第66話 メイ




 初めてデートから3日後の夕方5時過ぎ、私は家からわりと近い駅にいた。改札を抜け、教えられた場所までここから少し歩く。



 向かっている目的地はライブハウス。「3日後にちょうど近くでライブするんだけど、見に来てくれないかな?」と、あの日の夜、明さんにお願いされた。



「駅まで迎えに行ってあげられなくてごめんね……」と、心配と寂しさを込めて謝る明さんに、「子どもじゃないんだから場所さえ教えてもらえれば一人で行けるよ!」と私は笑って返したけど、本当はあの時から内心ドキドキしていた……。



 ライブハウスなんて行ったことないし、システムも分からないし、怖い人とかいないかな?とか、場違いじゃないかな?とか、情けないくらいにビビっていた。



 心臓をバクバクさせながら、直線であともう100メートルくらいで着くというところで、前にも後ろにもいかにも音楽好きそうな女子たちが同じ方向に向かって歩いていることに気がついた。



 パッと見た限りほとんどが友だち連れで、その中で一人黙々と突き進む私は、誰よりもガチファンに見えていそうで少し恥ずかしくなった。



 ライブハウスの前に着くと、入口から地下へと続く階段があった。前の人の背中を追い、無機質なコンクリートに囲まれた階段を降りていくと、踊り場を曲がったところですぐにそれ以上進めなくなった。



 階段はまだまだ地下へ続くのか、そこからは人の頭以外何も見えなかった。10秒ごとに数歩のペースで進んでいき、10分ほどしてようやく本当の入口が見えた。



 その手前ではお客さんがスタッフの人にチケットを渡したり、精算をしてたりしていた。これだけのお客さんの数に対して、スタッフの人は2人だけで回しているようで、それを見た私はこの行列の原因わけを理解した。



 ついに私の番が来て、緊張しながら明さんから渡されていたチケットをスタッフの女の人に渡す。そして、



「あのっ、入る時に『奈央です』って言うように言われてるんですけど……」



 と、教えられた手順通りに伝えた。



「あー!ハイハイ!聞いてますよ!ちょっと待って下さいね!」



 その人は受付を一時中断して、会場の中へと入っていってしまった。突如、入場の対応をするスタッフが1人だけになる。



 少しづつでも確実に進んではいた流れが突然ぴたっと止まり、しびれを切らしたような雰囲気が地下の空間中に充満した。



 その元凶がどんな奴なのかと、後ろの人たちがざわつき始めているのが、振り返らなくても分かった。



 勘弁して……と、決して後ろを振り向かずにただただ耐えて待っていると、やっとスタッフの人が戻ってきて「じゃ、中どうぞー」と簡単に誘導された。



 一歩中へと入った瞬間、「あ、なおちゃん?こっちついてきてー」と、左の黒い壁から緑色の短い髪の女の人が、ピョコっと顔だけを出して手招きをした。



 右側の広い空間へ次々と流れ込むファンの人たちを横目に、私は言われるがままについて行った。



狭くて暗くて、道とは呼べないような裏の通路をしばらく進んでゆくと、ようやく少しだけひらけたスペースに出た。



 そこは照明を操作する場所のようで、ライブ前に準備をする男のスタッフの人がいて、萎縮しながら会釈をして前を通り過ぎる。



 そこでようやく緑の髪の女の人は立ち止まって振り返った。



「ここがなおちゃんの特等席ね!」



 沢山の正体不明な機材と、床を張り巡らす何本ものコード。それらを無理くりよけてなんとか置いたような小さなテーブルとイスを示してその人が言った。



「あ、すみません……」



 なんて言うのが正解なのか分からず、とりあえずそう返した私に、その人はわざわざイスを引いて私を座らせてくれた。



「なんか飲みもの持ってくるけど、何がいい?ビール?他にもたいていなんでもあるよ!」

「……あ、ありがとうございます……。でも私未成年なので、出来ればノンアルコールで……」

「え!そうなの?!そっかそっか!……ごめんね、最近取り締まり厳しくてさ、未成年にお酒出すと一発で営業停止になっちゃうんだよねー」

「いえ!お酒じゃなくて全然大丈夫です!」

「じゃあどうする?お茶でもサイダーでもジュースでも」

「じゃあ……サイダーお願い出来ますか?」

「りょーかーい!じゃ、ちょっと待っててね!」


 

