第4話 覚悟

 先生の話だと、宇喜多は行方不明になったはず。そして、この世界での行方不明は死に等しい。それなのに、何故……。

 自分で呟いていながら、宇喜多が存在することが半信半疑の俺がいた。

 それは宗田も同様で――。

「宇喜多……どうしてあいつが……」

「……取り敢えず、警報が鳴っている時点で、良くないことが起きるのは確実だ。校内に戻ろう」

 いずれにせよ、このまま屋上から様子を窺っているだけでは、何も意味が無い。俺と宗田は階段に向かうべく踵を返す。

「早く行くぞ、和奏」

 何故か固唾を飲んで宇喜多の様子を伺うばかりで、動く気配の無い和奏に、俺は疑問を感じながら声を掛ける。

「……あ、うん」

 言葉に反応した和奏は、ぎこちない動きで宗田に続いて行く。俺に目もくれず。

 嫌い、という感情を持ち無視しているわけで無く、目を背けているような、と言った感じだった。

 らしくない姿を見せた彼女。その背中を見ながら、俺は僅かな杞憂を抱いた。



 俺、宗田、和奏は階段を降り、校内に戻ると目に飛び込んできたのは、生徒で溢れかえり騒ぎに包まれる廊下。 

 そんな人混みの中、慌てる生徒達を必死に統率しようとする先生を見つけ、何とか近づいてから俺は尋ねる。

「先生。一体、今どういう状況なんですか」

「――襲撃だ。反政府勢力が襲撃に来ている」

 反政府勢力による学校への襲撃……日本政府に武力を誇示しつつ、脅しを掛けて抗議と反抗の意を示す、典型的な行動。

 現在、『市民の命を奪っていくぞ』との脅しに対して、政府は毅然とした対応を見せている。それは頼もしくもあるが、結果として反政府勢力の反発を強めてしまっているのも事実で、彼らの暴力的な動きが活発化しているのだ。

