第79話 初めて




 私のキスに触発されたように、今度は明さんからキスをしてくれた。



 何をされるのかドキドキしたけど、いつもと変わらない優しいキスで、違うことと言えば冷えたビールのせいで手や唇が冷たく感じることくらいだった。



 安心してそっと目を開けると、明さんの大きな瞳が刺すような視線で私を見ていた。さっきまでとは違う顔に何かが始まる予感を感じながら目をそらさずにいると、少し強引に引き寄せられ、すぐにまたキスが始まった。



 今までしてきたキスは唇と唇が触れればほんの一瞬で離れるようなキスだった。なのに、十秒が経っても明さんはまだキスをやめない。

 その時、頬に添えられていた明さんの右手の親指が私の下唇を少しだけ開き、次の瞬間、感じたことのない感触を口の中で感じた。明さんの舌が私の中で私を愛してくるのが分かった。今まで何度もされたキスとは全然違う。

 どうやって息をすればいいのか分からなくて息苦しくなりながらも、求め続ける明さんを拒むことはしなかった。



 どんどん高鳴ってゆく鼓動と、込み上がる感情を抑え込むのには酸素が足りなくて、ようやく明さんの唇が離れると、私は海底から水面に這い上がったように激しく呼吸をした。



「……はぁ……はぁ……はぁ……」

「……ごめんね、大丈夫……?」

「……うん……はぁ……はぁ……」



 まだ浅めの呼吸を繰り返している私を、明さんはあったかい体で優しく抱きしめてくれた。

 よくがんばったと褒めるように後頭部を撫でながら、耳元で「大好きだよ」と内緒話のように囁く。

 そのかすかな息が耳にかかって思わずビクッとした。すると、明さんはそんな私を心から愛おしむように正面からじっと見つめて、髪を撫でていた手を頬まで下ろした。



 その目をから視線をそらせず、ただじっと固まって身をまかせていると、頬に触れていた右手は首すじをなぞり、滑り落ちてゆくようにバスローブの襟元へとゆっくりと下りていった。



 私は私のバスローブの紐を解こうとする明さんの右手を一緒に見ていた。恥ずかしさでどうにかなりそうだったけど、目を合わせているよりはましだった。



 静かな部屋にかすかな明さんの息づかいが聞こえる。ゆるく結ばれた紐は片手だけで簡単に外れ、私の体を守るロックはあっけなく解除されてしまった。

 明さんはその襟元に手をかけ、隙間を少しづつ開いていった。そして、バスローブの下の下着に気がつくと、バッと顔を上げて私を見た。



「……その……やっぱり裸は恥ずかしいし……明さん、こっちの方がいいって言ってたから……」


 

