第76話 約束のデート
結局、待ち合わせの時間より10分も早く約束の場所に着いた……。
車が停車しやすそうな大通り沿いの歩道で明さんを待つ。
そう言えば、尾関先輩と香坂さんのキスを目撃したあの夜も、こんなふうに明さんを待っていた。
私はバッグから小さな鏡を取り出して、気が進まないながらも自分の顔を確認した。予想通り、見るに耐えない酷い顔をしていて、明さんがまだ来てなくて本当によかったと思った。
スマホの時計が、12:59からきっかり13:00へと変わったまさにその時、私の横に少しくすみがかったブルーの車が止まった。
「お待たせ!なおちゃん!」
運転席のドアが開くと、私の誕生日に一段とオシャレをしてきてくれて、いつもより大人っぽい雰囲気をまとった明さんが現れた。
「明さん!」
「ギリギリでごめんね!待った?」
「ううん!全然!」
私は思いっきり明るい声で思いっきり元気に笑って答えた。そこまでしないと保っていられる気がしなかった。
明さんに促されて助手席に座る。お姉さんが買ったばかりという車の中は、ついさっき納車されたばかりのようにどこもかしこもピカピカで新しい匂いがした。
「すごーい!想像以上に新車だね!」
「そうなの、私もびっくりしちゃった。仕事忙しくてまだお姉ちゃんも一回しか乗ってないんだって」
「えっ!そうなの!?……そんな車に私なんかが乗っちゃって……」
「いいの!いいの!てゆうか、一番大事なことまだ言ってないね!ちょっと待っててね!」
明さんはそう言い残し、練習後の疲れを全く見せない軽い動きでもう一度外へ出ると、車の後方へ回ってトランクを開けた。すぐにバンッ!と、トランクの閉まる振動をシートに感じたその数秒後、戻って来た明さんは取りに行った物を私の膝の上に乗せた。
「二十歳の誕生日おめでとう!なおちゃん!」
私の目の前には、高級なお店の開店祝いに送られるほど豪華な花束があった。
「…………」
「……なおちゃん?」
ぶわっと溢れ出るように涙が出てきて、お礼の言葉も伝えられずに両手で口を塞いだ。
明さんはこんな私なんかに、こんなにも素敵な花束をくれる……。本当に心から嬉しかった。……だけど、それがこの涙の理由ではないことは、自分でもちゃんと分かっていた。
「そんなに感激してくれるなんて思わなかった!よかった!やっぱり花束も用意して!」
「…………ありがとう」
嬉しそうに笑う明さんを見る。自分の最低さに苦しくなる。なのに明さんはそんな私をなだめるように優しく髪を撫でてきて、胸がいっぱいになった。
「また帰りに渡すね」
大切にもう一度花束を受け取って再びトランクへと戻すと車は発進し、デートが始まった。
今日の予定は事前に明さんが色々と考えてくれていて、全ておまかせのデート。
東京から少しだけ車を走らせ、道中海沿いの綺麗な景色を見つつ、食べ物も空気も美味しい、ちょっとした観光地へと向かうらしい。
一番近い入口から高速に乗ると、道は異様なくらいに空いていて、すごい速さで私たちは都会から離れていった。
「出発が遅い時間だったからどうかと思ってたけど道空いててよかったー」
「ほんとだね!ぐんぐん進むね!」
雰囲気を壊さないよう私は無理矢理に涙を乾かし、いつもの自分を心がけた。数十分ほどで早速遠くの方に海がちらっと見えてきた。いつもとは違うデートが、少しだけ不器用な私の後押しをしてくれる。
「わー!!明さん!海だよ!!」
「ほんとだっ!久しぶりに見たー!」
「私も!なんか久しぶりに見ると感動するね!」
少しでも会話が途切れて間ができると、尾関先輩のことを考えてしまいそうで、私は車中、不自然なほどにずっと明さんに話しかけていた。
あきらかに変なテンションかもしれないけど、誕生日のドライブデートでいつもより気分が上がってるんだろうと思ってくれるんじゃないかと、密かに期待した。
一方で、さっきの出来事を必ず後で話さなきゃいけないという重い荷物も同時に心に抱えていた。
その時が来た時、明さんを前に心を乱さずにちゃんと説明が出来るか全く自信がなかった。
それに、上手に説明出来たとしても、少なからず明さんを傷つけることになるだろうという心苦しさも加えてまとわりついていた。
とにかく、ちゃんと話すまでは何かを思い悩んでる様子を少しでも見せちゃいけない。せっかく明さんが計画してくれたデートを台無しにするわけにはいかない。
