第77話 戻れない場所まで



 車をお姉さんの借りている駐車場へ返し、私たちはそこから歩いて最寄りの駅前の方へ向かった。



 お姉さんの住む街ということで明さんはこの辺を多少知ってるらしく、「どうせなら思いっきり飲み屋っぽい所にしよーか!」と、前に一度だけお姉さんときたことがあるというお店に連れて行ってくれた。

 大きな赤地の看板には黒く太い行書の字体で店名が書かれ、その軒下には赤提灯まで掲げてある。まさに、ザ・大衆居酒屋というようなお店。



 満席に近い店内の狭いテーブルで私たちは向かいあって改めて乾杯をした。



「さっきまで洋館みたいなレストランでディナーしてたのに、今はこんなとこでイカの一夜干しツマミに日本酒飲んでるね、私たち……。大丈夫?なおちゃん、ひいてない?」

「なんで引くの?今日一日色んなことして、色んな景色見れて、沢山プレゼントももらっちゃって……私、こんなにちゃんと自分の誕生日お祝いしてもらったことないよ……本当にありがとう、明さん」



 私がそう言うと、明さんは満足そうに笑っておちょこを空にした。



「でも最近はあれだね、こうゆうところも若い人が多いんだね……って私たちも若いけど」



 別のテーブルを見回してみると、確かに意外にもお客さんの7割は若者だった。なんならバイトの子たちも若い子ばっかりだ。



「エイヒレでーす」



 ぶっきらぼうな女の子の声と同時に、注文したエイヒレがガタンッと音を立ててテーブルの上に置いていかれた。



「あ、マヨネーズのってない!」 



 明さんが重大な失態にすぐに気づく。



「ほんとだ!マヨネーズなしのエイヒレなんて考えられないよね!」



 私はエイヒレの皿を持つ手しか見えなかったさっきの店員さんを呼び戻そうと、おそらくそこへ消えたであろう柱の向こうに向かって叫んだ。



「すみませーん!」

「お、なおちゃんいい声!」



 柱の陰から「はーい」とめんどくさそうな返事が聞こえた後、ボールペンをカチカチさせながら店員の女の子が私たちのテーブルへと近づいてきた。



「ご注文ですかぁー?」

「……あ………えっと……」



 目の前まで来た店員さんに、突然言葉が詰まる。変な間があき、明さんが私に代わって対応してくれた。



「ごめんなさい!マヨネーズもらえますか?」

「あっ!すみません!すぐ持ってきます!!」



 その子は態度を急変させ、申し訳なさそうに混み合った客席を縫って店の奥へと走っていった。



「なおちゃんどした?もしかしてすでに結構酔っ払ってる?」



 嬉しそうに聞いてくる明さんに、下手な笑顔しか作れない。



「……急に何言うのか飛んじゃって……」



 とっさにそうごまかしてしまったけど、原因はお酒なんかじゃなかった。突然目の前に現れた店員さんがピンクの髪の色をしていたことに、私は言葉を無くしてしまった。



 終始楽しそうな明さんの笑顔を壊したくなくて、……いや、違う……そうゆう理由をつけて、結局私はここでも明さんに尾関先輩の話をすることが出来なかった……。





 一日動き回って疲れていたのと、色々あって煽るように飲みすぎてしまったことで、思いのほか酔ってしまった私は、店を出ると明さんに軽く体を支えられないとまっすぐ歩けないほどになっていた。



 「家の前まで送ってく」と言ってくれた明さんにまかせっきりで、タクシーのロータリーまで並んでよたよたと歩く。



「なおちゃん、大丈夫?もう少しだからね!あっ、ここの道突っ切ったほうが近道かもしんない!」



 明さんに体を預けたまま角を曲がり路地へ入ると、そこは煌々こうこうと照らされたビルが立ち並ぶラブホテル街だった。



「あっ!ごめん!!わざとじゃないから!!」



 明さんは慌てて私の手を引き、元の通りまで急いで引き返した。



「やっぱりちゃんと知ってる道行かないとダメだよね……」



 明さんは気まずそうにしながら、気持ちスピードを上げて歩く。私はその背中を見つめながらおぼつかない足取りでしばらくついて行った後、引かれた手に力を入れて、その場に留まった。



「……なおちゃん……?」



 強引に止まる私に明さんが不可解な顔で振り向く。



「…………明さんがしたいなら……入りますか……?」

「えっ!?!」



 私の言葉に、明さんは元々大きな目をもっと大きくまん丸に見開くと、私の気が触れでもしたのかと疑うように顔を近づけて凝視してきて、一気に恥ずかしくなった。



「……ごっ、ごめんなさい!今のは忘れて下さいっ!!」

「ちょっ、ちょっと待って!?」

「つい調子に乗っちゃって……昼に明さんそうゆうこと言ってたから!でも鵜呑みにしすぎですよね!私の手前あんなふうに言ってただけで、私なんかに性欲なんて湧き上がるわけないのに!」

「湧き上がるよ!湧き上がりまくりだよ!」

「いいんです!無理に合わせてくれなくて!」

「本当だって!」

「そんなわけないです!!」



 私が大きな声で全否定すると、明さんは大きなため息をつき、つないでいた手を離した。怒らせてしまったと思ったけど、何も言えずただ隣で立ち尽くしていると、小さな声で明さんが話し始めた。