 何も言われていないのに言い訳のように私は勝手に弁明をした。すると、明さんはガバッとバスローブごと私を強く抱きしめた。



「……ほんとにかわいい……なお……」



 と呼び捨てで呼ばれた時、素直な体は小さな電気ショックを与えられたようにピクリと反応してしまった。顔を見ていなくても、明さんは私の変化にすぐに気づいた。



「……ごめんね、呼び捨ては嫌だよね……」



 悲しい顔で私の体から離れる。私は力の抜けた明さんのバスローブの裾をとっさに掴んだ。



「ううん、明さんに……なおって呼んでほしい……」



 私がそう言うと、明さんはそっと私の手を取って、その悲しい顔のまま何度も私の名前を呼びながら何度もキスを繰り返した。



 優しいキスがまた欲情のキスへと移り変わる中、体が熱を発するように熱くなってゆくのを感じた。

 さっきの無茶な一気が遅れて効き始め、私の中から恥ずかしさを少しづつ剥ぎ取っていく……。

 その時、つないでいた明さんの手に何かの違和感を覚えた。



「……明さん……?大丈夫……?」



 明さんの手は震えていた。



「やだ……私かっこ悪いね……せっかくいつも精一杯かっこつけてるのに……全然普段通りになれない……」

「……かっこ悪くなんかない……私のことでこんなふうになっちゃう明さん、かわいいです……」



 私は震える明さんの手を温めるように両手で包みこんで言った。



「なお……」



 すると明さんは火がついたように息を荒げながら私を強く抱き寄せ、そのままベッドへと押し倒した。



「……このままじゃ恥ずかしいよね?」



 そう言って慣れた手つきで片手だけを伸ばし、簡単に部屋全体をぼんやりとした薄明かりにしてみせる。



「これで少しは恥ずかしくなくなったでしょ?」

「……まだ全然明るい気がしますけど……」 



 仰向けになりながら私が本音を言うと、明さんは私の体を挟むように両手をベッドについて意地悪そうな笑みを見せた。

 目もそらせず、金縛りのように体も動かせず、唇に力を入れてただじっとその黒い瞳を見上げた。



 胸の前で固く握りしめていた両手を邪魔と言わんばかりにどかされ、ブラジャーのレースのカーブに沿って、人差し指と中指で胸元をゆっくりとなぞられた。



「だめだよ、これ以上暗くしたらなおの体が見えない……」



 明さんは私の胸に顔をうずめて深く息をし、指でなぞっていた同じ場所にキスをした。明さんの唇が自分の胸の上に沈みこむ感触を感じた。



 すぐ近くに心臓があるから、聞こえてしまうんじゃないかとさらにドキドキしていると、明さんが胸から唇を離し、心配そうな眼差しで見上げてきた。



「大丈夫……?嫌じゃない?」

「…………はい……」



 無理をしてそう答えたわけじゃないと分かって、明さんは嬉しそうにまた上へと上がってきた。そしてまだガチガチに固まった私の体を中からほぐすように、もう一度あの舌を入れたキスをしてきた。



 沢山好きにした後、左手だけはベットに押さえつけるようにしてつないだまま、私の体の上を唇が移動してゆく。首…鎖骨…肩…耳……と私の体のパーツ全てを愛していると伝えようとしてるみたいだ。



 されるがまま、受け入れることに必死になっているその間に、明さんは私のブラジャーを完全に外していた。信じられないくらい自然過ぎて、自分の胸を隠すものが何もなくなってからようやく私のはそれに気がついた。



 こんな慣れた手つきも今までの経験なんだろうと頭のどこかで考える。不思議なことに、そんな手練れの明さんをかっこよく思ってしまう自分がいた。



 どうしても手で隠そうとしてしまう私を優しく拘束して、明さんはうっとりとした表情で私の胸を観賞した。



「なお……すごく綺麗だよ……」



 そう言うと、我慢の限界のように明さんは私の胸の谷間に顔をうずめ、ブラジャーで隠されていた部分を愛し始めた。

 恥ずかしさに目をぎゅっとつぶって体に力を入れる私を落ち着かせるように、手を伸ばして髪を撫でながらも、その唇は少しづつ移動していった。



「ひゃっ!!」



 感じたことのない感覚を、感じたことのない部分で感じた。なのに、その正体が明さんの舌先だということは見なくてもはっきりと分かった。



「くすぐったかった?」



 明さんが嬉しそうに楽しそうに笑う。



「……ちょっと……」

「でもちょっと我慢してたらそのうち気持ちよくなるから……」



 そう言い残して再び私の胸を愛し始める。舌と唇が、さっきよりも少し激しく、もっと自分勝手に私をもてあそんできた。



「……めっ……明さんっ!!……」



 出来る限り耐えようと覚悟していたけど、恥ずかしさと、まだ快感とは言い難いくすぐったさで限界はすぐにやってきてしまった。



「……まだ慣れてないのにごめんね、なおが可愛すぎてつい夢中になっちゃった……」



 すると明さんは私に覆いかぶさっていた体を起こし、私の下半身にまたがったままゆっくりとバスローブを脱いでいった。私は息を止め、失礼なほどまじまじと下から仰ぐようにそれを見届けていた。



 まず肩が現れて、次に形のいい胸が、最後に縦にうっすらと線の入る引き締まった腹部が目に入ってきた。

 明さんの体は傷ひとつ見当たらない陶器のようになめらかで、オレンジがかった部屋の薄明かりよりも光を放っているように眩しかった。




「……明さん……すごく綺麗です……」



 私の言った言葉はさっき明さんがくれたものと同じだったけど、それ以外に伝えられる言葉はなかった。

 というか、私にくれた言葉なんて撤回してほしいと願うほど、初めて間近で見る大人の女の人の体は本当に美しすぎて、実際はどんな言葉も当てはまることはないと思った。

 私のそのシンプルな一言の中に、収まりきらない意味が含まれていることを悟ったように、明さんが少し得意気に笑う。

 その自信さえも魅力的で、私の前で全てを剥ぎ取ったその姿は、あんなにも光輝くスポットライトに照らされたステージ上の「メイ」よりも何倍も何倍も美しかった。



 その姿に見とれていると、明さんはまた上半身を重ねるように私に覆い被さりながら、



「なおも全部脱ごっか……?」



 と、まだ私の体に絡みついていたバスローブを取り払い、首すじに唇を這わせながらやさしい手つきで下着を脱がせていった。

 ついに二人の間を邪魔するものが一切なくなり、私たちはお互いの体だけになった。



 肌と肌だけが触れ合う。

 人の体温の温かさを私は初めて知った。

 明さんが嬉しそうに私の全身を抱きしめる。すると、反発するように明さんの胸が私の胸にあたって、そのやわらかさに溶けてしまいそうな感覚になった。

 一人の人間になったみたいに密着してるせいで、明さんの声が耳の後ろから聞こえてくる。



「女同士って抱き合ってるだけでもすごい気持ちよくない?」

「……気持ちいいです……」



 明さんの皮膚の質感を体中に感じる。あまりに落ち着いて、ずっとこのままこうしていたいと思えた。



 だから人はみんなこうゆうことをするんだと思った。きっと尾関先輩も、こうゆうことを沢山の女の人としてきたんだ……ふいに条件反射のようにそんなことを考えてしまった。すると、脳の中に無理くり割り込んで入ってくるように、尾関先輩が知らない誰かを抱く、見たことのない映像が流れてきた。そうだ、もしかしたら今はあのピンクの髪の人としてるのかもしれない…… 

