第86話  あなたの愛で




 その週末のデートは、とりあえず映画を見に行こうとだけ決めていた。午前中はスタジオ練習があるという明さんに合わせて、終わる時間に私がスタジオまで行くことにした。



 何度か行っているうちに受付の人とも顔見知りのようになって、自動ドアから入ってくる私が軽い会釈だけしてそのまま長イスに腰掛けても、それを当たり前のように見届け、むしろ向こうから挨拶してくれるくらいもう周知されていた。



 とは言え、部外者があんまり長居するのも気まずいので、私は明さんから教えられた終了時間3分前を狙ってスタジオに向かった。 

 ちょうどいい時間に着いていつものように長イスに座らせてもらっていると、1分もしないで、毎回使ってる左に続く廊下の奥にある部屋じゃなく、受付カウンターのすぐ後ろの部屋から明さんが出てきた。



「あっ!なおー!お待たせー!」

「明さん!お疲れ様!」



 明さんは瞬時に私に気づくと、簡単に受付の人へ声をかけて、流れるように私の目の前まで来た。

 その後ろからいつもぞくぞくと続いて出てくるメンバーの人たちの姿がなく、「あれ?」と私が不思議がっていると、明さんはそれに気づき、今出てきた部屋を振り返って言った。



「今日は紗也と2人だったの」

 


 すると、ちょうどよく少し遅れて紗也さんが出てきた。



「そうだったんだ!紗也さん、こんにちは!」

「……奈央さん……こんにちは」



 私が明るく挨拶をすると、紗也さんは小さな声で返してくれた。そんな紗也さんの雰囲気にもだいぶ慣れて、いつの頃か私は歳上の紗也さんを、何度会ってもなかなか打ちとけて遠い親戚の子のように密かに可愛らしく思っていた。



「じゃ、紗也おつかれー!なお、行こっ!」



 明さんがギターケースを背負い直しながら入り口の扉へ向かおうとすると、後ろから紗也さんの弱々しい声がそれを止めた。



「メイ……」

「……ん?」



 明さんが振り返る。



「……あの、今日の夜、電話してもいい……?さっきのアレンジのとこ、決まったら聴いてほしいんだけど……」

「あー、分かった!」

「……じゃああとで電……」

「あ、ちょっと待って!ごめん、やっぱり明日の夜にしてくれる?」

「……え」

「今日は一日中なおといるから」

「……うん……分かった」



 2人のやり取りを聞いて、自分のせいで紗也さんの予定を狂わせてしまうと思い、私は焦って明さんに訴えた。



「私のことは気にしないで電話くらいして!」

「だめだよ、やっと月曜から金曜まで待ってようやく一緒にいられる限られた時間なのに!別に急ぎじゃないもんね?紗也?」

「……うん。……明日で大丈夫……」

「じゃねー!」

「あ……紗也さん、また……」



 私たちの別れの言葉に、紗也さんは軽い会釈で返した。



 スタジオを出て駅に向かって歩きながら、まだ申し訳ない気持ちが消えない私は改めて明さんに聞いた。



「紗也さん、本当は今日のがよかったんじゃないのかな?いいの?」 

「大丈夫だよ、別に次のライブでやる曲でもないし。なおとの大切な時間、邪魔されたくないもん!」

「私もそれはそうだけど、逆に私が邪魔になってないか心配で……。紗也さん、思ってても内に秘めそうだし……」

「まぁ紗也はたしかにそうゆうタイプだけどね」

「でも紗也さん、明さんにはちょっと心開いてる感じがするね」

「あの子、昔からコミュニケーション能力ゼロどころかマイナスって感じだから、気にしてけっこう構ってきたからね。私からしたら、ほっとけない妹って感じかな」

「そっか。じゃあ紗也さんからしたら明さんは優しいお姉ちゃんって感じなのかもね」

「優しくはないけどね!でも紗也、普段全然表情変わんないくせに、たまに頭なでて褒めてあげると嬉しそうにちょっとだけ笑うの。それがちょっとかわいい」

「なにそれ!かわいいー!見てみたい!」





 何の映画を見るかは着いてから選ぶ予定で、大きなショッピングモールの中でまずお昼を済ませた私たちは、最上階までエスカレーターで上って映画館を覗いた。



「なおはなんか気になってたやつとかないの?」

「うーん、最近何やってるのか全然知らないんだよねー……」



 そう返事をしつつ、縦に並んだ現在上映中のラインナップを上から順に読んでいく……

 すると、ある一か所で目が留まった。



「あっ!ゾンビーナ2《ルビを入力…》やってる!!」



 ちょうど私が見ていたタイトルを、明さんが口にした。



「これ見たかったんだよね!1《ワン》がすごいおもしろくてさ、2《ツー》やってるっていうのは知ってたんだけど、気づいた時にはもうどこの映画館でも終わってたから諦めてたの!ここはまだやってんだー!なお、知ってる?ゾンビーナ!」



 嬉しそうに質問する明さんに一瞬躊躇したけど、私は正直に話した。



「うん、私も1見たよ。……実は尾関先輩に誘われて……ごめんね、せっかく明さんが楽しそうにしてるのにこんな話……」

「……そうなんだ。……ううん、話してくれてありがと。でも、誘われたってことはなおの趣味じゃない?」

「ううん、すごくおもしろいと思ったよ!そもそもこうゆう系嫌いじゃないし」

「そうなんだ!……でも2見るのは……思い出したりとかで辛いよね?」

「そんなことないけど……ただ、明さんに悪いかなって思って……」

「私は、なおが大丈夫なら見たいかな。むしろ、きみかさんとの思い出を上書きしたいし。それに、意識して避ける方がなんかムカつくし!」

「……そうだよね、じゃあ見ようか?」



 時間を見るとちょうど次の回が始まる5分前で、私たちは急いでジュースとポップコーンを買って、予告の間になんとか席に着けた。



 1が本当に秀逸でおもしろかったから、それを超えるのはなかなか難しいと思っていたけど、2はその想定を遥かに超え、しっかりホラーとシリアスを貫きながらコメディー要素も倍増していて、場内にはたびたびお客さんの色んなリアクションで沸いていた。



