水素火炎

 明美あけみを拘束したまま、男は話を続ける。

「俺たちに逆らわねぇ方が良い! テメェが思ってるより、俺たちの組織はデケェんだからよ!」

 粗方、これは江真えまの予想している通りだ。元より、彼女はこの街を牛耳る反社会的勢力に探りを入れている身である。もっとも、今揃っている情報だけでは事足りないのもまた事実だ。

「答えろ。君たちは、誰の差し金だ」

「あぁ? 誰が答えるかよ! テメェが大人しく引き下がらない限り、この女は解放しねぇぞ!」

「くっ……」

 例え威勢があろうと、江真は動けない。少なくとも、彼女の眼前の男たちはそう思っていた。


 彼女が糸口を見いだしたのは、まさにそんな時である。


 直後、明美を拘束していた男はもだえ苦しみ始め、ナイフを足下に落とした。男の服が焦げ始め、煙が立ち込める。しかしどういうわけか、その場にいる誰も炎を観測していない。

「なんだ……何をした!」

 その場に膝を突き、男は叫んだ。続いて、その周囲の者たちも同様に苦しみ始める。この光景に驚く明美に対し、江真は仕掛けを説明する。

「これは水素火炎――水素の燃焼による炎だ。水素火炎の光は紫外線や赤外線の領域に位置しているから、人間の色覚では視認できない。さぁ明美、今のうちに逃げるんだ」

 そう――彼女が手にした力は「炎を操る」といったものだ。当然、彼女の操れるものには、水素火炎も含まれている。明美は深く頷き、すぐに走り去った。江真に残された仕事は、男たちから組織の情報を聞き出すことだけである。

「さあ、先ほどの質問に答えてもらおう。私が真実を知ったとしても、君たちが口を割った証拠にはならないだろう。今目の前にいる私に歯向かうか、君たちのボスに歯向かうか……好きな方を選ぶと良い」

 確かに、組織の末端でしかない彼らには、命を張ってまで秘密を守り抜く必要などないだろう。彼らのうちの一人がおもむろに立ち上がり、情報を吐く。

「Rだ。我々は、Rという人物の指示のもとで動いている。だが俺たちは、そいつの顔も名前も知らない!」

 彼があくまでも白を切ろうとしているのか、あるいは本当に多くを知らないのか――それは定かなことではない。いずれにせよ、もう少しだけこの男に揺さぶりをかける必要があるだろう。

「本当か? もし嘘だったら、次はこの程度の火力では済まさない」

「本当だ! 俺たちはRについて何も知らない! だが、Rに逆らうことが出来ないんだ!」

「顔も名前もわからない相手に、逆らえない? 何を馬鹿なことを言っているんだ」

 江真が困惑したのも無理はない。何しろ、見ず知らずの人物に支配されている状況というものは、あまりにも想像に難い。怪訝な顔をする江真に対し、周囲の男たちも口々に声を張り上げる。

「頼む、これで引き下がってくれ! 俺たちは皆、Rに命を握られているんだ!」

「そうだ! 俺たちはあのお方に、誰にも言えないような弱みだって握られている!」

「アンタにも忠告してやる! これ以上探りを入れたら、いくらアンタでも無事では済まないぞ!」

 依然として、彼らの言い分が本当か否かはわからない。しかし、これ以上探りを入れることにも意味はなさそうだ。江真は炎を止め、ポケットからボイスレコーダーを取り出した。何やら彼女は、自分が反社会的勢力に狙われていることを予期していたようだ。

「君たちの発言は、録音させてもらった。警察には、Rとやらについて調べてもらう。散れ……私も命まで奪うつもりはない」

 そう言い残した彼女は男たちに背を向け、その場を後にした。


 それから江真は、最寄りの警察署を訪ねた。彼女は警官にボイスレコーダーを提出し、念を押す。

「Rという人物が、この街を力で支配している」

 その人物が何者なのかは、まだ判明に至っていない。しかし彼女は、徐々に核心に迫っている。

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