倉田 奈央

第57話 告白




 バイト中は隣に立っているのがやっとだった。







 目を見たり、ほんの一部でも体が触れたりしたら、押し込めているものが全部外へ溢れてしまいそうだった。





 こんなことは間違っていると分かっていた。だけどもうそうすることしか出来なくて、着替え終わった私は尾関先輩の話を遮るようにして休憩室を出た。






 数え切れないほどかよった帰り道を一人歩き、何度も何度も二人で一緒に座ったあのベンチが目に入ったその時だった。




「奈央!!」




 あんなことがあったのに、今もまだ嫌気がさすほど胸をしめつけてくるあの声で呼ばれた。




 仕方なく振り返ると、息を切らした尾関先輩が、息が整うのを待たずに無言の私に話し始めた。




「お見舞いに来てくれた時、約束したよね?私の体が良くなったら、お互い伝えたかったこと話そうって……」

「……そうですね。でも、もういいかなって思って…」

「こないだのことは!………あれは、なんていうか……とにかく全く自分の意志とかじゃなくて!アクシデントみたいな感じで!……あんなとこ見て、信じられないかもしれないけど……」

「信じますよ」

「えっ!?ほんとに!?」

「……はい。尾関先輩はそんなつもりじゃなかったけど、香坂さんに好意を寄せられちゃって、結果的にああゆうことになったんだろうな…って。よくよく考えたら、これから店長が来るって分かってて、あんなことするわけないと思うし」

「………信じてくれてありがとう」

「だけど、そんなこともういいんです」

「…え?」

「……そうですね、約束ですもんね。私がずっと先輩に言えなかったこと、約束通り言いますね」



 半分しか向けていなかった体を、ちゃんと先輩に向かい合わせた。



「………私ずっと、彼氏がいるフリしてました。本当は誰とも付き合ったことなんかないのに、尾関先輩にずっと嘘ついてました。騙しててごめんなさい」



 先輩は表情を変えずにただ黙って聞いていた。



「……嘘なんかつきたくなかったけど、あの時は、先輩の側にいるにはそれしかないって思ったんです。彼氏がいる私には尾関先輩、普通に接してくれたから…」



 こんな状況になっても白状した後の私はいまだに何かに怯えていて、先輩の顔をちゃんと見れなかった。



「……引きますよね、1年半以上もそんな嘘ついてたなんて…。人間疑うと思うし、嫌われて当然だって分かってます……」



 言葉にして伝えると心底自分がみじめになった。私は一体何のために今までこんな情けないことを続けてたんだろう…。



 目の前で微動だにせずに立ち尽くす先輩を見る。真顔で眉毛一つ動かさない様子からは心は読めない。



 そんなことしてた私を軽蔑してる…?

 怒ってる…?

 騙された被害者に感じてる…?

 また私を嫌いになった…?



 その姿を目に映しているだけで、必死に握り締めて無理くり小さくしていた感情がみるみるうちに膨張してゆく。



「………だけど、そんな馬鹿なことしてでも、尾関先輩が好きで好きで仕方なかった!!」



 ついに胸の中だけでは収まらなくなった感情を言葉にして、私は壊れたようにそれを先輩に投げつけた。



 面倒くさいと思えばいい。いっそ思いっきりまた冷たい目をして、愛想を尽かせてこの場から立ち去ればいい。そうやって私も今度こそ先輩を嫌いになれたらいい。






「嫌いになんかならないよ……」






 先輩がまっすぐ私を見つめて言う。





「……私も、奈央のことが好きだよ」




 大好きな顔で、大好きな声で、私の心の全てを奪った人がそう言った。





 この言葉をどれだけ夢に見てきただろう。先輩も私のことを好きだったたら……私のことを好きになってくれたら……可能性なんてなんにも見えなくなった夜だって、存在なんてしないような希望も捨てられずに、ずっとずっとそう願っていた……




 それなのに、今こうしてやっと言ってもらえてるのに、嬉しいとは思えなかった…。




「私のこと好きだなんて言わないで下さい……。……私はどんな時もずっと尾関先輩だけを見てきました…。この場所で初めて告白して拒まれた時も、その後冷たくされ続けた時も、先輩に彼女が出来て手をつないで目の前に現れた時だって、バカみたいにずっとずっと変わらないで好きでした。……あんなとこ見たって………今だって……。……尾関先輩の好きは、私の好きとは違います」

