第5話 被害者

「くそっ……どうして……」

 崩れ落ちたビル群の間。影となり薄暗い場で、俺は苔にまみれた壁に寄りかかって慟哭する。今の季節相応の涼しい風がささやかに吹くが、それに不適合な重苦しい気分が心地よさを感じさせない。

 今はただ、頭の中ではあの出来事が反芻する。



 一時間前、体育館にて俺は宗田と共に、加害者の筆頭たる反政府勢力に対し、身命を賭して戦った。幾度も幾度も発砲し何名も殺した。『さようなら』を言わず冷酷に、そして必死に。

 だが、途方もない戦闘の最終到着点は残酷にも予想通りだった。

「はぁ……はぁ……」

 疲弊し荒くなった俺達の呼吸、所々血の流れる身体、敵に取り囲まれた状況。敗北……その二文字を痛烈に感じた。

 宗田、和奏と共に追い詰められた場所は、体育館の扉前。扉から出た直ぐ正面には門があり、両方とも開け放たれ退避の道は生まれていた。

 しかし、致命的な問題点。反政府勢力が退避の時間を与えるわけがないし、俺達が背中を見せれば彼らは確実に追撃してくる。つまり、運命は定められたようなもの。

 ここで命を散らすのだと確信していた。

 そんな折、彼は言った。

「紡紅、和奏」

 名前を呼びながら、宗田が手の平を俺と和奏に向ける。何か意図してるのは理解出来るが、その意図の内容が透けて見えない。

「……どうした」

 困惑する余裕も皆無な俺は、そう素っ気なく聞いた。

「何と言うか……ごめんな。けど、これしか手段がないんだ」

 宗田の儚げな相貌と声色。第六感が悪い予感を知らせるが、その言葉につっこむ暇も与えず、彼は続けた。

「二人共……幸せになれよ。俺の、代わりにな」

「……何を言って――」

 俺の問いをよそに、忽然と風を纏い始める宗田の手。

 当の本人はそんな事象を気にも留めず、毅然と反政府勢力に向き直っている。俺達のことを眼中に入れない姿勢には、確固とした意思が込められているように感じた。

 そして呟くように宗田は言う。

「じゃあな」

 意図に気が付き、その行為を止めようと俺が啖呵を切る直前、宗田は放った、風魔法を。人を容易に吹き飛ばせるほど強烈な風。手から発生したそれを体に受けた俺と和奏はなすがままに飛ばされ宙を舞い、刹那で学校の門の奥、家の壁に背を当てる。

「う、くっ……宗田……!」

 魔法により軽減はしたものの痛みは存在し、それを骨の髄で感じながら俺は視点を前方に向ける。俺の予想が外れていること――願望一つを抱いて。


 だが、散った。直後、体育館での爆発と共に。 

 俺の願望も……彼の命も。

 ――宗田は自爆したのだ。風魔法によって、俺達を体育館から引き離した後に。



 そして、満身創痍の心身を引き摺って退避し、今に至る。

 悔しさと悲しみで拳を握る気力も無く、ただ茫然と嘆くことが精一杯。勿論、その行為だけでも体力を浪費するのは理解しているが……悲嘆をせずにはいられない。

 ふと、瓦礫の上に座り込む無言の和奏を一瞥。

 ――哀惜を俺の中だけでは消化し切れなくなり、居心地の悪い気持ちの余りを捨てようと、何かにぶつけようと、口が躍起になっていた。

「……和奏。何であの時、戦わなかったんだ」

 不満を滲ませた、俺の問い。

 当時は必死だったため視野が狭まっていたが、思い返し場を俯瞰すると彼女は殆ど、いや全く、学校で行われた反政府勢力との戦闘に関与しなかった。

 それを、詰めない理由はない。

 こんな達観的に心の内で語っているが、実際は悲嘆と不満でいっぱいなのだ。

「和奏も一緒に戦ってくれていたら、生存率は少しでも高まったはずだ……もしかしたら、宗田が死なないで済んだかもしれない」

「……」

「何か、事情があるなら話してくれよ……」

 俯く和奏は、葛藤や躊躇をしてるようにも、話す気が無いようにも見え判然としない。――だが、その答えはすぐに分かった。正解は前者の方だった。

「……私がまだ幼い頃、犯罪組織によって父が殺され、私は母一人の手でここまで育てられた。こんなご時世、十分な収入も得られないのに、見捨てず身を削って育ててくれた。だから……母には感謝してるの、心の底から。それが故に、いつか親孝行しようとも決心していた」

