第62話 約1年前のこと




 その日は週末で、知り合いから声をかけられて出演した、家から少し遠い初めてのライブハウスからの帰りだった。



 慣れない路線の電車の中、ここ数日の睡眠不足と疲れのせいで私は完全に熟睡してしまった。



 最悪なことにその電車は隣の隣の県にまで続く急行列車で、耳をつんざくようなベルの音でようやく起きて終着駅のホームに降り立つと、家に戻れる電車はもうとっくになくなっていた。



 仕方なく見知らぬ駅の改札を出ると案外駅の周りは栄えていて、週末ということもあってか、ちょっとした観光地でもありそうなその街は時間帯の割に人通りもそこそこあり、見渡す景色のあちらこちらにはネオンの光が光っていた。



 まぁよく眠ったせいで逆に元気にすらなっていた私は、どうせ帰れないしせっかくだからそこらへんの店に入って飲むことにした。



 ギターを背中に、女一人でも入りやすそうな飲み屋を探していると、メイン通りからそれた狭い路地から、ビリリと何かを感じた。



 その直感に動かされ進んでいくと、短い通りには小さなバーのようなお店が左右に数軒あった。



 ゆっくり歩きながらそれぞれの入口に目をやると、どのお店の前にも『Woman only』の文字があり、この路地はこの街のそうゆう場所なんだとすぐに分かった。



 私は短い路地の端から端までをもう一度吟味して、その中で一番入りやすそうなお店を選び、思い切ってその扉を開けた。



 想像以上にずっしりと重い扉が開くと、閉じ込められていたカラオケの爆音が一気に私に向かって襲いかかってきた。



「いらっしゃいませー!」



 カウンターの中にいた、あんなさんよりもう少し上くらいの元気のよさそうな女の人が私に気づき、笑顔で店の中へと誘導してくれた。



「カウンターでいい?」

「はい」



 座って店内をよく見ると、カラオケの音に反して客は店の奥に4〜5人のグループが一組だけだった。



 一見いちげんの私に丁寧に店のシステムを説明してくれたその人は、やっぱりその店のだった。



 奥のグループの方にも若い女の子が一人ついているようで、こんな都会から離れた場所でも人を雇ってこんな店やってるなんてすごいなーと見ていると、



「若い子の方がいい?」



 と、ママに聞かれた。



「いや、そんなんじゃないです。この辺初めて来たんで、なんか物珍しくて……」

「お客さん東京の人でしょ?ギター持ってミュージシャン?こっちでライブとかあったの?」

「いえ、これはただの趣味で大したもんじゃ……たまたま東京から寝過ごしてここまで来ちゃっただけです」

「東京からここまで寝過ごすって!どんだけ寝過ごしたのよ!?」

「どんだけなんだろ……下手したら3時間近くなのかな……?」

「あんたそれ、タイタニックだったらジャックもう水の中よ!?」

「ふ、古いですね……」

「ちょっと!タイタニックは不朽の名作じゃない!私デカプリオ好きなんだから!」

「デカプリオって……」



 そこのママがなかなか楽しい人で、良心的な価格と、ちょうどやさぐれてたとこもあって、私は生意気にママにご馳走しながら景気よく飲んでいた。



 すると、奥のグループの一人が私の後ろを通ってトイレへ入り、数分後、出てきたところで、異様に盛り上がる私たちの会話に強引に割って入ってきた。



「なにー?みえちゃん、若い子と話して楽しそうじゃない」 



 ママと同じ歳くらいのその人は、ピアスと呼ぶには大きすぎる飾りを耳にぶら下げ、あきらかにブランドものの高級なスカーフを巻き慣れた様子で首に身につけた、いかにもやり手な雰囲気の女の人だった。



「いいでしょー?この子、私気に入っちゃった!」

「どれどれー?」



 不躾ぶしつけに横から覗かれて少し気に障りながら、真正面を向いたままウイスキーのロックを一口飲んだ。



「やだっ!ヤバっ!ねぇねぇ、うちで働かない?!」 

「え?」

「ダメよ、この子東京の子なんだって。今日はたまたま寝過ごしちゃってここに来ただけだから」

「えー!?東京から寝過ごすって、その間にタイタニック見終わるじゃない!」

「れいちゃん、それ私も言った」

「そうなの!?やだぁー!世代ー!」



 二人は私を置いてけぼりに爆笑していた。



「でも惜しいわー、すごい稼いでくれそうなのにぃ……」

「なんの仕事なんですか?」

「あっ、興味ある?私、こう見えて新規事業を立ち上げた社長なのよ」



 それだけじゃ何も分からずまだ疑問の顔をしていると、



「れいちゃんはね、この街にレズ風俗を作った人なの」



 とママが補足した。



「えっ!?レズ風俗!?そんなのほんとにあるんですか!?」

「あら〜、客として興味ある感じ?それでもいいわよ?」

「いや、ちょっとびっくりしただけです。そうゆうのは私、ちょっと……」 

「なによ〜!そりゃその風貌じゃお金出さなくても間に合ってるでしょうけど、うちの子たちだって適当に働いてるわけじゃないのよ?みんな本当にいい子たちばっかりなんだからねっ!」