そう肝に銘じて心にフタをし、終始明るく振る舞い笑顔を絶やさないようにした。
もうしばらく進むと、遠くに見えていた海は姿を消してガラッと景色は変わり、高速道路の両側は森のような緑になった。
「あっ!明さんあれ見て!!あそこ、森の中にシンデレラ城みたいなお城があるよ!」
「ん?………あー、うん、そうだね……」
「小さい遊園地でもあるのかな?私、ディズニーランドみたいな大きな遊園地も好きだけど、地元の人しか来ないようなちょっと
「…………じゃあ、あそこ行ってみる?」
「うん!行きたい!」
「……あのさ、それって、なおちゃん
「……え?なになに?どうゆう意味?」
「……だよね。なおちゃんがそんなことするわけないもんね……」
「……?……明さん、何言ってるの?」
「…………あのお城さ、遊園地じゃなくてホテルだよ。ラブホテル」
「……え………」
「まさかと思いながら一瞬遠回しに誘ってくれてるのかなって期待しちゃった」
「なっ、なんでホテルだってわかるの!?もしかして明さん、あそこ行ったことあるの?」
「ないない!あそこはないよ!」
あそこはという言い方に、もちろんそうゆう経験があって当たり前に分かっていたことなんだけど、初めてそれをリアルに感じて戸惑った。
「……都心から離れるとさ、あーゆう派手なラブホテルって良くあるんだよね。ホラ!あれ見て!」
明さんの指差す方向を見ると、今度は森の中に豪華客船のような建物が違和感たっぷりにそびえ立っていた。
「あれもラブホテルだよ。こうゆうところって高速からでも目を引くようにインパクト重視の作りにしてるんだろうね」
「……そ、そうなんだ……」
明さんとはキスはしても、それ以上のことはしたことなかったし、そうゆう話すらしたことはなかった。
付き合ってたらそうゆうことをするものだってことを考えたことがなかったわけじゃないけど、明さんは私に無理強いしたりなんて絶対にしない人だし、そもそもまだそこまでのことを私に求めてるなんて思ってなかった。
あからさまに動揺が表に出て、ごまかしの言葉も浮かばず、単純な返事しか出来ない。
「大丈夫だよ、なおちゃん。そんなにビビらなくても。そんな簡単に手出したりしないから」
「えっ……」
「まぁ正直、どっちかって言うと私、本当はすぐ手出しちゃうタイプなんだけど、なおちゃんは特別だから。なおちゃんのことは本当に大切だから、欲望に負けて適当なことしたりしないから……だから安心して」
そう口にしながらも、明さんのその横顔はいつもと少し違うように見えた。
「……あの……明さんは、そうゆうことしたいって思うんですか……?……その……私と……」
「ハハッ!久しぶりの敬語が出たね!」
ふいに出た動揺を指摘されて恥ずかしくなりうつ向いた。
「なおちゃんのこと大好きだもん。そりゃしたいって思うよ……キス以上のことも……」
「…………」
「でもさ!今日はこうゆう話はもうやめよ!誤解しないでほしいんだけど、そうゆうことしなくたって私はなおちゃんといるだけでめちゃくちゃ幸せだし、めちゃくちゃ楽しいんから!」
「…………うん」
「じゃあとりあえずさ、かなり遅くなっちゃったけど、お昼ごはん食べよっか!いい加減にお腹ペコペコだよね?」
「……うん」
「もう少しで予約してるお店に着くからね!お昼は極上寿司だよ!なおちゃんお寿司好きだよね?あ、でもまさかの今日はお寿司気分じゃないとかだったりする?」
「明さん、お寿司の気分じゃない日なんてありませんよ!」
「よかったー!じゃあいっぱい食べよーね!」
話題が変わると明さんはいつもの顔に戻り、私は安心を取り戻した。
お昼ごはんを済ませると、またもう少し車を走らせ、今度は森の中にあるガラス細工とオルゴールの博物館へ行った。まだ付き合う前にほんの一言私がそうゆうのが好きだと話したことを明さんは覚えていてくれて、今日のデートのメインに選んでくれたらしい。
童話の中に登場しそうな雰囲気のある博物館は、そこまで大きくはないけど私には心躍る空間で、小さなガラスの置物や美しいオルゴールの音色たちに囲まれていると、自分を取り巻く状況から少しだけ解放された気がした。
私ほどの興味はないだろう明さんだけど、一つ一つに長い時間魅入ってしまう私に文句一つ言わず、ひたすら側に寄り添い付き合ってくれていた。