 和奏による突然の自分語り。本題を聞かせてくれと文句も言いたくなったが、何だか聞き漏らしてはいけない気がして、それほど重要な話の気がして、俺は傾聴する。

「それなのに……今から一週間前、私の母が誘拐された。誰が犯人だと思う? ……。クラスメイトの彼が犯人であり――反政府勢力の主導者だった」

「宇喜多が……⁉︎」

 驚愕しつつ、合点がいく感じがした。

 朝礼で聞かされた『宇喜多が行方不明になった』という報告は宇喜多の身に危険が迫ったわけでなく、襲撃の準備のために身をくらましただけ。

 極め付けは襲撃の折、俺が屋上から見た光景。宇喜多が反政府勢力の一歩前に悠々と佇んでいたのは、和奏の言うように彼が主導者であるため……。

 和奏は重々しく、どこか嘆く感じで言葉を続ける。

「そして、彼は母を人質に私へ脅迫した。『反政府勢力に加わり、共に襲撃をしよう。もし従わなかったら、お前の母に危害を与える』って。……私は、それを受け入れた。受け入れるしか無かった……」

 和奏は言葉の継ぎ目に一拍置く。たった一拍の沈黙。なのに、そこに彼女の背負うものの大きさ、重さを表してるように思えた。

「だけど、その要求の内容は昨日、突然変わった。――『タイミングを見計らい、平野紡紅と朽見宗田を襲撃当日に裏切れ』という内容に。……これまでの学校生活や何より模擬戦を経て、宇喜多は紡紅と宗田の存在に脅威を感じたんだろうね」

「つまり、宇喜多は俺達に潰し合わせようと……」

 和奏による儚げな声色での説明に、俺は分ったような言葉を零す。

 しかし、心の内では釈然としなかった。彼女は重要な部分を語っていないから。

「……ねえ。私は母と親友、どちらを取ると思う……?」

 まどろっこしく、回りくどい野暮な言葉。だが、その問いこそが躊躇の証。辛気臭い表情が、言葉が和奏の心情を顕現しており、見ているだけの俺が沈痛に駆られる。

 そんな中、俺は問いに答える。和奏ならそうするだろうと思って。

「両方だ」

 実際のところ、これは願望かもしれない。

 双方への救済を目指すという愚直な優しさ――を示してほしい、彼女と相克を起こしたくない、との一縷の願望…………正確には、夢物語。

「誰も、犠牲にならない選択肢があれば……どれだけ楽だっただろうね」

 淡い声を響かせながら、こちらに背を向け歩いていく和奏。互いの間に開いた距離に吹いた寒冷な風が、高濃度の緊張感を運んでくる。

 ――分かりきっていた。彼女の取った選択は。

 彼女が体育館の戦闘で俺達に手を貸さなかった。それはつまり、だ。

「紡紅。私は……母を救う」

 取り出された拳銃。その銃口はおもむろに俺へ向けられる。紛れもない宣戦布告。

 相克は避けられない。という残酷な事実は心構えをしていても受け入れ難い。それは和奏も同様のようで、一瞬、無が空間に落ちる。

 ……そう、これは一瞬。一瞬に過ぎないのだ。

「本当に……やるんだな」

「……勿論」

 覚悟を決めるためか、気合いを入れるためか、和奏はこれでもかと空気を吸って吐く。そして啖呵を切った。

「――さあ……全力で来て!」

 剣幕溢れる和奏の鋭利な目つきに刺されている暇も無く、二発の青い魔法弾が硝煙と共に発砲される。

 全身に巡らせていた六感が危機を感知し、俺は反射的に回避。行動の最中、横目に見た和奏の眼光は俺の動きを完全に捕捉していた。

 何度も、何度も轟く銃声。その度に回避を続ける俺。それぞれの魔法弾に致死量の魔力、威力が込められ、言ってしまえば高速で死が押し寄せてくる感覚。

 和奏との殺し合いが開幕しているのだと、その段階に入ってしまったのだと痛感するには十分だった。

 彼女自身とその母を救うか、自分の命を守るか、二者択一で揺れる中で決断を後押ししたのは。人間は最後の最後、死を拒絶する――そんな本能だった。

「……!」

 直後、飛翔。和奏によって撃たれていた幾ばくかの弾は地上の空を切る。読みに近い俺の行動で、驚きで満たされる彼女に照準を据える。

 ――今の俺の表情は、どんなものだろうか。抵抗と躊躇に挟まれ揉まれ、感情は渦中で廻ってる。複雑な心境。否、複雑と言うよりは混沌。

 確固たる感情は無く、全てが漠然としている。だが、一つだけ確かなことがある。俺は、トリガーを引いた。今までと比べ物にならないほど、それは重かった。

 紅の光線。高速。地すらも貫かんとする威力――。


 しかし、和奏はかわした。間一髪で。

 不意にも対応できる、宇喜多が脅迫をしてまで手に入れようとした高い実力を、目の当たりにしたのだった。

「「……」」

 瞬刻、ふと和奏と目が合う。……が、互いにすぐ目を逸らし拳銃を構える。殺し合いの相手の直視を、避けるように。

 こうして俺は身を投じる。疲労など忘れた上で、彼女との殺し合いへ。


 ――そして、繰り広げられたのは銃撃の応酬だった。弾幕の間を縫う繊細な動き、一瞬の余裕さえあれば発砲、無窮にも及ぶその行動の連続。

 相も変わらず有効な手は打てていない……打とうと、していない。二人とも生存している時間が、今この瞬間が永遠に続けばいいとさえ望んでいる。トリガーを引いたにも関わらず、強欲な俺が。

