四話 この想いは、とめどなく寄せる波のように

 二十一日。


 この日は、可憐と一緒に海を捜索。どうやら、指輪を落としたというのは海らしい。


 普通ならもう錆びて原型留めてないんだろうけど、俺は見えるはずのないそれを探していく。


 無言で作業が続く中、チラチラと可憐の視線がこっちに向くのを感じていた。


 早朝の爽やかな風に吹かれる中、必死に探す。


 内海になっている砂浜は、地元の子供で溢れるスポットらしい。もう少し年齢層が上がると磯に行くのだと、鼎は言っていたが……。


 鼎の水着姿……?


(見たい!)


 ビキニか、ワンピースか、と思考を巡らせていると、やつが男だということを思い出す。


 海パン……いや、上にパーカーを羽織っててほしいぞお父さんは。


 お父さんて。誰がお父さんだよ同い年だわ。


「先輩、真面目な顔で何考えてたんですか?」

「なんだろうな」


 しょーもなさ過ぎて言えないのは分かり切っていた。ごめん可憐。


 砂をひっくり返し、小さな岩を持ち上げたりして捜索したが。


 無論、指輪は見つかることなく。朝、夕方、夕飯作ってライトを付けながら夜も俺は探していった。





 そんな調子で四日が過ぎて、今日は雨の日。二十四日、実質的な捜索最終日だ。


 徒歩で登校なので早朝は無理だった。なので、授業が終わってみんなが帰る中、俺は海へ向かった。


 連日の海辺探索で、すっかり焼けてしまっていた。腕も重く、頭も回らない。


 六月最後の雨だと言わんばかりに勢いを増す土砂降りの中、俺はただ海辺を探し続ける。ないはずの指輪を求めて。


 暗くなっても、俺は探し続けていたのだが――


「先輩っ!? 嘘、なんで!」


 遠く、可憐の声が聞こえた。浜辺の石段の上でこちらの姿を見つけ、駆け寄ってくる。傘をその場に投げ捨てて。


 ぼんやりした頭を動かして、俺は可憐に向き直った。


「可憐か。あぶねーぞ、内海とはいえ波そこそこあるから」

「馬鹿!」


 可憐は靴を脱ぎ捨てようともせず、そのままズカズカと海に入っていく。そして、俺を強く抱きしめていた。


「こんな雨の日まで探すことないんです! こ、こんなことしてたら、死んじゃいますよ!?」

「見つかるかもしれんだろうが」

「見つかりません!! それは、先輩が……一番、よく知ってるでしょ……!」


 可憐は泣いていた。雨でそうなっているのかどうかは分からないが、ぐちゃぐちゃな顔なのに、何故だか、綺麗だと思ってしまった。


「てか、やっぱ知ってたんだな。あのじいさんが結婚指輪を捨ててないって」

「……聞いてました。先輩が、暴露するのを待ってました。馬鹿だなーって笑い飛ばしてくれるの、ずっと待ってました。でも、先輩は……ずっと、わたしに付き合ってくれて……ずっと……傍にいてくれて……! ただ、黙々と、何も言わずに……! わたしと、一緒にいてくれて……!」


 力ない可憐の拳が、俺の胸を叩く。細いその腕から伝わる震えに、そっと俺は自分の指を添えた。


「分かり切ってるじゃないですか、指輪なんて落ちてないって……! どうして言ってくれないんですか! どうして!」

「お前だって言わなかったじゃねえか。知ってるくせに、探そうだなんて。どうしてだ?」

「だ、だって……だってぇ……!」


 嗚咽交じりに、しゃくり交じりに、彼女は思いのたけを告げる。


 虚飾などない。馬鹿みたいにやかましい外面などはなりを潜め、ただそこには、金髪の少女が泣きじゃくっている。


「先輩と石を探してる時間が、大好きなんです……! 一緒に何かをするのが、とても楽しいんです……! でも、目的がなくなったら……わ、わたしなんかに、付き合ってくれる人、いないです……! 遊びだって、なんだって……わたしはあの頃のまま、なにも変われてない……! でも、先輩が来ちゃったから……! 一人じゃなくなっちゃったから……! もう、一人には戻りたくなくて……! で、でも、こんなわたしのワガママに付き合わせて……! わたし、わたしは……!」


