尾関 きみか
第60話 発見
昨日は、次の日が朝からの出勤だということを全く考えてない飲み方をしてしまった。土手から帰った後も家にあった酒を片っぱしから飲んで気を失うように眠り、スマホのアラームで起きると、なぜか車の整備士のようにベッドの下に上半身だけが入っていた。
二日酔いどころか当日酔いの状態でギリギリの時間に出勤すると、とにかくすぐにあんなさんに頭をさげて謝った。
「………すみません……ギリギリで……」
たったの半日でボロボロにやつれた私を見たあんなさんは、昨日休憩室を飛び出して行ったその後の結末が、もう大体分かったというような顔をした。
「間に合えば1秒前でも遅刻じゃないんだから謝んなくていいよ」
あんなさんの不器用なやさしさがじんわりと染みた。
「……でも、お酒も抜けてないんです……めちゃくちゃ二日酔いで……」
「それは謝れ」
「……すみません」
「今日だけは許してやるよ」
「……ありがとうございます」
「今日上がったら飲み行こっか」
「いや、だから、二日酔いなんですけど……」
「だから飲むんだろ、二日酔いを治すには飲むしかないんだから」
「そしたらまた次の日二日酔いになるじゃないですか……」
「そしたらまた飲めばいいじゃん」
「私しばらく連勤だから、毎日二日酔いで出勤することになりますけど、いいんですか?」
「殺す」
「理不尽パラドックス……」
「……一応ツッコめる元気はあってよかったわ」
「………」
「そういや尾関、今日香坂ちゃんと2人シフトだよね?」
「……はい」
「気まずいよな……」
「………そうですね」
あんなさんとそんなことを話しながら一連の朝の仕事を済ませると、1時間遅れシフトの香坂さんが出勤してきた。
入れ違いにあんなさんはバックヤードへ事務仕事をしに入っていき、レジの中には2人だけになった。
「おはよう……」
「おはようございます……」
「…あの!こないだは……本当にごめんね……こないだだけじゃないけど……。どうかしてたよね、私……」
「……あの時も言いましたけど、全部自分が招いたことなんで、これ以上はもう謝らないで下さい……」
「……。あの…奈央ちゃんは……今日は休み?」
「奈央は……昨日辞めました」
「えっ!?」
「元々学校の都合で4月からはほとんどシフトに入れないって店長にも伝えてたみたいで……」
「……そんな……それにしたってこんな急になんて!……絶対私のせいだよね………」
その時、バックヤードにいたあんなさんが急ぎ足で出てきた。
「香坂ちゃん!今、元旦那さんから店に電話あってさ!緊急な用事らしくて、本人から連絡もらえるように頼まれたんだけど……」
「え!?平日だし、今は会社のはずなのに……なんだろう……」
「とにかく電話してきな!私その間店に出てるから!」
「…あ、ありがとうございます!」
香坂さんは不安な表情を浮かべたまま、足早に休憩室へ入っていった。
「どうしたんですかね……?」
「電話先の元旦那さん、すごい慌てててさ……なんな嫌なことじゃないといいけどな……」
そんなことを話していると、すぐに血相を変えた香坂さんがレジに戻ってきた。
「店長!ごめんなさい!!私、出てもいいですか?娘がいなくなったって!学校から娘が来てないって連絡が来たって旦那が…!朝ちゃんとランドセル背負って家出たみたいなのに…!!」
香坂さんは見たことがない早口で、かなり取り乱していた。
「こっちはいいからすぐ行きな!」
あんなさんがそう言うと、「すみません!」と香坂さんはユニフォームのママ荷物も持たずに店を飛び出して行った。
「香坂ちゃん、スマホしか持ってかなかったけど大丈夫かな?」
「よっぽど娘さんのことが心配なんですね……」
「最近色々怖いもんな、事故とか誘拐とか色々あるから…。無事だといいけど……」
「……そうですね……」
香坂さんからその後の連絡がないまま、あんなさんと私は昼のピークをこなした。また落ち着いた時間帯に入り、
すると、店の角らへんに、ピンクのランドセルを背負った小さな女の子が立っていた。小学生はこんな時間でもう学校終わりか……いいよなぁー…と思いながら掃除を始めると、ふと疑問が浮かんだ。
いや、さすがにちょっと早すぎないか?今はまだ1時ちょい前だ。記憶はだいぶ消えてるけど、確かそのくらいって、まだ給食食べ終わったくらいの時間じゃなかったっけ?
