第83話 待ちぼうけ
13時を過ぎ、14時を過ぎ、15時になった時、不安はピークに達した。
この時間まで来ないということは、本当に来ないのかもしれない。
そう思いながらも肌寒い4月のベンチで、まだかすかに残っているわずかな期待を頼りに待ち続けた。
…………7時間後
「えっ!?きみか……!?」
もうすっかり人通りがまばらになった通りの向こうから、目立つピンクの髪が再び現れた。ももは私の目の前まで来ると、
「デートの帰り?……じゃないみたいだね……」
さっき別れた時と同じ状態で私の隣に置かれた花束を見てそう言った。私はなんて返答したらいいか定まらないまま何かしらの言葉を口にしようと口を開いた。その瞬間、
「あー!尾関さんだー!」
「わっほんとだー!!お久しぶりですー!って一週間ぶりだけどー!」
現れたのは、奈央に続いて3月末に店を卒業していった渋谷さんと金城さんだった。
「久しぶり」
素っ気ない返事をしてしまったけど、この2人からしたらこれがいつもの私なので、何も気に留められることはなかった。
どこの帰りなのか、お酒でも入ってるかのように楽しそうにしていた2人は、私のすぐ側に立つももに視線を移すと少しかしこまったような素振りになった。
「……こちらの方は……もしかして尾関さんのカノジョさん……ですか?」
手のひらでももを示して渋谷さんが聞いてきた。私が否定しようとすると、それよりも先にももが答えた。
「彼女じゃないよ!ね?」
2人に向かってそう言った後、同意を求めるようにももは私の方を向いた。
「……じゃあ、ただのお友だちですか?」
何を探りたいのか、さらに金城さんが畳み掛けてくる。
「まぁ……友だち……かな」
なんとなく違和感を抱えながらも、一番妥当だろうと思い私はそう答えた。
「う〜ん……友だちって言えば友だちなんだけどぉ〜……」
すると、私の言い草に少し不服がありそうなももが、右手の人差し指をあごのあたりに当てながら一言付け加えようとした。2人は私の返事をそっちのけに、ももの発言を食い入るように聞いている。
「……なんだけど、なんですか?!」
「友だちよりももっと深い関係……かな!」
「そ、そうなんだぁ〜……」
「へぇ〜……」
ももの含みのあるような言い方に、2人は特ダネを掴んだ芸能レポーターのように私を見てニタリと悪い顔で笑った。
「ちょっと、もも!意味深なこと言わないでよ!この子たちあることないこと周りに撒き散らすんだから!」
「ひどいですよー!尾関さーん!」
「そうですよ!私たち、ないことは言わないですよ!あることしか!」
「……あのね、言っとくけど、ももとは正直まだ数えるほどしか会ったことないんだから!むしろ友だちって言えるほども知らないくらいの仲なの!」
前科のあるこの子たちに変な誤解をされるわけにはいかない。私は湾曲されることのないようはっきりと言い切った。
「……なんかそんなふうに言われると悲しいな……」
私の釈明にももは口を少し尖らせて、ふてくされ顔をした。
「ももさん、悲しいって仰ってますけど……?」
渋谷さんが煽るように言う。
「でも事実だから!全然深い関係とかじゃないから!」
「……エッチする寸前までいったのに?」
「………!!!」
ももの言葉に二人が絶句した。私も言葉にならず、代わりに
「いや!……ちょっと……それはそうじゃなくて……!」
とりあえず、とんでもないことを告白したこの爆弾娘を責めるのは後だ!私はみるみるとしたり顔になってゆく2人に向かって、弁明をしようと必死になった。
「なんで否定するの?事実でしょ?……なのにそんな突き放すように友だちどころか友だち以下みたいなこと言って……きみかひどいよ!!」
思いのほかももは傷ついたようで、初めて私に対して怒りの感情をあらわにした。
「それはその…、そうゆう意味じゃなくてさ……」
「……否定はしないってことは事実は事実なんだ……」
金城さんが独り言の感想のようにボソっと言った。
「確かに状況的にはそうゆうことがあったけど、全然2人が思ってるような関係じゃないから!!」
「そうなんですね〜……」
もう何を言っても無駄な気がした。言葉を発するだけドツボにはまる。2人の頭の中でもくもくと妄想のケムリが膨れあがっているのが、
「もぉ〜!!……」
ただでさえ散々な状況なのに、私はとことん参ってしまい、大きな声をあげて両手で頭を抱えた。
気軽に立ち去りづらい異様な空気に4人が包まれる。
そんな数秒間の沈黙を破ったのは、ももの第二爆弾だった。
「あのね、私、元レズ風俗嬢なの」
「え!!?」
十代のノンケ女子達には刺激の強すぎる単語に、2人は分かりやすく凝固した。
「きみかと出会ったのはその仕事でなんだけど、きみかはただの付き合いで来ただけでその気はなかったからエッチはしなかったの。その日はただお酒飲みながら話して過ごしただけ。でも話が合ったから、それがきっかけで友だちになって……。確かに会ったのはまだ数回なんだけど、でもね、私はきみかのこと友だちとしてすごく好きなの。なのにさっき、きみかに友だちまでもいかないみたいなこと言われたからムッとしちゃって。つい八つ当たりして2人を惑わせちゃった!ごめんね!」
