第87話  再会 

  



 一度顔を出すまでは腰が重かったけど、こないだそれを乗り越えてからは、何のとがめもなく葉月へ行けるようになった。



 一週間も空けずにすぐにまたえなさんに会いに行った私は、それをきっかけにして以前のように数日に一度のペースで通うようになっていた。



 葉月に来てえなさんとなんてことない話をする時間は、想像以上に私の生活の中で強力な栄養剤だったようだ。

 尾関先輩への執着が消えたことで、こうしてまた素直に来たい時に葉月に来れる。その喜びを強く感じていた。



「またなおちゃんがちょこちょこ会いに来てくれるようになってうれしいな」



 スムーズに締めの掃除が終わり、サクッと研修施設から帰れた平日の夜、葉月に寄った私にえなさんがそう言ってくれた。



 その溶けてしまいそうなやさしいほほ笑みに、そんなこと言われたら毎日通っちゃおうかな……と、本気で考えてしまうくらい、私の中身はエロじじいと化していた。



 開店直後に珍しく5〜6人の団体客が一組だけ、入口近くのテーブルを2つくっつけて騒がしく飲んでいたけど、カウンターには誰もいなくて、えなさんをほぼ独り占め出来ている状況に、私は大いに上機嫌だった。



「二十歳になって、こうやって堂々とえなさんを前に飲めるようになって、ほんと最高ですっ!!」 

「でも、19のなおちゃんもすでに全然堂々としてたけどなー」

「でも全然違うんですよ!10代の時は今よりもっと距離感じてたし、どんなに背伸びしても自分て子どもなんだなって思ってたけど、二十歳になったらやっぱり少なからず大人になれた実感あるし、えなさんともちょっとは同じところにいられてる気がするんです!」

「そっか!なおちゃんはかわいいなぁー!」

「あっ!それ、子供扱いのやつ!!」

「アハハハ!そんなことないよー」



 私とえなさんが楽しく話していると、トイレから出てきた団体客の一人の女の人が、背後を通り過ぎたと思ったら突然立ち止まり、私のすぐ真横のカウンターの上に両手を着き、身を乗り出すような格好でえなさんに話しかけた。



「ママさーん!今日は尾関さん休みなんですかぁー?」



 予想外の発言に、思わずグラスを持った手を止めて横目でその人を見る。



 尾関先輩より少しだけ歳上そうなその人は、自分のスタイルの良さをよく分かった上でそれを大いに生かしたような、体の線がはっきりと分かる服に身を包んでいた。



「あ……休みっていうか、尾関ちゃんはあの日たまたま手伝ってくれただけでうちで働いてるわけじゃないの」

「えー!?そうなんですかぁ?なんだぁ〜ここに来たらまた会えると思ってたのに……」

「お客さんとしてはたまに来てくれるから、またタイミングが合えばね……」

「そっかぁ〜……」



 愚痴をこぼしながら、だらしなく仲間のいるテーブルへと戻っていった。



「ねぇ、尾関さんてここで働いてるんじゃないんだって!」

「えー!?そうなの!?」



 その人たちの会話は、全員の発言が全てダイレクトに聞こえた。



「……こないだね、尾関ちゃんが飲みに来てた時に突然混み出して、急遽手伝ってくれたの。あそこの子たちはその時のお客さんなんだよね……」



 えなさんがわざわざ解説をしてくれたけど、気にしてるように思われたかと思い、私は誤解されないようにあえて笑って言った。



「そうなんだ!尾関先輩は相変わらずですねー!ちょっと関わるとすぐ女の人が寄ってきて。なんかあれですね、夜の田舎の自動販売機みたい!」

「どうゆう意味?」

「暗闇の中光ってるから、蛾がすごい寄ってくるじゃないですか!」

「……なおちゃん、それじゃあ女の子たちが蛾になっちゃう……」



 えなさんに小声でそう言われ、たしかに!と気づいた。

 まずいことを言ってしまった……と、恐る恐る振り返ってみたけど、テーブル席の女の人たちは周りなんか全く見えていないように盛り上がっていて、全く聞こえてはいなかった。



「危なかった……」

「ふふ、ほんとだね。私も焦っちゃったよ!」

「えー!うそですよ!えなさん悪い顔で笑ってましたよ!」

「だってなおちゃん、女の子たちを蛾呼ばわりするんだもん……ほんとひどすぎーって思って!」

「……ほんと、私って最低ですね……」

「でも私、なおちゃんのそうゆう非情なとこも案外好き」

「え!ほんとですか!?」

「なんでそんなにうれしそうなの?」

「えなさんに好きって言われたらどんなことでも嬉しいですもん!」



 思いもよらないところでえなさんからの評価が上がり、隠しきれずにニコニコしてしまった。そんな私を見ると、えなさんの顔は何かを悟ったような落ち着いた表情へと変わった。



