三節〈純白を穢せ、穢れは殺せ〉

 星月の光も届かない暗闇の中、数人の人影が蠢いていた。

 崩れかけの小屋に、肉を叩く音が響いている。


 音の発生源は、床に伏せた少女と男の間。

 少女の手足は抵抗できないように潰され、杭のようなもので床に縫い付けられていた。

 抉られた右の目玉がごみのように転がり、何度も何度も鞭で叩かれた背は、蚯蚓腫れと出血で醜く歪んでいる。


 男が一際強く動けば、振り子の如く少女の身体も弓形に撓る。

 最早言語ですらないただの呻き声を垂れ流し、痛みと不愉快さに顔を顰める気力も無く、ただ人形のように弄ばれ続ける。


 少女に乱暴していた男が、周りにいる内の一人と入れ替わった。

 待ちくたびれたと鼻息を荒くし、再び少女を自分勝手に痛め付け始める。


 いったい、何時間経ったのだろう。

 少女は霞む視界で光の無い空間をぼんやり見渡した。


 廃棄された山小屋。

 光が入らないように窓は封じられ、出口も鍵が掛かっていた。

 周囲には少女より一回りもニ回りも大きな男たちが集い、暴虐の限りを尽くす。


 ここに助けを期待しても無駄だ。

 来れるとしても、少女を救ける者はこの世界にはいない。

 

 空気を切る音と破裂音が暗闇を貫き、少女の肉体が大きく跳ねた。

 月光のような長髪が宙に舞う。

 代わる代わる男に辱められ、もう前後すら分からない。

 唯一まともに機能するのは耳だけだった。


 その耳が何かを叩く音を拾う。

 音の質感からして、木製のもの。

 方向からして、入り口の扉だろうか。


 少女に陵辱を行う男とは別の者が扉へと歩み寄る。

 古びた扉が開かれれば、僅かな月明かりが来訪者を照らし出した。


 少女は救いを期待していなかった。

 それでも、と一縷の望みを掛けて顔を上げる。

 もしかしたら、こんな自分でも救ってくれる聖者がいるかもしれないと思って。


 だが、少女の願いは泡沫うたかたの如く散る。

 来訪者が運んで来たのは、救済ではなく地獄そのものだったのだから。


 来訪者は男たちの仲間だった。

 無精髭を生やし、ぎょろりとした眼を血走らせた恰幅の良い男。

 少女の大切なものを連れて行った者だ。


 仲間と一言交わし合えば、男たちは嗤い出す。

 どうして嗤っているのか、扉から離れていて聞き取れなかった少女には分からなかった。


 下卑た嗤いと引き摺る音。

 少女の前に何かが投げ出された。

 

 べちゃりと床に墜落したそれから緋色の液体が飛び散り、少女の頬を汚す。

 不明瞭な世界から得られたのは、あかと黒の塊であること。

 そして、鈍った鼻でも分かる強烈な血の臭い。


 一瞬にして感覚が研ぎ澄まされる。

 それをもっとよく見なければいけない、と。


 頭と思しき部分からは白髪が生え、眼窩が少女を見つめていた。

 虫の息ほどの微かな呼吸音が、まだそれが生きていることを伝えている。



 ────あ、ああ……!



 少女がそれが何か理解する時間は、刹那もいらなかった。


 思考する暇なく抑え付ける男を蹴り飛ばし、貫通する杭を気にも留めず、胴体に付随するだけの手足で肉塊に這いずり寄ろうとする。


 あと十二センチメートル

 感覚のない右手を意志だけで動かして、肉塊に届くはずだった。



 ────油断も隙もありゃしねえな。おい、さっさとやれ!


 

 しかし、その意志は潰える。 

 寸前で、周りにいた男の一人に造作もなく踏み潰されたからだ。


 男は既に潰れた少女の手を入念に踏み躙る。

 痛覚が麻痺していても、上から踏みつけられれば持ち上げることは出来ない。


 そうして動けなくなった少女の眼前で、男たちは最後の仕上げに取り掛かった。

 小屋の隅に立て掛けられていた大振りの剣。

 両手で握るために柄は長く、刺突のための切先は無い。

 罪人を斬首するためだけに作られたものだった。


 その剣を高く持ち上げる。

 天からの裁きであるとでも言うように。



 ────やめて……!



