五節〈美しき月は白日に輝く〉/1

 鐘の鳴る音が聞こえる。

 町の教会から響く音は、今日も領民に朝を告げる役割を果たしていた。

 

 ゆっくりと時間を掛け、むくりと上体を起こす。

 初めと比べれば随分良くなったものだ。

 未だに収まらない頭痛と倦怠感も、慣れてしまっているのか辛いと思う気持ちが小さくなっていく。


 物を持てないことや自立できないことの不便さを除けば、普段通りとまではいかないが、まともに生活出来るようにはなっている。

 起き上がることもできなかったあの二日と比べれば、だが。

 

 依然として、規格外の体内源素量は減少する兆しを見せない。

 それどころか消費することができないのだから、増えていくばかりだった。

 

 レイフォードの自室の扉が叩かれる。

 使用人が朝の支度を整えに来たのだろう。

 

 幼い割に優秀であるという評価を受けるレイフォードは、齢五歳ながらにして一人部屋を享受していた。

 アーデルヴァイト家の方針として、六歳から一人で起床・就寝をすることになっている。


 この国では六歳から初等教育が始まり学校へ通う義務があるから、ある程度自分でできた方が良いという考えの元実行されていた。

 実際、効果は覿面らしく、シルヴェスタの親の親、つまりは曽祖父母の頃から受け継がれている。

 

 本来ならば、レイフォードはまだ一年の猶予があった。

 しかし、親離れができていないというわけでもなく、一人で問題を起こすような子どもでもなかったことから、時期を早めて一人部屋となったのだ。

 シルヴェスタもほぼ同時期に貰っていた、と言うことだし、そこまでおかしなことではない。

 いや、そう言えばシルヴェスタも少数派こちらがわだったか。

 

 使用人にされるがまま、レイフォードは着替えていく。

 清潔な白い襯衣シャツに黒い下服ズボンという簡素ながらも安定する組み合わせ。

 最近はずっと寝間着だったから、きちんと服を着たのは久しぶりだった。



「レイフォード様、本日のご予定は……」

「分かってるよ、セレナ。お客さんが来るんだよね」

 


 そう着替えさせられたことにも理由があった。

 今日は来客が訪問するようで、使用人たちは朝から忙しくしている。


 来客はシルヴェスタの旧友だと小耳に挟みはしたが、名も見聞も知らない。

 レイフォードが知っているのは、その友人の娘と二人で過ごすということだけだ。

 

 兄であるアニスフィアや姉のリーゼロッテがいれば二人が相手をしただろうが、生憎昨日から学校が始まってしまっている。

 帰ってくるのは昼過ぎになるため、予定が噛み合わない。


 彼らが来訪するのは、十時を過ぎたくらい。

 シルヴェスタが友と何をするか知らないが、早く終わる用事でもないのだろう。

 レイフォードは、その娘とやらとどこまで上手くやれるか不安で仕方がなかった。

 

 その実、レイフォードには他人と関わった経験というのが一切ない。

 生まれてこの方、屋敷の外を知らないのだ。

 社交界に出るのはこれからという歳だし、学校もまだ先だ。

 屋敷に篭りがちであるから町へ下りたことも殆どない。

 精々毎年の新年祭に家族と共に向かうくらいだ。

 

 そもそも家から出ることすらなかったレイフォードにとって、初対面の子どもと長時間遊べなど到底無理な話だ。


 ましてや、今は身体のこともある。

 ある程度回復しているとしても、そこまで長くは持たない。

 シルヴェスタは、いったい何を考えているのだろうか。

 

 父への疑問を抱えながら、レイフォードは以前より少なくなった食事を摂る。

 スプーンを持つことも叶わないのだから、雛鳥のように使用人に口に運んでもらうことしかできない。

 忙しいというのに、自分に時間を割かせてしまっていることへの申し訳無さが積もっていく。

 

 回復の目処が立たない身体へ、怒りが蓄積されるのは至極当然だった。

 だが、怒っても治ることはない。

 そう簡単に治れば過剰症は難病指定など受けてはいないのだ。

 

 朝食が終われば、使用人は本来の仕事へ戻る。

 屋敷の掃除か洗濯か皿洗いか、はたまた別の仕事かは分からないが、洗練された動きで速やかに移動していく。


 彼女もここで働き始めて、もう八年だ。

 まだ年若いながらも、型に入った仕事振り。

 レイフォードはそれに嫉妬してしまう。

 彼女のように動ければ、なんて願ったってどうにもならないというのに。

 

 掛け布シーツを握る手にぎゅっと力が込められる。

 所在なさげに俯けば、右手に刻まれた幾何学模様が視界の端にちらりと映った。


 神様の祝福の証と呼ばれるこの模様、《聖印》はあの異常現象の際に右腕に覚えた違和感の正体だった。

 

 レイフォードと同じように、祝福の儀において神々から祝福を受ける者は稀にいる。

 祝詞を呟き、結晶が呼応して輝き始めると同時に、肉体のどこかへ聖印が刻まれる。

 大きさも形も人それぞれだが、黒色であることと幾何学模様であることは共通していた。

 例に漏れず、レイフォードも右手から上腕にかけて、黒の幾何学模様が存在している。

 

 祝福がいったいどんなものなのか、未だに良く解っていない。

 少なくとも王国最古からある現象で、数十万人に一人という確率であるのは確からしい。

 そして、もう一つ重要な情報がある。

 祝福保持者には特異な能力が与えられることだ。

 

 例えば、見える限りに炎を出現させる。

 液体を自在に操る。

 どこからともなく剣を取り出す。

 源素を使用せず、物質界に影響を与える力。

 即ち紛れもない《神秘》そのものだった。


 能力は聖印と同じように様々であり、現在は聖印の違いが能力の違いであるとされている。

 

 一見、とても便利なように見えるが、その裏にはある危険が潜んでいた。

 祝福の義を受けるのは五歳になって直ぐの時。

 つまり、まだ世間の常識や法則について無知だということだ。


 幼子が祝福を持ち、その力を理解できていないという事態は、一歩間違えれば大惨事になり得る。

 強力な力は、転じて自らの身を滅ぼすものになるのだ。

 

 そのため、自身の能力を知る必要があるのだが、レイフォードには何もできなかった。

 レイフォードの祝福は記録がない種類の聖印であり、能力の予測も付かない。


 どんな能力か分からないから力の使いようも、どれほど危険なのかも分からない。

 いつ暴発するかだって分からない。

 知りたいと願っても、そこに必要な情報がまるで無い。

 ずっと無い物ねだりをするばかりだった。

 

 いつまで、こんな生活が続くのだろう。

 今日も晴れている空から日光が降り注いでいた。

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