なかなかの暴露話だったけど、ももの話には不思議な説得力があった。例え初対面の相手だろうと、真摯に心からの本心を口にするからかもしれない。何を言われるのかビビリながらも、私でさえ静かにももの話に水を差さずに聞いてしまった。
「分かってくれたかな?」
まだぼーぜんとする2人にももが首を傾げながら確認をする。
「な、なるほど……」
「……分かりました」
あんなに聞かん坊だった2人がすっかり大人しくなった。収まりがついたと判断したももは今度は私に向かって体を真正面に向け、
「きみかもごめんね?私、ちょっと意地張っちゃった……」
「……私もごめん、嫌な言い方したね……」
素直に謝られて、私も素直に申し訳ないと思った。色々お世話になったくせに、本当に酷い言い方をしたと心から反省した。
「……あの〜、本当にお二人は付き合ってないんですよね……?」
「おい!」
向かい合って謝罪し合う私たちの横から、まだしつこく渋谷さんが探ってきて、つい乱暴にツッコんでしまった。
「冗談ですって!ももさんのお話でよーく分かりましたから!」
「ほんとかなぁ、怪しいんだよな……マジで誰かに変なこと言ったりしないでよ?」
「大丈夫ですよ!そもそも私たちもうバイト辞めてるし、言う人いないじゃゃないですか!金城以外で店の人に会うことまずないし」
すると突然、思い出したように金城さんが口を開いた。
「そう言えば今日一人会ったじゃん!昼間!」
「あっそうだわ!」
その時、なぜかなんとなく嫌な予感がした。
「……誰かバイトの子に会ったの?」
「会ったっていうか、一方的に見ただけですけど、倉田さん見たんですよ!なんかオシャレして高そうな車に乗り込むとこ!」
「あれ、絶対彼氏とデートてすよね!?尾関さん知りません?」
「……知らない」
「あんなに仲良かったのに最近は遊んでないんですか?」
「……あんまりね。なかなか予定合わないから」
「そーなんだー」
その時、金城さんのスマホが手の中で震え、画面を確認した金城さんは渋谷さんの服のひじあたりを引っ張った。
「渋谷!席空いたって!」
「ほんと?意外と早いじゃん!」
「すいません!私たちそろそろ行きますね!」
「あ、うん……」
「ももさんもまたー!」
「うん!ばいばーい!」
2人は元気よく私とももにあいさつをすると、はしゃぎながら小走りで去って行った。
2人の姿が完全に見えなくなると、その視線の先の車道で、奈央が明ちゃんの車に嬉しそうに乗り込む姿が見えた気がした。
奈央は初めから来るつもりなんてなかったんだろうか……私との約束なんてもうどうでもよくなってしまったんだろうか……そもそも約束したこと自体もう忘れてしまっていたのかもしれない……。
私はすぐ側にももがいることを忘れ、ぼうっと考えこんでいた。
「……きみか?……大丈夫?」
「あー……うん、大丈夫」
「さっきあの子たちが話してた『倉田さん』って子が、きみかの好きな子なの?」
「……うん」
「……そっか。まだ彼氏と続いてたんだね……私、きみかが告白したって話聞いて、勝手に彼氏とはもう別れたのかと思ってた……」
「……いや、彼氏はいなかったんだよね、元々。……今日会ってたのは彼女だと思う。誕生日だったからデートに出かけたんじゃないかな、彼女の運転で………」
「え?彼女!?どうゆうこと!?相手の子、ノンケだって言ってなかった?てゆうか、そもそもきみかと約束してたんじゃないの?」
「……約束はしてたけど……してない……のかな……」
不可解そうな顔をしながら本気で私のことを心配してくれているももに、私は昔から今に至るまでの奈央との関係をかいつまんで話した。
「そうゆうことだったんだ……」
話を聞き終わったももが私に慰めの言葉をかけようと頭を巡らせているのが分かった。
「大丈夫だよ、こんな曖昧な約束、来る可能性のが低いって思ってたし」
私は気を遣わせないように言った。
「それほんと?」
「……嘘。本当は90%……99%来ると思ってた……」
「……つらいね」
「でも、自分の方がもっと相手に辛い思いさせてきたから……」
そう口にしてうつ向くと、なんにも知らずにまだキラキラと笑って咲き誇る花たちと目が合った。
「そうだ、これいる?」
私は渡せなかったその花束の紙袋をももに差し出した。
「なんで?」
「渡せなかったし、家に持って帰るのはキツイし。訳ありの花束で申し訳ないけど、すごく綺麗だしもったいないからよかったらもらってよ」
「だめだよ!人にあげちゃ!その子のことを想って用意した花束なんだから、ちゃんとその子に渡さないと!」
「いやでも、もし渡せる機会がこの先あったとしても、その頃には枯れちゃってるよ」
その言い訳が気に入らなそうな反論の目で私を睨みつけると、ももは私の左手を掴み、手首の腕時計を勝手に見た。
「まだ間に合うからいこ!」
「え!?どこに?」
「時間ないから走って!」
ももはそのまま私をベンチから強引に立ち上がらせ、無理矢理引っ張るようにして駅の方へと走り出した。
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