その時、ハッとした。私は苦手意識を押し殺して、たどたどしくその女の子に話しかけた。
「……学校、もう終わったの?」
「………」
極度の人見知りなのか、私を不審な人間だと思って警戒してるのか、その子は何も答えずにうつ向くだけだった。
……困った。
その時、前に一度だけ聞いたことのある香坂さんの娘さんの名前を思い出した。
「……あのさ、もしかして、香坂まどかちゃん?」
私の言葉にその子はあきらかに反応を見せた。やっぱりまどかちゃんだ。
「お母さんに会いに来たの?私、お母さんの知り合いだから連絡してあげようか?」
「ちがいます!ママに会いに来ました!だから、お母さんには連絡しないで下さい!ママに会いに来たって言ったら怒られるから……」
小学1年生にすら見えない、まるでお姉ちゃんのランドセルを借りた幼稚園生みたいに幼いまどかちゃんは、その印象とは似つかわしくない敬語で私に懇願した。
その厄介な返事の内容だけで、家庭の複雑さとこの子の苦しみが少し見えた気がした。
すると、何かのスイッチが入ってしまったようにまどかちゃんは突然泣き始め、私はどうしたらいいか分からずしどろもどろしてしまった。
「尾関なにしてんの?」
そこへ、あんなさんがちょうど出てきた。
「あ!あんなさん!この子、香坂さんの娘さんのまどかちゃんです!香坂さんに会いに来たみたいで……!」
「まじで!?香坂ちゃんに連絡するわ!」
あんなさんはすぐにその場で電話をかけたけど、まどかちゃんを探して駆けずり回っているのか、香坂さんは電話には出なかった。
「ま、気づいたらすぐかけ直してくるでしょ。とにかく無事でよかったわー!」
安心した様子であんなさんはまだ泣いてるまどかちゃんの前にしゃがみこんでその両手を取った。
「大丈夫!さっきまでママここにいたんだよ!ちょっと用事で出てっただけだからすぐ戻ってくるからね。お腹すいたでしょ?おいしいもの食べて一緒に待ってよう!いこ!」
あんなさんはナチュラルにまどかちゃんと手をつないで、店の中へと入っていった。私は呆然としながら入口から2人の姿を見ていた。
お弁当コーナーで「どれでも好きなの選んでいいよ!」とあんなさんが言うと、まどかちゃんはさっきまでの涙をすっかり乾かして、キラキラとした表情できゃっきゃっと悩みはじめた。相当お腹が空いてたみたいだ。
まどかちゃんがお弁当を選び終わると、今度はレジへ連れていって、あんなさんは自分がお客さん役になり、まどかちゃんにレジをやらせた。おそらく初めての体験に、一瞬でママのことを忘れたように楽しそうに笑っている。
「尾関、ちょっと一人でよろしくね」
あんなさんはそう言い残して、再びまどかちゃんと手をつなぎ、二人で休憩室へと入っていった。
あんなさんのことはもうだいぶ色々知ってると思ってたけど、あんなに子どもの扱いが上手いなんて知らなかった。本当に一体あの人は何者なんだ……
30分ほどしたところで、休憩室からあんなさんだけが出てきた。
「……まどかちゃんは?」
「朝からずっと歩き続けて疲れちゃったんだろうね、お腹いっぱいになったら寝ちゃった」
「そっか。香坂さんから連絡は?」
「それがまだないんだよなー」
あんなさんはポケットからスマホを出してもう一度確認した。その時、
「おっ!ちょうどきたよ!もしもしっ!?香坂ちゃん!?」
事のいきさつを伝えるあんなさんの様子だけで、電話の向こうの香坂さんの気がかなり動転していることが分かった。
「あっ!香坂ちゃん!」
そこから15分後、香坂さんが憔悴と混乱の混ざった顔で店に戻ってきた。
「香坂さん!足!どうしたんですか!?」
入口の扉から入ってきた香坂さんは、100kmマラソンのゴール前のように片足を引きずっていた。
「まどかは!?どこ!!?怪我は!?」
足を引きずりながらレジ前まで来ると、私の心配する声を完全にスルーし、尋問の勢いで香坂さんは聞いてきた。その様子にあ然としてしまった私の代わりに、
「大丈夫!無事だよ。疲れて休憩室で眠ってる」
あんなさんが説明をして、負傷した香坂さんの代わりに重い休憩室の扉を開けた。テーブルにうつ伏せの状態で毛布をかけられて眠っているまどかちゃんを見ると、香坂さんは覆いかぶさるように抱きしめた。
あんなさんが静かに扉を閉めると、しばらくしてから「ママー!!」というまどかちゃんの泣き声が休憩室から聞こえてきた。
「一件落着だな」
「何もなくてよかったですね」
「な」
「てか、なんであんなさんあんなに子どもの扱い慣れてるんですか?誘拐でもしたことあるんですか?」
「バカ。私に出来ないことはないんだよ」
「……本当にそう思いますよ、私なんかなんも出来なかったし……」
「でもお前が気づいたおかげじゃん」
