第50話 上手くいかない




 それから約2週間はほとんどフルで夜勤に入り、新しく入ってきたバイトの子達に仕事を教えた。新人と言っても全員が他のコンビニでの夜勤経験があり、しかもみんなまぁ真面目そうな学生ということもあって、2週間後には完全に夜勤から抜けることが出来た。


  

 そしてついに、今日は久しぶりの日勤で奈央とシフトが一緒だ。そこにまさかの香坂さんも同じシフトというシビアな状況ではあったけど、やっぱり奈央に会えることは素直に嬉しくてたまらなかった。 



 はやる気持ちがおさまらず、いつもより早く家を出ていつもより早く休憩室の扉を開けると、そこにはすでに奈央がいた。後ろ姿でも構わずに自分から声をかけた。


 

「おはよ!」



 私の元気な挨拶に反応してこっちを向くけど、完全には向き切ってくれない。それでもちゃんと目は合って、冷たい反応を込みにしたってやっぱり愛しくて可愛いと思う気持ちが勝つ。



「……おはようございます…」



 私とは正反対にか細い声で挨拶を返すと、奈央はよそよそしく目をそらした。



「今日も早いね」

「習慣になってるから…。先輩こそ早いですね」

「……今日は久しぶりに奈央とシフト一緒だなって思ったら、自然と早く家出ちゃった」



 浮かれすぎて事実をそのまま言葉にしてしまったけど、私がそう言っても奈央は何も言わず、少しだけ見える横顔は無表情のままだった。



 テーブルを挟み左側のロッカーの前に立つ奈央とは逆側のロッカーを選んで、古すぎて硬くなった鉄製の扉を開けた。沈黙の部屋の中でその音だけが響く。



 予想はしてたけど、思った以上に機嫌が良くない…。パッと思いつく理由を数えるだけで手の指がすいすいと折れていく。しかも見事に全て言い訳の出来ない自分のせいだ。



 こんな人間が告白したってやっぱり無理なんじゃないかと、もともとあったとは言えなかった自信が、跡形もなくなっていた。



 それでも告白は心に決めたことだ。自分から話すことなど何もないと全身から発しているような奈央だけど、話しかけて無視をするような子じゃない。とにかく会話をして、とりあえずもう少し機嫌を直してもらわないと、告白どころの話じゃない。



 何か奈央が楽しくなるようなことを話さなきゃ……いつもは何も考えなくてもスラスラといくらでも出てくる話題が何も出て来ない…。



「……今は学校、春休み中?」



 つまらない質問だけど、いい…。今は何でもいい…



「…はい」



 終わってしまった…。



「じゃあ毎日ゆっくり出来ていいね!」



 せっかく始まった会話を途切れさせないようにまだ粘る。



「小学生の休みとは違うし、4月から実務研修あるので、そこまでは…」

「…そっか。そうだよね…」



 また終わった…。学歴が乏しいとそんなこともにも察しがつかないんだと、自分が情けなくなった。



「…でも、言っても学校がある時よりは楽です。バイトもない日は遊びに行ったり出来ますし」



 フォローしてくれたのか、奈央が少しだけ私に歩み寄ってくれた気がした。それだけでも小さな希望を手にしたように、心にが灯る。

 


 春休み中で少し時間があるなら、それこそチャンスだ…。空いてる日とか聞いて、まず会う約束をこぎつけよう…!

 そう考えた時、自動的に数秒記憶が巻き戻って、ついさっきの奈央の言葉が引っかかった。まさかと思いながら、不安に思ったことをまず聞いた。

 


「……あのさ、こないだ大丈夫だった?」

「なんのことですか?」

「明ちゃんとカラオケ行ったんでしょ?その……なんかされたりとかしなかった…?」

「…別に何もされないですよ、普通にカラオケ行って歌っただけです」

「そっか…。…あれからも明ちゃんと遊んだりしてるの?」

「そうですね、何度か誘われて遊んでます。タイミングが合う時は」



 ……やっぱり嫌な予感は当たっていた。一度再会しただけでそこまで奈央の懐に入るなんて、さすが明ちゃんだと思った。恋愛関係なしにしても、あの子にはそうゆう力が並外れてある。

