね? 急な話だったので。

 わかりました。ではなるべく早くということでよろしくお願いします」

 「かしこまりました。最大限の努力をさせていただきます」


 そして高橋さんとの契約が締結された。



 だが、そこからが大変だった。

 実家にご挨拶に伺うと、ご家族が揉めていた。



 「だからワシはこのままでいいと言っておるんじゃ! 何度も同じことを言わせるな!」

 「何よ! 私たちの気持ちも知らないで!」

 「ワシは新築の家になんか住まんでいい! この家で俺の葬式をしろ!」


 実は高橋さんの旦那さんは婿養子で、奥さんの家を継いでいた。

 奥さんは42歳、旦那さんのみつぐさんは28歳だった。



 「パパ、どうしてそんなことを言うの? 貢だって協力してくれているのよ。

 ママもなんとか言ってよ!」

 「貴美香だってこう言ってくれてるんだから、そうしましょうよ、あなた」

 「うるさい! ワシはこのままでいい!」


 そう言うと、父親の源一郎さんは自室に引き込んでしまった。



 「まったく頑固なんだから!」

 「頑固なのは同じね? 血を分けた親子だから」


 お母さんである春江さんが笑っていた。


 「ごめんなさいね? 皆藤君。

 でも心配しないで、工事は予定通りでいいから」

 「はい、でもいいんですか? このまま進めても?」

 「大丈夫、来週にはお姉ちゃんも来るから説得するから」

 「まあ、あんたたち娘に言われたら、あの人も折れると思うけどね?」


 久しぶりに家族が集まることで、春江さんは嬉しそうだった。




 翌日、僕は源一郎さんを訪ねた。



 「こんにちは、ひまわりハウジングの皆藤と申します。

 昨日はご挨拶が出来ませんでしたので、改めてお邪魔いたしました」


 すると源一郎さんは昨日とは打って変わってとても穏やかだった。


 「そうですか、どうぞ。今日はワシひとりじゃがな?」

 「お父様に会いに伺ったのです、失礼します」



 源一郎さんは冷蔵庫からオロナミンCを出して、僕にくれた。


 「これしかねえが」

 「ありがとうございます」

 「あんたか? 随分熱心な営業さんだって褒めていたよ」

 「熱心かどうかはわかりませんが、一生懸命させていただいています。

 では折角なのでいただきます」


 僕はオロナミンCの蓋を開けて飲んだ。


 「それが一番じゃよ、若い時はがむしゃらにやることじゃ、俺も昔はそうだった。あんたの頃はな?」

 「お父様はどうしてお建て替えに反対なのですか?」

 「見ての通り、この家は先祖代々の家だ。もう100年以上は経っている。

 その他に隠居所の離れもあるし、蔵もある。

 俺には十分なんだよ」

 「なるほど」

 「皆藤君、お前さんが納得してどうする、仕事にならねえじゃねえか?」


 源一郎さんは笑った。


 「ごもっともです。でも僕は押し売りではありません、先輩の小田さんという人から教わりました。

 「お客さんのしあわせにならない家は作るな」と。

 ですからその時は諦めます」

 「いい上司だな? そいつ。

 俺はガンなんだ、もう長くはない。

 折角の新築の家から葬式を出すこたあねえだろう?

 あいつらの気持ちはうれしいが、それなら俺が死んでからにすればいい」

 「それは違うと思います! 貴美香さんたちは、だからこそ家を作ろうとしたのです。

 大好きなお父様のために、せめて新しい家から天国へ送って差し上げたいと。

 すみません、生意気なことを言って。

 でも私もいつかは死にます、お父さんと同じように。

 人の寿命よりも家は長く生き続けます、生まれる命もあれば、天寿を全うする命もあるのではないでしょうか?

