人間とネオ

弱者の様相

 翌朝、玲玖れくは病室で目を覚ました。包帯に身を包んだ彼女が辺りを見渡すと、寝台のすぐ横には江真えまが立っていた。先に話を切り出すのは、玲玖だ。

「ようやく決心がついたようだな、江真。力を背負うということは、期待を背負うということだ。幸い、今のケテル教徒は世間からしたら絶対悪だ。アンタに連中を一掃して欲しい――これは善良な市民の総意なんだよ」

 無論、これは彼女の参謀の策略によるものだ。そんなことなど知る由もなく、江真は完全に行動を掌握されていると言っても過言ではない。されどこの女も、己の正義を完全に捨てきれたわけではない。

伴造はんぞうに利用されているアイツらも被害者で、弱者だというのに……」

 そう返した江真は、陰りのある表情をしていた。どんな戦いを経ようと、いくら死人が出ようと、彼女の目に映るケテル教徒たちの姿は変わらない。彼らは皆、依然として教祖に操られた被害者だ。しかし玲玖は、その考えを一笑する。

「ああ、連中も被害者にして弱者だ。だが弱者の様相をしていねぇ。世間が救おうと考える弱者は、わかりやすい悲劇のヒロインだけなんだよ」

「私はこれからも、誰にも理解されない傀儡を傷つけなければならないのか……」

 江真は憂いを募らせる。彼女を取り巻くジレンマは、決して単純なものではない。一方で、玲玖は至極単純な考えのもとで行動している。

「それが力を持った者の使命だ。誰かがノイズを除去しなければ、安寧は成り立たねぇ。無論、アタシもまたある種のノイズなんだが……奴らとの決定的な違いは力の有無だ。強者というノイズは生存し、弱者というノイズは何らかの大義名分があれば間引かれる」

「そ……そんなの、間違ってる!」

「もちろん、それが正しいことだとは言わねぇさ。だが、それが世の中の仕組みだよ」

 世の中は弱肉強食――ただそれを認めているだけで、彼女は確固たる理念のもとで行動できている。善性ゆえに迷う江真と、悪意ゆえに芯を持つ玲玖――二人はまさしく対極と言えるだろう。それでも江真は、玲玖に理解を求める。

「君は弱者の目線を……連中の立場を考えたことがないのか?」

「案ずるな。弱い人間にだけ持つことを許された武器がある。それは『声』だ」

「声……?」

 弱者も戦えることがある――それが玲玖の考えだ。しかし彼女の考えでは、ケテル教徒は「戦える弱者」に属していない。

「自らが弱者に属していることを証明する――たったそれだけのことで、弱者は道徳の恩恵に与れる。尤も、それじゃ非力かつ何者にもなれねぇ人間は間引かれるんだがな。果たしてケテル教の連中は、弱者を名乗ることを許されるかな?」

「……どっちに転んでも、事態は最悪だ。ケテル教の蛮行が許されるのも、利用されているだけの弱者が割を食うのも、私の望むことじゃない!」

「答えは後者だよ。さっきも言ったが、弱者の様相をしていねぇ弱者は間引かれるだけだ。何故なら人間は、善悪が絡むだけで優劣を見失うからだ」

 その言説に、江真は全身全霊を以て反論したかった。その気持ちを押し殺す彼女に対し、玲玖は一つ助言する。

「そうだ、一つアンタに助言してやるよ。アンタは多くのことを不正解だと思っている一方で、何一つとして己にとっての正解となる考えを持っちゃいねぇ。妥協を許せねぇ完璧主義が裏目に出て、アンタは行動を臆しちまうんだ」

「だから、道を踏み外せと……?」

「無理は言わねぇよ。まあ、どんな形であれ、己にとって正解だと思える答えを見つけることだな。それを出来ねぇ人間が何かを不正解だと喚いたところで、代替案が出ねぇんじゃ話にならねぇだろ」

 その指摘に、江真は何も言い返せなかった。

「確かに、そうだけど……」

 彼女はそう呟いたが、その後に続く言葉を紡げなかった。

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