 急いで今来た道を戻ろうとするその人を私も急いで呼び止めた。



「あの!すみません!おいくらですか?お先にお支払いします!」



 その人は一瞬あっけに取られたような顔をして、「いい!いい!」と笑いながら行ってしまった。



 その人がいなくなると、少し離れた場所……といってもまぁまぁ近いところにいる照明スタッフの人と2人きりになってしまい、残された私はまさに借りてきた猫のように静かに動かずじっとしていた。



 深く息を吐き会場に目をやると、私のいる場所はステージのちょうど真正面で、本当に特等席だった。



 普段はフロアにテーブルやイスを並べているお店なのか、壁際には大量の丸テーブルと足の長いイスがまるで芸術作品のようにきれいに積み重なっていて、崩れないように丈夫そうな縄でくくられていた。



 その時、突然さっきの女の人との会話の中の違和感が思い出された。



 そう言えば私、お酒飲みたいなんて一言も言ってないよね……?なのに当たり前のようにアルコールを出されそうになってた。しかも、未成年にお酒を出せないことを謝られてたし……。



 私ってそんなに酒飲みの女に見えるのかな……?とちょっと複雑な気持ちになった。しかも未成年って言ったら少し驚かれたような気がする……。



 そんなこと今までなかったのに、こんな私でも20歳を目前にして、少しは大人っぽく見えるようになったのかな?……もしかしたら、先輩も私にそんなことを感じることがあったのかな……?と、自然と尾関先輩のことを考えている自分に気づき、強制的に思考を遮断した。



 ……てゆうか、未成年にお酒を出したら一発で営業停止って……、葉月って全然ためらわずにいつもガンガン私にお酒飲ましてくれるけど大丈夫なの……?と発想が飛んで、えなさんの心配をし始めた時、



「なおちゃん!」



 心許こころもとない薄暗い場所にいた私を安心させてくれる声がした。



「明さん!!」



 私は思わず立ち上がって明さんを呼んだ。



「来てくれてありがとー!大丈夫だった?ごめんね、慣れないところで怖かったよね?」

「ううん、大丈夫だよ!」



 私が強がった返事をしたところで、



「はーい!おまたせー!」



 さっきの女の人が戻ってきて、テーブルの上にサイダーを置いてくれた。



「なおちゃん、この人、ここのオーナーで、ヤスコさん。なおちゃんのこと頼んでおいたんだ」 

「あ……すみません!挨拶が遅れて……はじめまして、倉田奈央と言います……」



 私は、実はずっとタイミングを見計らいながらも出来ていなかった挨拶をようやくした。



「はじめましてー!なおちゃん、よろしくね!」



 オーナーさんが親しみやすくそう返してくれると、明さんは一歩私に近づいて、



「見た目はどぎついけど、中身はマリア様みたいに優しい人だから。怖がらなくていいからね」



 と耳打ちした。



「メイ、そろそろだよ?」

「あっ、ヤバっ!じゃ、ヤスコさん!なおちゃんのことよろしくね!なおちゃん、私頑張るから見ててね!」

「うん!がんばって!」



 明さんは手を振りながら急いで暗がりへ消えていった。明さんがいなくなると、オーナーのヤスコさんと私は小さなテーブルを挟んで座った。



 ヤスコさんはおそらくお茶らしきドリンクをストローで一口飲むと、いつのまにか人で埋め尽くされた会場を見ながら話し始めた。

  


「メイたちのバンドはね、ほんとはもううちでやるような集客数じゃないんだよね。この何倍の広さの箱でも余裕で埋まるくらい、特にここのとこ一気に人気が出てきてて……」

「そうなんですか!?明さん、全然売れてないなんて笑ってたから、知りませんでした……そんなすごいんだ……」

「うちにはメイがバンド組んだ当初から出てたから、恩返しのつもりでたまにこうやってライブ入れてくれんの。それでも、チケットはだいぶ前からの限定販売にして、テーブルとイス全部はけて、平日の夜に組んでこの状況だもん。あと何回うちで出来るかなぁー……」



