倉田 奈央

第59話 告白の後




 あんなことを言ったくせに、本当は追いかけてきてくれることをまだどこかで期待していた。





 だけど、家の前まで来ても後ろから足音が聞こえることはなかった。




 玄関の扉を開けて中に入り、ガチャリと鍵を閉めた時、ようやく私は0.1%の期待を捨てた。




 力なく靴を脱ぐ私の元に、リビングからパタパタとスリッパの音が近づいてくる。



「あ!奈央ちゃん、おかえりー!」

愛莉あいりちゃん、来てたんだ。…あれ?一人?」  

「うん。さっきまでしょうとおばさん達みんなでいつもの中華屋さんに行ってたんだけどね、しょうが車で送ってくれるって言って先に二人でお家に帰ってちょうど着いたところで、おばさんから「車のカギ自分が持ってた!」って連絡きて…。それで、しょうがまた戻って取りに行ってくれてるの」

「そうなんだ」

「私も行くって言ったんだけど、寒いから家で待っててって走って行っちゃって…。だから一人でお留守番してたんだ」



 愛莉ちゃんはしょうが高1の時から付き合ってる一つ歳上の彼女で、その頃からしょっちゅう家には来ていて私もぼちぼち付き合いは長い。今では私よりも私の家族と過ごす時間が長いんじゃないかってくらい、すっかりうちに馴染んでいる。



 私も普段から特別意識することなく普通に話す間柄だけど、家の中に2人だけという状況は初めてで、突如少しだけ緊張感が走った。



「あっ、奈央ちゃんのごはんもあるよ!チンジャオロースとか、麻婆豆腐とか、餃子とか色々!用意しようか?」

「あ、ううん。今あんまりお腹空いてなくて…明日もらおうかな……。ありがと」

「そっか!」



 私とは違って愛莉ちゃんはこの状況を全く気にしてないみたいで助かった。



 本当はそのまま部屋に引きこもりたい気分だったけど、このまま2階へ上がったら避けてるみたいで悪い気がして、私は愛莉ちゃんと一緒にリビングへ入った。



「テレビくらいつけて待ってればいいのに」

「だって、しょうが寒い中走ってカギ取りに行ってくれてるのに、私だけリラックスしてたら悪いもん。奈央ちゃんも外寒かったでしょ?紅茶でも入れようか?」

「あ、うん……じゃあもらおうかな」

「分かった!暖房が当たるとこで暖まっててね」

「うん」



 もうすでにこの家に住んでいるお嫁さんみたいに慣れた様子でお湯を沸かし、紅茶の準備をする愛莉ちゃんを見て、



「……いいお嫁さんて感じ」



 と自然に口からこぼれた。



「えー?私?……4年後にはそう慣れてたらいいけどね…」 



 愛莉ちゃんは謙遜するように笑いながらも嬉しそうな顔をした。



「4年後に結婚するの!?」

「ううん!別にそう決まってるわけじゃないんだけど、ずっと前からそうゆう話はしてるからそのくらいに出来てたらなーってただの私の願望!」

「そうなんだ……。ゆくゆくはそんな感じなんなろうなぁとは思ってたけど、なんかすごいね……高校の時から付き合ってる同士で結婚って……」 

「きっとそんな人達他にもいっぱいいるんだろうけど、確かに周りにはいないかな?同じ時期に彼氏がいた高校の友達も、みんなその時の人とは別れちゃってるからなぁー」 




 そう話しながら、愛莉ちゃんは紅茶をお盆に乗せて、ソファーに座る私の前のテーブルに置いてくれた。



「おまたせー」


 

 私がミルクティー派なのもちゃんと知っていて、聞かずにミルクティーのセットまでテーブルに並べる。それがなんだか暖かかった。



「ごめんね、ありがと」

「熱いから気をつけてね」



 L字のソファーの空いている方に愛莉ちゃんも腰を下ろす。自分の分の紅茶は入れなかったみたいだけど、それもきっとしょうのことを思ってだろうと敢えて聞かなかった。



「愛莉ちゃんてさ、しょうのどこがいいの?」



 単刀直入の今さらな私の質問に、愛莉ちゃんは少し驚いた顔をした。返事を待たずに追加の補足をする。



「昔から思ってたけど、正直愛莉ちゃんとしょうじゃレベルが違うってゆうか……言ってたよ?しょう。愛莉ちゃんて野球部のマネージャーでマドンナ的な存在だったんだよね?」

「全然そんなことないよ!」

「そんなことあるよ!今だってしょうなんかよりもっとかっこいい人にも言い寄られそうだし、どうして自分よりもチビな子猿みたいなしょうと?ってずっと不思議に思ってた」

「奈央ちゃん、子猿って…。確かにちょっと子猿っぽいけど…。……でも私は、誰と比べたってしょうがいいな。しょう以外は考えられない」



 はっきりと言い切る愛莉ちゃんの言葉を聞いて、私はつい数日前まで自分もそう思っていたことを思い出した。



「愛莉ちゃんて、しょう以外に好きになった人いないの…?」

「……付き合ってた人はいたよ。しょうに初めて会った時も、私、彼氏いたから……」

「そうなの!?聞いたことなかった…」

「しょうが新入部員で野球部に入ってきた時、私は3年の部長の人と付き合ってたんだ……。そのことは部員だけじゃなくて、学校中が知ってる感じだったの。その人、学校の中で王子様的に人気のある人だったから。そんな人から告白されて、若かった当時の私は舞い上がっちゃったんだよね……」

