【Day 3 飛ぶ】
「引越しして、どれくらいだっけ?そっか、一ヶ月半かぁ。氏神様にはご挨拶しに行った?え、行ってない?ダメだよ、そういうのはちゃんとしなきゃ〜」
昼休み中の同僚の言葉が、耳の奥で再生される。
氏神様へご挨拶……?すっかり意識の外にあって、気に留めていなかった。信心深くはないけど、これから住み続ける(予定の)町だし、一度参拝へ行くべきかも。
そんな流れもあって帰り道、寄り道していくことにした。今の住所の氏神様って、どこだ?スマホで調べてみると、それらしき神社が見つかった。
最寄り駅の北側、改札を出て徒歩十三分。こじんまりとしたその神社は、駅近とは思えないほど緑があって静かだった。嫌な静けさではなく、鳥の囀りや葉擦れの音、参拝客が砂利を踏む音などは聞こえてくる。
鳥居の手前で軽く頭を下げ、神社の敷地へ足を踏み入れる。参道の真ん中は避けて、端を歩く。境内には、御神木らしき木や、社務所、小さな池もあった。池には鯉がいた。
絵馬や、おみくじが結ばれているおみくじかけを通り過ぎて、とりあえず
茜は手を合わせ、胸中で住所と名前を名乗り、
(初めまして。近くに引越してきたのでご挨拶に来ました。これから、よろしくお願いします)
そう氏神様へ伝えて、一礼して拝殿を後にした。
そのまますぐに帰ってもよかったのだが、何となく、隅のベンチに腰掛けた。ちょうど木陰になっていて、時折吹く風が夏の熱をさらっていく。暑さはあるけれど、心地良い夏の夕方。
ぼんやりと御神木を見上げる。立派な幹に、枝葉。その上の方を見やると、ピンク色の風船がひとつ、絡まっていた。子供が手を滑らせて飛ばしてしまったんだろうか。
ぐにゃり、と風船の周りの空気が蜃気楼のように揺らぐ。
茜が「んん?」と首を傾げていると、蜃気楼から白い獣が現れた。それは白狐に見えた。呆気に取られ無言で口をぽかんと開けていると、白狐は鼻先で風船の辺りをつつく。どうやら絡まった紐を解いているようだった。そして、紐が解けたのだろう。風船は夏の夕空へ、ゆっくりと飛ぶ。
空へ上昇していくピンクの風船に気を取られているうちに、白狐の姿は消えていた。
「……ここ、お稲荷様じゃないはずなんだけど」
茜の小さな呟き兼ツッコミは、夏の風に流されて誰の耳にも届かなかった。
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