 恐らく今回は、それが故に起こった襲撃。活発化した抵抗の一環。

「とりあえず、急いで避難を――」

 瞬間、衝撃。先生の命令を遮り、地が揺れたと錯覚するほどの、強烈な衝撃が校内に走る。

 更に続いて、振動と共に幾つかの重低音。すぐに辺りを見回すと、蜘蛛の糸のように広がるひび割れと、教室の中に散漫する瓦礫が目に付いた。

 幸い、既に教室には誰もいなかったため死傷者は0人。だが、その一連の流れが混乱を生むのは必至。

「みんな、落ち着け!」

 響く、生徒達の悲鳴。それに対し、先生が宥めようとするが収まる気配は無い。

「魔法攻撃か……!」

 強烈な衝撃の正体に勘付いた様子の宗田が、そう呟く。反政府勢力が本格的に攻撃を開始したことは明瞭だった。

 そこから続けて轟く爆発音。幾度の衝撃。全てが不快で、焦燥感を煽動される。けれど、耐える。耐えるしかない。

 ――その時、肌を掠める冷涼な風に紛れて煙が香る。……無数の魔法攻撃を受け、学校の一部分に穴があいたのだ。

 露わになる外の光景に、否応なく視線が動く。

 直後。あいた穴から漆黒のコートに身を包んだ数人が姿を覗かせる。

 そのコートの左胸部分に刻まれるは、力強さと果敢さを顕現するように高々と掲げた拳の徽章。疑う余地も無い、反政府勢力であることを示すもの。

「……」

 反政府勢力との静かな一瞬の睨み合い。

 感じ取る、魔力の高まりと剣呑な雰囲気。そして……殺気。

「――! 全員早く逃げ――」

 危険を察知し退避を促す。……が。

 それは刹那の出来事。コートを羽織る敵から放たれた魔法は、直線を描き、貫く。唖然とした眼に映るのは、煌めく魔法の残滓と――惨たらしい鮮血。

「あ……」

 名も知らぬ女子生徒が、胸を貫かれ眼前で死ぬ。たった一音を零しながら。

 無情。その言葉が似合う情景。

「きゃあああああああ!!!!」

 他の女子を筆頭に、この場に居合わせていた生徒達が悲鳴を上げ、我先にと廊下を駆けていく。慌ただしく鳴り続ける靴音。

 ……そんな音の中に紛れて、幾度も響いた重厚感ある乾いた音――反政府勢力の者が持つ拳銃の銃口は、逃げる生徒達の背中に向けられていた。

 連鎖するように、続け様に、逃げていた生徒が突拍子も無く力を失い倒れていく。血の海を築き上げる。

「――っ」

 そして、遂に俺の方にも向けられた、銃口という反政府勢力の魔の手。いつトリガーを引かれてもおかしくない状況。明確な殺意が相手から放たれ、彼らを殺す正当性は既に生まれている。

 ……なら、やることはただ一つ。幾度も屍を築き上げてきた赤黒い両手には、もう躊躇など無い。俺は収めていた拳銃に手を掛けた。

 互いに発砲……する直前。視界の隅で燦々とした光が映る。

「先生……!」

 その光の持ち主は先生だった。瞬間、閃光。

 彼の撃った魔法は、反政府勢力数名のうち一人に命中。

「ここは私に任せて避難しろ! 体育館に他の生徒達もいるはずだ」

 避難を催促する先生の背中には勇気と覚悟に満ち溢れ、思わず弱い自分はそれに頼りたくなってしまう。

 だけどそんなこと、受け入れられない。受け入れたく無い。

 身近な人の死亡が当たり前の世界でも、見捨てるのが合理的でも、全員が生存するという夢物語に俺は縋りたい。

「俺も――」

 共に戦う意思。芽生え始めたそれ。

 ……だが、その芽を切るように先生が遮る。

「早く行け!!」

 切羽詰まった、否を求めない先生の声色に、俺は気圧される。反論する気を失わせるほどの気迫だった。

「くそっ……いくぞ紡紅!」

 宗田は悔しさを漏らしてから、俺の腕を掴み引っ張ってくる。言うまでも無い、避難の誘導。

 今わがままを言ってここに止まるのは、先生の覚悟を踏み躙ってしまう気がして、何をすることも、言うことも出来ず、赴くままに体育館へつま先を向ける。

 学校の屋上、宗田と和奏とした話の中で行った、自己犠牲の否定。……それなのに黙って従い、その自己犠牲によって守られた俺が、情けなくて仕方なかった。



 そうして着いた体育館は重々しい空気に包まれていた。

 何か悲劇的な光景を見て来たのか、口を閉ざし沈痛な表情を浮かべる者。大切な友人などを失ったのか、大粒の涙を流す者。行われる殺戮に怯え恐怖しているのか、空間の端で口を閉ざし震える者。

