生きろ

 生死の狭間を彷徨っている玲玖れく和治かずはるは、真っ白な空間に居た。先に話を切り出すのは、玲玖だ。

「結局、アンタは最後まで裏切らなかったな……和治」

 畢竟、和治は命を賭してまで、彼女のために戦い続けた身だ。まごうことなく、彼は忠実な部下である。

「ええ、私は、御剣みつるぎ様の家畜ですから。これからも、私は貴方に付き従いますよ。この先に向かうのが天国であっても、地獄であっても」

 そんな誓いを口にした和治は、いつもの手癖で眼鏡の位置を直す。彼の忠誠心は、もはや利害関係の域を超えていた。一方で、玲玖の想いも変わっている。

「いいや、アンタはもう家畜なんかじゃねぇ」

 そう返した彼女は、優しさを醸す笑みを浮かべていた。しかし和治には、彼女の言葉の意図がわからない。

「御剣様……?」

 ただひたすらに、彼は唖然とするばかりだった。その目の前で、玲玖の体が足下から徐々に消え始める。立ち昇る光の粒子に包まれつつ、彼女は続ける。

「アタシにはもう時間がねぇ。だが、アンタはまだ引き返せる。今のアンタなら、アタシがいなくとも生きていけるだろ」

 今の和治は、無力な人間ではない。彼もまた、命懸けで戦ったネオの一人なのだ。言うならば、彼には自立できるだけの力がある――玲玖はそう信じていた。それでも彼女を失うことを受け入れるのは、今の和治には難しい。

「そ、そんな……」

 突如突きつけられた現実を前に、彼はそれ以上の言葉を紡げなかった。そんな彼の肩に手を置き、玲玖は彼の背中を押す。

「和治。これから先、アンタには数多の試練が待ち受けているだろう。ネオが迫害されていく世の中で生き続けるのは、そう簡単なことじゃねぇ。だからこそ、今のうちにアタシの言葉を胸に刻み込め。和治――生きろ」

 そう言い残した彼女は光の粒子と化し、宙に消えていった。その場に取り残された和治は、膝から崩れ落ちる。

「御剣様。私は……私はこれから、どのように生きていけば良いのでしょうか……」

 無論、その問いに答える者はもういない。その答えを見つけ出さなければならないのは、他ならぬ彼自身だけであった。



 *



 和治が目を覚ますと、そこは天馬村の治療室だった。

「御剣様! 御剣様は、無事ですか?」

 寝台から起き上がった彼が真っ先に気にしたのは、玲玖の安否だ。そこで彼が目にしたものは、顔の上にタオルを置かれた玲玖と、その横でうずくまりながら肩を震わせる江真えまの姿だ。その光景を前に、和治は全てを察する。

「助からなかったのですね、御剣様」

 このように平静を装っている彼も、内心では深い悲しみを覚えている。その心中を察してのことか、明美あけみは彼に謝罪する。

「ごめんね。死力は尽くしたんだけど、玲玖は……玲玖はもう……」

 治療室に、重苦しい空気が立ち込めた。江真は袖で涙を拭い、それから声を張り上げる。

「起きろ! 起きるんだ、玲玖! 私はまだ、君にワインを奢っていない! 私はまだ、借りを返していないだろう!」

 当然、死人が口を利くはずもない。玲玖はもう、この世にはいないのだ。彼女たちの前に横たわっているのは、かつて命だった抜け殻に過ぎないのだ。


 和治は語る。

「……私は、夢を見ました。御剣様が、私にこう伝えたのです。生きろ――と。今の我々に出来ることは、あのお方の分まで生き続けることなのでしょう」

 それが彼の覚悟にして、今後の抱負だ。そんな彼に対し、江真は質問をする。

「何故、君はそう冷静でいられるんだ。一番つらいのは、君のはずなのに」

 その問いに対する和治の返答はこうだ。

「平静を装っていないと、私の心がひび割れるような気がするからです。私だって、正気を失うのは怖いものですよ」

 結局のところ、彼は人間の心を捨てきれていなかった。彼の頬にも、一筋の涙が伝っていた。

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