第82話 奈央の誕生日当日




 奈央の誕生日当日、朝からももに教えてもらったお花屋さんへ、書いてもらった地図を頼りに向かった。



 ほぼ一駅くらい歩いてようやく辿り着くと、ほとんど持ち合わせていない私の中のお花屋さんのイメージを大きく覆す店構えにカルチャーショックを受けた。



 おとぎ話に出てくるお家のように入口全てが色とりどりの花や植物で飾られていて、ある意味まるで都心の美容院並みに敷居が高く、中に入るのにはかなりの勇気がいった。



 たじろいでいる時間はないと意を決して一歩入ると、天井の高い空間に、見たことのないような花や植物たちが、まるでその場所に生息しているかのように生き生きと芸術的に並んでいた。



 その中に点在する従業員は見る限り全員が女の人で、言わなければ絶対にお花屋さんとは分からないような、夢の国のキャストのような凝ったユニフォームを着ていた。



 その光景に思わず圧倒されしばらく立ち尽くしていると、その中の一人の人が話しかけてきた。



「何かご要望ございましたらお気軽にご相談下さい」



 あきらかにオドオドしている不慣れな私を嘲笑うような気持ちなど皆無なやさしい声かけに少しほっとして、私は必要のない身振り手振りを織り交ぜながら、奈央が好きな色、青い花束というものを作れないかと相談をした。



 すると、その店員さんは迷うことなく「もちろん出来ますよ!」と100点の接客スマイルで力強く言ってくれた。

 贈る相手の性別、年頃、何のための花束かなどの質問に答えると、早速製作に取りかかる。



 私は別の店員さんに誘導され、店の一角にあるこじゃれた六角形のテーブルへと案内された。クッションなどない木の質感たっぷりの椅子に座ると、また別の店員さんが温かい紅茶を持ってやって来た。



 私のイメージする花屋の概念がバランバランに崩れ、心底、事前にももに相談しておいてよかったと思った。

 全くの丸腰でここに来ていたら、場違い感に耐えきれず私は飛び出してしまっていたかもしれない。



 高い天井からぶら下がる大きな照明を眺めながら紅茶を頂いていると、初めに話しかけてくれた店員さんが作りかけの花束を手に戻ってきて、



「青一色の中に少しだけ小さなピンクのお花を入れると、青が際立って女性らしさもより強調されるかと思うのですがいかがでしょうか?」



 と見本を見せてくれた。

 見ると本当に綺麗で、青い花の青がより輝いているように感じた。星の形をしたちっちゃなピンクの花も可愛らしくて、ひと目で奈央にぴったりだと思った。



 私は是非!とその提案を受け入れ、花束が完成すると、あまりの美しさに贈る側である自分の心まで華やいだ気がした。



 その素敵な花束の入った紙袋を持っていると雲の上を歩いているように足取りが軽くなり、気づけば行きのほぼ半分くらいの時間でいつもの見慣れた街並みへと戻ってきていた。



 きっと今日、今日一日の中のどこかで、必ず奈央は来てくれる。

 絶対に、このベンチに。



 結局、誕生日当日まで偶然奈央に出くわすことも、奈央から現れることもなかった。

 それなら、当日の今日に、約束をしたこの日に、奈央は来るつもりだと確信していた。



 それに、もし来てくれるならその場所はここしかないと、私には当たり前のように分かっていた。

 このベンチには数え切れないほど二人の色んな思い出がある。他のどの場所よりも思い入れがある。私がどこかで待つならこのベンチだと、奈央は絶対にそう思うはずだ。



 奇跡的に誰も座っていない土曜日の午前中のベンチを陣取り、私は奈央を待った。



 いつ現れるのかと思うと、心臓はバクバクを一時も止めずに打ち鳴り続けていた。



 今もなお避けられた状況の中で顔を合わせるんだから、友好的な態度で来るわけはないと分かっていても、ただ久しぶりに会えることが、生の奈央を見れることが嬉しくて仕方ない自分がいた。



 今日はきっと明ちゃんとデートだろう……。さすがの私でも、現れた奈央が「先輩お久しぶりです!じゃあ早速出かけましょうか!どこ行きます?」なんて、約束通り今日を一緒に過ごしてくれるとまでは思ってない。