「ごめんなさい!明さん!すっかり夢中になっちゃって……」
ようやく全てを見終わり気づけば、博物館に着いてから2時間近くが経過していた。
「全然いいよ、私も夢中になってるなおちゃんを見て楽しんでたし!それに、思った以上に楽しんでくれて、ここ選んでよかった」
「私、本当にこうゆうの好きだから。……ありがとう、明さん。色々考えてくれて……」
「ううん!ねぇ!せっかくだからさ、今日の記念になんか買ってあげる!」
「えっ!!いいよ!結構な値段するし!」
「全然しないじゃん!てゆうか今日は大事な誕生日なんだから、今日くらい遠慮しないで買わせて?」
「………う、うん……ありがとう」
申し訳ないながらも明さんが絶対に引かない様子だったので、笛を吹く小さなうさぎのガラス細工を選んだ。
すると明さんは、「それだけじゃダメだよ!やっぱバンドメンバー全員揃ってないと!」と言って、結局私が選んだ、動物たちがいろんな楽器を演奏している『山の音楽隊』というシリーズのセット一式を買ってくれてしまった。
重厚感のある会計の奥には階段があって、2階はカフェになってるらしく、休憩がてら私たちはお茶をすることにした。
2階へ上がるとそこは、異国の古い家のリビングのような空間になっていた。天気もよくてそれほど寒くもなかったので、森の中に浮いているようなバルコニーの小さなテーブル席を選び、二人して『おすすめ』と書かれたベビーリーフティーを頼んだ。
姿は見えないけど、聞いたことのない鳥の声が常に呼応するように響いていて、その鳴き声がまたさらに私を現実から遠ざけてくれた。
「なんかいいね……たまには都会から離れるっていうのも……」
明さんが眠ってしまいそうなほど目を細め、森の中のどこともない場所を眺めながらつぶやいた。
「……うん……なんか癒やされるな……」
そう言ったのは嘘じゃなかった。
どんなに紛らわせようとしても実際は、明さんと会ってからもずっと、心は尾関先輩のことでぐちゃぐちゃのままだった……。
だけどこの場所に来て澄んだ空気の中でゆったりとした時間を過ごしていると、本当に少し息がしやすくなったような気がした。
「……もう太陽が落ちるね」
「ほんとだ……」
ピンクとブルーの混じったマジックアワーの空が美しすぎて、人間には作り出すことの出来ない移りゆく色を、言葉もなくただ見つめていた。
「なおちゃん……」
「あっ、ごめんね?なに?」
ぼーっとする私に話しかけた明さんは、可愛らしいタイルのテーブルの上、金色のリボンのかかった小さな紺色の箱を置いた。
「これ開けてみて」
「……もしかして、誕生日プレゼント……?」
「うん」
与える側の明さんが嬉しそうに笑う。
「お花ももらって、ついさっきもガラス細工買ってもらったばっかりなのに……」
「お花は『おめでとう』のあいさつだし、さっきのは記念のおみやげ。これは、ちゃんと今日のために選んで買ってきたものだから」
「……ありがとう」
私は素直にお礼を言って、しっかりとはまった箱のフタをゆっくりと開けた。
「……腕時計!?こんな高そうなもの!!」
「大丈夫!ほんとにそこまでしないから!着けててなおちゃんが周りから嫌味に思われないように、店員さんにちゃんと相談して、年相応くらいの選んだから!」
「ほんとに?」
「ほんと!ほんと!」
私は恐れ多いながらそっと箱から腕時計を出した。普段腕時計なんておもちゃみたいな安物しかしたことがなく、デザインも、衝撃への強さを重視したようなゴツゴツのものしか持っていない私には、銀色に輝く華奢なこの腕時計は、大人の女性しか身に着けることを許されない
「……こんな素敵な時計……したことないよ……私なんかにこんな……」
「なおちゃんの学校始まっちゃって、今までみたいにしょっちゅう会えなくなっちゃったでしょ?だから、会えない時も自分の代わりになおちゃんの側にいられるものを……って思って、腕時計にしたの。これ見て私のこと思い出してくれたら嬉しいなー?って。……って、めちゃくちゃ自分よがりのプレゼントでごめんね!」
「……ううん、すごい……嬉しいよ……」
明さんがそんなことを考えてくれていたことが本当に嬉しかった。でも、その純粋な想いが今は身を切り裂くように胸に突き刺さって、痛くて仕方ない。