 私はみなさんに喜んでもらえる家が作りたいのです。

 だからお父様にもそんな想いの籠った家に住んでいただきたいと思っています」


 源一郎さんは黙っていた。


 「あんた、昼飯まだだろう? 出前を取ってやるから食っていけ」




 僕は出前のラーメンを泣きながら食べた。


 「泣くほど美味いか? まあ『仙台屋』のラーメンは最高だからな?」

 「お、美味しいです、ちょっとしょっぱくなっちゃいましたけど」

 「皆藤君はこの仕事に向いてるよ、がんばりな」


 古い柱時計が少し遅れて12時の鐘を鳴らした。

 天井の高いこの家に、ボーン ボーンと素敵な音が響いていた。


 この家も新築することを許してくれているようだった。

 



第10話

 高橋さんの奥さんのお姉さん、和花のどかさんが東京から来てくれた。


 「初めまして、ひまわりハウジングの皆藤と申します。

 いつも高橋様には大変お世話になっております」

 「お世話になっているんじゃなくて、「お世話している」の間違いじゃないの? 皆藤君?

 大体の話は妹から聞いています。ごめんなさいね? 我儘な父で」


 和花さんはそう言って笑っていた。

 聡明で美しい女性だった。

 旦那さんは丸の内にオフィスを構える、テレビCMも流している企業のオーナー社長だった。



 「あの真赤なフェラーリはお姉様のおクルマですか?」

 「そうよ、ちょうどいいドライブだったわ」

 「すごいですね? フェラーリなんて。初めて見ました!」

 「ただのクルマよ。ところでどうなの? パパはまだ反対しているの?」

 「納得したみたい。皆藤君の熱意にほだされてね? ね、皆藤君?」

 「とんでもありません! 僕はただラーメンをごちそうになっただけです」

 「皆藤君がパパに気に入られたことは確かね? 一緒に『仙台屋』のラーメンを食べるなんて。

 これからもお願いね? 皆藤君、私もチョクチョク来るから、客間だけはしっかり作ってよね?」

 「かしこまりました! 素敵なお家にいたしますので、どうぞお任せ下さい!」


 すると源一郎さんが奥座敷から出て来た。


 「高速は空いていたか?」

 「うん、スイスイだったわよ。都内はごちゃごちゃだけどね?」

 「特にお前の住んでいる辺り都心だからな?」

 「これ、パパの好きな鳩サブレ」

 「ありがとう、久しぶりじゃのう」

 「ねえ、『蛇の目寿司』から出前取ろうよ、皆藤君も食べて行きなさいよ。

 美味しいんだよ、『蛇の目寿司』は」

 「いいんですか? 僕までごちそうになってしまって」

 「なあに気にすることはない。皆藤君は家族みたいなもんじゃから、遠慮はいらん」

 「珍しいわね? パパがそんなこと言うなんて。

 よっぽど気に入られたのね? 皆藤君」




 高橋家の宴が始まった。


 「ほら健一、お前も飲め」


 僕はいつの間にか下の名前で呼ばれていた。


 「駄目ですよ、僕、クルマですから」

 「だったら泊っていけばいい、布団ならいくらでもあるからな?

 会社の上司にはワシが電話してやるから安心しろ、さあ飲め」

 「そうよ皆藤君、飲もう飲もう、ほらカンパーイ!」


 僕はとても嬉しかった。勧められるままに酒を飲み、その夜、源一郎さんと床を並べた。



 「源一郎さん、今日はとっても楽しかったです。ご馳走様でした」

 「いつでも泊っていけ、酒も沢山あるからな?」

 「ありがとうございます。源一郎さん、必ずいいお家にします」

 「ああ、よろしく頼むよ」

 「はい」


 僕は源一郎さんに一日も早く、新しい家に住んでもらいたいと思った。




 源一郎さん夫妻には離れに移動してもらい、解体が始まった。

 長年慣れ住んでいた家が壊されて行く様を見て、源一郎さんご夫婦は涙を拭っていた。



 「この家には沢山の思い出があったんじゃ。ワシの爺さん婆さん、親父にお袋、そして女房や娘たちの思い出がな? いかんな? 歳を取ると涙もろくなってしまって」


 そんなご夫妻を見て、僕も一緒に泣いてしまった。




 それから地鎮祭、上棟式と、職人さんたちのお陰で工事は順調に進んでいった。


 ところが10月に入いると何度も台風の襲来を受け、工事が遅延していた。



 「今日も台風か・・・」

 

