四節〈平穏はいとも容易く毀れるもので〉/1

 右目が痛い。手足が痛い。頭が痛い。

 激痛に苛まれる中、レイフォードは目を覚ました。


 未だ誰かに触られているような感覚と不快感、痛覚が精神を蝕んでいく。

 自分にされたことではないはずなのに、確かに全て憶えている。

 原理も理由も解からずに、一人で耐えるしかなかった。


 噎せ返る胃液を押し留めようと、こびりついた悪夢を掻き消そうとして喉を締めた。理性は、まだ残っている。


 脳裏にまだ、肉塊と化した少年の姿が焼き付いていた。

 暗闇と血の臭い、恐怖と宿怨が迫ってくる。


 これで百回目。また、助けられなかった。

 どうしたって、少女は大切なものを奪われる。

 少年を助けることができない。

 何度繰り返したって運命は変わらないのだ。


 この夢か現実か判別できない世界から、レイフォードは抜け出せなかった。

 唯一の救いは、レイフォードとして覚醒している場合には、少女として過ごすことがないということだろうか。


 どうしてこんなことになってしまっているのだろう。

 遠い昔のように感じるあの日を思い起こす。






 遡ること一週間前、創造の月八日。

 祝福の儀で発生した異常現象。

 突如激痛に襲われ、意識を手放したレイフォードが目覚めたのは、日も暮れ始めた凡そ五時間後だった。



「……ああ、良かった」



 耳に入ってきたのは、聞き馴染みのある男性の声。シルヴェスタのものだ。



「……父上? ここは──」



 二の句を継ごうとしたが、頭がずきりと痛んで言葉が詰まる。

 それどころか、全身に渡る凄まじい倦怠感と麻痺で身体を起こすこともできない。

 行き場のない力が体内で霧散し、僅かに残ったものが指先を震わすだけだった。


 自身はこんなにも虚弱だっただろうか。

 いや、そんなはずはない。

 現に意識を失う前まで、何もおかしいところはなかった。

 ならば、どうして。



「お目覚めになられましたか」

「……何もかも、夢であれば良かったのだがな」



 部屋の奥から歩み寄ってきたのは司祭だった。

 レイフォードは、二人の会話に違和感を覚える。

 『夢であれば良かった』とは、いったい何のことなのだろうか。


 疑問で埋め尽くされる思考を解いたのはシルヴェスタだった。

 眉間に皺が寄り、悲哀で歪んだ仏頂面で彼は残酷な事実を告げる。



「……レイ、今お前の身体はある異常が発生している。原因は、至って単純なものだ。

 ──見えるだろう、《魂》から溢れ出す《源素げんそ》が」



 自分の胸、心臓の辺りを見る。

 いや、見るまでもなかった。


 本来ならば、レイフォードの魂は親指ほどの大きさしかない。

 意識して見ようとしなければ、見えることはないのだ。


 だが、今は意識しなくても見える。

 何故ならば──魂よりも数千倍巨大な源素が、溢れ出していたからだ。






 魂、それは源素と呼ばれる力を入れる器のようなものだ。

 通常、肉眼で視認することは不可能であり、一部の特殊な能力を持つ者だけが見ることができる。

 様々な機能があるが、特に重要なのは源素の保有・貯蔵だ。

 

 一般的に、生物は『肉体』と『魂』の二つの要素が必要になる。

 肉体は物質界に存在し、魂は幻想界に存在する。

 その二つは両方が両方にとって必要不可欠であり、片方しか無い場合は生物として成立しない。

 だが、その二つがただあるだけでは、まだ生物足りえない。


 物質界と幻想界を繋ぐ原動力エネルギーである源素。

 それが魂に入ることで、初めて物質界と幻想界は互いに干渉し合えるのだ。


 許容量の個体差はあるとはいえ、魂がある限り全ての生物は源素を保有している。

 逆説的に、非生物は源素を保有していない。

 これは、後天的に魂が破損してしまった場合の生物でも同じことだ。

 

 では例えば、源素が魂の許容量を超えて注がれ続けてしまったら、その生物はいったいどうなるのだろう。


 杯に注がれた水が溢れるように、魂から源素が溢れ出ていく。

 縁までたっぷりと貯まれば、それらはやがて器を覆い隠し、罅入れ、破壊する。


 その過程で肉体に影響が及ぶのは明白だった。

 物質界と幻想界を繋ぎ、干渉する源素が溢れ出ているのだから。


 肉体は飽和した源素により、物質界との繋がりが急速に、もしくは徐々に薄まっていく。

 そうして、魂が魂としての機能を成さなくなった瞬間に、肉体は消失する。

 まるで、身体ごと源素に変わってしまうように。


 レイフォードの身体を蝕む病、その名は《体内源素過剰症》。

 療法が存在しない、罹ってしまえば死の運命が定められる難病の一つだった。

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