倉田 奈央
第24話 修羅場クリスマス
今年もまたクリスマスイヴが来た。去年は先輩に映画に誘われて最高の一日だったのに、今年は何もない。
おまけに週末で、学校もバイトもない。だから本当にやることがない。
どうせ先輩は彼女とデートだ。分かっているけど想像するだけで風邪を引きそうになるくらい弱るから、出来るだけ考えないようにした。
遅めに起きてリビングに降りて昼ご飯を食べた時、しょうはすでに出かけてたけど、お母さんもおばあちゃんもおばさんもいた。
だけど、一旦部屋に戻り夕方にまたリビングへ降りると、家族は全員家から出払っていた。みんなちゃっかり予定があるらしい。どうやら家族でも暇なのは私だけみたいだ。
せめて夜ご飯くらいは豪華にしてやろうと、買い物に出かけた。チキンとかケーキとかクリスマスらしいものを買うつもりでいたけど、街行く家族や恋人たちを見ていたら逆に虚しくなってきた。
せめてえなさんのお店がやっていてくれてたらよかったのになぁ…とふてくされながら商店街を歩いた。
以前からクリスマスは休みにすると言っていたから、きっと店長とえなさんは二人の素敵なイヴを過ごすんだろうな…と、シンプルに恋人のいる人たちが羨ましかった。
本音を言えばいつものように私も混ぜてもらいたいけど、さすがにクリスマスに二人の時間を邪魔するような野暮は言えない。
そんな事を考えながら今日はお休みのえなさんのお店を通りかかった時、電気がついていることに気がついた。
もしかして、予定が変わってやっぱり開けることにしたのかもしれない!私は喜びのあまり、なんの躊躇もせずに勢いよく引き戸を開けた。
ガラガラガラッ!
「えなさーん!!メリークリスマス!!」
「わっ!びっくりした!!なおちゃん!?メ、メリークリスマス……」
「ごめんなさい!驚かせちゃって。やっぱり今日開けることにしたんですね!嬉しくてつい……」
「…あ、うん…大丈夫だよ!ちょっと予約が入ってね、開けることにしたの。あんなちゃんも夜まではどうせ仕事だし」
えなさんは焦った様子で時計を気にしながら言った。
「なんか忙しそうですね、お手伝いしましょうか?」
「あっ、えっと……うん!じゃあお願いしようかな!」
「はい!任せて下さい!何します?」
「じゃあ急いでカウンターの中に来てくれるかな?猛ダッシュで」
「……はい?」
お客さんが10人も入ればいっぱいの小さなお店なのに、えなさんは数メートルの距離を急かせた。不思議に思いながらもえなさんが高速で手招きをするので、これはマジのやつだと瞬時に従い、急いでカウンターの中へ入った。
「はい!入りました!」
「うん!じゃあちょっとごめんね!」
そう言うと、えなさんは向き合った状態で私の両肩に両手を乗せ、力づくで私をぐぐぐとしゃがませた。次に座布団をビール樽に乗せた即席の椅子を差し出してきて、
「なおちゃん、ごめんね。何も言わずにしばらくここに座ってこのままで居てくれるかな?」
と不可解なことを口にした。
「……え?なんでですか?」
私がそう聞いた瞬間、ガラガラッとお店の扉が開いた。
「えなさーん!来たよー!」
尾関先輩の声だ!…てことは、予約って尾関先輩のこと…!?
すごく嫌な予感がした。
「いらっしゃーい!」
「紹介するね、こちら昔からお世話になってるえなさん」
「初めまして……間宮菜々未といいます」
……やっぱりだ、彼女と来たんだ…。こんな時にタイミング悪く来ちゃうなんて、なんて私はとことん運が悪い人間なんだろう…。
「はじめまして!