 僕は心配になり、現場に向かった。



 リビングのサッシガラスが割れ、雨水がリビングに吹き込んでいた。

 僕はすぐに割れた窓をコンパネで塞ぎ、応急処置をしてリビングに入り込んだ水を掻き出し始めた。


 すると、現場監督の磯崎がそこへやって来た。


 「馬鹿野郎! 何ですぐに俺を呼ばねえんだ! お前ひとりで何が出来るってんだ!」

 「すみません! でも、家が心配で!」


 磯崎はクルマからバケツやタオルを用意し、懸命に水を掻き出し始め、なんとか原状回復することが出来た。



 「お前びしょ濡れじゃねえか! ジャージしかねえけどこれに着替えろ。風邪をひくぞ」

 「磯崎さんは?」

 「俺は大丈夫だ、着替えの作業着を持って来ているからね?」


 私たちはまるで仲の良い兄弟のように笑った。


 そこへ源一郎さんがやって来た。


 「風呂、沸かしてあるから入れ、暖まって来い。

 シャツとパンツは新しいやつを置いてあるからそれに着替えろ」

 「ありがとうございます!」

 「すみません、ご主人」

 「ご苦労さん、大変だったな? この台風の中を。

 今日は帰るのも危険だ、ウチに泊まっていけばいい」

 「すみません、工期が遅れて」

 「しょうがねえよ、アンタらのせいじゃねえ、台風には勝てねえからな? あはははは」



 その日から磯崎さんと僕は、毎日現場に行き、工事を手伝った。



 みんなの協力のお陰で、クリスマス・イブの2日前に建物が完成した。


 「ありがとう磯崎監督、皆藤君。

 年内に間に合わせてくれて、本当にご苦労様でした」


 高橋夫妻も凄く喜んでくれた。


 「喜んでいただけてうれしいです! ウチの皆藤も頑張りました。

 コイツ、若いですけど一生懸命なんです。バカみたいに」

 「立派な家じゃな? すばらしい出来じゃ。

 ありがとう、監督、健一」


 みんな手を取り合い、大泣きだった。




 大晦日、NHKの紅白歌合戦では白組が勝ち、除夜の鐘が鳴る中、炬燵に入ったまま、源一郎さんは微笑むように天に召された。


 「パパ、もう寝ちゃったの?」

 「きっと疲れたのね? 朝から張り切っていたから」

 「笑って寝てる。うふっ」

 「でも何だかヘン! パパ、パパ!」

 「早く救急車!」



 木の香りが残る新築の家で、家族に看取られた最期だった。

 



最終話

 「皆藤、小田と随分親しいようやけど、気いつけや」

 「何のことですか?」


 田村はニヤけていた。


 「アイツ、真夏でも上着着て、暑苦しいのにネクタイまでしちょるやろ?

 なんでや思う?」

 「紳士だからじゃないですか?」

 「紳士? 極道っていつから紳士って言うようになったんや?」

 「えっ?」

 「あのオッサン、元、ヤクザやで。「般若の小田」と呼ばれてな? その世界では知らん奴はおらへんらしいわ。

 背広を脱がんのは、背中にモンモンしょっちょるからやで」


 僕は愕然とした。


 (嘘だ、あの優しくて博学な小田さんが元ヤクザ?)


 「嘘ですよそんなの! そんな人がウチの会社に入れるわけがないじゃないですか!」

 「会社には会社の事情があるんやろう? よう知らんけどな? あはははは」」




 小田さんといつもの定食屋で食事をしている時、僕は小田さんの服装を注視した。


 (本当に小田さんはヤクザだったのだろうか? 入れ墨があると田村は言っていたが・・・)



 「どうした皆藤君? 俺の服に何か付いてるか?」


 刺身定食を食べながら、小田さんは優しい眼差しで僕を見た。


 「お醤油が飛んだのかと思いましたが、僕の勘違いでした」


 僕は咄嗟にウソを吐いた。


 「そうかい? 刺身を食べる時は危険だからね?」


 (こんなにやさしい人がヤクザだなんて、あり得ない)