「やっぱりそうなんだ。愛莉ちゃんはそうゆうレベルの人に見初みそめられそうだもんね」

「……でもね、その人、見た目は好青年で周りからの印象もすごく良かったんだけど、付き合ってみたらすごくチャラい人で……。廊下で見かけたり、ふと窓から校庭にいるところを見つけたりするたびに、いつも色んな女の子と親密そうに二人でいて…。そんなことばっかりだったから、その頃は私、毎日のようによく泣いてたんだ……」

「………」

「マネージャーの特権を使ってね、誰も来ない時間帯を見計らって部室でよく泣いてたんだけど、それを一度、たまたま忘れ物を取りに来たしょうに見られちゃって…。そしたらしょう、何事かってすごく心配しちゃって。もうごまかせる状態じゃなかったから、正直に理由わけ話して…。だからってそれだけでその時は別に何もなかったんだけど、なんでかその後、しょっちゅうしょうと出くわしてね。部室でも帰り道でも、何かと二人きりになることが多くて、それで必然的に話すことが多くなっていって……。そんな日が続いてたある日、突然告白されたの」

「ちょっと待って。二人きりになってたのって、それしょう絶対わざとでしょ?愛莉ちゃんのことストーカーしてたでしょ、絶対」

「はは!さすがいとこ!よく分かるね?後から聞いたら、わざとだったって言ってた!」

「やっぱり…。てゆうかあいつ、1年生のくせに3年生の部長の彼女に手を出すって……」

「今考えたらすごいよね?その人、しょうより30cmくらい背大きかったし、普通に怖かっただろうなって…」

「あの子猿……」

「だけどしょうから告白された時、気づいたんだ。自分もしょうのことを好きになり始めちゃってること…。私もいつからか、どこかでただの後輩だとは思ってなかったんじゃないかって。だからちゃんと彼氏とは別れてからそれを伝えようって思って、しょうにはいったん少し待ってほしいって返事をしたの。それ話したの朝練の後でね、もう誰もいないと思ってたんだけど、その瞬間を誰かが見てたみたいで……」

「えっ!?」

「やっぱり相手が有名人だったから、噂が広まるのも尋常じゃなくて。「あの王子が1年に彼女取られそうになってる」って、昼にはもう学校中が知ってるくらい広まっちゃって。その頃、その人はもうとっくに部活を引退してたんだけど、その日の部活終わり、みんなが片付けしてる時突然現れたの。そしたら、私のことは素通りして、そのまましょうのところに行って……」

「えっ……」

「多分その人、私が好きとかじゃなくて、プライド傷つけられたことが許せなかったんだと思う。私が自分よりしょうを選ぶなんてことも、はなから頭になかったんじゃないかな。多分勝手にしょうが手を出したって思ってて。だから、みんなの前でしょうを脅して謝らせれば自分の地位を取り戻せると思ったんだろうね。だけどね、「どうゆうつもりだ?」ってすごまれたしょうは、「今まで散々彼女を大切にしなかったくせによくそんなこと言えるな!俺の方が絶対に好きだし大切に出来る!」って、みんなの前で堂々と言い返したの。そしたらちょっと離れて見てたギャラリーもしょうの潔さにみんな「おぉー!」ってなっちゃってね、結局その人しょうの勢いに何も言えなくなっちゃって、そのまましっぽ巻くみたいに帰って。……その後ちゃんと話してちゃんと別れて、改めて私からしょうに告白したの」

「……全然知らなかった。2人にそんなことがあったんだ……」

「しょうと付き合って気づいたの。私、その人のこと別に好きじゃなかったんだなって」 

「でも、付き合ってた時はいっぱい泣いてたんでしょ…?」

「うん。だけどそれは多分、自分がみじめで泣いてただけだったんだと思う。本当に人を好きになったことがなかったから、これが恋なんだって思い込んでたんだよね。しょうが本当に愛してくれて、誰かのことを想うっていうのはこうゆうことなんだって、初めて知った」



 そこから黙り込んでしまった私に、愛莉ちゃんはやさしく微笑んだ。



「……奈央ちゃんが恋ばな振ってくるなんて珍しいね。奈央ちゃんも好きな人いるんだ?」

「…………い…た……かな」



 私の曖昧な返事だけで、愛莉ちゃんは何かを察したようだった。



「……その人が奈央ちゃんの運命の人じゃないなら、今はどんなに辛くてもきっと忘れられる日は来るよ。本当の運命の人と出会えたら全部楽になるから…」



 一つしか歳の変わらない愛莉ちゃんがすごく大人に思えた。




 ガチャ……



「おまたせー」



 玄関から帰ってきたしょうの声が聞こえると、愛莉ちゃんは輝くような笑顔を見せて勢いよく立ち上がり、急いで玄関へ向かった。私も二人を見送ろうとゆっくりとその後を追う。