 静止の声も聞かず、それは振り下ろされた。


 小さな絶叫。

 命が潰える瞬間の音。

 断末魔。


 肉塊に僅かに残っていた人型部分である首に食い込んだ刀身。

 最も苦しむ瞬間であると知っていたからか、それとも刀身の劣化や技量の不足からか。

 真偽のほどは分からない。

 だが、肉塊とされた者が彼らに殺されたことだけは明白だった。


 剣が首から引き抜かれる。

 もう一度、振り下ろされる。

 また止まる。


 斬られる度に血が滴る。

 何度も何度も繰り返して、やっと首が落ちた。

 しかし、それで終わるわけがなかった。


 次の標的は、頭。

 脳天へ向けて、剣が振り下ろされる。


 頭蓋の割れる音。

 脳髄が潰される音。

 骨が砕かれる音。

 

 あかあかあか

 すべてがに染まっていく。

 視界が真っ緋に染まる。


 一連の行動は、時間稼ぎでもあったのだろう。

 蹴り飛ばされた男が体制を立て直し、報復と怒りを込めて少女の腹を蹴り飛ばした。


 元々数倍もある体格差に衰弱していたこともあり、少女の華奢な身体は紙のように吹き飛び、叩き付けられ転がっていく。

 肺からすべての空気が抜け、あまりの衝撃に意識がぷつりと途切れてしまった。


 だが、男たちはそれを許さない。

 少女の長い髪を乱雑に掴み上げ、頬を殴る。

 口内で、苦い血の味がまた広がっていく。


 肉塊から目を逸らせないように。

 現実から逃げられないように、男たちは少女を甚振り続ける。


 

 ────ああ、そうだった。忘れるとこだった。

 



 ふと、ある男が亡骸が固く握っていた手から蒼空そら色の平紐リボンを取り上げた。

 それは、少女が御守として彼に預けていたものだった。

 布地も花の刺繍も赤黒く汚れ、所々ほつれている。



 ────これ、大事なものなんだろう?



 男は、少女の目の前にそれをぶらりと垂れ下げた。



 ────……そう。私とあの子の大切なもの。

 貴方のような人が触っていいものじゃない。



 片側だけ残った瞳で、精一杯睨み付ける。


 少女の言葉に苛立ち、顔を歪めた男だったが、その表情は直ぐに安らかなものになった。



 ────そうか。そうなら、お望み通りにしてやるよ……!



 それは衣嚢ポケットからとある道具を取り出し──その炎で、平紐を燃やした。

 何でもないように、塵芥を廃棄するように。

 


 ────やめて……! それを返して、それは■■■■のもの──。



 取り返そうと伸ばした手は瞬く間に抑えつけられ、放されることはない。

 その端が燃え尽きるまで、じっくり見せ付けられる。

 彼との絆が、少女の想いが燃やされていく。



 ────■■■■■の目と、同じ色だね。



 そう言った少年の言葉が、何度も何度も頭の中で反復する。


 どうして、と糸のようなか細い声が嗤笑の間を通った。

 枯れた喉で少女は言葉を紡ぐ。

 自分が犠牲になればあの子は助けてくれる、そう約束した筈だ。

 それなのに何故、と。


 それを聞いた男たちは一瞬硬直し、そして哄笑した。

 男たちにとって、少女がそこまで人を信じられることが可笑しかったのだ。

 一頻り嗤い終えれば、男の一人が少女に真実を告げる。



 ────悪魔憑きとの約束なんて、守るわけがないだろう。

 穢れた人でなしの癖に、思い上がり過ぎだ。



 ああ、そうだ。

 始めから少女も、少女が守りたかったものも、すべて壊される運命にあったのだ。


 視界が滲む。

 決して涙なんて見せてやるかと思っていたのに。

 心に負った哀傷から、絶えず雫は零れていく。






 透明な花で作られた冠が差し出された。

 とある日、星月が輝く夜明けの空の下。

 少女と少年が初めて出会った時のこと。


 雲のように白い髪。

 煌めく菫青石アイオライトの瞳。

 悪魔憑きと蔑まれる少女が愛した、心優しき少年。

 在りし日の、美しき記憶。






 ────……ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 

 君を守ってあげられなくて。

 私のせいで虐められて、傷付いて、殺されてしまった。

 全て、私のせいだ。


 果て無き謝罪の声は少年に届かない。

 だって、彼はもう死んでいるのだから。


 透明な雫は黒よりも深い絶望の色へと変わり、少女を染め尽くしていく。

 少年を殺した男たちへの憎悪、助けてくれない神への怨恨。

 そして悪魔憑きであるから、と全てを奪っていく世界への怨讐。

 

 今にでも奴らの首を掻っ切って、生きていたことを後悔するほどに苦痛を与えてやりたい。

 だが、それはできない。

 少女の手足は既に粉々に砕かれている。

 這いずることがやっとで、剣なんて持てるわけがなかった。


 悪意と色欲に塗れた男の手が少女の躯幹に触れる。

 痣のできた白い肌をなぞり、弄び、犯していく。


 少女は、曇った水晶が見せる世界から目を背けたそむけなかった

 いつかいつか、彼らを世界を。

 すべてのものを殺してしまおうと決意して。


 殺意の刃は、今はそっと仕舞ったまま。

 あれらの心の臓に届く時までじっと研ぎ澄まし続ける。

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