義理と人情

 それから数日間、江真えまは逃げ隠れるように生活していった。ケテル教の教徒に包囲されれば、煙に身を隠してその場を去る――それが彼女に出来る全てだ。そうまでして非暴力的な姿勢を見せる彼女も、連中からすれば「悪魔の化身」だ。この日、江真はいつものように三日月屋にいた。その横顔は酷く疲弊している。隣に座っている明美あけみは、彼女を心配するばかりである。

「ねぇ、江真。本当に大丈夫なの? 江真は一体、何に巻き込まれているの?」

「詮索はしないで欲しい。私は、明美を巻き込みたくはないんだ……」

 やはり江真は、多くを話してはくれなかった。当然、それは彼女なりの優しさだが、明美は激昂する。

「そうやって、全部全部一人で背負い込んで、傷ついて……江真の馬鹿!」

「あ、明美……?」

「ウチの気持ちも考えてよ! 大切な友達が大変なことに巻き込まれていて、ウチは何も出来ないんだよ! 何が起きているのかさえ、知ることが出来ないんだよ!」

 声を張り上げた明美は、目に涙を浮かべていた。そんな彼女の背中をさすり、江真は本心を語る。

「私は、良い友人を持ったものだ。これまで、私は幾度となく心を折られそうになっていった。わかるか? 明美。私だって、本当は心細いんだ」

 ジャドとの契約でネオになった彼女も、根は人間だ。手に余る試練の日々を抱えるのは、彼女にも酷なことである。そんな彼女を心配に思い、明美は話を引き出そうとする。

「それなら、話して欲しい。江真は今、何に巻き込まれているの?」

「そうだな。私がどうしても全てを抱えられなくなった時……生きる希望を見いだせなくなった時……そんな時に、君に全てを話そう。君は私にとって、かけがえのない友人だ。だからこそ、君を危険に晒したくはない」

「……うん、わかった。いざという時は、ウチのことを頼ってね」

 結局、江真からの話を引き出すことは叶わなかった。明美は、友人の苦しみに対して何も出来ない自分を憎むばかりだ。


 そんな時、何人もの人々が三日月屋に乗り込んできた。


「見つけたぞ! 悪魔の化身!」

「教祖様のため、そして解脱のため!」

「我々は、お前を討つ!」

――ケテル教の信者たちだ。彼らの手には、刃物が握られている。そんな彼らを率いるのは、川島伴造かわしまはんぞうだ。

「オヌシの命もここまでだ……最上江真もがみえま!」

 穏やかな事態ではない。江真は深いため息をつき、卓上に一万円札を二枚置いた。

「お釣りは要らない」

 店主にそう告げた彼女は、明美の手を掴んだ。一刻も早く逃げなければ、二人は命の危機に晒されるだろう。


 その時だった。


 店主は包丁を手に、厨房を出た。彼はケテル教の信者たちを睨みつけ、勇ましい声を発する。

「俺の大切なお客様に、手出しはさせない! この店は、お客様が安心して食事を楽しめる場所でなければならないんだ!」

 その目には、一切の迷いがなかった。しかし彼は人間で、相手は刃物を持った大勢の狂人だ。その上、彼らの教祖はネオ――到底、常人である店主の敵う相手ではない。

「店主! ダメだ! 私には構わず、どうか……!」

 江真はそう言ったが、店主には店と客を守り抜いてきたプライドがある。

「江真。お前は義理と人情に生きてきた。ならばわかるだろう? 俺の義理と人情が、お前にもわかるはずだ」

 その言葉に、江真は我に返った。今までの彼女は、これほどまでに明美を心配させてきたのだ。伴造は信者たちに、更なる指示を送る。

「悪魔の化身を庇うとは、醜悪な店だな。これは命令だ……必要とあれば、店主もろとも殺せ」

 その一声により、刃物を携えた信者は、一斉に店主の方へと襲い掛かった。

「店主! 逃げろ!」

 そんな江真の声も、今の店主には届かない。彼は包丁を構えたまま、その場から微動だにしなかった。

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