「でもちゃんと実用性もあるよ!実務研修先で水仕事が多いって言ってたから、防水レベルの高いやつにしたの。こう見えてこの時計、つけたままお風呂に入っても大丈夫なくらい水に強いから!」
「そうなの!?すごいね!」
「……本当は、夜景を見ながらデートの最後に渡すつもりでいたんだけど、なおちゃんとここから落ちてく夕日見てたら、今なんだかすごく幸せだなぁ……ってしみじみ思っちゃって、唐突に予定変更で渡しちゃった!」
明さんはすぐ側にいる私が一日中尾関先輩のことばかり考えるなんて何も知らないで、本当に幸せそうに微笑んだ。
「ねぇ!着けてみて!」
「あっ……そうだよね!うん!」
私は泣いてしまいそうな顔を、都合よく腕時計をはめるためにうつ向くことで隠して、明さんに気づかれないようにした。顔をあげられない私は、そのまま自分の左手にある腕時計をもう一度よく見た。
「すごいよく似合う!」
「……ありがとう。ほんとにかわいいね」
さっきまで気づかなかったけど、時計の文字盤部分には、小さな青い石が埋め込まれていた。明さんと私の選ぶものは服でも雑貨でも、惹かれるものはかなりテイストが違う。でも、この時計は本当に私の好みのデザインだった。
きっと、私といない時もずっと私のことを考えてくれているんだと、時計を見ていると明さんの気持ちが、伝わってきた。私がいなくなったらすぐに他の人とデートをする尾関先輩とは違う。
先輩はきっと、今のこの瞬間も私のことなんて思い出すことすらなく、きっとあのピンクの髪の女の人と過ごしてるんだろう……。
明さんにもらった腕時計をしながら、まだ尾関先輩のことを考えてる自分が本当に嫌になった。
「……さすがに冷えてきたね、そろそろ行こっか」
「うん……」
本当は他にも色々と行くところを考えてくれていたみたいだけど、私が予想以上に博物館で時間を使ってしまって、もうこれから別の場所を回るには遅くなりすぎてしまった。
明さんは「また来れる楽しみが出来た」と、私を気遣って笑ってくれた。
駐車場を出た時はまだギリギリうっすらと赤みがかっていた空は、車を走らせて5分もしないうちに真っ暗な夜の空へと変わった。
抜かりのない明さんはディナーのお店ももちろん予約してくれていて、高速を乗らずにそのまま30分ほど緑に囲まれました道を走り、温かいオレンジの光でライトアップされたレンガ作りの一軒立ちのレストランの駐車場に車を停めた。
今日の締めくくりの食事をしながら、明さんが残念そうにぼやく。
「今日、一つ失敗したなぁー……」
「なに?」
「せっかく二十歳の誕生日で堂々と外で飲めるようになったのに、車で出かけちゃったから飲めなかった!なおちゃんのお酒解禁セレモニーしたかったのに!私バカだわー」
「そっか!そう言えばそうだね!なんなかんだしょっちゅう飲んでるから自分でも忘れてた!」
「また今度やろ?」
「うん!」
食事を終えて帰りの高速を走っていると、もう時刻は21時を越えていた。ふと窓の外を見ると、行きに見たお城のラブホテルが見えた。
暗い木々の中、昼とは全く雰囲気を変え、いかがわしいピンクの光が城壁を各方向から照らしている。これならいくら私でもさすがに分かると思ったけど、口にはしなかった。
「ねぇ、なおちゃん?」
そんなタイミングで突然明さんが話しかけてきたので、思わずビクッと肩が上がってしまったけど、明さんはそれには気づいていない様子だった。
「な……なに?」
「あのさ、やっぱり少しだけ飲まない?」
「えっ」
「このままお姉ちゃんとこの駐車場に車返してさ、近くで少しだけ。ちゃんと帰りタクシーで送ってくから。……疲れちゃってそんな元気ないかな?」
「あ、ううん。私も……せっかくだし少し飲みたいかな……」
「ほんと!?じゃーいこ!!」
私が明さんの提案に乗ったのは、本当はお酒が飲みたいというよりもまだ帰るわけにはいかないからだった。
後半からはどこかで話さなきゃとタイミングを見計らっていたけど、結局話を切り出せず、もう別れの時間になってしまって内心すごく焦っていた。
汚い私は、明さんがくれたその最後の機会を、告白の場として利用しようと考えていた……
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