そう言ったと思ったら、あんなさんは我慢の限界のように思い出し笑いをした。
「なに?どしたの?」
「お前さ、心配してあげてんのにめちゃくちゃ怒鳴られてたね、香坂ちゃんに!すげーウケるんだけど……」
「あー……はは。そうですねー」
「あんなにお前にご執心だったのに、完全総スルーだったじゃん。娘パワーすげー。やっぱ香坂ちゃん、離婚で精神的にだいぶきてたんだな。それで血迷っちゃってたのか……」
「それならそれでよかったですよ。久しぶりに娘さんと会えて、また自分取り戻してくれたら……」
「そうだな……」
そんなことを話していたら、香坂さんが泣きはらした顔で出てきた。
「店長、尾関ちゃん、本当にご迷惑をおかけしました……」
まどかちゃんと手をつなぎ、深々と丁寧なお辞儀をする。まどかちゃんも香坂さんの仕草を見上げ、それに習って頭を下げた。
「なんもだよ!てゆうかさ、香坂ちゃんマジで足大丈夫?怪我したの?」
「はい……久しぶりに走ったらつまづいて転んじゃって……」
「うわっ!めっちゃ足首腫れてんじゃん!それ、折れてない!?今すぐ病院行かなきゃだめだわ!相当痛いでしょ?」
「……はい……。歩けたし、折れてはないと思うけど、実はだんだん痛みが増してきてて……」
「3軒隣の接骨院、今から行こっか。尾関!私連れてくからまたちょっと一人でいい?」
「はい」
「……尾関ちゃん、ごめんね……」
「大丈夫ですよ、お大事に」
あんなさんは母娘を連れて出て行った。一人の店内で揚げ物を揚げていると、ほんの数分で入口のメロディーが鳴り、あんなさん帰って来るの早いな!と思いながら振り返った。
すると、そこにいたのはまさかの昨晩のあの子だった……
思いっきり目が合い、お互いに目を見開いた。固まる私の前へそのまままっすぐ来る。
「うそみたい!また会った!きみか、ここで働いてるんだ!」
なんてこった……
昨日はあの後、無理くり人違いだと言い張って逃げるように巻いたのに、まさかこんなにすぐまた会うなんて……しかも今度は逃げられない仕事場で……
「もうここまで来ると本当に運命的な奇跡だよね!?」
屈託なく笑う笑顔に私は真顔で答えた。
「いやほんと、人違いです……」
「何言ってるの?尾関きみかじゃん」
そう言ってその子は私の胸元のプレートを指差した。
「あ……」
この期に及んでまだ粘り、とっさにネームプレートを左手で隠す。
「昨日も完全に反応してたし、なんでそんなウソつくの?」
「本当の本当に人違いなんで……」
「ふーん。じゃあ名前は?」
「だ……」
「だ?」
「だ……いだ……さだこです……」
「……『だ』多くない?」
その時、
「尾関ー!ごめん!ごめん!」
最悪なタイミングであんなさんが戻ってきた。その瞬間、その子はサササとお菓子コーナーの狭い通路へと姿を隠した。
「おい!返事しろよ!」
あんなさんが無視した私の頭を拳でぐりっとえぐる。それでも私は耐えてやり過ごした。
「おい!店長を無視してんじゃねー!返事しろ!おーぜーきーきーみーかー!!」
私の耳を引っぱって耳元で大声で呼び上げたあんなさんの言葉を聞いて、あの子は鬼の首を取ったようにニヤニヤとしながら再び目の前に現れた。
「あっお客さんいたんだっ!?……失礼しました…。いらっしゃいませー……」
あんなさんがちょっと恥ずかしそうにそう言うと
「いえ!お客っていうか、私、尾関きみかの知り合いなんです。ね?」
「え!そうなんですか!?尾関の知り合いなんだ?」
あんなさんはうつ向いた私を覗き込むように聞いてきた。
「……まぁ……」
観念した私はネームプレートに置いていた左手を下ろした。
「なんの?なんの知り合いなの?」
「別に…ちょっとした……知り合いです」
「へぇー」
私が濁すとあんなさんは気に入らなさそうに横目で私を睨んだ。
「ねぇきみか!バイト何時まで?終わったら飲みにいかない?」
「……きみか…ね……」
あんなさんは不敵に繰り返した。
「……行かない」
私がぶっきらぼうにそう返すと、突然調子を戻したあんなさんがその子に話しかけた。
「ごめんねー!今日こいつ、私と先約があってさー」
「…そうなんだぁ……約束があるならしょうがないか……」
なんか分からないけど巻くことに協力してくれたあんなさんに、ナイス!と心の中で称賛した次の瞬間、
「よかったら一緒に飲みます?」
あんなさんがその子を誘った。
は!?何考えてんだ、この人は!
「え!いいんですか…?」
「もちろん!尾関の知り合いは私の知り合いだし。……ね?尾関?」
その脅迫まがいなあんなさんの口調と目つきに、私は首を縦に振るしかなかった……
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