 ヤスコさんは客席を見ながら嬉しそうに笑った。



「あっ、もう始まるよ!」



 その言葉と同時に、まるで停電のように突然会場が真っ暗になった。と思ったら次の瞬間、太陽よりも眩しいほどの光がステージ上のメンバーを照らした。



「キャー!!!!」



 と会場いっぱいにガラスが割れそうな甲高かんだかい声援が飛び、ライブが始まった。



 明さんのバンドは5人組で、男女が混じっているグループだった。その中でも、ボーカルの女の人の右側に立つ明さんはメンバーの誰よりも圧倒的なオーラを放っていて、観客の声援からも断トツに人気があることが一目瞭然だった。



 対して左側のベースの人は男の人で、他のメンバーより少しだけ歳上そうに見えた。長身でシルバーのような色の短髪に、ラフだけど質の良さそうなジャケット姿で、海外の有名ブランドのモデルを務めていても遜色そんしょくのないような彫りの深い顔をしていて、明さんの次に客席から多く名前を呼ばれていた。



 ファンの人は9割以上が女の人で、そのほとんどが明さんかベースの人、どちらかが目当てのような、そんな感じだった。



 そんな2人に挟まれながら歌うボーカルの人は、両脇が際立つせいで真ん中にいるのに少し存在感が薄く見えてしまってはいるけど、可愛らしくていわゆる今風のオシャレな人で、何より個性的で魅力的な声をしていた。



 ドラムの男の子は見るからに若くて、確実に私よりも歳下だと思った。小柄で華奢だけど歳を忘れさせるほど堂々としていて、迫力は他のメンバーにも全く引けを取らないくらいあった。



 そんな4人とは一人だけ少し空気の違う、どこかお嬢様のような雰囲気の女の人がキーボードを担当していた。



 皇室が通う学校の制服のような服に身を包み、一切表情を変えずに真顔で姿勢良く弾いている姿を見ていると、キーボードはまるでグランドピアノのように見えた。



 ファンの人達の熱は本当にすごくて、実はもうデビューしてるんじゃないかってほど、有名なバンドのように思えた。ライブが始まってしばらく経っても、「メイー!!!」「メイーー!!」と、心の底から切望するような声は一向に止むことはなく、私は圧倒されて口を半開きにしながらそれを見ていた。



「ジェラシー?」

「えっ!?」



 ステージに釘付けになる私に、ヤスコさんは大人の余裕を匂わせる笑顔で話しかけてきた。



「……いや、というより、単純にすごい人気だなぁーって……」

「メイはモテるからね〜、特に女子に。ここのファンの子達の中にも本気でメイに抱かれたいって思ってる子かなりいると思うよ?なおちゃんがメイの彼女だってバレたら大変だね!気をつけてね!」

