尾関 きみか

第56話 話がしたい




 何を言えばいいのか分からないまま、奈央に電話をかけた。誰もいなくなった音のない部屋に、こもった音の呼び出し音が鳴り続く。



 いつまでたっても鳴り止まないその音が、奈央の返事のように思えて仕方なく電話を切った。



 ほとんど眠れないまま朝を迎えて昼になっても、奈央からの折り返しはなかった。



 ないと分かっていながらも着信履歴をわざわざもう一度確認した。むなしいその画面を真っ暗にして枕の上に放おったその時、着信音が鳴った。



 ベッドに飛び込むようになりながら掴んだ拍子にどこかのボタンを押してしまったらしく、手に取るとすでに会話中になっていた。



「もっもしもし!?」



 激しい動きと緊張で息を弾ませながら相手の声を待った。



「あ、尾関?大丈夫?」

「………あんなさん…」



 落胆と安心感が入り混じった気持ちで名前を呼んだ。



「……あのさ、昨日は悪かったわ……最悪なタイミングで扉開けちゃって…」



 電話先のあんなさんはいつになくしおらしく元気がなかった。自分から素直に謝る時点で相当責任を感じてしまっている証拠だ。



「いや、あんなさんは別に悪くないから。自分のせいだし……」



 それは心からの本心で、あんなさんの悪ふざけを責める気持ちは私の中に1ミリもなかった。



「昨日のあれ……どうせ迫られた拍子にすっ転んだとかでしょ?」

「……うん、そんな感じ。よくそこまで的確に分かるね……」

「ああなる状況他にないから。尾関が香坂ちゃんに手出すわけないし。…でもほんと、よりによって倉田ちゃん連れてっちゃってさ、まじでごめん」

「それも謝ることじゃ……それより…奈央……あの後なんか言ってましたか……?」

「ごめん、話してない。私が出てった時、遠くに後ろ姿が見えたけど、今私が話してどうこうするものでもないかと思って…」

「…いえ、そうですよね……」

「でもさっきえなには電話きたよ!倉田ちゃんから。昨日あの後えなに話したら、えなすごい心配して何度もかけててその折返しで」



 それを聞いて、分かってはいたけど、やっぱり私からの着信は敢えての無視なんだと確定した。



「……えなさん、どんな様子だったって言ってた…?」

「元気なかったけど、表面上はちゃんと話せてたみたい。私もえなづてに次のシフト出れるか聞いたんだけど、無理しなくていいって伝えても、ちゃんと出るって言ってたって」

「……そっか…」



 次のシフトは明日。その日は私もシフトに入ってる。もちろん奈央もそれは分かってるはずだ。それでも出るつもりでいることに、ほんの少しだけ安心した。



 今からステーキを持ってってやろうかと私を気遣うあんなさんに、心からのお礼と感謝の断りを伝えて電話を切った。







 次の日、まだ少し痛む左手の甲に、いつから入ってるのか分からない冷蔵庫にあった湿布しっぷを貼って家を出た。



 奈央がいつものように早く来ることを見越して、出勤の一時間前から休憩室で待っていた。



 だけど結局、奈央が現れたのは、出勤のギリギリのギリギリだった。奈央がこの店にバイトに入ってから、こんなに遅かったのは初めてだ。



 「おはよう」と声をかけた私に「おはようございます」とは返してくれたけど、着信のことには一切触れず、目も合わせてくれなかった。



 遅刻寸前に出勤すると、「すみません、ちょっと店長のところ行ってきます」とやっぱり目は合わせず私に断りをいれて、奈央はバックヤードへ向かった。



 きっと遅くなったことを謝りに行ったんだろう。だけど、遅くなったのは寝坊でも怠惰でもなく敢えてのもので、その原因は私のせいだと聞かなくても分かった。



 仕事中も、奈央は極力私と関わらないようにして淡々と作業をこなしていた。客足が引いたタイミングで話しかけてみたけど、「すみません、仕事中なので…」と、あからさまに避けられた。