 同様に、有効打が皆無の和奏。もしかしたら、彼女も望んでいるのかもしれない。二人の生存を。だが、願望が一致したところで結末は不動だ。

 退けない理由がある以上、永遠の殺し合いも生存もあり得ない。どちらかが生きてどちらかが死ぬ……残酷なことわりは迫ってくる。

 一分一秒……時を刻む中で――その時は、突然来た。


 それはただの牽制、深い意図など無い軽い魔法弾。なのに……。

「――っ! うっ……」

 命中した。和奏は体から微量の血を流し呻き声の後、膝をつく。

「どうし、て……」

 そう、呟くほか無かった。彼女は弾をのだから。

「はぁ、はぁ……。これで……いいんだ」

 彼女の表情、発言、躱さないという行動。その全てを見て思う。彼女はまるで、死を受け入れてるよう。望んでいるようだと。

「なんで……」

「紡紅は言ったよね。『母と親友、どちらを取ると思う?』って聞いた時、『両方だ』って。……全くその通り。私は、宇喜多の『裏切れ』という命令に従うことで母を救いつつ、紡紅との戦闘で敗北――つまり私が死ぬことで、親友も救う。そんな選択を取ったんだよ」

 語られたのは自己犠牲の極地。

 彼女が醸し出している儚さ。浮かべる薄い笑みは狂気的なものなどではなく、救うことが出来たことに対する安心が含まれた、優しい笑み。

 だが、一瞬陰りを見せる。

「けれど……宗田は救えなかった。全員は救えなかった。……これが、世界の無情さなのかな。それとも、私の責任なのかな……」

 慟哭に似た嘆きだった。

「お前は……本当に愚かだ。あんなに自己犠牲を否定したのに……お前は情に愚直になり、一人で全てを背負った。命を、投げ捨てた。……宗田は言っていただろ? 自己犠牲は誰も幸せにならない、って……」

 拳が震える。気持ちが心という器から漏れ出そうとしている。

「俺は今、苦しい。悲しくて、悔しくて……。愚かな俺自身に怒りさえ覚える」

 戦う判断は間違っていたんじゃないか、それ以前にやれたことはあるんじゃないか。そんな考えが反芻する。

「紡紅……ありがとう。私を……」

 彼女が何か言葉を続けようとした瞬間だった。細く赤いレーザが俺の肩に当たる。

「――あぶないっ! 紡紅!」

 切羽詰まった声と共に彼女の両手が体に触れ、そして衝撃に押される。後ろへ倒れていく俺、対比して前のめりになってく彼女の体。

 嫌な予感がし、俺は手を伸ばして引き寄せようとするが……遅かった。何もかも。

「っ――」

 和奏から零れるたった一声。上がる血飛沫。鋭利な魔法弾が空気を切り裂きながら彼女の胸を貫いた。

 反射的だった。俺は発砲した者の在処を求め視点を動かす。焦燥感を露わにした、荒々しい乱れた視点移動。そして目は留まる。とあるビルの割れたガラスに。

 宇喜多――宇喜多、悠斗……。

 スナイパーらしきものを持った彼がいた。その時点で理解した。和奏が俺を殺せなかった時の予防線として、彼自らが俺を狙いに来ていたのだ。

 血の海の中倒れる和奏。彼女は俺を庇った。

 せめて、せめて、仇を取る……そんな明確な殺意が湧き始めた。

「くそ……くそおおおお!!!」

 咆哮。同時に発砲。最大出力、全ての魔力を一撃に注いだ。空を穿つほどの速度で直線に進んだ弾は――轟音を生み出した。

 ビルで炸裂。それは、宇喜多が散ったことを示しているようだった。


「和奏……!」

 必死に体を揺する。息はまだしているが、言うまでも無く虫の息。力の抜けきり、脈が弱くなっていく彼女とは対比して、俺の鼓動は異常に脈打つ。

 話す余裕など殆どない状態の彼女に掛ける言葉が脳裏によぎり続ける。

 今までの感謝、苦労した彼女への労い、案外他愛のない会話、過去への回想……? 違う。違う。違う。俺が伝えたいのはそんなことじゃない。

 俺はなんであんな過剰なほどに、彼女の自己犠牲を否定した? なのにも関わらず模擬戦で彼女が助けてくれた時、なんで嬉しかった?

 明白じゃないか。言うことなんて。

「俺は……和奏のことが、好きだ」

 これが、最後。彼女の、最期。

「やっと、言ってくれたね。……私もだよ」

 最上級の彼女の笑顔、それが涙を誘う。吹く冷風も今だけは暖かく感じた。


 被害者である俺達は最後に笑って、泣いて、言う。


 最大の敬意と感謝を持って。


「「さようなら」」

 

 

 

 

 

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終末世界の被害者へ 楠木の雛 @kusunokii

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