尾関 きみか
第70話 あきらめない
バイト上がり、ほぼ満席の葉月のカウンターで、あんなさんと飲んでいた。
「あ〜あぁ〜……奈央今頃なにしてんのかなぁ〜?……」
「明ちゃんとチューでもしてんじゃない?」
「おい!」
「おい、誰に向かって『おい!』って言った?」
「……す、すみません。でも、こんなに落ち込んでるのにそんなこと言わなくたっていいじゃないですか……。てゆうか、あんなさん私に謝ってましたよね?自分の責任感じて。なのによくそんなこと言えますね」
「でもお前、あんなさんは悪くないし自分のせいだって言ってたじゃん。で、よくよく考えたらたしかに私はなんにも悪くないし、こうなったのは結局尾関自身のせいだなって思い返した」
「……ぐうの音もないじゃん……」
私はふてくされて小さなグラスに入ったビールを飲み干した。
すぐ目の前にいるえなさんは、カウンターの中を忙しそうに右へ左へ動いている。10人以上のお客さんを相手に一人きりで回していて、とても話が出来る状態じゃない。
「いよいよバイトとか入れないとえなさん大変そうですね」
「うん……ちょっともうまじで限界だよな……」
話しかけることすら邪魔になると思い、私たちは情けなくただえなさんを目で追っていた。
「……やば、かわい……」
額の汗を美しくハンカチで拭う姿を見て、あんなさんが思わず声に出した。すると、その小さな呟きに気づいたえなさんはチラッとあんなさんを見て微笑んだ。言葉を交わさず数秒間見つめ合う二人を交互に見る。
「ちょっと!失恋ど真ん中の人間の前で見せつけないでよ!」
「あー、ごめん、ごめん、ついね」
「……はぁ……羨ましすぎ……」
「ねぇ、今何が一番辛い?」
「会えないこと」
「それ?」
「そうですよ、だって奈央がバイト辞めるまではなんだかんだでしょっちゅう顔見れてたのに、今もう3週間も会ってないんですよ?出会った日から初めてかも、こんなに会ってないの……。しかも日々記録更新中だし。どうしよう、このまま一生会えなかったら……」
「同じ街に住んでるんだから、どこかで会うこともあるでしょーよ」
「でも、すごいすれ違いまくりなんですもん。こないだ私のバイトしてるライブハウスにも来てたみたいなんですよ、私がいない日に……。まぁ明ちゃんのライブに来たみたいだから、そこで顔合わしても鬼ですけど……。それに、葉月にだって来てるんだろうけど全然会わないし……」
「そういや、ついこないだ店にも来たみたいよ?ロッカーに忘れ物してたみたいで取りに。私いなかったけど」
「えーっ!?なんで教えてくれないんですか!?」
「お前に会いたくないからってわざわざお前のシフト私に確認してから来てんのに、教えるわけないじゃん」
「……それは言っちゃうんだ?……ていうか、やっぱりガッツリ避けられてるんですね……私」
「そうだよ」
あんなさんは悪びれもせず、全くイントネーションのない返事をした。
「……いっつも私のいる反対側にいて、これじゃもはやブラジルにいるのと同じですよ……」
「直接連絡すればいいじゃん」
「だって、もうするなって言われたから……」
「それを律儀に守ってんじゃないよ、お前ってそうゆうベス的な習性あるよね?そう言われたって無視して連絡すりゃいいのに。案外待ってるのかもしれないじゃん!」
「だめですよ!それは絶対……。余計なことしてこれ以上嫌われたくないし……」
「ビビリめ」
「……てゆうか私、思うんですけど……」
「ん?」
「連絡も取れないし、会えもしない人を振り向かせるって、それってもはやイリュージョンの域じゃないですか?」
「うーん、そうだなぁ……連絡するのもダメ、会うことも出来ないとなると…………残された道はもう『念』だな!」
「念?」
「遠くからでも念は飛ばせるじゃん。『好き』って念じて送るんだよ、倉田ちゃんに」
「……モールス信号じゃないんだからさ、万一届いても念は解読不可能でしょうよ、せいぜい『なんかピーンときた!』程度でしょ」
「でもやってみようよ!」
「え?」
「いいから、一回だけ!一回だけでいいからやってみて!!お願い!!」
「……やるったって、どうやってやるんですか?」
「どうやったっていいんだよ、念にルールなんてないの!尾関なりの念じ方でいいの!」
「私なりの念じ方って……じゃあまぁ……こんな感じかな……」
私は目をつぶり、忍者がドロンする時の両手の構えを再現した。そしてその指先をおでこにつけて、『奈央に会いたい!!』と強く念じてみた。
…………カシャッ……
ん?