「おー、奈央帰ってたんだ?」

「うん、ついさっきね」

「おみやげいっぱいあるから食べなよ。俺、愛莉送ってくるわ」

「うん、ありがと」

「じゃ行こっか」

「うん!じゃあ奈央ちゃん、またね!また話そうね!」

「うん。2人とも気をつけてね」



 しょうに寄り添って本当に嬉しそうな愛莉ちゃんの横顔を見て、私もいつかあんな顔をして明さんの隣を歩けたらいいなと思った。





 2人が出て行くと紅茶を片付けてから2階に上がった。部屋に入りベッドに腰かけてスマホを手に取る。



『話したいことがあるから都合のいい時に返事下さい』と明さんにメッセージを送ると、ほんの数秒ですぐに電話がかかってきた。



「もしもし!?奈央ちゃん?どうしたの?今日バイト辞めるかもって言ってたよね?何かあったの?」

「……はい。バイトは辞めてきたんですけど……それで……」

「うん………」

「あ、その前に、明さん今大丈夫なんですか?今、外ですか…?」

「うん。今練習でスタジオ入ってて、電話するのにいったん外出たとこ」

「えっ!?こんな遅い時間に練習!?じゃあまた時間ある時でいいですよ!バンドの人たち待たせちゃってるんですよね!?」

「ううん、今ちょうど休憩入ったとこだから気にしないで!それに、どっちみち話聞かないと気になって全然練習に集中出来ないし……」

「……分かりました…。じゃあ……話しますね…」  

「………うん」  

「……さっき、バイト上がって帰ってたら、後ろから尾関先輩が追いかけてきて……」

「……うん」

「……それで、その時…好きだって言われて……」 

「……そっか。やっぱり、きみかさんの好きな人ってなおちゃんだったんだね」

「………」

「……それで……なおちゃんは……どうしたの……?」

「……正直に言いますね」

「うん……」

「今までずっと好きだったことも、今もまだ気持ちがあるってことも、全部話しました……」 

「………そっか……」



 明さんの声がだんだん小さくなっていく。



「……だけど、尾関先輩とは一緒にいられないって、私は今明さんと付き合ってて、これからは明さんといたいって伝えて……それで……」

「……えっ?」

「本当に自分勝手だけど、尾関先輩のこと、いつ忘れられるのか分からないけど、本当に忘れたいって思ってるから……私、このまま明さんの側にいてもいいですか……?」

「…………」

「……明さん……?」

「………私……絶対無理だと思ってたから……今の話も……やっぱりきみかさんが好きだからごめんなさいって、フラれると思ってたから……」



 明さんの声は震えていた。知らないところでそんなに不安に思っていてくれていたんだ…。明さんには申し訳ないけど、私なんかをそんなに想ってくれてることを嬉しく感じてしまった。



「……不安にさせでごめんなさい」

「ううん。私を選んでくれただけで嬉しい…。私、絶対なおちゃんのこと大切にするから」

「私も……明さんのこと………あの……」 

「……なおちゃんはまだいいよ、言葉にしなくても。本当に私を好きになってくれてからでいいから……」



 その時、電話の向こうから「めいー?」と呼ばれてる声が聞こえた。



「明さん、呼ばれてるでしょ?忙しいのに話聞いてくれてありがとう。もう戻って!」

「本当はもっとずっと話してたいけど……ごめん、そろそろ行くね。また明日連絡するから!」

「うん。練習頑張ってね!じゃあ……」

「待って!」

「え?」

「大好きだよ、なおちゃん……」







 明さんとの電話を切った後、そのままアドレスの画面を開いた。





 一番上にある『尾関先輩♡』を選択する。





 小さく深呼吸をしてから、目をつぶって削除を押した……






 目を開くと『削除しました』の文字が画面に表示されていた。






 枕元を振り返り、ゾンビーナのマスコットを手に取った。なんにも知らずにいつもと同じ顔で私に噛みつこうとしている。



「ごめんね…」と謝って、紙の袋に入れた。



 このまま持ってちゃだめだ…ゴミの日に捨てなきゃ……。そう誓ってとりあえずクローゼットの隅に押し込んだ。





 お腹が空いてたけど何も食べずに寝る準備をしてベッドに横たわった。




 もう寝よう……そう思って電気を消して目を閉じたけど、胸のざわざわが消えなくて、もう一度立ち上がり机の上に置いていたスマホを見た。





 メッセージのアイコンがある…





 『さっきはありがと。おやすみ♡』




 それは明さんからだった。







 ……明さんのことを好きになろう。





 それでいつか、あの頃はどうしてあんなに尾関先輩のことで泣いてたんだろう?





 そう心から思える日が来たらいい……













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る