「……私さ、なおちゃんのことライブに呼んだり、行きつけの店連れてったり、自分の行動範囲ほとんど連れ回してきたけど、私の部屋には呼んだことないでしょ?それ、なんでか分かんない?」



 淡々と聞いてくる明さんに、黙ったまま目で「分からない」と伝える。



「うちに連れてったら、なおちゃんのこと傷つけちゃうと思ったから……」



 明さんは今日一日見せてくれた笑顔とは全く違う顔で私を見ていた。



「なおちゃんにはそんな気ないって分かってるのに、なおちゃんのこと、無理矢理にでも自分の物にしちゃいそうで……我慢出来る自信ないから……」



 明さんは一瞬も目線を外さず私の目だけを見つめているのに、なぜか体中を見られているような感覚を覚える。



「私はしたいよ。……なおちゃんがいいなら」



 言い終わりに少しだけ照れたように一度目線を下へ落とす。でもすぐに伺うような上目遣いでもう一度私の顔を見た。その目と目が合い、私はそれに1秒と耐えきれずに思いっきり目をそらしてしまった。



「…………明さん、ごめんなさい……」

「……焦らないから……」

「そうじゃなくて……」

「どうしたの?」

「…………話さなくちゃいけないことがあるんです……」

「……うん」




 やっと取っ掛かりを話し始めたくせに、なかなか本題に入れない。



「大丈夫だよ、なおちゃん。思ってること、なんでも素直に話して?大丈夫だから……」



 明さんは、今から聞かされる私の話で自分が傷つくことになることを予期しているようだった。それなのに、それよりも私のことを心配して、励ますように「大丈夫」を何度も繰り返しては優しく笑いかけてくれた。



「もう少し向こう行こうか」



 まだ話せずにいる私の体にそっと手を添えながら辺りを軽く見回すと、明さんはこの場所よりもっと道行く人から干渉されづらい場所を探した。

 そして、少し離れたところに街灯の灯りをよけた薄がりの植え込みを見つけ、その前まで私を誘導してくれた。



 話し出す勇気がなかなか出なかったけど、待っている明さんの一秒一秒の方が私よりも何百倍も苦しいはずだと覚悟を決めて、ようやく私は声を出した。



「……今日、明さんとの待ち合わせの前に私、ある場所に行ったんです……」

「……うん」

「……実は、まだバイトしてた頃、尾関先輩に二十歳のお祝いをしてほしいってお願いして、誕生日の日に約束してたんです……。その約束がそのままだったことを最近思い出して、……元はと言えば自分から頼んだことだし、断るならちゃんと伝えなきゃいけないって思って……」

「……うん」

「尾関先輩のことだから、どこかで待ち伏せしそうな気がして……いるならここだろうっていう目星の場所に行ったんです。……そしたら尾関先輩がいて……。……でも先輩、知らない女の人といて……待ってたのは私じゃなくて……その人で……でも、……私、先輩に……」



 もっとちゃんと説明しなきゃいけないのに、話している途中から涙とひきつけのような呼吸で、言葉がそれ以上出なくなってしまった。



「……もういいよ、なおちゃん、無理しなくて……。もう分かったから……」

「でも……ちゃんと……話さないと……」

「……いいの。大体分かったし、それに初めから気づいてたから」

「…………え?」

「今日、もしかしたらきみかさんのことで何かあったんじゃないかなって、会った時から思ってた」 

「……どうして?」

「なおちゃんの変化に私が気づかないわけないじゃん。無理して明るく振る舞ってたし、いつもよりいっぱい喋ってくれてたしね」

「……気づいてたのに……どうしてこんなに優しくするんですか……?」

「……それでも好きだから。なおちゃんがどこを見てても、私はなおちゃんが好きだから」

「…………」

「……それに、一生懸命無理して笑ってくれてるのは私のためだって思ったし。なおちゃんはやさしいから、私のこと傷つけないようにしてくれてるんだなって……」

「……私、やさしくなんかない……救いようがないくらい酷くて汚い人間なんです……。明さんと付き合って、尾関先輩のことはもう忘れるって言ってたくせに、本当はきっとずっとどこかで、戻れる可能性を捨てきれてなかったんです……。だから……明さんとそうゆう関係になるのも、自然と避けようとしてたのかもしれない……。だけど、今日、知らない誰かとデートしてる先輩を見て、本当に思ったんです……戻れるかもしれないなんてこと、もう二度と、欠片も思わないようになりたい……。心も体も全部明さんの物になって、先輩の元へ戻れる可能性を、完全にゼロにしたいって……。だから、さっきあんなこと言ったんです……。明さんの気持ち分かってるのに……本当にずるくて最低でごめんなさい……」



 明さんは瞬きもせずにただ黙って私を見ていた。今まで見たことのない表情で、怒ってるのか、傷ついてるのか、それともそれ以外なのか、その心が全く読み取れない……。



「…………分かった」 



 その言葉の意図が分からず、次の言葉を待つ。



「なおちゃんが、きみかさんの元にはもう絶対に戻れないって思えるところまで、私が連れてってあげる……」












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