第48話 友だちとしてなら




「カラオケどこにあるの?」

「この通りをずーっと行って左に曲がると一軒ありますよ、個人経営みたいな古いとこだけど」

「やってればなんでもいいよ。あっ、そうだ!その前になおちゃんが働いてるコンビニ見たい!ここから近いんでしょ?」

「ちょっと戻らないといけないですしいいですよ……尾関先輩もいるし…」 

「今きみかさん働いてるんだ?ますます見たい!いこ!いこ!」



 今すごく会いたくないと思う気持ちの中に、明さんといる私に少しでも嫉妬してくれたりしないかな…と、あり得ない無駄な期待がまだこびりついている。



 軽く酔っている様子の明さんは、はっきりとした場所も分からないまま、「戻る」というキーワードだけでカラオケと逆方向に早歩きをし出した。



「あっ!あれでしょ?」 



 5分もしないですぐに煌々こうこうと光るコンビニの看板を見つけると、明さんの足取りはまた早くなった。



「ちょっと待って下さいっ!」



 また心の準備が出来ていないまま、明さんの後を追う。その時、ちょうど店からゴミ袋を両手に持った尾関先輩が出てきた。



「あー!きみかさんだー!ほんとに働いてるー!コンビニのユニフォーム着てるの初めて見たー!なんか案外かわいくてウケるー!」

「明ちゃん!?こんなとこで何してんの?しかもこんな時間に…」



 先輩はそう言った後、明さんの10m後ろにいる私に気がついた。尾関先輩のユニフォーム姿がよっぽどツボだったのか、まだそこに食いついて笑っている明さんの側まで私はゆっくりと歩いていった。



「……二人で飲んでたの?」



 先輩は私が目の前まで来るのを待ってから、しっかりと目を合わせそう聞いてきた。私が口を開こうとすると、ようやくひと息ついた明さんが割り込むように先に答えた。



「さっき葉月で飲んでてたまたま会ったんですよ!きみかさん!私、なおちゃんとちょっお仲良くなっちゃったー」

「……そうなんだ」

「でね、閉店になっちゃったからこの後カラオケいこーって!あ、きみかさんも来たいですか?」

「いや、見ての通りバイト中だから…」

「分かってるし!せっかくなおちゃんと二人きりなんだから来たいって言っても呼んであげないしー!」



 さっきの早歩きでまた少し酔いが回ったのか、明さんはきっと悪気はなさそうな悪ふざけをして一人楽しく笑っていた。そんな明さんをシラフの尾関先輩は少し面倒くさそうな顔をして見た後、また私に向かって聞く。