「……なおちゃんもう本当に大丈夫みたいだね?」

「何がですか?」

「尾関ちゃんのこと。あんなふうに話題になってもちゃんと笑えてたから……」

「……はい。えなさんの前で数え切れないくらい泣いてばっかりいたのに、今はもうそんなことも懐かしいって思っちゃうくらい平気になりました。こないだ店長にも聞かれたけど、例えば今突然ここに先輩が現れたりしても、きっと今の私はもう普通に話せるんだろうなって思います」



 そう本心を言って笑うとえなさんも笑い返してくれたけど、なぜかその笑顔はどこか悲しそうに見えた。




 その時、




 ガラガラガラガラ……




「キャー!!嘘でしょ!?」

「やだー!なんで?!なんで?!」




 入口の扉が開く音がしたと思ったら、それを食い気味でかき消すように女子たちの甲高い声が飛び交った。私はちょうどグラスに口をつけたところで、そのままひと口飲みながら、何事かと振り返った。



 すると、立ち上がった女の人たちの円陣の中には、囚われたように囲まれ愛想笑いをする尾関先輩の姿があった。



「……う、噂をすれば……だね……」



 驚きすぎた私は、えなさんの呟きに何も返すことが出来なかった。



「尾関さぁーん!!今日、尾関さんに会いたいと思って来たんですよー!!でもさっきママさんから従業員じゃないって聞いて、今まさに残念て話してたんです!そんな時にこうして現れるなんて、本当にすごい奇跡じゃないですか?!私たち運命なのかもー!!」



 さっきカウンターでえなさんに絡んでいた人が馴れ馴れしく先輩の腕に触れながら言うと、一言物申したそうに別の女の人がその間に入った。



「ちょっと!今日ここに来ようって言ったの私なんだけど!私の方が通じ合ってますよね?尾関さん!」



 私はもうとっくにえなさんの方へ向き直っていたけど、他の客のことを一切無視したようなボリュームのせいで、気に障る全ての声は、嫌がおうにも耳へと入ってきた。



「ねぇ!ねぇ!尾関さん!私たちと一緒に飲みましょうよ!!」

「えっ!?……いや、すみません……それはちょっと……」

「えー?ダメなんですかぁー?騒がしいの苦手ー?」



 私相手にははっきりと容赦なく拒んでたくせに、相変わらず他の女の人には弱腰だな……と、先輩の情けない返答を背中で聞いていると突然、



「あーーっ!!!」



 思わず耳を塞いでしまうくらいの尾関先輩の大きな声に、あれだけうるさかった女子たちが一瞬で全員黙った。



「あ、えーっと、今日はほんとにごめんなさい!」




 沈黙の彼女たちにそう言った尾関先輩の靴音がゆっくりとこっちに近づいてくる。そして、私の真後ろまで来ると完全にそこで止まった。



 振り向かずにそのまま前を向いて飲んでいると、視界の隅に左隣の椅子の背もたれを引く手が見えた。



「いらっしゃい!尾関ちゃん!」

「お疲れ様です!えなさん!」



 120%分かってはいたけど、今隣に座ったのは尾関先輩だということが確定した。



 この状況、私はどうすべきなんだろう……。偶然とは言え明さんに悪い気もするし帰った方がいい……?

 でも、ついさっきえなさんにあんなことを言ったのに、すぐさま席を立つなんてそれこそ意識してるみたいに思われる……



 そんなことをほんの1、2秒の間に頭の中で目まぐるしく考えていると、



「久しぶり!」



 あっけにとられるほど平然と明るく先輩は隣から話しかけてきた。さすがにここまで来たら仕方なく、私は横を向いて返した。



「……どうも……お久しぶりです」



 その顔は、最後の別れ方をすっかり忘れたような満面の笑みで、なんだかかんさわった。



「なんだー……待ち合わせだったんだぁ……」

「もしかして彼女かな……?」



 ようやく小声になった女子たちの落胆の声は、それでもしっかりと聞こえてきた。



「……あの、誤解されてるんですけど?」

「まー、向こうが勝手に思い込んでるだけだし!」

「……せっかくお綺麗なお姉さんたちが誘ってくれてるんだから皆さんと飲めばいいじゃないですか。ハーレムなのにもったいない」

「ハーレムよりここのがいいや」



 まただ……また先輩の発言に、かんの虫がうずく。



「尾関ちゃん、いつも通りビール?」

「はい!お願いします!」

「今日は珍しく早いね?こんな時間に上がりだったんだ?」

「ほんとは22時までだったんですけど、今日夕方大雨だったからか暇すぎて一人上げることにしたんです。でもみんな稼ぎたいから上がりたくないって言うんで代わりに私が」

「そうだったんだ!」

「あんなさんは事務仕事に追われてます……まだ私が出来ないことが多いから申し訳ないんですけど……」

「まだ一ヶ月だもん、しょうがないよ!」



 2人の会話の時間を利用して、私はまた考えていた。



 思いもよらない再会に正直相当びっくりはしたけど、別に動揺はしてない……。本当に偶然のことなんだし、明さんにはそのままを後で伝えれば何も後ろめたいことはない。

 とりあえずこの場は普通にやり過ごそう……



 そう結論を出したのに、なぜか私の中の第六感は、今すぐ帰った方がいい……と警告音を鳴らしているような気がした。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る