倉田 奈央

第64話 初デート



 今日は明さんとの約束の日。



 あの日、尾関先輩と香坂さんのことでどん底にいた日、明さんにキスをされ、付き合ってほしいと言われ、流されるままに私は明さんと付き合うことにした。



 顔を合わせるのはあの夜から今日が初めて。



 付き合う前まで短い期間で友だちとして何度も遊んで、待ち合わせも何度もしてきたのに、今日は今までとは全く違う緊張をしていた。



 平日のお昼過ぎ、指定された駅に約束の時間より10分早く着くと、見慣れない街を歩く見慣れない人々を目で追いながら、明さんが現れるのを待っていた。



「なおちゃん!」



 声のした真後ろへ振り向こうとした瞬間、後ろから飛びかかるような勢いで力強く抱きしめられた。まだ顔も見ないままで覚えのある香水の香りが私を包む中、衝撃の余韻で踏ん張りがきかず、ゆっくりと前へつんのめりはじめた。



「め、明さん……倒れます……」

「あっ、ごめんっ!」


 

 ようやく腕がほどかれ、体勢を立て直して向き合うと、明さんは今までで一番の笑顔で笑っていた。



「久しぶりに本物のなおちゃんだー!」



 そう言ってまた、今度は堂々と正面から腕ごと抱きしめられた。私の肩にあごを乗せ「もう友だちじゃなくて彼女だね……」と耳元でささやかれた。



 他人に興味のなさそうなこの街でも、私たちのこの図はやっぱり何かの違和感を感じさせ、側を通ってゆく人はみんな失礼な目つきでじろじろと見てきた。



「……明さん……人が見てるから……」



 さすがに恥ずかしさに耐えられず、やんわりと訴えた。気を悪くさせたかもしれないと心配したけど、



「そうだよね!嬉しすぎて周り見えなくなっちゃってた!ごめんね!」



 と、明さんは私の気持ちを察してくれた。でもそう安心したのもほんの束の間、その直後に私の右手を取り、当たり前のように手をつないで「じゃあ行こっか!」と歩き出した。


 

 私にはハードルが高すぎたけど、明さんのペースに飲まれ、私のことを知る人が誰一人いない街ということも後押しして、握られた手をそっと握り返してついて行った。



「おなか空いたでしょ?」

「はい、実は倒れそうなくらい空いてます」

「そんなに!?もしかして朝も食べてないの?」 

「ううん、朝はしっかり食べたんだけど、10過ぎにはすでにけっこう空いちゃってて……」

「えー!もう1時になるのに、相当辛いじゃん!ごめんね、この時間しか予約取れなくて……」

「大丈夫です!もう少ししたら食べれるし!」

「かわいそう……。……でもなんだろ、おなか空いてて辛そうななおちゃん、なんかかわいい」

「なっ、なんで!?」

「はは!おなか空いてる分、めちゃくちゃ美味しく感じるよ、きっと!」



 明さんが誰が見ても納得するような美人で、スタイルがいい上にあきらかにアーティストオーラをまとったような人だから前衛的に見えるのか、歩き出してしまえば手をつなぐ私たちを周りはそこまで気にしなかった。



 そんな明さんに引け目を感じて隣を歩くのはすごく恥ずかしかったけど、手を引く明さんはこんな一般人の代表みたいな平凡な私のことを陽の光の下でも熱く見つめてきて、一緒にいる一秒、一秒、明さんの気持ちが本物だということが伝わってくる。



 予約してくれていたレストランに着くと、そこはランチで入るには敷居が高すぎるようなお店だった。店員さんと呼んでいいのかためらわれるような正装の人たちが、まるで私たちを王室の人間のように扱い、席へと案内してくれた。



 そんな時も明さんは少しも縮こまることはなく、「ありがとー」とラフなお礼を言っていた。正反対に、席に着いても背すじを伸ばして強張り続ける私に明さんは、  



「こうゆうところって緊張しちゃうかもしれないけど、別世界に見えてもみな同じ人間だから!あそこのテーブルでお上品に食事してる女の人たちだって、日によっては牛丼食べたり、缶ビールを缶のまま飲んだりしてるよ、たぶん」