「奈央、大丈夫なの?奈央もけっこう飲んでるの?」

「……別に。大して飲んでないですよ」



 私の返事を聞いても、先輩は怪訝けげんそうな顔をしていた。とりあえず、私と明さんが一緒なのが面白くなさそうなことだけはなんとなく分かった。



 だけどそれは嫉妬なんかじゃない。姉として妹が心配なだけなんだ。そう思うと、私を気にかける言葉もうっとおしく感じてきた。



「明ちゃん、奈央まだ19だからさ、その……色々気にしてあげてね」

「きみかさん、なおちゃんのこと子供扱いしますねー?もう19でしょ?19はもう立派な大人じゃないですか。なおちゃんなんて特にしっかりしてるし」

「何言ってんの!奈央はまだ全然…」

「先輩にそんなこと言われなくても大丈夫ですから!」



 その先に続く言葉を聞きたくなくて、わざと話を遮ってそのまま背を向け、カラオケの方向へ引き返した。



「え?なおちゃんもう行くの!?待ってよー!じゃ、きみかさんバイトがんばってねー!!」



 追ってくる明さんに呼ばれて控えめに振り返った時、遠くにいる先輩の姿を一瞬だけ見た。先輩はゴミ袋を持ったまま、まだこっちを見て立っていた。







 平日の深夜でカラオケはガラガラに空いていて、店員さんは2人で使うには広すぎる5〜6人用の部屋に案内してくれた。



 部屋に入るとすぐ、飲みものも頼まずに「私、一曲目歌うー!」と明さんは曲を入れた。



 普段ならあんまりよく知らない人とカラオケなんて絶対に行かないし、成りゆきで行ったとしても終始居心地が悪いと思う。



 でも明さんの勝手とも見える自由奔放さは意外にも私には合っている気がした。好きにしてくれるおかげでこっちもあんまり気を遣わないで済む。まだ会ったのはこれで2回目なのに、毎日顔を合わせていた高校のクラスメイト何人かとカラオケに行った時よりずっと楽に感じていた。



 えなさんにあんなことを言われて多少動揺したところもあったけど、明さんは二人きりになってもただただ明るくて調子が変わることもなく、安心した。



 すっかりリラックスした私は明さんが歌い終わるとすかさず曲を入れ、そのままフロントからワンドリンク制のドリンクオーダーを催促されるまで、飲みものを飲むのも忘れて交互に歌い続けた。



 ドリンクが来た後も、私たちはなんだかんだで話よりも普通にカラオケをし続けた。

 もう軽く2時間は経ったかな?という頃、激しいロック調の曲を熱唱し終わった明さんが、まだ曲のエンディングが爆音で流れている中、私のすぐ隣に勢いよく腰を下ろした。



 広い部屋の中、さっきまでは1m以上離れてゆったりと座っていたのに、今は近すぎて肩がかすかに触れている…それに気づいた時、ちょうど音楽がんで唐突にちょっとした静寂が生まれた。

 三辺の壁に沿ってコの字に配置された合皮の赤いソファーが視界のほとんどを占領していて、私たちが固まって座っていることがやけに際立つ気がした。



 だけど明さんは「次なににしよっかなー」と曲を探しながらドリンクを飲み、距離が近いこと以外は何も変わらない。



 明さんのキャラからすると、この距離は別に普通なのかもしれない。でも私からしたらやっぱり他人と座るにしては近すぎると感じる…。とは言えわざわざズレることも感じ悪い気がして出来ない。

 私の方が妙に意識してしまい、突然さっきまでのように話せなくなった。



「そう言えばさっき葉月でさー」



 私の小さな変化に気づかないまま、明さんは曲を探す手を止めて話し始めた。



「…なんですか?」

「えなさんめっちゃ心配してたよね?なおちゃんが私に手出されちゃうと思って」



 今その話するの!?どうゆうつもりか真意が分からないまま、変な雰囲気にならないように返事をする。



「えなさんは出会った時からずっと、いつも私のこと見守ってくれてるんですよ、なんでかすごく可愛がってくれてて。私もえなさん大好きだからなんかあるとすぐ会いに行っちゃうし。いい意味で過保護っていうか、私のこと心配しすぎちゃうから」

「心配しすぎじゃないかもよ?」

「え?」

「えなさんが言ってたこと正解だよ。2人の話、聞こえてた。私のこと軽そうに思ってるかもしれないけど、まぁそれは否定しきれないとこあるけど…、でも私、なおちゃんのことは本当に本気だから」

「なっ、何言ってるんですか!?子ども相手に……」



 思わず上半身の重心を少しずらして、触れていた肩から離れた。



「言ってるでしょ?私はなおちゃんのこと子どもだなんて思ってないって。葉月で飲んでた時も好きな女の人が隣にいてずっとドキドキしてた。…今もだよ?」



 明さんの大きい瞳でじっと見つめられて、なんて言えばいいのか分からない。



 その時、明さんの服の中から突然着信音が鳴り、着信画面を見た明さんは顔をしかめながら「ちょっとだけごめんね…」と私に断ると、少しだけ背を向けるようにして仕方なさそうに電話に出た。



「もしもし?……うん。………うん………だからっ!そうゆうこと言うならもう会わないって言ってるじゃん!今人といるからもう切るよ。また同じ話するならもう二度とかけてこないで!」