 話の感じからして今は普通に遊んでるだけだと思うけど、それがまた上手くて恐ろしい…。



「……そのさ、明ちゃんはいい子だけど、気をつけなよ?」

「…何がですか?」



 背を向けたままの奈央が全く分かってないような返事をするので、焦りはさらに増幅した。



「ほら、奈央のことそうゆう目で見てるんだから、あんまり気をもたせるような付き合い方してると色々危険てゆうか…」



 すると、奈央はずっと見せてくれなかった顔をこちらに向けて、反抗的な目で何かを言おうとした。その時、



「おはよーう!」



 休憩室の扉が開き、香坂さんが現れた。



「おはようございます…」



 軽く会釈をしながら私がそう言うと、



「おはようございます」



 奈央は、私にした時よりもきちんとした発音で挨拶をした。



「なんかこの3人のシフトってすごく久しぶりだね!嬉しいなー!」



 一番元気な香坂さんは、私たちに向かって本当に嬉しそうに笑った。それに私も奈央も下手な笑顔を作って返す。



 ふいに目が合うと、香坂さんはそのまま私の方へと歩いて来て、すぐ隣で着替え始めた。  



「一週間ぶりだね!」



 香坂さんが照れもなく私にそう話しかけると、奈央は私達から距離を置くように、すでに入れていた荷物をロッカーから出し、一番奥のロッカーへと移動した。そんな奈央の異常な行動には全く気づかないまま、香坂さんは無邪気に話を続ける。



「最近は朝ごはんも全然一緒に食べれてないし」

「……そうですね、夜勤抜けたし…」

「先出ますね」



 私の返事にかぶるくらいのタイミングでそう言うと、奈央は休憩室の扉を開け店内へと出て行った。



 扉を開ければすぐレジカウンターで、普通バイトの子はみんなギリギリに出勤する。奈央だっていつもは例外じゃない。下手に早く出ると入れ違いのバイトが溢れるからだ。

 なのに今日は5分以上も前に出て行ってしまった。



「奈央ちゃんていつも時間前行動でほんとに偉いよね!」

「……ほんとそうですね」



 何も分かっていない香坂さんに、私はなるべく好感を持たれないように、でも感じ悪くはならないように、当たり障りない返事をした。すると、そんな私の様子を伺うようにちらっと一度顔を見てから、ゆっくりと横へ一歩近づいてきた。



 余裕で8人は入れる休憩室で、2人の人間が片隅に固まって並んでいる状態はあまりに不自然すぎる。シャツのボタンを閉めるのにちょっと脇を開こうとするだけで、ひじが当たってしまう距離だ。

 私は香坂さんに感づかれないように、そーっと半歩だけずれて離れた。



「……どうして避けるの?」

「…えっ……」

「……きみかちゃん、うちに泊まっていつまた日から私のことずっと避けてるでしょ…?」

「あの……」 

「私のこと嫌いになったの?」

「……嫌いとかじゃなくて……」



 実際、あの日から私は出来るだけ香坂さんを避けていた。それまではただ寂しい時間を紛らわせたいんだろうと思って何かとつき合っていたけど、それ以外のことを求められてるかもしれないと気づいてからは、食事に誘われることがあっても理由をつけて断っていた。



「……ごめんね、困らせてるよね」



 私がちゃんとした返事をする前に、香坂さんは理解を示すようにそう言った。もしかして察してくれた?と思い、期待して香坂さんの方を見る。すると、香坂さんはすっと私の左手を取ってじっと目を見つめながら諭すように続けた。 

 


「…分かってる。きみかちゃんの中では色々思うことがあるんだよね…。だからあの夜、忘れてほしいって言ったんだろうなって…。でもね!私は……きみかちゃんとなら……」



 ……だめだ、もう本当にはっきり伝えないと…。例え傷つけることになっても、どうやっても誤解にはならないようにちゃんとはっきり言おう!



「すみれさん!」



 私は真剣に目を見て、まずは香坂さんに強く握られた左手からその手を解こうと、華奢きゃしゃな手首を掴んだ。その時、腕にはめられた時計の小さな文字盤が目に入った。



 忘れてた……さすがに今そんなことを話してる時間はない!



「ヤバい!時間ギリギリです!早く出なきゃ!」

「あっ!ほんとだ!出よう!出よう!」 



 慌てて出ていこうとドアノブを掴んだ香坂さんの腕に触れて、一旦制止した。香坂さんは不思議そうに振り返る。



「すみません!あの、今度少し時間もらえませんか?今話そうとしたことちゃんと話せなくて」

「……うん、分かった」



 香坂さんはかすかに微笑んでそう答えると、掴んでいたドアノブをひねり急いで店内へと出た。私もそれに続く。



「遅くなってごめんねっ!!」



 入れ替わりのバイトの子たちや、すでに揚げものを揚げ始めてる奈央の元を回り、香坂さんは申し訳なさそうに手を合わせて謝った。



 香坂さんに対しては笑顔で対応した奈央は、続いて「ギリギリになっちゃってごめん」と一言声をかけた私には目すら合わせずに「別に」と冷たく言うだけだった。



 その後も終始当たりが強く、とても普通の会話が出来るような雰囲気じゃなかった。

 ところが、香坂さんがバックヤードの作業に入って静かな店内で二人きりになった時、意外にも奈央の方から話しかけてきた。


  

