四節/2
ああなるほど、とレイフォードは納得した。
この倦怠感も麻痺も、過剰症が原因だったのだ。
即座に消失しなかったのは不幸中の幸いだろうか。
まだ幼い少年。
病名も、病状も、知らなくて当然なはずだ。
しかし、レイフォードは状況を理解していた。
そして、その上で落ち着いていた。
定められた未来すらも、解っているはずなのに。
「……僕は、あとどのくらい生きられるのでしょうか」
レイフォードの問いに誰も答えられなかった。
シルヴェスタも司祭も、風や鳥だって答えてくれなかった。
誰一人として、レイフォードが生存できる期間を知る者はいないからだ。
「……過去千四百年間のアリステラ王国史の内、発症例は三件。
二件目の約二年、それが過剰症罹患者の最大生存期間だ。
次点で半年、最低は──五秒」
重い口を開けて、シルヴェスタは事実だけを並べる。
レイフォードが欲しているものは理解していた。
『お前なら死ぬことはない。絶対に治る』など、励ましてほしいのだろうと。
だが、シルヴェスタは口に出せなかった。
それが身勝手な言葉だと解っていたから。
何の根拠もない守るという言葉は、いずれレイフォードを苦しめてしまうと解ってたから。
だから、事実を並べるしかなかった。
愛する我が子に、無にも等しい時間しかないと突き付けてしまうとしても。
シルヴェスタは決して愚かではない。
レイフォードも決して愚かではない。
理想と現実を明確に線引き出来る彼らだからこそ、この悲劇は起こってしまった。
──尊敬する父親から、自身はもう長く生きることはできないと宣告されてしまったのだ。
シルヴェスタは運が悪い男である。
対人関係は、それが顕著に表れる。
本人がどれだけ努力したところで、他人が関わり始めれば、その不運は遺憾無く発揮されてしまうのだ。
特に、二択を選ぶ時はいつも不正解を選んでしまう。
今回のように。
ここでシルヴェスタが励ましていれば、選択を間違わなければ、レイフォードは病を治すことに活力を見出せたかもしれない。
しかし、それはたらればの話だ。現実はいつだって残酷で苦しいものである。
「そう……ですか……」
喉がきゅっと閉まって声が出ない。
必死に泣き出さないように堪える。
ここで涙一つ零してしまえばシルヴェスタは、父はどう思ってしまう。
誰かが自分のせいで哀しむのは嫌だった。
レイフォードは、もう誰も哀しませたくなかった。
その感情がどこから来るものかも分からずに、ただ哀しませたくないという心のままに自分を偽り続ける。
「……今日はもう帰ろう。
司祭、今日はすまなかった。また後日正式に詫びる」
「いえいえ。こちらこそ何もできずに申し訳ありません」
シルヴェスタは司祭と話し終えると、何かを呟いた。
魂から源素が渦巻き、身体を巡っている。
そして、肩に突然小さな竜が現れた。
先程まで影も形もなかったというのに、確かに存在している。
司祭はその様子に驚くことがない。
そこで、レイフォードはあの竜が《精霊》であることに気が付いた。
何分、シルヴェスタの精霊を見たのは始めてであるし、不調で頭が回っていなかったのだ。
普段のレイフォードならば、一目で精霊と気付けるはずなのに。
〝眼〟は正常に機能しているというのに、頭が機能していなければ無駄ではないか。
瞬きをして、脳が悲鳴を上げていることを改めて認識する。
頭痛が鳴り止む気配はない。
数分後、椅子に掛けられていた上着を回収し、シルヴェスタはレイフォードを抱え上げた。
がらんと閑古鳥が鳴く礼拝堂を抜けて、教会を出る。
既に馬車は到着しており、御者台から降りてきた従者が馬車の扉を開け、レイフォードを抱えたまま颯爽と乗り込んだ。
貴族に見合う高級な
一仕事終えた、という風に溜息を吐き、自分も反対側の座席に座った。
書類仕事しかしないからと、母にも力比べで負けることもある細腕で、よくここまで運んでこれたものだ。
シルヴェスタが譲れない、父としての挟持を垣間見た気がした。
馬車が動き出す。
座っているからか、振動がいつもより強く伝わってくる。
自分が乗り物酔いする体質ではないことに、レイフォードは感謝した。
それでも気分の悪い身体には障るようで、頭痛も倦怠感も酷くなっていくばかりだ。
十数年前は、もっと揺れが大きかったと聞く。