「えなさんの目の前がいいな。菜々未さん、カウンターでもいい?」
「うん」
よりによって私の目の前の席に座るなんて……。地面から近い場所で二人のなんてことないやり取りを聞いていると、そのままお店の床に飲み込まれて深海にまで沈んでゆくような気持ちになった。
コートを脱いで荷物を置いたり、お店の内装の話をしたりして二人の注意が削がれてる隙に、えなさんはしゃがんで私に耳打ちをした。
「いい?なおちゃん、何があっても絶対ここから出ちゃダメだからね!」
「えっ!?だからなんで!?」
「大丈夫だから、私を信じて……」
そう言いながら白く細い綺麗な指で私の手を握り、いつものあのぶっ飛びそうな美しい微笑みを私だけにくれた。
尾関先輩と彼女を前にして今にも逃げ出したい気持ちなのに、えなさんにあれをやられるととりあえず言うことを聞いてしまう…。えなさんの微笑みは強大な魔法みたいだ。
カウンター越しにいるせいで、二人の会話は一言一句全て耳に入ってきた。私は座り慣れ始めたビール樽の上で、両肘を抱えて縮こまりながらそれを聞いていた。
二人はクリスマスらしくシャンパンを飲んでいた。二人してペースが早く、小一時間もしないで二本目のシャンパンのボトルが空くと、回収された空瓶が私の足元に置かれた。まだ少し冷えたままのボトルを見て、行き場のない苛立ちがまた募る。
姿の見えない尾関先輩は、声だけでもすでにかなり酔いが回ってきているのが分かった。
「ねぇ、菜々未さんてさ、私のどこが好きなの?」
「えっ、なに!?突然……」
「別に突然ってことないじゃん。私たち付き合ってるんだから」
「……そうだけど…」
「どこが好きか言ってみてよ」
「………えっと……優しいところとか、綺麗でかっこいいところとか……話してて楽しいところとか……かな」
「私のことそんなに好きでいてくれてるんだ?」
「………うん」
「じゃあさ、元カノとどっちの方が好き?」
「……ど、どうして今、光…?」
尾関先輩が彼女の元カノに嫉妬してる。誰かに嫉妬する尾関先輩は初めてだった。いつも何に対してだって執着なんかしないくせに…。悔しすぎて頭の血管が切れそうになる。
私はもう本当に聞いていられなくて、側に立つえなさんの着物の裾を引っ張って訴えかけた。それでもえなさんは優しく頷き微笑み返すだけで、解放を許してはくれない。その時、またお店の扉が開く音がした。
「いらっしゃいませー!」
えなさんの綺麗な声が響き渡った後、彼女の困惑したような呟きが聞こえた。
「………うそ……光……?」
「噂をすれば本人登場?すごいタイミングだね」
光?聞こえてきた会話からすると、彼女の元カノっぽい……。
「……菜々未?!」
「あれっ?きみかさん!?」
「明ちゃんじゃん!」
なんかよく分からないけど、穏やかな空気じゃないことだけは、見えてすらいない私にもヒシヒシと伝わってきた。
「どうも。菜々未が長いことお世話になりました」
尾関先輩が光さんらしき人に嫌味っぽく言った。
「別にあなたに言われることじゃ……てゆうか、あなた…もしかしてあのライブハウスの…?」
「あぁ、そうですよ。なんか聴いてくれたことあるみたいで」
「……菜々未、付き合ってる人ってこの人なの!?もしかして、あの日がきっかけなの…?」
「……あの……違うの、そうじゃなくて……」
「ライブハウスでもたまたま見かけたみたいだけど、それとはまた別のところで運命的に出会ったんですよ。だからご心配なく」
尾関先輩が戸惑いに言葉を詰まらせる彼女をかばうように言った。
「明!明は二人が付き合ってること知ってたの?」
「あ、うん…。実は少し前にたまたま二人を見て知った。でもお姉ちゃんには言えなくて…。それに私から勝手に言っていいものなのかとも思ったし……」
四人の中に少しの沈黙が漂った後、尾関先輩がそれを破った。
「菜々未、元カノさん気になるなら出ようか?」
「……別に…大丈夫だよ」
「そお?でも元カノさんは気になってるみたいだよ。ね?気になっちゃいますよね?私たちのこと」
「……別に」
また淀んだ空気が流れたその時、
「じゃあそちらの奥のテーブル席どうぞ!」
えなさんが、現れた会話の切れ目をさっと捕まえて、光さんと明さんという人を角のテーブル席へと案内した。
「明、ごめん、少し飲んだら出たい……」