「いや、そんなつもり……別に全然間に合ってるとかないですし……」

「おねーさん、彼女いないの?」

「いないですけど」

「あら意外。どれくらい?」

「もう何年も……」

「あらそう!じゃあ、たまにはしたくなる時あるでしょ?若いんだし」

「……まぁなくはないけど……」

「ほら!そんな時にレズ風俗よ!」

「……でも失礼ですけど、そうゆうところの女の子って……なんていうか……」

「ブスって言いたいの!?あんた本当に失礼ね!」

「まだ言ってないです」

って、言うつもりじゃない!今まさに言おうとしてたじゃない!」

「れいちゃんのところの子は本当にレベル高いのよ?」



 ママがまたフォローに入ってきた。



「そうよ!私ブス嫌いだから。私が認めた可愛い子と綺麗な子しか入れてないんだから!」

「でも、可愛いとか綺麗の感覚って人それぞれだからなー」

「きゃー!憎たらしい!分かったわ、そこまで言われたらうちで一番人気の子、呼んであげる。特別に特別価格で!」

「いいですって!!」

「まぁまぁ、ここまで寝過ごして来たのも何かの縁じゃない?」



 私たちの攻防戦にママが入ってきて、社長に加勢した。



「そんなに重く受け止めないで、一回試してみたら?女だって性欲我慢するのは体に良くないしね!後腐れないし、なんなら別にえっちなことしなくても、お話するだけでもいいのよ?」



 その上手い口車に、ここ数年性欲を発散出来てない生活をしてきた私は、正直少し揺らいだ。



 別に独り身だし、そうゆうのを利用してみたって罪じゃない。奈央には彼氏がいるし、そもそも奈央と私の間には何もないんだから、私が何をしても関係ない……。



 だけど、それでもどうしても奈央に顔向け出来ない気持ちが拭えなかった。



「……いや、やっぱりいいです……」

「……そう。……なんかありそうね?」

「えっ?」

「道徳的にやめとこうっていうより、誰かに悪いと思ってそうね」



 全てを見透かしたようにそう言うと、社長はナチュラルに私の隣のカウンター席に座った。それを見届けたママは何も言わずに社長の前にお酒をそっと出し、そのまま奥の団体席の方へと移動していった。



「あなた、前にも後ろにも進めない恋をしてる匂いがプンプンするわね」



 さすがやり手社長……透視でも出来るのかってくらい図星過ぎて、私は観念した。



「……まぁそんな感じです」

「元カノとか?」

「いえ、一方的に好きなだけで……」

「脈ありそうなの?」

「……ないですね。ノンケだし彼氏いるし。彼氏のことめちゃくちゃ好きみたいだし」

「………そう。じゃあもうあきらめてるんだ?」

「あきらめるっていうか、絶対無理じゃないですか。……でも、無理だって分かってるのになんか断ち切れなくて……。いつもすぐ側にいて、懐いてはくれてるから、あり得ない期待がいつまでも捨てられないのかも……」

「……目の前のまやかしに溺れちゃってるみたいだけど、その子大好きな彼氏がいるんでしょ?ならいくらあなたに懐いてても、裏で彼氏とはやることやってるでしょ」

「………それは……そうでしょうね……」

「そんな不毛な恋愛なんて無理矢理にでも終わらせた方がいいわよ。長引けば長引くほど苦しくなるだけなんだから……」



 そう言った社長は遠い目をしていた。



「少しでも可能性があるなら頑張るのも悪くないけど、完全にないなら意味ないじゃない。そんなの生き地獄よ」



 その時、つい数日前の出来事を思い出した。あんなさんちでの飲み会で、あんなさんから言われて私が奈央にハグをする流れになった時、その直前で奈央は力いっぱい私を拒んだ……。



 あれは心からの拒否感だった。絶対に私にハグされたくないという強い意志を、私の体を必死に抑える奈央の手と目から感じた。



 だけどそんな奈央も、あの彼氏のことは両手を広げて迎えいれ、その腕の中に素直に抱かれるんだろうなと思った。



 そんなの、付き合ってるんだし、好きな人相手なんだから当たり前のことなんだけど、どうしようもなく虚しくてたまらなくなった。



 これ以上奈央を好きでいても意味がない……。分かっていたけど向き合わないでいたことを考えた。 

 無理矢理にでも忘れなきゃいけないのかもしれない……

  