 明さんが見たいと言うのを断るつもりこそなかったものの、本当は見るのは少し怖かった。

 日常生活ではもうすっかり平気でも、この映画を見たら自動的に何かが蘇ってしまうんじゃないかという不安があった。



 だけど実際は、映画が始まってからエンドロールが流れる最後の最後まで、自分でも驚くほどなんにも感じなかった。





「めちゃくちゃ面白かったねー!!」



 場内が明るくなり、大満足の第一声で2時間ぶりに話しかけてきた明さんに対し、『ここがおもしろかった!ここが最高だった!』と、倍のテンションでつい熱弁してしまうほど、私は素直に映画を楽しめた。



 ほとんどの人の姿が見えなくなってからようやく退場すると、人の流れの動線沿いに、お決まりのグッズコーナーがあった。



 私たちは特に相談もせず吸い寄せられるようにそっちへ向かっていくと、指先だけ軽く触れながら、広くはないその空間をゆっくりと見回った。



 数少ない商品の全てに順に目を通していく中、ふいに見覚えのある物が目に入った。



 それは、1からのシリーズの、あのキーホルダーだった。

 見ると1では四種類だったキーホルダーは、キャラが大幅に増えた2では、倍の八種類になっている。



 2年前のクリスマス、どうしても尾関先輩とお揃いで持ちたくて、4分の1に賭けて勝負に出て見事引き当てたことを思い出した。

 でも、だからって何ってことはない。ただそんなことがあったという記憶が出てきただけで、別に胸が痛むわけじゃなかった。



 買うつもりはないまま、なんとなく八種類の中でどれが一番自分の好みかを選んでいた。すると、その隣の文具グッズを見ていた明さんがキーホルダーに気づいてもう少し近づいてきた。



「わっ!これすごいね!めちゃくちゃグロいじゃん!ウケる!」



 明さんは笑いながら私に触れていない方の手でその1つを手に取った。



「おもしろいけど、用途に困りそう!」

「……そうだよね」



 私はそう返事をして、1位に選んだキーホルダーをフックへと戻した。






 映画館を出ると、気になる洋服やさんや雑貨屋さんに立ち寄ったりして、ショッピングモールの中を二人で気ままに歩いた。

 小二時間くらい歩き回って少し疲れると、落ち着いた雰囲気のカフェでひと休みすることにした。





「そう言えばさ、アウトベースのオーナーから聞いたんだけど、きみかさん、ライブ再開したらしいよ」




 コーヒーを飲みながら突然明さんが尾関先輩の話をしてきて一瞬びっくりしたけど、無理に避けたくないんだろうと思って、私は動じずに返した。



「そうなんだ。彼女が出来て元気になったのかもね」

「え!きみかさん、彼女出来たの?」

「実際は付き合ってるのかどうかは知らないけど、こないだ店長が、尾関先輩がバイトの子から告られたって話してたんだよね。それが、私が誕生日に時に見た人じゃないかな。すごく楽しそうに仲良さそうにしてたし、元気そうだったから、それでまた歌えるようになったのかなって」



 強がりでもなんでもなく、そのままの事実を淡々と伝えると、明さんは意外にもやわらかくほほ笑んでみせた。



「……なんか変なんだけどさ、そうやってなおが普通にきみかさんの話するの、うれしいかも」

「え?どうして?」

「だって、もう大丈夫なんだなって思えるから。少し前まではなお、きみかさんのこと思い出すだけですごい思い詰めたような顔してたし、やっぱりお互いにその話題避けてたとこあったでしょ?だけど、さっきの映画もそうだけど、自然に会話の中にきみかさんの話題が出てきても、なおがいつもと変わらずに平気そうにしてくれてると安心出来るんだと思う」

「……そっか……そうだよね……私、ずっとそうだったんだよね……。ごめんね、今ならもっと明さんに辛い思いさせ続けてたんだなって分かる……」 「別に責めてるわけじゃないからね!?」

「うん、分かってる。……ほんと、自分でも驚いるんだ。こんなに平気になれるようになったんだって……。今はもう思い出すこともほとんどないし、思い出したとしても痛みも苦しみも何も感じなくなった」

「……それって、私のこと好きになったからかな?」

「うん!」

「……いや、今のは完全に言わせたやつだよね……」

「そんなことないよ!私、本当にそう思ってるから!明さんは私が先輩のことで何度しつこく乱れても、一度も責めたりしないで、愛想つかしたりもしないで、いつでもやさしく側にいてくれた……。明さんの愛が私を変えてくれたんだと思うし、明さんだから私は先輩のことを心の中から追い出せたんだと思う。……大好きだよ、明さん」



 向かい合ってまっすぐに目を見て思いを伝えると、明さんは左手で口を覆い、右手で私を制止するような仕草をした。




「ちょ、ちょっと待って……泣きそう……」

「えー?!」




 私がタオル生地のハンカチを渡すと、明さんは本当に涙を流しながら幸せそうに笑った。



 その姿を見ていると、心から愛しく思えた。もうこの人に悲しい思いはさせない。ずっと側にいよう、そう心に誓った。










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