ふたつ。晴れた日には老夫も惑う

 目を開けると見知らぬ天井。木の板が張られたそこから、和紙で囲われた電球が垂れ下がっている。鼻を奥がツンとするような重たい匂い、お線香の匂いだ。ぼんやりと、ここが畳の部屋なのだとわかった。

「目ぇ覚めたか?おはよう」

 少しかすれた低く響く声。土間にはさっきのおじいさんが立っていて、ここが彼の家だとわかった。


「なぁ、なんで切ってん」

 突然の言葉に寝ぼけた頭をかしげていると、おじいさんは僕の右手を指差した。手首の先はもう無いままだけど、綺麗な包帯が巻いてあり、しっかり止血もしてあるみたいだった。おじいさんの差し出した湯呑みのお茶を飲むと、ひんやり冷たくて、頭の中がスッキリした。


 そうだった。

 僕は昨夜、自分の右手を切り落とした。

 別に特別な理由はなかったと思う。ただ、いろんなことがもうイヤになってしまっていた。クラスの中での人間関係とか、口うるさい大人の言いつけを守ることとか。そんな中で、うっかりクラスメートを殴ってしまった。

『どうして殴ったんだ?』

 担任の先生の言葉。しいて、言うならこれがきっかけだと思う。

 僕はアイツを殴った理由を考えた。

 ・アイツがムカつくから。

 ・会話で解決できないから。

 ・殴る方が早いから。

 ・偉そうにしてるから。

 ………………。

 いろいろいろいろ考えたけど、一番の理由は僕に腕があるからだと思った。心があるのも理由だけど、心で誰かを殴ることはできないから。腕が無ければ、もう殴る心配はないと思った。

 僕は氷で感覚がなくなるまで右手を氷で冷やしてから、血が止まるくらい紐でキツく縛った。そして、納屋の奥にしまってあった電動ノコギリを引っ張り出し、勢いよく回る刃に押しつけた。

「――とりあえず、昨夜は右手だけ。両手を同時にやると、血がたくさん出すぎるかもしれないから」


「なんでやねん」


 テレビのお笑い芸人さんみたいなおじいさんの一言。ただ、僕は何と返したらいいのかわからなくて。

「……どないやねん?」

 恐る恐る言葉を返すと、おじいさんは変な顔で深い息を吐く。

「……最近の子は何考えてんのかわからん」

「だって、いっぱい血が出ると死んじゃうから」

 さっき倒れたのだって、止血が失敗したからのはず。やっぱり片手ずつ切り落とすので正解だった。


 おじいさんはもう一度息を吐くと、自分のお茶を一口飲んだ。湯呑みの上にうっすら白い湯気が見えて、僕のとは違い温かいお茶だとわかる。


「……ちょっと違う話になるけどな、ワシ“困ったときの神頼み”ってあんま好きちゃうねん。困ったときだけ助けてくれーってヤツな。ただズルっこいってわけじゃなくてな、仲も良くない神様に願い事なんてちゃんと伝わらんってことなんやけど」

 机の上のお菓子入れ。個包装されたおせんべいと一口羊羹の間に季節外れのミカンが紛れていた。

「君には不要な言葉やなんやろうな。いや、むしろ、君はこの世のしがらみのことをもっと大事にした方がええよ」

 遠くに聞こえるサイレンの音。それをぼんやり聞きながら、おじいさんに返すべき言葉を考えていると、家の前でピタッと止まった。

「すまんなぁ。通りすがりのジジイが言うようなことちゃうかったかもしらんなぁ」

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