倉田 奈央
第69話 好きすぎて
学校が始まるまでの間、明さんは少しでも時間が合えばデートに誘ってくれた。
初めこそ大人っぽいデートをしたけど、その後は今までのようにカラオケに行ったり、ファミレスに行ったり、動物園や水族館に行ったり、19歳の私が喜ぶような場所を選んで、常に明さんは私のことを最優先に考えてくれた。
そんなふうに毎日を過ごしているうちにだんだん緊張が緩んでいき、明さんに対して変な意識をしてしまうことは少なくなっていった。気づけば付き合う前の友だちの頃みたいに自然に話せるように戻っていて、一緒にいる時間を楽しむ余裕も出来ていた。
明さんは私といるといつでも、幸せが溢れたような笑顔を見せてくれる。その顔を見るたび、自分だけをまっすぐに愛してくれる人が側にいる安心感に包まれて、心は驚くほど穏やかになれた。
本当に少しづつだけど、尾関先輩のことを考えてしまう時間も減っていってた。同時に、息が出来ないくらいに苦しかった胸の痛みを感じる回数も少しづつ少なくなっていった。
「なおちゃんの学校が始まったらこんなに一緒にいられないから!」
と言いながら、実際、明さんはすごく忙しそうだった。
ここ最近、ライブの映像がネットで話題になったことでいくつかのレコード会社からコンタクトがあったらしく、アピールも兼ねて数日に一回のペースでライブをこなしていた。
真面目な明さんたちは、その中でも週に4日のスタジオ練習をかかすことはなく、さらには個人に来る仕事もあったりして、倒れたりしないかと心配になるくらい、明さんは本当に目まぐるしそうだった。
なのに、それでもそのわずかな間を縫って、睡眠時間を削ってでも明さんは私との時間を作ってくれた。
「ライブハウスは居心地悪いだろうし、無理して毎回来なくてもいいよ?」
と明さんは言ってくれたけど、私はライブがあるたびに出来るだけ足を運んだ。口ではああ言ってても、結局私が行くと明さんは飛び上がって喜んでいたし、何より私は純粋に、明さんのライブを見るのが好きだった。
もう何回目かパッと数えられなくやるほど見て、曲もかなり覚えてきても、会場の空気を一変する明さんの姿に目が慣れることはなかった。
大勢のファンの人たちが明さんのちょっとした仕草、たった一言に熱狂して陶酔する。そんな明さんはアーティストとして本当にかっこよくて、いつまででも見ていられる気がした。
そうして何度も通ううちに、ひしめき合う観客席の中に、毎回必ずいる特に熱を上げているファンの人が何人かいることに気づいた。
自ら特注で作ったような、バンド名の入った大きい赤いタオルをかざす女の子、暗がりでも目立つおそろいのスカジャンを着ている2人組の派手な女の子、周りに若干迷惑そうな大きいクマのぬいぐるみ型のリュックを背負ってる女の子……。
他にも沢山の、きっとお馴染みの顔ぶれ……。みんなそうやって特有のアイテムを身に着けることで、少しでもメンバーに覚えてもらおうとしているようだった。
だけど、彼女達がそこまで必死に追い求める先にいる明さんは、その誰よりも私を見てくれている。
熱狂の渦の中、ステージの上から私だけが分かるように熱い視線を送ってくれる。そんな時、私は今までの人生で感じたことのない優越感を感じていた。
メンバーの人たちともライブのたびに楽屋に挨拶へ行って顔を合わせた。
初めは萎縮してしまったけど、明さんが言うように、一歩ステージを降りるといい意味で本当にみんな普通の人で、私はすぐに自然に話せるようになった。
ケンコさんは楽屋の待ち時間はずっと趣味の編み物をしていて、「誰ももらってくれないのよ……」と嘆きながら、ペンケース、サングラスケース、しまいには手さげのバッグまで、自分で作ったものを使っていた。
ニイナさんは音楽とオシャレで日々を過ごしている、いかにも今どきの大学生かと思っていたけど、家は個人でやっている小さなお弁当屋さんらしく、ライブや練習以外の時間は出来るだけお店を手伝っていた。
たまに仕事終わりからのライブの時は、長年使ってイそうなエプロン姿のままギリギリに楽屋に現れて、みんなにツッコまれていた。