「一歩踏み出したら忘れられるかもよ?その生き地獄から抜け出せるかも……」



 最後に投げかけられた社長のその言葉に、結局私は促されるようにして流された。



 ママに別れを告げて店を出ると、すぐ近くにある教えられたホテルへ向かった。部屋に入り、ベッドに倒れるようにうつ伏せになると、10分もしないでインターホンが鳴った。



 少し曇ったドアスコープから覗くと、はっきりと顔まではわからないけど、私よりも少し若そうな女の子が立っていた。



 本当に来た……



 テンパって一度ドアに背を向けた。



 どうしよう……



 まだ迷いがありながら、もう一度ドアスコープに目を近づけ、ぼんやりとしたその子の姿を観察した私は、気づけば自然と部屋のロックを外していた。



「はじめまして。ももです!よろしくお願いしまーす!」



 扉を開け部屋へ招き入れると、その子はアイドルみたいな自己紹介をした後、流れるように慣れた口調でシステムと禁止事項などを愛嬌よく説明した。



 顔は自分のタイプとは少し違うけど、あの社長がアレだけ豪語してただけあって、文句なしに可愛いかった。



 それに加えその子は、一番人気と納得させるような仕草や表情を変わる変わるに見せてきて、客を虜にする術をよく知っていた。



「ちょっと明る過ぎるから少し暗くするね?」



 一連のするべき説明を終えると、ようやく大人しくなったその子はそう言って、無段階の部屋の照明をゆっくりと暗くしていった。



 誘惑するように笑みを浮かべながら私を見つめるその子を、私は失礼なくらい改めてよく見た。




 ドアスコープから覗いた時点で感じていた。顔やキャラは全く違うけど、背格好と体つき、そして髪型が、やっぱり奈央とよく似ていた。



 その姿で、薄暗くされたベッドの前で黙って向かい合われると、胸の内側から鼓動がドンドンと強く早く体を打ちつけてきた。



「……お風呂、一緒に入る……?」



 そう私に尋ねながら、彼女は計算されたような美しい動きで上半身の服を1枚脱いだ。なめらかそうな肌と綺麗な胸の谷間が目に飛び込んできた時、私の中で何かが外れた。



 許可もなくそのまま彼女をベッドの上に押し倒し、その体に覆いかぶさった。私の突然の行動に彼女は抵抗はせず、されるがままに受け入れた。



 やわらかい肌に触れると、まるで奈央を抱いているような錯覚におちいって、変態的に興奮した。



 現実の奈央には出来ないことも今なら何でも出来る……そう思うと、体の中で何かが弾けて爆発したような感覚になった。



 でも次の瞬間、同時に脳裏には、こんな風に彼氏に抱かれている奈央のリアルな想像が浮かんだ……。突然息が苦しくなって、ナイフで突き刺されたように胸に激痛が走った。



 耐えられなくなった私は体を起こして彼女の体から離れると、ベッドから飛び降りて床に手をついて謝った。



「……ごめん……これ以上はもういいです……お金はちゃんと払うから……本当にごめんなさい……」



 床におでこをくっつけていると、わずか数cm真下の絨毯には、点…点…と少しづつ丸い小さな染みが出来ていった。



 アルコールに侵されながらも少しだけ残っていた正常な自分が、どうしようもない今の自分をさげすんでいた。



「おねーさん、好きな子いるんでしょ?」



 その子は私の奇行に嫌な顔一つせず、そう聞いてきた。



「…………」

「さっき、私にその子のこと重ねてた。抱きしめ方がすっごい情熱的だっだもん。そんなに泣いちゃうくらい大好きなんだね」

「………うん」



 彼女は脱いだ服を着て、部屋の明かりを少し明るくした。



「床冷えるからここ座ったら?時間もあるし、せっかくだから少し飲まない?私おごるよ!」



 私の返事を待たずに彼女は小さな冷蔵庫から冷えた缶ビールを出して私に渡した。本当はもうお酒はいらなかったけど、受け取った私は彼女のカンパイに合わせて一緒に飲み始めた。



「もしかしてその子にフラれちゃったの?」

「……フラれるもなにも告白もしてない」

「どうして?おねーさん綺麗だし、なんかかっこいいし、上手くいきそうだけどなー」

「相手、ノンケだから」

「……そっかぁ。……ノンケに恋しても出口ないもんね。近い存在ならなおさら地獄だよね」

「……なんか経験ありそうだね」

「ハハ!バレた?私もね、そうゆうことあったよ。なんか、おねーさんと私、すごく似てる気がするな」

「え?そお?どこが?」

「見た目とかじゃなくて、なんてゆうか心がかな?……説明するの難しいけど、なんとなくそんな気がする!インスピレーションてゆうの?私、そうゆう力あるんだよね!」




 ももが言うのと同じかは分からないけど、ももの両方の瞳を見た時、私も、似たところがあるのかもしれないと思った。



 さらに、聞き上手な相槌と、もう二度と会うことはないだろうという確証のない確信が、普段は人に決して話さないような話を私にさらけ出させた。















 



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