「やばい……まじで念じてるわ、コイツ……ウケすぎる……」
シャッター音で目を開けると、隣のあんなさんは大声で笑ってしまいそうになる口を両手で抑え、悶え苦しむようにジタバタしていた。
「ちょっと!!何撮ってんですか!!てか、騙したな!?」
「いいから!いいから!これ見てごらん、尾関!めっちゃおもしろいから!元気出るから!」
あんなさんは近すぎるくらいの距離で、私の顔面にスマホの画面を向けた。
「どお?自分が念じてる姿って……」
「…………」
「ねぇ、なんで忍者になったの?これ、なんの忍法なの?『忍法、奈央好き!』の術なの?」
恥ずかしさに言葉も出ない私の肩をバシバシと叩きながら、あんなさんは奇声を上げて大笑いした。
「ほんと酷いわ……それちゃんと消して下さいね!」
「やだよ!すんげぇーいい
「……本物の悪魔だな」
「あっごめん、そういやおじいちゃんもうとっくに死んでたわ!」
「……そこまでいくと、本気で地獄の最下層行きですよ?」
「上等だし!あーおもしろかったぁー!てゆうかお前のせいで一気に疲れたんだけど」
「勝手だな!」
「まぁ飲めよ」
あんなさんは満足した様子で私のグラスにビンビール注いでくれた。
「まじで念じちゃうくらい会いたいならさ、いっそストーキングでもすれば?」
「……それいいじゃないですか!」
「おい……まじでやんのかよ……」
「いや、そうゆうヤバいのじゃなくて、もっともっと頻繁に葉月に通えばいいんだって思って!そしたら絶対にいつか会えるでしょ!奈央から言われたことも一応守ってるし!」
「……まぁー、可能性はなくはないけどね……」
いいアイデアだと思ったのに、あんなさんは不可解な反応を見せた。
「なんですか?そのローテーションは」
「……それじゃあ尾関ちゃんはこれからうちで奈央ちゃんのことを待ち伏せするつもりなの?」
そこで、4、5人のお客さんが一組帰って一息ついたえなさんが、私たちの会話に入ってきた。
「えなさん!」
「えなー!おつかれさま!」
「ごめんね、バタバタしちゃって二人のこと後まわしにしちゃって……」
「いいんだよ!」
ちょうど空いたビンビールを下げて新しい1本を出してくれたえなさんに、話の続きをした。
「私がしょっちゅう来たら迷惑ですか……?」
「ううん!まさか!そんなことはないんだけどね……」
そう言いながらも、到底歓迎してるとは思えない苦めな表情を浮かべる。
トゥルルルル……
その時、えなさんのスマホが鳴った。
「あっ、ちょっとごめんね!」
画面を見るとえなさんはその場で後ろを向き、小声で電話に出た。
「……あ、もしもし?なおちゃん?」
それでも特徴のある通りのいいえなさんの声はしっかりと私の耳に届いた。
「えっ!!あんなさん!!電話!奈央からですよ!!まじでさっきの念が届いたんじゃないですか!?」
「………お、おい……まじか」
「奈央、もしかして今から来るつもりなんじゃないですか!?」
「うーん……」
私はドキドキしながらえなさんの受け応えに耳をすませた。
「……うん、そうなの……。うん……うん……そうだよね……分かった。うん、大丈夫!じゃあ、また今度ね……!」
「…………え?」
ふと右を見ると、あんなさんは全てを予見していたように、仏像みたいな細い目で前を見据えていた。えなさんは電話を切り、またこちらに向き直ると軽いため息をついた。
「……ごめんね、尾関ちゃん……」
「……え?あの……今の奈央ですよね……?今から行く的な電話じゃないんですか?……奈央、来ないんですか……?」
「……あのね、尾関ちゃんが葉月に通ってくれても、なおちゃんには会えないと思う……」
「避けられてるのは分かってますけど、バッタリ会うことはあるかもしれないし!」
「……それもないの」
「どうして!?」
「私、なおちゃんのスパイなの」
「えなさーーーんっ!!!」
私はグラスをカウンターに打ちつけるように置いてえなさんの目を見て叫んだ。
「なおちゃんが来る時はいつもまず先に連絡があって、私は今尾関ちゃんがいるかはもちろん、バイトのシフト情報も踏まえて、この後来るかどうかまで予想してなおちゃんに伝えてるの。……だから会うのは本当に難しいと思う」
「えー……そんなことって……」
自分には全く関係ないと言わんばかりの表情でビールを飲むあんなさんを見る。
「あんなさんもグルじゃなんですか!?」
「私は別にグルじゃないよ?えなに尾関のシフト教えてるだけで」
「いや、それグルじゃん!」
「そりゃ教えるだろ、えなに聞かれたら何でも。私とえなの仲なんだから」
「まぁ……それは……そうですよね……」
「でも私は別に倉田ちゃん側ってわけでもないよ?中立……っていうか、むしろ尾関寄り」
「ほんとですか?!」
「だって倉田ちゃんにはえながついてるから、お前には私がつかないとバランス的に不利じゃん」
「あんなさーん!!……で、じゃあこのスパイの鉄壁はどう崩したら……?」
「それは知らん」
「えー!?……向こうと違って頼りになんないセコンドだな」
「へぇ〜?そんなこと言っちゃうんだ〜?」
「ちょっと!その1本箸を逆手で握るやつやめて下さいよ!本気で怖いんだよ!」