テツさんはよく楽屋で、難しい顔をしながらノートにメモを取っていた。何をしているのか聞くと、毎日三つ子ちゃんの子育てに疲れている奥さんが朝くらいはゆっくり眠れるよう、朝ごはんだけは自分が作るようにしていると言って、しっかり栄養まで考えられた緻密なレシピノートを見せてくれた。
紗也さんとはお話する機会がほとんどなかったけど、一緒にいるうちに出番前やライブ中、時折左胸に左手を当てる癖があることに気づいた。
初めは単に女性ならではの美しい仕草かと思っていたけど、よく見るとどの衣装にも左胸には必ずポケットがついていて、そこからはほんの少しだけお守りが頭を覗かせていた。
思い切って話しかけて聞いてみると、極度の上がり症のためお守りに頼っている…と、素直に教えてくれた。ライブ中は顔色一つ変えないし、すごくクールで何事にも動じないタイプなんだろうと思い込んでいたのですごく驚いた。
そんなメンバーの人たちの姿を見ていると、いかに自分は人を見た目と勝手なイメージで判断してきたかと思い知って、すごく恥ずかしくなった。
初めて私が明さんのライブを見た時のライブハウス、アウトベースのオーナーのヤスコさんもその一人。緑の髪から抱いてしまったイメージとは裏腹に、本当に気さくで優しい人だった。
今日はあの日以来2度目。久しぶりに会ったヤスコさんは、緑から明るい紫色の髪になっていたけど、相変わらず親しみやすく、ほっこりするような笑顔で迎えてくれた。
「おつかれー!なおちゃん!」
前回と同じ照明スペースの場所まで、前回よりは慣れた足取りでヤスコさんの後をついていく。ヤスコさんは私を座らせると、今回も飲みものを聞いてくれて、すぐにそれを持ってきてくれた。
「はい、どうぞ。サイダーね!」
「ありがとうございます!」
「早く飲めるようになるといいね、今年20歳でしょ?」
「はい、実はもうあと2週間くらいで……」
「そうなんだ?じゃあもう本当にあとちょっとじゃん。なら次のライブの時はビールでカンパイしよーよ!」
「はい!」
「そのためらいがない感じ、酒好きだな?」
「……まぁ…どちらかと言うと……」
「ハハ!やっぱりね!」
「私、そんなにそう見えます?」
「うん。見えるかな」
「……なんでだろ」
「なんとなく酒好きな人って滲み出るんだよねー、あと、メイも飲むしねー。それにきみかも。あの2人の知り合いってなるとそんなイメージなのかも。前に一回来たきみかのバイト先の店長さんと彼女さん?あの人たちもライブハウスとは思えないくらい飲んでたしね」
「えっ!?店長たちもここに来たことあるんですか?!」
「うん。だいぶ前にその一回だけだけどね。でも招待したわけじゃなくて勝手に来たらしくて、きみかのライブ中にめちゃくちゃヤジ飛ばしててさ、その日以来、きみかが出禁にしてた!ハハッ!」
「………店長……」
「ねぇねぇ、いきなり話変わるんだけどさ、なおちゃんてきみかの元カノじゃないよね?」
「え!?ちっ、違いますよ!!全然!!ただ同じコンビニで働いて先輩後輩なだけで……」
「そっかー、いやさ、メイがなおちゃん呼ぶ時、やけにきみかのシフト気にするから、よっぽど2人を会わせたくないのかなー?って思ってさ」
「……それは、その…先輩にはずっと、ライブには来るなってしつこく言われてたので……私がここで顔合わせるのは気まずいだろうって気を遣ってくれてるんだと思います……」
「なるほどね、そっかそっか」
「…………」
「きみか、最近どお?」
「どお?って言いますと……?」
「きみか、しばらく休ませてほしいって、裏方はやってもライブはやらなくなっちゃったからさ、プライベートでなんかあったのかなって」
「……そ、そうなんですね……。私、今月の始めにバイト辞めてからは先輩と全く会ってないので……分からないです……ごめんなさい……」
「いや、なおちゃんが謝んなくても!きみか、うちに来てもう相当経つけど、そんなこと言うの初めてだからさ、なんかちょっと気になってて。バイトしてても心ここにあらずみたいな顔してるし、かと言って本人に軽くツッコんでもサラ〜っと笑ってはぐらかされるし」
「……そうなんですか」
「もしかして誰かにフラれでもしたかな?」