 奈央が来るのは断るためだ……。

 だからせめてプレゼントと手紙だけ受け取ってもらえれば、今日はそれでいい。そして、沢山の錠と鎖でガチガチに施錠されている奈央の心の扉が1mmでも開いてくれたら……今はそんな小さな希望でも十分だ。



 そんなことを考えているうちにあっという間に午前が終わった。

 昼時になると通りには人がさらに溢れ、荷物を置いてベンチを独り占めしていることに大衆への気まずさがなかなかだったけど、どくことは出来ず、非常識を非難するような目で見られても、とにかく耐えた。



 デートが終わってから来るなんてことはまずあり得ないから、普通に考えて来てくれるならデートの前だろうと踏んでいた。



 その日一日が丸ごと大切な誕生日デートなんだから、きっとそんなに遅い待ち合わせにはしないはずだ。

 だから、もうそろそろ来ないとおかしい。もしかしてやっぱり来ないんだろうか……?義理なんてどうでもいいくらい、やっぱりもう私の顔なんか見たくないんだろうか……?



 不安で不安で、とにかく辺りを見回して、人混みの中、必死に奈央の姿を探した。

 するとその時、道行く人みんなが振り返るほどの高いトーンで、私の名前を呼ぶ声がした。



「きみかー!」



 声のした方を見ると、楽しそうに大きく手を振りながらこちらに近づいて来るももがいた。



「お待たせー!待った?」

「もも!」

「なーんてね!何してんの?」

「あ、いや……今日、例の好きな子の誕生日でさ……」

「そっか!今日なんだ!」



 ももには悪いけど、とんでもなくタイミングの悪い状況で出くわしたと思った。こんなところ、絶対に奈央に見られるわけにはいかない。

 しかもよりによって今日のももは何に気合いを入れているのか、いつにもまして派手でスカートは短く、いやらしい女に見える。

 相談に乗ってもらった恩もあるし、さすがに「今すぐ瞬時にどっかに行ってくれ!」とは言えない。 

 軽く会話を終わらせてそれとなく伝えるしかない……とテンパっているうちに、ももは空いているベンチの左側に座ってしまった。



「あっ!私が教えたお店でお花買ってきたんだー!」

「あっ、うん……」

「青い花束作ってもらったんでしょ?ちょっと見たい!」



 そう言われて見せないわけにもいかない。私は丁寧に、急いで袋から取り出しももに手渡して見せた。



「わー!こんな花束見たことなーい!ピンクのお花も入れてもらったんだねー!」



 そろそろ本当においとましてもらわないと……と、綺麗な花束を前にもものテンションが爆上がりしてるところ、私は思い切って切り出した。



「うん、店員さんが提案してくれて……。その節は本当にありがとね!あと、あのさ、悪いんだけど……」



「あっ!ブルーサルビア!私、この香り好きなんだー!」



 あぁ!!もう全然聞いてないっ!!

 まるで自分がもらったかのようにはしゃぐももを見ながら心の中で叫ぶ。



「きみかの気持ち、届くといいな……」



 すると突然、ももが真剣な顔をして、落ち着いた声で心から願うように呟いた。



「こんな特別な花束もらったらきっとその子すごく喜ぶよ……。きみかがその子のこと色々考えたって伝わってくる……」

「そ、そお……?」

「うん!今度こそ絶対上手くいくと思う!」

「ほんと……?」

「うん!」



 ももがなんの根拠もなく自信満々に言い切ると、なぜか私もなんの根拠もないのにそう思えてきて、私たちはきっとやって来るほんのちょっと先の未来を想像して笑い合った。



「あっ!きみか!笑ってる場合じゃないよ!!私と一緒にいたらだめなんでしょ?!」

「あ……うん……実はそうなんだよね……」

「早く言ってよ!忘れてたよ!」

「うん……ごめん」

「ていうか、私ももう行かなきゃだ!これからバイトの初日なの!」

「えっ、ついに受かったの?こないだのところ?」

「うん!やっとね!今日からはりきるよー私!じゃあね!きみかがんばれー!!」



 まさに嵐のようにももは去っていった。

 ももがいたのはものの5分くらい。今の一瞬に重なるなんてまさかないだろう……。再び戻ってきたピリッとした緊張感とプレゼントを抱きしめ、私は再び一人奈央を待った。








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