「………奈央……」

「だけど、もういいんです。やっと分かったんです。私は先輩の側にいられる自信がない……。ずっと一番近い存在になりたいって願ってきたけど、きっとこの先もし先輩の隣にいられたとしても、私が先輩を好きなくらい、私は先輩に好きになってはもらえない……。香坂さんをほっとけなかったみたいに、きっと先輩は私を置いて他の誰かのところに行っちゃう。それで、その度に私はまた泣くんです。……もう泣くのは疲れました。傷つくことも寂しい思いをすることも、期待をすることも、もうこれ以上は耐えられない……。だからもう私、先輩から離れたいんです」

「……散々傷つけることばっかりしてきて、今さら好きだとか言える立場じゃないって分かってる…。だけど、これからは約束するから!奈央のことだけを大切にするし、泣かせるようなことはもうしない。だから……!」

「尾関先輩にはそんなこと無理だと思います」

「そんなことない!本当に奈央だけが大切だし、私は別に誰かれ構わずにやさしくなんかしたりないから!香坂さんのことは特別だっただけで!……あ、いや…特別っていうのは……」

「………特別……なんですか?」

「特別ってそうゆう意味じゃなくて!ほっとけなかった理由があって…!」

「………理由って?」



 胸が押し潰されそうになりながら、突然話しづらそうにうつ向く先輩の沈黙を見ていた。




「………うちの……家のこと……なんだけど……。……うち、私が小さい頃に親が離婚してるんだけど……それで……その……」



 歯切れの悪い話に今度は苛立ちが湧き上がった。



「自分の親も離婚してるから、香坂さんの境遇と重なってほっとけなかったってことですか?それならうちだってそうだし!この先もそうゆう人がいたらずっとそうってことじゃないですか!!」

「………そうじゃなくて…」

「私には無理です。理解出来ません」

「………」

「………私は、私だけを見てくれる人といたい。私にはきっと明さんみたいな人がいいんです。明さんは私だけに優しくて、私のことだけ考えてくれる。明さんといると笑っていられる」

「……奈央、お願い……離れていかないで……」

「……ごめんなさい。…もうどうにもならないんです。もう遅いし……」

「……遅いって…?」

「……私、今、明さんと付き合ってるんです。私の尾関先輩への気持ちも全部知ってて、それでもいいって言ってくれて」

「………嘘でしょ…?」

「本当ですよ。だからもう土手に行くのもやめました」

「………」 

「あの土手でずっと探してたの、本当はネックレスじゃなくてキーホルダーだったんです。……尾関先輩にもらったゾンビーナのキーホルダー……」

「…………」

「あきらめきれなくてずっと探し続けてきたけど、探すのはもうきっぱりやめます。明さんも悪いし…。……買ってもらったものなのにごめんなさい…」



 先輩はじっと私を見たまま何も言わなくなった。 



「………4年間、本当にお世話になりました」




 かすかなまばたきで反応した先輩に続けた。




「さっき店長に呼ばれて話してたの、そのことで。4月から学校の実務研修で実際ほぼシフトには入れなそうだったんですけど、在籍だけは置いといて出れそうな時だけ自由に出たら?って、前から店長に言ってもらってたんです。……この後のシフトまだ出してなかったからどうするかってさっき聞かれて、本当に我儘わがままだけど、出来たら今日で終わりにしたいってお願いしたら、理解してくれて……」

「………本当に今日で辞めるの…?」

「……これ以上、先輩に会うのは辛くて。突然でごめんなさい。……でも、4月からほとんどバイトに入れなくなることは、先輩にも前から話すつもりでいたんですよ?……バレンタインの時、大事な話があるって言ってたの、そのことだったんです。……断られちゃって結局伝えられないまま、なんとなく言うタイミングなくしちゃって……」

「………それも…全部私のせいだね……」

「……私、一生懸命、尾関先輩のこと忘れますから。先輩の連絡先も消しますから。だから、先輩からももう連絡しないでもらえますか…?」

「………キーホルダーも私も……本当にもういらないの…?」

「…………はい」

「………」

「じゃあ、私、もう行きますね……」






 これでもう本当に終わり。



 なのに、先輩からはもう何もない。



 やっぱりそうだ……



 私のこと好きだとか言っても、やっぱりその程度なんだ……





 お母さんに置いてけぼりにされた子どもみたいな顔で立ち尽くす尾関先輩に背を向けて私は歩き出した。




 仕草でバレてしまわないように、こぼれてくる涙は拭かなかった。


























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