 怒りの余韻を残しながら、明さんは電話を切った。



「……あの、何かお取り込み中だったら私のことは気にしないでゆっくり電話してもらって大丈夫ですよ…?」

「うるさくしてごめんね!一方的に迷惑被こうむられてるだけで、全然お取り込み中とかじゃないから!…今の子さ、多少つき合いの長い女友達なんだけど、こないだ彼氏と別れてめちゃくちゃ落ち込んで泣いてるとこ慰めてたら、いきなり『抱いてほしい』とか言ってきてさ。それでムカついて帰ったんだ。失恋の痛みのはけ口にレズを使うな!って」

「……そうなんだ…」



 私のレベルじゃ手に負えないアダルティーな話にたじろいでしまった。



「ノンケの女ってそうゆうとこあるんだよね ー、別れたって言ってもすぐに別の男にいくのは気が引けるのか、身近にいるちょうどいいレズで手を打とうとしてきてさ…」

「……でもその、もしかしてその方は本当に明さんのことが好きだっていう可能性もありませんか…?」

「それはないなー。あの子は完全にノンケだもん」

「そんなに区別つくもんなんですね…」

「つく!つく!ちなみにどんなに可愛い子でも私はノンケには興味持てないんだよね。見てる分にはいいけど深く関わる気にはなれない」

「……ん?」



 その時、ふと率直な疑問が湧いた。



「……あの、じゃあ私のことは……どうだと思ってるんですか?」

「え?なおちゃんは女好きじゃん」

「えっ!?」

「はじめっから分かってたよ。きみかさんの話聞く前から。なおちゃんはバイでもなく、完全にレズだよね」

「どうしてですか!?」

「なんとなく分かるから」

「でも私……実際そうゆうこと考えたことなかったです…。そもそも人を好きになったことがほとんどないし…ただ好きな人が同性だったってだけで深く気にもしてなかった…」

「それこそ生粋の本物だね」

「そうなんだ……」



  女の人が好きというより、尾関先輩だけを追ってきたから自分でもあんまり自覚がなかった。でも確かに、生まれてこの方、彼氏がほしいと思ったことは一度もない。今さらながら自分のアイデンティティの一部を知った気がした。



「でもその、ノンケの人でもその方みたいに、女の人にそうゆう気持ちになったりすることもあるんですね」



 香坂さんのことを思い浮かべながら聞いた。



「女ってブレやすいからね。何かのきっかけで一時的に血迷う人はいると思う。さっきの電話の子もあの時は相当精神状態が乱れてたから、実際仕方ないか…って私も思ってはいたんだ。ちゃんと謝ってきたら許してあげようって。なのに電話出たらまた同じようなこと言うんだもん。だから切った」

「……でも、明さんてそうゆう時も、誰にでも優しく接するのかと思いました。あそこまで人にきつく当たるのって意外っていうか……いつも明るく笑ってるから…」

「そお?私けっこうそんなんだよ?大事なものとそうじゃないものがはっきりしてるから、天秤てんびんにかけた時にこっちが大切だって思ったら、もう一方は非常なくらいパスッて切り捨てちゃうかな」 

「……そうゆうのって、彼女の立場だったらきっとすごい嬉しいですよね…。いつでも自分のことを一番にしてくれて、他の人には目もくれないで……」



 尾関先輩はむしろ私には冷たくて、他の人には優しい。香坂さんには特に…



「私と付き合ってくれたら、なおちゃんのこと絶対寂しくさせないんだけどなー?」



 明さんはいちかばちか私がうなづくことを期待する目で、甘えたように私の顔を覗きこみながらで言った。



「あ、その、……そうゆう意味で言ったわけじゃなくて……ごめんなさい…」

「分かってるって!今はまだいいの。あきらめたわけじゃないし。初めから長期戦覚悟してるしね」

「…あの、明さんてどうしてそんなに私のこと想ってくれてるんですか…?そもそもまだ2回しか会ったことないのに、単純に、そこまで評価される意味がよく分からなくて……」