 様子は人それぞれだが、全員に共通しているのは、苦しんでいるということ。

 ――勿論、俺も含めて。

 先生の一挙手一投足と発言、あの場で見た光景。その全てが網膜に焼き付き、俺を苦しめる。見捨てるという判断を下したのに、悔いが幾度も巡る。

「君達! 無事だったか!!」

 唇の上に生える茶色い髭が特徴的の校長が、しわを顔に浮かべながら安堵交じりに声を掛けてくる。今回の襲撃で心労に蝕まれているようで、校長の表情から陰りが窺えた。

「はい……何とか」

「ここまで来れば一先ず安全だ。……大丈夫。君達は必ず私達が守るから」

 弱々しかった俺の声色。それを聞いて心情を察したのだろうか、校長は優しく声を掛けてくれた。冷酷で憮然な現実を見た後のその優しさは、胸の芯まで染み渡った。

「現在の状況はどうなっていますか?」

 今回の襲撃の具体的な全容が見えていない現状。宗田が校長に聞く。

「察しているだろうが、反政府勢力からの襲撃だ。既にこの学校は彼らによって包囲されている。今は先生方でどうするかを協議中だ」

 少し視点を体育館の奥へ伸ばすと、壇上、見慣れた先生達が厳かな雰囲気で演台を中心に話し合いを行なっている。

 しかし、一目で違和感を感じた。

「先生の数が少ないと思っただろう? 実は今、腕の立つ先生達はこの体育館周辺を警戒しているんだ」

 だから『ここまで来れば一先ず安全』と言ったのか。先生達の実力を、心から信用しているから。

「君達は心労があるだろうから、一旦休憩しなさい」

「……ありがとうございます」

 校長の温情と配慮に甘え、礼を述べる。

 この乱れた感情を完全に宥めることなど不可能だと分かりきっているが、今だけは、刹那の休息を謳歌したかった。

「日本政府に救援要請も送ってある。あとは私達、大人に任せ――」

 ――なのに、無情な世界はそれを拒む。

「…………え?」

 忽然と飛来してきた卑しく輝く光線が、校長の背に直撃した。

 力を無くし拠り所を求めるように俺に寄り掛かってくる校長。そして、彼から流れて服に染み付いてくる血液。

 紛れも無く、差し伸べられた一筋の光、優しさは葬り去られた。

「っ――。窓だ! 窓を見ろ!!」

 必死な宗田の声に促され、茫然と視点を動かす。

 見る影も無くなった、穴だらけの欠けた窓ガラス。そこから侵入してくる反政府勢力。彼らによって撃たれたのは明白だった。……そして、校長の言っていた『体育館周辺を警戒する先生達』が処理されてることも。

 俺達が何らかの行動を起こす間も無く、彼らは引き金に指を掛ける。

「みんな、逃げ――」

 しかし、宗田の声が届く前、体育館内に降りしきる魔法という銃弾の雨。自らの身を守ることに必死で、他者の救援まで手は回らない。

 開幕する殺戮。

「う、うぅっ……」

 涙ぐみ震える生徒。

「うわああああああああ!!!」

 叫び、必死に逃げ惑う生徒。

「あぁ、あ……死にたくない……」

 苦しみ呻き、今まさに死に絶えようとしている生徒。

 ――俺の親は『終末世界に生まれた時点で全員が被害者』という論を提唱した。

 だが、それは違った。誤りだった。世界には明確なが存在している。俺達から全てを奪う……彼らが加害者だ。

「本当に……本当に、最悪の気分だ」

 自分でも分かるほど、声色から滲む強烈な衝動。無窮に湧いて出てくるそれに――俺は歯止めを

 ……もう分かりきってるはずだ、渇望することを。望んでいることを。

 

 俺は今、無性に彼ら――反政府勢力を殺したい。


 加害者に礼儀など払わない。当然、『さようなら』なんて野暮な言葉を吐くつもりは皆無。構える拳銃。自然と引き金に掛かる手へ力が入る。

「くらえッ……!」

 既に淡々とした感じも、礼節さも無く、あるのは燃え盛る殺意と野蛮さだけ。絞り出した力強い言葉と同時、俺は銃口から殺傷能力の塊を放つ。

 撃たれた魔法は、反政府勢力の一人に目掛けて滑空。――爆発音。

「流石だ紡紅!!」

 命中を知らせるように煙が上がり、宗田は賛美を投げ掛けてくる。だが直後、煙の中に浮かぶ黒い影。

 それを見て、俺は嘆かざるを得なかった。

「……ダメか」

 煙が消えて分かる。命中したのは左肩。

 力任せに撃ったのが悪かったのか、反政府勢力の実力が高いが故に躱されたのか。いずれにせよ、軽傷しか与えることはできなかった。

 ――そして、必然。俺に反政府勢力のヘイトが集中する。

「っ……」

 連鎖するようにして高々と鳴る発砲音。俺の命へ照準を定め向かってくる幾ばくの魔法に、全身で危険を感じた。

 だが、俺は一人で戦ってるわけじゃない。

「助かった。宗田」

 魔法で作り上げられた弾幕を、宗田は発砲した無数の光線を以て迎撃した。

「戦うんだろ? なら……付き合うに決まってる」

 覚悟の決まった互いの双眸を交差させて、反政府勢力の方へ向き直る。

 敵は多数の実力者、勝率は限りなく低いだろう。だが、この心に渦巻く鬱憤を晴らすため、俺達は愚かにも身を散らして戦う。

 ――悔いは、一片も無い。

 

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