「こら!あんなちゃん!そんなことしてお箸が折れたら手を怪我しちゃうでしょ?」
「ごめーん、えなぁー。つい恩知らずのレズの暴言で頭に血が上っちゃって……」
「……てゆうか、えなさん?……あの、私は?……私、刺されそうになってたんですけど……?」
「……私、ちょっと尾関ちゃんに怒ってるからね!」
「えっ!そうなんですか!?なんで!?」
「だって……なおちゃん、すごく幸せそうにしてたんだよ?あの日の前日まで……。あの時のなおちゃんを思い出した後に尾関ちゃんの顔を見ると……ごめんね……なんか…すごく、フツフツと胸の中が……」
「ハハハハッ!!お前、ついにえなにも嫌われたな!」
「……まじですか……」
「嫌ってないよ!ただただ純粋な憎しみを抱いてるだけ」
「そっちのが怖いわ!あんなさんよりえなさんに刺されそうじゃないですか……」
「……尾関ちゃんにも色々事情があるんだって分かってるんだけど……やっぱりどうしてもなおちゃんが可哀想に思えて……」
「……えなさんに憎まれても仕方ないでよ、本当に自分のせいですから……」
「…………」
「フラれた時はとにかくショックで、しかも明ちゃんとすでに付き合ってるって聞いて、もう本当になんて言っていいのか分かんないくらい辛いって思ったけど、だけど……今はもう少し、違くて……。これでよかったのかもしれないって思う部分もあるんです。もちろん、事実としては受け入れ難いけど……でも、奈央が今してることって、全部私が奈央にしてきたことだから……。だから、私が今苦しいのも当然の報いなんですよね……。奈央を傷つけた分、奈央よりもっと傷つかなくちゃいけないんです……」
「…………尾関ちゃん」
「でも不思議で……。今、明ちゃんといるのかなって想像するだけで苦しくて仕方ないのに、苦しければ苦しいほど嬉しくも思うんです……。こんなに苦しい中でも、奈央はずっと変わらずに私を好きでいてくれたんだなって思うと、それがどれだけすごいことか感じて、本当に嬉しいなって……。そんなにも自分を愛してくれる人がこの世にいるんだなぁって……。だからめげないで何度も伝えようと思ってます。信じてもらえなくても、信じてもらえるまで、私には奈央だけだって……」
「………私もね、本当は今だって二人がそうなったらいいなって願ってるんだよ?……だけど、今なおちゃんは自分で一生懸命考えて選んだ道を進んでるから、それを尊重してあげたくて……。だから、私の希望とはそぐわないこともするけど……本当になおちゃんのことが好きなら、がんばってね!尾関ちゃん!」
「はい!」
「でもさ、もし倉田ちゃんに運よく会えたとしてどうすんの?また告るの?」
「いや、行き当たりばったりで同じように言葉ぶつけても今の奈央には届かないと思うから……」
「……じゃあどうすんのよ?」
「じゃーん!」
私はバッグから白い封筒を出して頭上に掲げて見せた。
「なにそれ?」
「……手紙?」
「そうです!奈央への想いを綴った、人生初のラブレターです!」
「ちょっと見して?」
眉間にしわを寄せながら覗き込むあんなさんの手に封筒を乗せた。
「おっも!!何枚書いたんだよ!」
「数えてないけど…20枚くらいにはなってるかも……」
「重いし重いわ!」
「しょうがないんですよ、伝えたいこと書いてたらこうなっちゃったんだから」
「もう少しまとめろよ……」
「これでもだいぶまとめた方なんですよ」
「あとさ、なんかちょっとすでに封筒が年季入ってるんだけど?……角とか若干折れてるし……」
「だって、いつ会っても渡せるようにいつも持ち歩いてるから。でも大丈夫です!中身はちゃんと読めるし!これ読んでくれたら少しは伝わってくれるはずです!めっちゃ気持ち込めましたから!!」
「でもなんかお手紙って素敵だね」
「さすがえなさん!分かってくれますね!」
「今の時代なかなか手書きのメッセージなんて目にしないもんね。それに、本当に気持ちが入ってる感じがするし。なおちゃんもそうゆうの喜びそうだなぁ」
「ほんとですか!?そうゆうこと狙って手紙を選択したわけじゃないけど、そんなふうにえなさんが言ってくれると心強いです!」
「じゃああとは会えるの待ちかー」
「……そうなんですよね、結局肝心なのはそこなんですよね。会えなきゃ意味ないっていう……」
「……そういや、来週うちで送別会やるんだよねー、倉田ちゃんの」
「えっ!?……もしかして、そこに私を呼んでくれるとか!?」
「え?……いや、呼ばないけど」
「……じゃあなんでその話したんですか?」
「ただそのまま。やるんだよねって言っただけ」
「あ、そう……」
「……ごめんね!なおちゃん、うち来て尾関ちゃんがいたら帰っちゃうだろうから……」
「えなさん、はっきり言いますね……」
「まぁきっとどっかでチャンスはやってくるって!がんばれよ、超強力なセコンドがついてるんだからさ!」
「はい!」
少し怪しいセコンドだけど、あんなさんが笑ってそう言うと、根拠のないこともなぜか起こり得そうな気になった。
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