現在の改良された馬車でなければ、レイフォードは再び意識を失っていた可能性があった。
寝られると考えるならば、そちらの方が良いのかもしれないが。
茜色が徐々に藍色に染まっていく。
暫くすれば星々が顔を出し、月が世界を仄かに照らし始めるだろう。
今日は雲が少なかった。
空を見るには丁度良い。
だが、その空をレイフォードが見ることは叶わない。
自立できないほど身体が弱っている。
せめてその数歩だけでも歩ければ、何か変わるかもしれないのに。
やがて、窓から見える景色に木々が映り始めた。
もうすぐ、屋敷に着くだろう。
レイフォードの予想通り、数分もしない内に馬車は運動を停止した。
先と同じようにシルヴェスタが抱え上げて、降りていく。
屋敷では帰りが遅くなったことを心配した家族が待っていた。
母、兄、姉、付きの数人の使用人。
春だと言ってもまだ肌寒い中、待ち続けることは些か辛いはずだ。
心配させてしまったことも、外で待ってもらっていたことも、レイフォードはとても申し訳無かった。
全て自分のせいなのだから。
「お父様、レイ!」
一人の少女が二人の元へ駆け寄ってくる。
色彩は母、顔は父シルヴェスタによく似た少女。
レイフォードの姉であるリーゼロッテだった。
「心配いたしましたわ。
どうしてここまで遅くなったのですか?」
「色々あったんだ。
後で話すから、今は一先ずレイを休ませてあげてくれ」
疑問を投げ掛けるリーゼロッテを往なして、シルヴェスタは家族の側に控えていた使用人にレイフォードを預けた。
「クラウ、後で執務室に」
「……解ったわ」
妻であるクラウディアと耳打ちし、レイフォードを自室へ運ぶことの他いくつか命令を下すると、自分はやるべきことがあるからと離れていく。
使用人の手に渡った時点で、レイフォードの意識は既に朦朧とし始めていた。
鈍器か何かで叩かれて続けているかのように視界が揺れ、鋭い痛みが脳を突き刺す。
途切れゆく意識の中で最後に見えたのは、あり得ないとでも言いたげな兄の目だった。
それからだった。
レイフォードがあの世界に落ち始めたのは。
最初は酷く動揺した。
身体を這う手の不快さも、振るわれ続ける暴力への恐怖も、大切な人を喪った哀しみも。
全てすべて自分のものであるはずなのに、一つだって自分のものではないのだ。
苦しい、辛い。
ずっと一人でそれらの感情を抱え続ける。
誰かに相談しようと思わなかったわけではなかった。
だが、レイフォードは躊躇った。
訳の分からないことを話して、おかしな目で見られることを。
可哀想な子だと憐れまれることを。
元々、少し異端な子どもであった。
歳に似合わぬ聡明さと、時折見せる懐疑な行動。
本人に思考の流れが存在してそれに沿って動いているといっても、他人はそのことを知る手段がない。
ましてや、レイフォードは誰にも言えない秘密が。
他人とは隔絶的に違う要素を孕んでいたことは事実だった。
──自分ではない、他人の記憶を持っている。
それも、ここではないどこか別の世界に生きた者の記憶。
それは、レイフォードが異端である証。
生まれてから現在に至るまで、秘匿され続けたもの。
これが他人へ知られれば、レイフォードはただの人ではいられなくなる。
もう既に人ではないとしても、誰にも知られるわけにはいかなかった。
どうしたって、レイフォードはシルヴェスタの息子で、彼らの家族であるレイフォード・アーデルヴァイトでいたかったのだ。
ああ、また秘密が増えた。
レイフォードの首をくるりと廻って締め続ける糸がまた一つ増えた。
増える度に息が吸えなくなる。
生きることが難しくなる。
それでも、レイフォードは生きねばならなかった。
あと僅かの生命を抱えて、藻掻かねばならなかった。
何故なら、それが『レイフォード・アーデルヴァイト』なのだから。
人であり続けることをやめるわけにはいけないのだから。
偽り続けることを止めるわけにはいかないのだ。
眠れないのに、再び眠りに就こうとする。
無駄だと知っても、人であるからには休眠は必要なのだ。
あの日からずっと続く悪夢は、レイフォードを離してくれない。
夜は、まだ明けることはなかった。
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