「馬鹿野郎」


 こつんと頭を叩く。涙を流しながらこちらを見上げる可憐に、俺は笑ってみせた。


「もう一人なんかじゃないだろ? 俺がいるし、それに――」


 俺は浜辺の方を見つめた。やっぱり来ていたか。鼎、明日香、ステラ――まぁ、俺は浜辺にいるってIDに乗せたんだけど。うわ、双子坂姉妹までいるじゃん。


「先輩、さっさと引き上げましょ! 石をそんなに探すことないって!」

「そーだよ! 風邪ひくよ!? ほら、可憐もさっさとこっち来なって!」

「あんたら、石探すとかふざけたことやってないで戻ってきなさい! 特にそこの馬鹿! 夕飯どうすんのよ!」

「そうだよ、親友! ズタボロじゃん! さっさと戻ってきて!」

「今、真宵センセーが車持ってきてくれてマース! カムヒアー!」


 騒がしい面々を見ながら、俺は可憐に向き直る。


「これで一人だとか抜かすなら、お前グーで殴るぞグーで。嫌なら、さっさと行くぞ」

「わ、わたし……先輩も、みんなも、だましてたのに……!」

「俺もだから痛み分けだ。てか元凶はあのじいさんだから。今から一緒に殴りに行こうか?」

「……先輩!」


 俺のボケはフルスルーされたらしい。一抹の寂しさなどを感じたりしつつ、俺は可憐に引っ張られる。


「……ごめんなさいでした。わたし、甘えてました! 頑張って、大人になりますから……今日は、わたしと一緒に、帰っていただけますか?」

「しゃーねーなー。可愛い後輩の頼みじゃしょーがない」


 彼女を追い抜き、俺は先に防水バッグを手に石段に上る。彼女もまた、それに続いていた。


「とりあえず、ステラ。俺、もう限界……」

「って、うわあ!? ヨウタ!? ぐ、ぐったりしてマス! 早く休ませないト!」

「せ、先輩!? ね、寝ないでくださいよ!? え、死んじゃったりしませんよね!?」

「とにかく、先生の車来るまで退避しましょ! 晴、ちゃん? ステラと一緒にこの馬鹿引きずって!」

「りょーかいです!」


 遠くでがやがやとぼんやり意識が遠のく中。


 瞼の裏に、可憐の笑顔が焼き付いている気がした。





 その後、俺は風邪をひいて土曜日という休日はおじゃん。可憐は実家に殴り込んであのじいさんをガクガク言わせたらしい、というのを可憐の母親から聞いた。聞かされてもしょうがないだろうが、まぁじいさんにしてみればしてやったり。見事、可憐は一人ぼっちじゃなくなったという立派な戦果を挙げていたのだから。良い結婚記念日になったかどうかは、じいさん本人の胸中でしか与り知らぬところだ。


 日曜日、すっかり回復した俺は溜まっていた家事を片付け、すっかり晴れわたり、夏空を見せる外に出向いた。可憐と一緒に。


 海にやってきて、浜辺を歩く。なんかこう、お互いに言葉はないけれども、それが嫌ではない。そんな空気。


 だが、そんな穏やかな静寂を切り裂いたのは、可憐だった。頭を下げ、意を決した様子。


「先輩、ホンットーに、この度はご迷惑をおかけしました! このお詫びは、何でもしますから!」

「今なんでもって言った? なんでもって言ったよね? よし、もうヌルヌルでぐちゃぐちゃにしちゃうぞ!」

「先輩が望むなら……あてっ」

「冗談だ。今度、向こう一週間風呂掃除代われ。今回のは、そんくらいのもんだ。てか、俺も分かっててお前に言わなかったんだから、同罪だな」

「いえ……わたしから言うべきだったんです」


 一歩先に可憐は進み出る。


「わたしと一緒に、理由もなく、ただ遊んでくれませんか? 先輩!」

「分かった、遊ぼうぜ」


 その言葉を吐くと、可憐はまた何かこみあげてきたのか、涙を拭っている様子だった。


「こんなに簡単なことなのに……すごく、わたしには、勇気がいりました……! う、嬉しいです……! わたし、こんなに深くかかわった友達ができるの、初めてです……!」

「バーカ」


 ようやく俺も笑える。笑い飛ばすことができる。


「そんくらいで満足すんなよ。もっと色んなやつと知り合って、遊ぼうぜ! ま、人間関係が増えれば軋轢なんかも生まれるだろうけど、お前なら上手くやれるさ。彼氏だってできるんじゃねーの?」

「……先輩は、なってくれないんですか?」


 その言葉と、吸い込まれそうな瞳の煌めきに、心臓が跳ねる。


 かと思えば、彼女はニッと笑いながら、背中を見せた。


「なーんて、冗談です!」


 冗談、なんて。耳まで赤くしてる奴が言うことかよ。

 あえて指摘せず、俺はまた歩き出す。可憐も、それに並ぶ。


 今は、この距離感が――何よりも愛しい。


 先輩と後輩で、謎部活のメンバーで……海から現れた君は、あの日から俺の視線を奪って行っていたの、気づいてるのか?


 心臓を静める。あのしおらしい表情が、いつまでも脳裏に焼き付いている。


「先輩?」


 と思えば、友達にしては近い距離で俺を覗き込んでくるのだから。やってらんねえ。俺の負けだ。


「ん?」


 俺は小瓶が流れ着いているのを見て、それを拾い上げた。中身を取り出してみると、手紙と――――指輪が。


「『誰かへ。この指輪を贈ります。拾ったあなたの人生が、七色の光で彩られますように』」


 そんなメッセージを受け取り、可憐は目を輝かせていた。


「誰がこんなメッセージを書いたんでしょう! ロマンチックです!」

「……俺達には必要ねえな。もう一回詰めて、遠くに投げちまおう」

「ど、どうしてですか?」

「少なくとも、俺の人生は……もう、輝きで溢れてるから。別の人に受け取ってもらいたい」

「……ですね。わたしも、そう思います。これ以上望んだら、バチが当たりそうです!」


 可憐に託した幸運のメッセージは、今、投げられた。


 幸運を乗せた瓶の賽は投げられたのか。それとも、幸せ過ぎている俺達に不要だと断定され神様が匙を投げたのか。


 どちらでもいい。あの瓶よ、遠くまで届け。そして、俺達以外の誰かに拾ってもらえ。


 幸せを乗せた瓶は、俺達が見守る中、どんどん遠ざかって消えていった。寄せては返すあの波のように、進んでは戻りを俺達は繰り返すけど。


 でも、絶対前に進んでいるから。


「さ、今日は何して遊ぶ?」

「ふっふっふ、水鉄砲持ってきました! 晴と雨理も来るそうですよ! 今日はわたしも普通のビキニで参戦です!」

「マジか! 普通の水着も見てみたかったんだよな!」

「というわけで、さあ! 遊びましょう!」


 真夏の太陽のように弾ける笑みに対し、俺も笑みを浮かべて、一度、深く頷く。


 発射された水鉄砲が、水しぶきをあげて、俺達を夏へと誘うのだった――

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青春スプラッシュ! 鼈甲飴雨 @Bekkou

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