 僕は田村に揶揄からかわれたんだと思い、食事を続けた。




 現場回りの途中、営業車の中で小田さんが言った。


 「皆藤君、見てみたいかい? 私の背中の般若の入れ墨を?」


 皆藤は驚いて急ブレーキを踏んだ。

 春先の田園地帯には菜の花畑が広がり、他にクルマはなかった。


 すると小田さんは背広を脱いで、ネクタイを外すとクルマの外へ出た。

 小田さんはワイシャツのボタンを外してそれを脱ぐと、黒い長袖の肌着を脱いだ。


 任侠映画で見た、見事な般若だった。


 「私はね? 昔、極道だったんだ。

 そんなヤツがどうして住宅の営業をしているのか、知りたいかい?」


 僕は返答に困った。


 「私には親がいない、捨子だったんだ。

 私の夢だったんだよ、一戸建ての家に僕の家族と住むことが。

 高校を中退して、ヤクザになった。

 そしてを果たして足を洗い、大工の見習いになって建築を学んだ。

 そんな時、今の社長に拾われたんだ。

 軽蔑したかい? 極道だった私を?」

 「軽蔑なんてしていません! でも、驚きました・・・」

 「そりゃそうだよね? 極道の住宅セールスマンなんていないからね? はっはっはっつ」

 「小田さんは僕の憧れです」

 「私は3月末でこの会社を退職することにしたんだ。

 よくがんばったね?」

 「イヤですよ! もっと教えて下さいよ! 家づくりのことや人生のことも!」

 「いいかい皆藤君? この仕事はお客さんの人生を背負う仕事だ。

 東京でラーメン屋をやるつもりだから、食べにおいでよ」

 「どうして辞めちゃうんですか!」

 「そろそろ体がキツくなって来たからね? 歳には勝てないよ。あはははは

 最後に言えることは、皆藤君はいい営業マンに「なりつつある」ということだ。

 24時間、年中無休じゃなきゃいけない。でも働きっぱなしでいろという訳じゃない、パチンコをしていようが、お姉ちゃんといちゃついていようが映画を観ていようが、麻雀をしていてももちろんかまわない。

 でもお客さんから呼ばれたら、すぐにそれらを中断し、お客様の元へ駆け付けなければならない。

 僕たちの仕事はね? お医者さんと同じなんだよ。

 常にお客さんの立場で考えなきゃいけない。

 そこに住宅屋としての誇りと真実がある。

 何しろ大抵のお客さんは自分に保険まで懸けさせられて、420回もの住宅ローンを払い続けるんだからね?

 だからこそ、私たちも家づくりに真剣にならなければいけないんだ」


 僕は泣きながら、何度も何度も小田さんの話に頷いた。


 「小田さん、今までありがとうございました。

 必ず食べに行きます! 小田さんのラーメンを。ううううう」

 「お金はちゃんと取るからね? 商売だから。あはははは」


 小田さんは僕の肩をポンポンと叩いた。

 春一番が吹いていた。





 ようやく野上さんの家が完成した。


 「皆藤君、本当にありがとう。やっと私たちのマイホームが出来たのね?」


 野上さんたちの大家族は、出来上がったばかりの家を見上げ、うっとりとしていた。

 9人の大家族の家。

 子供さんたちの嬉しそうに輝く瞳、幼稚園の紀子さんは五月さんの手をしっかりと握っていた。


 「ほら、ノンちゃんのお家だよ、よかったね?」

 「うん、五月お姉ちゃん、家族のお家だね?」

 「そうよ、そしてこれからはもう一人、家族が増えるのよ。

 10人家族になるのよ」

 「? どうして?」

 「賑やかな家族になるわね? 健一!」

 「はい、お母さん!」

 「お母さんなんて私には似合わないわよ、かーちゃんでいいわよ、かーちゃんで! あはははは」

 「それじゃ・・・、かー、ちゃん・・・」


 五月は僕に寄り添った。

 僕は春からこの家族の一員になって、五月と同じ部屋で同居することになっていた。


 僕はこの時、確かにこの家が笑っているのを見た。


 「ほら五月、見てごらん、家が笑っているよ、僕たち家族の家が」

 「本当ね? お家が笑ってる!」


 僕はそっと五月の肩を抱いた。


                『住宅セールス狂詩曲』完


                  



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【完結】住宅セールス狂詩曲(作品240316) 菊池昭仁 @landfall0810

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