 邪魔する者のいない二人だけのシフトなのに、全くとりつく島がなかった。かと言って、今むやみに奈央の心の扉をこじ開けようとしても逆効果な気もした。



 そうして何も出来ないまま、短くて長いバイトの時間が残り20分ほどになった頃、ずっとバックヤードで事務仕事をしていたあんなさんが私たちの前に出てきた。



「尾関、ちょっと倉田ちゃん借りてくけど、しばらく一人で大丈夫?」

「あ……はい」



 私が了承すると、あんなさんは奈央に手招きをした。



「倉田ちゃん、ちょっと……」

「……はい」


 

 少し猫背気味な姿勢で、奈央はあんなさんの後ろをついてバックヤードへ入っていった。



 それから15分経っても奈央は戻って来なかった。少しだけレジが混みだしてせかせかと動いていると、入れ替わりのバイトの子がそれに気づいて少し早く休憩室から出てきてくれた。



 結局奈央は戻って来ないまま定時になり、上がろうとしたところでようやくあんなさんと奈央が戻ってきた。



「おつかれ。最後一人にさせてごめん」



 あんなさんの背中に半分隠れた奈央も、それに合わせて小さな会釈をした。



「あ…ううん……」



 少し神妙しんみょうな顔つきのあんなさんのことが気になりながらも、休憩室へと入った。私に続いて入って来た奈央は、私とは反対側のロッカーを開け、すぐに着替え始めた。



 今しかない…と、こないだのことを話そうと思ったけど、聞きたくないという声が聞こえそうなくらい、奈央の背中からはそれを拒む雰囲気がびしびしと伝わってきた。



「……最後、抜けてすみませんでした」



 唐突に、意外にも奈央から話しかけられた。後ろ姿のままの奈央に、私だけが振り返る。



「あっ、ううん、大丈夫!……あんなさんと何話してたの?」



 少しだけ開けてくれたように見えた心の扉を小さくノックするように、恐る恐る気になっていたことを聞いた。



「ちょっと…」



 再び固く閉ざされ、鍵を閉められた。

 




 やっぱり今日は難しそうだ。今は何を話しても奈央に届きそうにない…… 




 またすぐにロッカーに向き直った。不自然にぶっつり切れた会話の余韻が消えた頃、もう一度首だけを振り返って、着替え終わりそうな奈央を確認した。



 やっぱりもう少し時間を置いてから、次に会う時に改めて話した方がいいかもしれない……。私は今日の奈央に対して行動を起こすことをあきらめ始めていた。




 背後から、思ったよりも早くロッカーの閉まる音がして思わずまた振り返る。




「……お先に失礼します…」




 やっと向かい合う形で奈央の姿を見れた。か細い声でいつになく丁寧に頭を下げるように他人行儀な挨拶をした奈央は、最後の最後に今日初めて私の目を見てくれた。




 今だ……やっぱり今、説明しよう……




「…ぁ……」




 言葉になる前の私の小さな声をきっと奈央は聞き取っていたけど、そのまま休憩室から出て行った。




 やっぱり、今日はだめか……




  奈央のいなくなった休憩室で急ぐ理由もなくだらだらと着替えていると、



 バンッ!!



 突然大きな音を立てて扉が飽き、あんなさんが休憩室に飛び込んできた。



「倉田ちゃんと話した?」



 怒ってるのかと思うくらいの表情かおをして口早に聞いてきた。



「え…?!うん、少し。最後抜けてすみませんでしたとは言ってくれたよ」

「そうじゃなくて!!こないだのこととか、お前たちのこと!!」

「……話したかったけど、今日は全然話せる感じじゃなくて……無理にはやめといた方がよさそうだったから、次の時にしようかなって……」

「いいから!!今からでも行って話してこい!!」

「え?だから今日は……」

「いいから!!」




 あんなさんのその様子で瞬時に察した私は鷲掴みにロッカーからバックを取ると、その扉も閉めずに急いで店を飛び出した。










 





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