 次から次へと勝手に浮かんでくる想像をかき消すように、私は明さんの求めることを与えることに必死になった。



 裸で抱き合う目の前の私が今何を思ってるかなんて何も知らずに、明さんは幸せそうに私の体に触れながら「好き……大好き……」と心から溢れ出るように繰り返す。



 明さんがそんなふうに情熱的に私を求めれば求めるほど、私の頭には私ではない誰かの体に溺れる尾関先輩の姿が映し出される。



 こんなにも愛してくれている明さんに、私はなんて酷い仕打ちをしているんだろう……。その間にもまた明さんが愛の言葉と私の名前を口にする。それが耳に届くたび、罪悪感はふくれ上がっていった。そしてついに耐えきれなくなった時、それは涙に姿を変えて体の中から表面へと出てきてしまった。



「…………ごめんなさい……明さん……」



 私に重なる明さんを両腕で引き剥がすようにして距離をとった。明さんの体に触れることさえ罪だと思った。明さんは突然の私の行動に不安な顔をしていた。



「……ごめんなさい……」



 ずるい私は自分勝手に泣くだけでまたそれしか言えなかった。すると、赤ちゃんにするくらいふんわりとした手つきで、明さんの手が私の頭をいい子いい子した。



「大丈夫だよ。分かってるから。そんなに苦しまないで……」



 その言葉に顔を上げると、泣いてる私を哀れむように、明さんも泣きそうな顔をしていた。



「私に悪いと思ってくれてるんだよね……?きみかさんのことで傷ついてる心を私で紛らわせようとしてるみたいで、罪悪感で泣いてくれてるんだよね……?」

「……明さん……」

「……いいの。それでもいいくらい、なおが大好きなの。だから泣かないで……私は今すごく幸せだよ……」



 そう言って明さんは私の涙を細く長い指で拭うと、慈しむような瞳でじっと見つめたまま、その指を下の方へと下ろしていった。私は明さんのその瞳で縛られたように動けなくなった。



「なおのこと、もっと私の物にしていい?」

「………はい」



 私が返事をするとすぐに、明さんは両手で私の頬に触れ顔をぐっと上に向かせた。膝立ちをした格好で真上からキスされると、のどの奥まで入ってくるほどに舌を入れられた。苦しみながらするキスの中、明さんの左手は同時に私の胸を愛し始めた。明さんの細くて筋肉質な二の腕を、指の後が残るくらい強く掴んで全てを受け入れた。

 私にあげられるものは全部あげたいと思った。




 その後は現実のことじゃないみたいに断片的にしか覚えていない。



 自分でしか触ったことのない場所をやさしく何度も触られて、したことのない格好をしながら何度もキスをした。



 まだ気持ちよさよりも敏感が勝ってしまう私の体を、明さんは言葉に出来ない気持ちをぶつけるように愛し続けた。永遠に続くかのような明さんの舌や指の動きで、私の体は否応なしに覚醒していった。くすぐったさも恥ずかしさと脳までもが麻痺したようになり、心に出来た空洞はそのままなのに、体は私以上に明さんを欲するようになっていった。



 自然に漏れてしまうようになった私の声に、明さんが感じていた。



「……もう気持ちよくなれるようになったの?」

「…………ん……」

「……言って?気持ちいい……?」

「………うん」



 私が肯定すると、明さんの指や舌はさらにいやらしく動いた。そのせいで五感の全てがいっせいに襲ってきて、体中のゾクゾクが止まらなくなった。



「……なお………なお………」



 明さんが耳元で呼ぶ声すら私の体に触れてきているように感じる。



「……め……明さん……好き……」



 私の口から初めて出てきたその言葉を聞くと、激しく動き続けていた明さんの体がピタッと動きを止めた。



「……私も……私も大好き……なお……」



 そう言った明さんの目は潤んでいた。



 もうその顔を見ても罪悪感は感じなかった。尾関先輩に思っていたのとは違っても、私はちゃんと本当に明さんのことを好きだと思えた。

 私のことで自分を保てなくなる明さんを心から愛しいと思えた。



 熱いくらいの明さんの腕の中にいれば、もう痛いことは何もないと確信出来る。

 今までの全てを忘れて永遠にこの愛欲にまみれていたいと本気で思った。




















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