Day.4 アクアリウム
恋人が引っ越しするらしい。片づけを手伝うべくアパートの一室に向かうと、玄関先に見慣れないガラスが置いてあった。水中を漂うミズクラゲを逆さまにしたような、いわゆる金魚鉢である。
彼は部屋の奥で荷物の整理をしていたが、扉の開閉音で私が来たことに気づいたのだろう。申し訳程度のキッチンの奥からひょいと顔を出す。
私は金魚鉢を手に取って彼に駆け寄り、土産代わりに持参した缶コーヒーを渡してからこれについて訊ねてみた。
「小学生の頃にやった金魚すくいで獲れた子をずっと育ててたんです。一人暮らしを始める時に『一人じゃ寂しいだろう』と実家の両親から連れて行くよう言われて」
金魚の寿命は意外に長く、十年を優に超える個体もいるそうだ。恋人の金魚も十五年近く生きたけれど、二年前に死んだという。
「それ以来しまいこんで忘れていたんですが、ごみの分別中に発掘しまして。持っていても仕方ないですし、処分してしまおうかと」
そう語る彼の横顔は寂し気だ。小学生の時分から成人するまで共に成長してきた金魚のことを思うと、なかなか決心がつかないのだろう。
それならば。私は金魚鉢の表面をそっと撫でた。
滑らかで傷一つないそこはほのかに温かい気がする。かつてこの内側で生きた小さな命の温もりがまだ残っているのかも知れない。
新居はこのアパートより広いと聞く。そこでまた、新たな命と思い出を育ててみてはどうか。
私と、二人で。
彼はわずかに目を丸くして、やがて私の手に己の掌を重ねながら嬉しそうにうなずいた。
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