「評価って!……そうだなぁー、言葉にするの難しいんだけど、クリスマスの日になおちゃんに初めて会った時、私、本当になんか特別なものを感じたんだよね。大げさじゃなくて。この子とは何か運命的なものを感じるなって。それからずっとなおちゃんのこと気になってて…。どうしてももう一回会いたくて、それ狙ってちょこちょこ葉月通ってさ、そしたらようやく今日会えた」

「……なんか恥ずかしいんですけど」

「なおちゃんが聞いたんじゃん」

「そうだけど……そんな大真面目に運命とか言うから……」

「ひっど!人の純真な想いを…。…でも、そーゆうとこ!説明出来ないなおちゃんのそうゆうところが私すごいツボなんだよね。ウナギみたいにさ、掴んでも掴んでも手の中からヌルっと逃げてく感じ?」

「……明さんてウナギ好きですよね」

「そこじゃなくない?また上手いこと逃げたねー」

「今のは本当にそう思っただけですよ!」

「じゃあさ、私も1つ聞いていい?」

「なんですか?」

「なおちゃんはどうしてそんなにきみかさんが好きなの?」

「……その話ですか…」

「一番気になることだもん」



 明さんは真剣に、少し姿勢を正して私の言葉を待った。今尾関先輩のことを話すのは億劫おっくうで仕方なかったけど、質問をした代償に質問に答える義理は果たさないといけない…。  

 傷口を開くように私は尾関先輩を思い浮かべた。



「……やっぱり、初めて会った時から何かは感じたのかな。一目惚れとかじゃないけど、その時にすでに自分の中では何かが始まってたっていうか……。それからどんどん知ってくたびに、尾関先輩のちょっとしたことでも胸が痛くなるくらい惹かれて、姿かたちもだけど、話し方とか、笑い方とか、雰囲気とか、なんか分からないけど、先輩にしか感じない色んなことにしつこいくらいいちいちときめいちゃって……。ほんと、どうしてこんな人好きなんだろうって本気で考えちゃう時もあるのに、顔見ちゃうとやっぱりだめだ、やっぱり好きだ…って何度も何度も思い知らされちゃうっていうか……」

「……聞くんじゃなかったかも…。思ってた以上にどっぷり惚れてんじゃん……。なんなら今ちょっと、私がなおちゃんを好きなこと忘れて話してなかった?私から聞いたにしても、自分のこと好きって言ってる人にあそこまであらわに話せないよね、普通……」

「あ、ははは…」

「って、否定してよ!あーあ、すごい皮肉だけど今なおちゃんの話を聞いてて思った。なおちゃんがきみかさんに感じるようなことを、私もなおちゃんに感じてる……。そう言ったら分かってくれる?私がどれくらい本気か」

「………」

「でもそんなにビビらなくて大丈夫だから安心して!なおちゃんにその気がないのに迷惑かけるようなことしないし、しつこく迫ったりなんてしないから。なおちゃんといるの楽しいし、今は友だちとしてこうやって遊んだり、もっと仲良くなれたらいいなって思ってる。…それも迷惑かな?」

「そんなことはないですけど…」

「ほんと!?じゃあさ、連絡先教えてくれる?今度また都合が合う時、こうやって遊んでくれたらうれしいなって。あくまで友だちとして…。ね?」

「友だちとしてなら……」

「やった!」



 連絡先を交換し終わると、明さんはまたさっきまでと変わらない様子に戻った。



「ねぇ!なおちゃん!この曲知ってる?」

「はい、知ってますよ!」

「じゃあ一緒に歌おーよ!」



 結局フリータイムが終わるまでまたそのまま歌い続け、明さんと解散したのは朝だった。



 明け始めの家までの静かな冬の道を歩きながら、目まぐるしく過ぎたこの数時間を思い出していた。



 葉月に行った時はあんなにもどん底だったのに、明さんといた時間の中に、尾関先輩のことを少しも考えないでいられた時間が少しだけあったことに、私はふと気づいた。














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