尾関 きみか

第58話 奇跡と奇跡




 もう振り返らない背中を見ていた。完全に見えなくなる前に走り寄って抱きしめたい気持ちにかられたけど、半歩出した右足をそれ以上前に進めることが、どうしても出来なかった。




 何も出来ない情けない私の視界から奈央の姿が消えた。









 今来た道を戻り家とは違う方向に歩いた。長く住んでる街の通ったことのない路地を進むと結局メインの大通りに出た。



 なんだ……ここに繋がってるのか……



 予想せずにたどり着いた1、2度しか入ったことのないコンビニに入り、『濃いめ』と書かれた500mlのハイボールを3本買って外に出た。コンビニのビニール袋をだらしなくぶら下げながら、足は自然とあの土手とへ向かっていた。




 この数ヶ月毎日通った土手に着くと、遊歩道沿いにある古い木のベンチに座った。そこから見慣れすぎた景色を眺めていた。



 私と土手の間の遊歩道には仕事帰りの人が時折まばらに通り過ぎてゆき、春の寒空の平日の夜に、一人酒を飲みながらベンチの背もたれに深く腰かける私を、みんな怪訝けげんな目で見ていった。



 1本目の缶をほぼ一気に勢いで飲み干して、2本目もほとんど変わらない早さで飲むと、間髪入れずに3本目を開けた。



 言っても病み上がりで、落ちた体力と怒涛の出来事のせいもあって酒は簡単に私の頭の中をぐるんぐるにしてくれた。



 目の前の土手に、泣きながら汚れた手と服でキーホルダーを探すあの日の奈央の姿が見えてきた。




「奈央……」




 全部自分のせいだ……

 どうしていつも私はこうなんだろう…





 冷たい缶で指がかじかみすぎて持っていられず、ベンチの足の脇にいったん置いた。すると、地面に転がっていた小石の上にでも乗っかってしまったか、鈍い音を立てて缶が倒れた。



 コンクリートの坂を、まだ半分近く入っていたハイボールが土手へ向かってぐんぐんと流れていく……




「あー!!もうっ!!」



 地面の小石にムカついて、川に投げ飛ばしてやろうと右肩を下げて拾うと、思っていた感触とは違う冷たく平たい堅さを感じた。



 生き物ではないとだけ確信して、少しビビリながら手に取ったものを月の光に当てて見た。






「………なんでだよ!!!」



 



 私の手にあったのは、死ぬほど探したあのキーホルダーだった……






 理解が出来ないまま、塗装がげてびたキーホルダーをよく見返す。裏返すと、そこには素人が手持ちの道具で無理矢理掘ったようないびつなアルファベットが刻まれていた。




 『K♡N』




「………きみか………奈央……?……」




 それは、少しくせのある奈央の字だった。





「あー!!!!」


 



 遊歩道を数10mに響き渡るほど私は叫んだ。



「うわっ……なんかヤバい人いる……」

「………端寄ろう……」



 私の前を通らないと家に帰れない人たちの密かな会話が耳に入ってきたけど、どうでもよかった。バリアがあるかのように、半径5mの距離を取りながらみんな横切っていく。



 その中、遠くから一人だけ、まっすぐこっちに向かって歩いて来る人がいた。目が悪くて薄暗い場所にいる私に気づいていないのかと思ったけど、その人はそのまま私の目の前まで来て見下ろすように立ち止まった。



「ちょっと!おねえーさん大丈夫?」



 なんだ、たまにいるおせっかい女か……



「あー、全然大丈夫なんで…」



 私は、自分の方が完全に変な人なくせに、その人を変人扱いするように顔を背けてあしらった。



「女の人が夜にこんなとこで危ないよ!酔ってるみたいだしもう家に帰ったら?」



 タメ口にイラッときてもう一度見ると、だいぶ派手な髪色に季節外れの露出度の高い服を着た若い女だった。大人っぽい雰囲気はあるけど歳下なのは確実だ。本人だってそれは分かってるはずなのに、上から目線に物を言う。それがさらに気に入らず、



「もう本当に大丈夫なんで、行ってもらってもいいですか?」



 と、嫌味を込めた敢えての敬語で敬遠した。



「あっ!ほら!バッグ開いてる!中身が下に落ちちゃってるじゃん!」



 なのにその子は全く私にひるむことなくしゃがみこむと、勝手に私の物を拾ってバッグにしまい始めた。



「ちょっと!自分でやるから!大丈夫だからほっといて!」



 いい加減にウザくて不機嫌を隠さずにぶつけた。



「大丈夫じゃないじゃん、おねえーさん飲み過ぎ!そんな飲み方体に悪いよ?」

「関係ないでしょ!他人なんだから!もうそのいい人的なやつはいいから早くどっか行って!」



 私はベンチからその子を見下ろしてにらみつけた。すると、その子は真顔で顔を近づけてきた。


 

 怒らせたんだろうか、一応親切心だったんだろうからさすがき言い過ぎたか……と少しバツが悪くなり、


 


「いや……あの、ほんとにすみません。もう帰りますから……」




 と穏便に済ませようとした。すると、




「………きみかじゃない?」




 見知らぬはずのその子が私の名前を口にした。



「は?」

「きみかだよね?」

「………えっ………誰?」

「わー!ほんとに会えたー!!すごーい!東京ってすごい広いもんね?人もいっぱいいるのに!!これって奇跡だよね!?」



 私の質問を無視し、馴れ馴れしく私の膝に両手を置いてわさわさと揺らし、一人感激している。



 ……その笑顔になんとなく見覚えがある気がした。だけどどこで見たのかは思い出せない…。




「……あの……ごめん、ちょっと………ほんとに誰…ですか…?」

「えー!?きみか私のこと覚えてないの!?」

「………」



 するとその子は口を尖らせすねたような顔をした。



「ごめん……なさい……」

「まぁーしょうがないか!あの日、きみか今以上にすごい酔ってたからね。……じゃあこれで思い出すかな?」



 そう言うとすくっと立ち上がって元気な足取りで跳ねるように2歩後ろに下がり、ちゃんと全身が見えるように私の前に立った。そして、改めて背筋を伸ばし、しゃんと姿勢を正すと、少しだけ首を横に傾げながら愛嬌のあるよそ行きの笑顔で挨拶をした。



「はじめまして。ももです!よろしくお願いしまーす!」




 その瞬間、一瞬で記憶が呼び戻された。




「………あ」

「思い出した?」

「…………うそ……」

「ほんとだよ!ねぇ!約束通りエッチする…?」



















 

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