「どっ…どうですかね?……でも、先輩は恋愛なんかでそんなふうにはならない気がしますけど……」
「たしかにきみかは恋にそこまで入れ込むタイプじゃないけどねー。でも、初めて一世一代の恋をしたかもしれないじゃん?」
「……先輩が誰か一人だけに夢中になるなんてことあるかな……」
「そんなたった一人に出会うと人って変わるからね」
「……それは……分かる気がしますけど……先輩に限っては、一人だけなんてこと……」
「ハハッ!なんかなおちゃん、きみかには当たり強いんだね?すごいきみかのこと否定するじゃん!おもしろー!」
「えっ!?あっ、でも!悪口とかそうゆうんじゃなくて!」
「分かってるよ、そんな風に言えるくらい仲いいんでしょ?」
「…………一緒に働いてた頃は……」
「なおちゃん、きみかのことよく知ってるんだなーって思う。付き合いは私のが長いかもしれないけど、なおちゃんの方がきみかのことよく分かってるよ。ずっと近くで見てきたんだなーって感じる。私はいまだに掴みきれてないもん。あの子なかなか奥までは心開いてくれないからさ」
「……私も同じです……私も全然先輩のこと、分かってないです……」
明さんのライブを見てる間、私は明さんを目に焼き付けながら、尾関先輩のことを考えていた……。
爆音とめくるめく照明がライブ会場をかき混ぜても、最低な私はただ何も変わらずそこにあった。
ライブの後、「たまには夜の散歩でもしようか?」と明さんが言って、私たちはタクシーを敢えて一駅手前で降り、方向だけを頼りに知らない夜道を二人で歩いた。
途中少し疲れて、通りかかった小さな公園のブランコに座って休憩することにした。
入口にあった自販機で明さんが買ってくれたあったかいレモンティーを一口飲むと、地面につけた足でブランコを軽く揺らしながら、明さんがどこか思いつめたような表情で口開いた。
「なんか、今日はなおちゃん元気ないね」
「……えっ、別にそんなことないけど……」
「もしかしてヤスコさんから聞いた?きみかさんのこと……」
「……あ……うん」
「……そっか」
「…………」
「きみかさん、歌えなくなっちゃったんだってね」
「……そうみたいだね」
「気になる?」
「……あのっ!」
「そりゃ気になるよね、……好きなんだから。……何聞いてんだろ、私……」
いつも私の前で笑顔しか見せない明さんが、初めて泣きそうなくらい辛そうな顔をしていた。
「最近二人の世界に入りっぱなしで、なおちゃんもきみかさんの話全然しなくなったから、ちょっと現実忘れちゃってた……。ごめんね、なおちゃんは口に出さないだけでいつも辛い思いしてるのに……」
「明さん……」
好きな人が自分を見てくれない苦しさを、私は痛いじゃ済まされないほど知ってる……。
なのに、私は今、そんな思いを明さんにさせてるんだ……
「大丈夫だよ、分かってることなんだし」
何も返せない私を気遣って、明さんは自分の痛みを無理矢理押し込め、悲しい笑顔で精一杯笑ってみせた。
でも、私と目が合うと2秒ともたずに目をそらしてしまい、足でひっかいた地面の砂を見つめる。
「…………だけど怖くて。……いつかなおちゃんに握った手を振りほどかれる日が来るんじゃないかって……たまにどうしようもなく不安になっちゃって……。まだ付き合ったばっかりなのに、私めちゃくちゃヘナチョコだよね」
言葉ではなんとか明るく振る舞おうとしても、明さんはまだ私のいる左側を向きはしない。
そこに、さっきまでステージの上で光輝いていたメイの面影は1mmもなく、いるのは、愛してほしくて静かに涙を流す一人の女の子の姿だけだった……
私は何かに動かされるようにブランコから立ち上がると、声を殺して肩を震わせる明さんの体を後ろから抱きしめた。
こんな状態の明さんを見ても、それでもまだ「好き」とは言葉に出来なくて、申し訳なさに苦しくなる。そんな私を悟るように、ゆっくりと明さんが後ろを振り向いた……
「その場しのぎで簡単に甘い言葉を口にしたりしない、そんななおちゃんが好きだよ……」
そう言うと、明さんはキスをした。
その唇は塩の味がした。
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