「……怖いな……」

「きみかさんもすごいっすけどね、女の子からの人気」



 今までずっと黙っていた照明の人が、突然私たちの会話に入ってきた。



「そうだね、きみかもモテるねー」



 そうそう聞かない名前と、結びつくそのコメントに、もしかしてと思った。



「……あの、きみかって……」

「うちのバイトの子でライブもやる子なんだけどね、その子もかなり女子にモテるんだわ」

「……その人って……もしかして尾関きみか…ですか?」

「え!なおちゃん、きみか知ってるの?」

「……はい。実は以前バイトしてたところの先輩で……」

「へー!そうなんだ!」

「あの、き、きみかさんもこんな風に人気があるんですか……?ライブ中に、名前呼ばれたり……とか」

「うん。でもきみかの場合はちょっと雰囲気違うかな。アコギ一本で歌うスタイルだし、もっと落ち着いたアットホームな感じ。まぁ中にはやっぱり本気っぽい子もいるけどね」

「……曲って、どんな曲歌ってるんですか?……やっぱり恋愛の歌ですか?」

「いや、きみかはね、空とか星とか自然のことを歌うんだよね」

「……自然?」

「そう。俳句に近い感じかな?どの曲も短めで、感情は歌詞にしないんだよね」

「……そうなんだ……」

「きみかの曲、いい曲だよ。私は好き。なおちゃん聴いたことないんだ?」

「……はい。ライブには来るなって言われてたので……」

「ハハ!きみからしいね!あの子ってさ、仲良くなれたかな〜?って思ってもうちょっと内側を覗こうとすると、バンッ!っていきなり心の扉閉めちゃうとこない?」

「……すごい分かります」

「ああゆう子はさ、なんか傷があるんだよね。誰にも見せられないような深い傷を抱えて生きてるんだよ、きっと……」



 その時、客席から大砲のような声のかたまりが会場中に響いて、ライブが終わったことを知った。



 明さんはメンバーの誰よりも早くステージからはけると、さっきと同じくスタッフ専用の裏の通路を通ってすぐに私のところに来てくれた。



「どうだった?」

「明さんすごいかっこよかった!!私、びっくりしちゃった!」

「ほんと?少しは好きレベルUPした?」

「うん」

「やったっ!!」 


 

 明さんはいいことをして褒められた子どものようにはしゃいで喜んだ。



「彼女が見てるからいつもよりだいぶ気合い入ってたんじゃない?」



 ヤスコさんはそう言って明さんの肩をポンとたたき、入れ違いに去っていった。



「ありがと!ヤスコさん!」

「はいよー、なおちゃん、ごゆっくりねー!」

「あ、ありがとうございました!」 



 手を振って応えてくれたヤスコさんが見えなくなると、



「ヤスコさん、いい人だったでしょ?」



 と、明さんが言った。



「うん。すごく優しくて話しやすかった」

「ああ見えて40過ぎてんだよ?」

「えー!?そうなの!?30過ぎくらいかと思ってた!」

「ハハ!若いよねー!ヤスコさんとどんな話してたの?」



 突然そう聞かれて、なんて言おうか戸惑い、私は言葉に詰まってしまった。



「……えっと」

「もしかして、きみかさんのこととか?」



 察しがついてしまい、明さんの方から直球で言われてしまった。



「あ、うん……たまたま会話の中でスタッフの人が尾関先輩の名前出して……」

「なーんだ、もうバレちゃったのか。きみかさん、ここでバイトしてるんだよね」

「……なのに、どうしてここに連れて来たんですか?」

「普通に直近で一番近いライブがここだったから。さすがにきみかさんが出勤だったら考えたけど、今日はいないって分かってたし、それにこないだも言ったけどら敢えて避けるのもどうかなって思ってるからさ。気にしすぎてると、きみかさんに負けたみたいで嫌だしね!」

「…………」

「ねぇねぇ!それはそうとさ、なおちゃんのことメンバーに紹介してもいいかな?なおちゃんにもメンバー紹介したいんだけど」

「えっ!?」

「あ、やだ?」

「そんなことないけど、私、紹介されてもなんにも喋れないよ……。あんなスター達を前にしたら緊張して体まで固まっちゃうかも……」 

「大丈夫!大丈夫!スターでもなんでもないから!ステージ降りたらただのおっさんと学生とガキの集まりだから!」



 明さんは暗がりの中強く手を握って、今来た通路とは別の通路を通って私をステージ裏の楽屋まで連れていった。



 楽屋のあるステージ裏の廊下は、会場とは全く違う色気のない白い蛍光灯の光が低い天井に並んでいて、夢の中のようなステージから、いきなり現実世界に戻ってきたように感じた。



 コンコンガチャ……



 ノックの意味が皆無なくらいの速さで明さんは扉を開けると、



「彼女紹介する!」



 と前置きもなく言った。



 その声に、6畳ほどの窓のない部屋に窮屈そうにリラックスしていたメンバーの人達の視線が、4人同時に明さんの後ろに立つ私へと向けられた。





















 











 



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