「うん、分かった。軽く飲んだら出よ」
「ねぇ明、まさか二人がここにいること知ってたとかじゃないよね…?」
「なんで!?知らないよ!知ってたら連れて来るわけないじゃん!お姉ちゃんここんとこ元気ないからクリスマスくらい楽しく飲みたいって思って、ネットで調べてこのお店見つけたんだもん。……でも結果的にごめん、私のせいで最悪の気分にさせちゃったよね……」
「ううん。疑ってごめん、気使ってくれてありがと」
私の場所からは、二つの席の会話がざるのように聞こえた。初めこそひと揉めあったものの、その後はそれぞれ大人しく飲んでいるようだった。
「菜々未、飲んでる?」
さっきから気づいてはいたけど、元カノが現れてから、尾関先輩が彼女のことを呼び捨てにして馴れ馴れしくしく呼んでいるのが鼻について仕方なかった。
「うん、飲んでるよ。でもきみかさんどうしたの?なんか今日はいつもと違う……」
「そりゃそうだよ、クリスマスに彼女とデート中だってゆうのに、彼女の元カノがすぐそこにいるんだもん。気だって多少は立つでしょ、お互い意識しまくってるし」
「だからそんなことないって!」
「それ本当?」
「……うん」
「じゃあキスしようよ」
「え!?」
「元カノが見てる前でキスして。別になんとも思ってないんでしょ?なら出来るじゃん」
「……だからって人前だし……」
「私は出来るよ?菜々未のこと愛してるから。誰が見てたって関係ない」
「ちょっ、ちょっと!きみかさん!やめて!」
彼女の声で、先輩がキスをしようと迫ってるんだと分かった。私は目をつぶって耳を塞いだ。
ガタンッ!! ……ドンッ!!
「尾関ちゃん!!」
突然鈍い音が聞こえると、えなさんがカウンターから身を乗り出した。その慌てように尾関先輩に何かあったんだと思い、私は言いつけを破って思わず立ち上がってしまった。隣に並んで立った私と目が合うと、えなさんは“あちゃー”といった具合の顔をしていた。
「…っつ、
下を覗き込むと、尾関先輩が床に片膝を立てた状態で尻もちをついていた。その前で見下ろすように立つ光さんらしき人を見て、尾関先輩は突き飛ばされて椅子から落ちたんだと簡単に推測出来た。
「菜々未が嫌がってるでしょ!?」
突き飛ばしたのはやはり予想通り光さんなんだと、その言葉で分かった。
「は?別に嫌がってないから。嫌がりながらするっていうテイで楽しんでんのに、何勘違いしてんの?てゆうかさ、もう彼女でもなんでもない他人のくせに、いい加減人の彼女呼び捨てにすんのやめてくんない?菜々未、菜々未って当たり前のように……もう菜々未は私のものなんだけど!!」
先輩は地面に座ったままで下から光さんを
時が止まったように店内が静まり返る。
「……光、私のことはいいから、明ちゃんのとこに戻って……?」
彼女が責任を感じるような様子で二人の間に割って入り、たしなめるように光さんの腕にそっと両手を添えた。
すると次の瞬間、光さんはその添えられた彼女の手首を掴んで引き寄せると、力いっぱいに抱きついた。
「ちょっと!光っ!?」
「…う……うぅ……うぁ~〜ん!!…うぁ~〜ん……!!…うあ〜〜ん!!」
小さな店内に、聞かん坊の子どものような鳴き声がつんざく。大人の女の人がこんな風に泣くのを私は初めて見た。それは、泣くことに慣れていない人の泣き方に思えた。
「………な、なみ……ななみ………お願い……戻ってきて……ななみ……お願い……」
泣き声に混じって、
「……菜々未、なに?その顔」
立ち上がり、服をはたきながら尾関先輩が冷ややかに言った。
「……あの、きみかさん、私………」
なんとか言葉にしようとする彼女の頬には涙が伝っていて、寸前のところで止めている手は、今すぐにでも光さんを抱きしめてあげたいと言っているようなものだった。
「……もういいや、もういらない。キスもセックスもさせないこんなつまんない女、そんなに欲しいんなら返してあげますよ。その代わり、今すぐ二人とも私の前から消えてくんない?」
尾関先輩が
お金を置いていこうとする彼女に「そうゆうのほんといいから一秒でも早く出てって」とまた先輩が突き放すように言う。彼女はそれに素直に従い、力の抜けた光さんの手を引いて出て行った。
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