 と、リラックスさせるように笑ってくれた。



「そっか……。そうかもしれないですね。そう考えたらちょっと気持ちが軽くなるかも」

「ふふ……」

「なんですか…?」

「なおちゃんて、私に敬語とタメ口混ぜるよね?なんかどっちつかずでおかしくて……もう彼女なんだからタメ口でいいのに」

「あっ……そう言えば、そうですね!……じゃなくて、……そうだね?」

「そんなとこもかわいいから、なおちゃんの好きなようにで別にいいんだけど、私のが歳上だからってかしこまらないでね?」

「……はい。分かりました!」

「言ってるそばから仰々しいなぁー!」



 そうツッコんで明さんはまた楽しそうに笑った。



「明さんはこうゆうところ、全然緊張しないんですか?」

「初めはしたけど、もう慣れちゃった。仕事の打ち合わせとかで散々色んな高級店に連れていかれたんだけど、言ったらどんなお店でも結局ごはんを食べる場所でしょ?だから別にビクビクすることないかなーって。でも、とは言えやっぱり特別な感じはするし普段とは違う料理が食べられるから、なおちゃんと付き合ってから初めてのデートにこうゆうところを選んだんだけどね!私ちょっとカッコつけちゃった!」




 細やかな気遣いが出来て、全てリードしてくれて、いつも笑顔で明るくて、何より美人で……。

 尾関先輩とはまた別の感じで、明さんも女の人から相当モテそうだなと、こうゆう関係になってみて改めて思った。



 レストランを出た後は「おなかいっぱいになったし、少し歩こっか」と、またも明さんのスムーズな導きで、入園料を払って入る大きな公園の中をゆったりと散歩することにした。



 平日の、しかもお昼と夕方の微妙な時間帯ということもあり、色とりどりの花が視界の先まで続く公園は、まるで私たち二人だけの庭のように人がいなかった。



 両脇に大木たいぼくが立ち並ぶ、緑の香り漂う広い道を歩いている時、「明さんは女の人にすごくモテそう」と、さっきレストランで思ったことを素直に伝えた。



「そんなに評価してくれて嬉しいけど、私、普段はこんなんじゃないよ?どっちかって言うと、人にしてあげるよりもしてもらう方かな」

「そうなんですか?明さんて色んなことにすぐ気づいてくれるし、尽くしてくれそうだけど……」

「それはなおちゃんだからだよ」

「え……」

「まだ出会って3か月くらいだし、付き合って数日でこんなこと言うの引くかもしれないけど、私、こんなに誰かに夢中になるの初めてなの。実は自分でもびっくりしてるんだ、私ってこんな風になれたんだなぁーって。本気でこのまま一生一緒にいたいって思うくらい、なおちゃんのことが好きだよ」



 明さんはどんな空気からでも突然そうゆうことを言う。油断しすぎていて、急にどう振る舞えばいいのか分からなくなった。



「……私なんか……ほんとどこにでもいるような小娘なのに……」

「……なおちゃんみたいなかわいい子、どこにもいないよ。他の誰とも違うし、小娘なんかじゃないって」

「でも尾関先輩にはいつもガキだって言われてたし……あっ!あの……ごめんなさい、尾関先輩の話して……」

「いいよ、無理して話題避けなくても。思ったことは普通に話して?」

「……でも、気にならないですか……?」 

「もちろん嫉妬はするけど、なおちゃんがきみかさんのこと好きなのは出会った時から知ってることだし、そもそも今私とこうやって付き合ってくれてるのもきみかさんを忘れたいからなわけだし……。逆に押し込めるより向き合わなきゃなって思ってるから」

「明さん……」

「それに複雑なんだけど、私もきみかさんは人として普通に好きだしね。でももしなおちゃん盗られそうになったらすっごい嫌いになると思うけど!」



 そう言って明さんは笑った。



「……私、正直なこと言うと、明さんのこと、尾関先輩からの逃げ道として利用してるんじゃないかってずっと悩んでます……。本当はこんな状態で付き合うなんてやっぱりよくないんじゃないかって……」

「……でも私は嬉しいよ。逃げでも利用でも、なおちゃんが来てくれたのが私のところで」

「………」

「こないださ、私が『きみかさんのこと忘れさせるのは無理でも、紛らわせてあげる』って言ったの覚えてる?」

「…………はい」

「あれ、忘れてくれる?」

「え……」

「今、きみかさんでほとんど埋まってるなおちゃんの心の中、いつかそれを全部私に変えるから」



 明さんは立ち止まって手を取り、強い瞳でじっと私を見つめて二度目のキスをした。




「……唇、冷たいね……」




 唇が離れると慣れた口ぶりでそう言った明さんだったけど、その後は突然私と目を合わせられなくなり、口数も減ってしまった。



 沈黙の中、私の手を握る力加減のぎこちなさが、隠し切れない明さんの気持ちのように思えた。















 


 



 



 



 


 




 






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