「さっきの話ですけど」

「え?」

「気をもたせるようなことするなとか」

「あぁ……うん」

「明さんのこと危険とか言いますけど、明さんは私が気持ちには応えられないってちゃんと理解してくれてますから。その上で、ただ楽しく友だちとして遊んでるだけで、尾関先輩が思ってるような…」 

「バカじゃないの?そんなわけないじゃん」



 想像以上に信用しきってるスタンスに呆れてついぶつけてしまった。そんなんじゃ本当に明日にでも何をされるか分からない。



「は?」



 そのケンカ越しな態度に、頭の中では『抑えろ!抑えろ!』と声がするのに、溢れてくる言葉が止まらない。



「隙あらば手出すつもりで狙ってるに決まってんじゃん!どうせ、奈央にその気がないならしつこくしないとか、友だちとして普通に遊んでくれればいいとか言われたんでしょ?で、まんまとそれを真に受けて、友だちなら…とか思っちゃったんじゃないの?」

「………」

「ほら!手出す気満々だって表向きにはそう言うに決まってんじゃん。思惑通り明ちゃんの手の平で転がされてんだよ、ほんと全然なんにも分かってないんだから、これだから…」

「……これだからガキは…って言いたいんですか!?」



 奈央は似つかわしくない大きな声を出した。



「……純粋過ぎるってこと!」

「いいですよ!そんなオブラートに包んでフォローするような言い方してくれなくても!はっきり言えばいいじゃないですか!なんにも分かってないガキだって!」

「そんなこと言ってないでしょ!ただもっと疑えって言ってんの!危ないんだから!それとも何?自分のことを好きな人を側に置いて安心したいわけ?」

「!!先輩にそんなこと言われたくないんですけど!!大体、もし手出されたからってなんだって言うんですか?!尾関先輩にはなんっにも関係ないじゃないですか!!」

「………彼氏は?!彼氏がいるでしょーよ!」

「……別にいいです。最近あっちも他で楽しくやってるみたいなんで」

「…………」

「そもそも先輩だって彼氏と別れろって言ってたくせに」

「それは、そうゆうことじゃなくて…」

「いくら妹みたいに思ってくれてても本当の妹じゃないんだから、そこまで気にしてもらわなくて結構です!もう私のことは放っといて下さい!!」

「…妹って……なにそれ?」



 私が聞き返すと、奈央はキッとした目で私を睨んでからそっぽを向いた。



「ちょっと!」



 私は奈央の肩を掴んでこっちを向かせようとした。



「やめて下さい!もう先輩となんか話したくない!」



 その時、



「どうしたの二人とも!?お客さんがいないからって大きい声でケンカしないのっ!もぉーほんとに姉妹きょうだいみたいなんだから!」



 いつのまにか戻ってきていた香坂さんに言い合いを止められた。私たちは目を見合わせた後、二人同時に黙り込んだ。



 結局その後はもう話をすることもなく、上がりの時間になると奈央は誰よりも早く帰っていった。



 せっかく今日から正式に日勤に戻れて、奈央と一緒に働けるようになって、タイミングが合いさえすればいつでも告白するつもりでいたのに、全然うまくいかなかった。



 このままじゃ告白しても本気でフラれるかもしれない…。落ち込みながら着替え終わった香坂さんがそんな私の顔を覗き込んできた。



「……話、いつにする?これからどっか行く…?うちに来てもいいけど……」

「あ、いや今日はちょっと……すみません、次のバイト上がりでもいいですか?もう少しちゃんと整理したくて……」



 色々とダメージがあり過ぎて、今日はこれ以上頑張れる気がしなかった。何より気がそぞろでちゃんと話が出来そうにない。



「…うん!分かった!じゃあ今日はもう帰るね」

「…はい。お疲れ様です」

「お疲れ様!ちゃんと奈央ちゃんと仲直りするんだよ!」

「……はい」





 誰もいなくなった休憩室でしばらくぼーっとしていた。



 本当に何やってるんだろう…。どうして奈央にはあんなふうになっちゃうんだろう…。好きなのに、嫌われたくないのに…。



 お腹が大きな音を立ててぐごぉぉ〜〜と長く鳴った。そう言えば冷蔵庫にはお茶しか入ってない。何か食べるものを買っていい加減もう帰ろうと、上がってから一時間弱が経ってようやく休憩室を出た。でも出た途端に買うものを選ぶことすらすごく面倒くさくなって、結局何も買わずに店を出た。



 家に着き真っ暗な部屋に入ると、沈んだ気持ちと比例するかのように体もものすごく重く感じた。



 冷蔵庫から500mlのお茶を出し、一気に半分を飲んでベッドに身を投げると、そのまま眠ってしまった。























 






 

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