第3話 不穏

 何度見た光景だろう。

 ――登校中、路傍で暴漢に襲われている男性を見かけて、俺はすぐに助けに入ったが、間に合わなかったのだ。

 暴漢の手によって殺された男性と、少し負傷しつつも俺に殺意を向ける暴漢。

 その中に俺が佇んでいる今の状況。

「さようなら」

 直後、空間をつんざく一発の銃声。暴漢が最期を迎えたと確認しながら、硝煙に息を吹きかけて消す。神妙な顔で静寂の中、淡々と行ういつもの流れ。

 だが、普段と違うことが一点だけあった。……それは、『さようなら』を言い放った際の感情について。

 ……いや、正確にはいつも通り、か。俺は盲目的になり、ただ気付かないふりをしてただけ。

 分かっていた。これは普段通りだ、無の感情で義務的に別れを告げることは。

 ――今は亡き俺の両親は、『こんな狂った世界に生まれた者は全員が被害者である』という考えを持っていた。そして『敵であろうと礼儀を持て』と教育された俺は、その一環として、殺す際に律儀に『さようなら』などと言うように習慣づけられた。

 これまで何も疑わず従順に、妄信的に行ってきた。

 ……だが、時折思うんだ。本当にこの世界に生きる者、全てが被害者なのか。暴漢を含めた犯罪者達と、彼らによって苦しんでいる人々は、同義なのか。

 そして、そんな疑問を抱き始めていたからこそ、俺は『さようなら』という5文字に、思いによる重みをかけられなくなっていた。

「……」

 目の前の床に横たわる襲われていた男性と、暴漢の骸。同じ死体でも行いは違う。普通であれば男性側に同情し、心を痛めるべきなのだろうが、特に感情は揺れ動かない。……毎回毎回、同情して嘆くことに疲れたんだ。

 狂った事象がの世界。余裕など存在し得ない世界で憔悴した俺は、両親の教えへの問いを抱えて、ひび割れ目立つ悪路を進んで行った。



「……みんなに大事な報告がある」

 朝礼前、重々しく口を開いたのは、黒板と教卓の間に立つ担任の先生。

 先生の声色と雰囲気から何か良くない予感を感じ取ったのは俺だけじゃないようで、教室にいる全員が沈黙し固唾を呑む。

「――今日、宇喜多悠斗うきたゆうとが登校中に行方不明となった。今のところ、行方を判明させる手掛かりは無いようで、当然、安否も分かっていない」

 先生の口から語られたのは、俺達の同級生の一人が行方不明になったという、学校生活で何度も聞いた報告だった。

 しかし……未だに慣れない。慣れるはずが無い。

 昨日までいつも通り過ごしていた仲間が消える――その事実は、何度聞いても俺達に重くのしかかってくる。気分を最低へと導いてくる。

 ふと視線を向けた、宇喜多悠人の座っていた後方の席は、開け放たれた教室の窓から流れ込む冷涼な風を浴びており、人間の体温の無いその席付近は静寂と寒気に包まれている。

 そんな冷淡な光景は、世界の無情さを顕現しているよう。

「行方不明……か」

 沈痛とした声色で宗田が小さく呟く。

『行方不明』といった曖昧な単語を使用してはいるが、教室にいる全員が理解している。この世界での行方不明は死に等しいことを。

 何故なら、行方不明の事案は犯罪者の手によって被害者が『襲撃、誘拐』などをされた場合が殆どで、確実と言っていいほど、無事に帰ってこれないからだ。

 ただ単に迷子の場合でも、それは長時間一人で街を彷徨うことを意味していて、跋扈する悪人達にとっては格好の的。すぐに犯罪に巻き込まれるだろう。そしてそうなれば身の危険は必至。孤独の抵抗はいずれ限界を迎え……命を落とす。

「宇喜多のことで、新たな情報が届いたら追って連絡する」

 先生は最後にそう付け加えた後で、重苦しい空気を切り替えるように、仰々しく音を立てて手を叩き、朝礼を始めた。



 休み時間の屋上。

 朝礼前に先生から悲痛な報告を受けて、既に何時間も経過したが、やはり報告の内容を忘れることは出来ず、今尚ぎこちない雰囲気が学校全体に漂っていた。

 それは当然、俺達も例外じゃ無く――。

「……」

 屋上の空間にいるのは俺と宗田と和奏。普段だと会話は弾むが、今日だけは幾許いくばくか沈黙の間が多く、進行形で気まずさを味わっていた。

 あんな報告を聞いた以上、こんな空気になるのは仕方無いが……この息苦しさは歓迎出来ることではない。

 俺が重々しさの脱却の方法を模索していると、宗田が話を切り出す。

「そういえば、昨日の模擬戦の一戦目……和奏が捨て身で間に割り込んできた時は、驚いたな。元からそういう作戦だったのか?」

 宗田目線、二人だけの空間の中で俺を斬ることだけを考えていたはずだ。そこに、忽然と入り込んできた和奏という存在は、驚愕する要素でしかないだろう。しかも、なのだから。

「いや、あれは作戦とかじゃないよ。その場で咄嗟にした行動」

 和奏の言うように、俺達は特に作戦を立てていなかった。

 理由は、実戦というのは突然発生するものであり、無策の状態から戦うことになるからだ。あくまでも、模擬戦は訓練を目的としたものだからな。

「そうだったのか……。尚更凄いな〜。一瞬であの勝ち筋を見出せるなんて」

「えーと……実はあれ、隙を生み出すことを意図したわけじゃないんだよね」

 突然、初耳の発言が和奏から飛び出す。俺は導かれるように、内心で首を傾げた。

「どういうことだ?」

 宗田が言うより先に、俺の口から問いを投げ掛ける。

「漠然としてるんだけど、なんか……考えるより先に体が動いたって感じかな……。紡紅が危機に瀕してるのを見て、咄嗟にね」

 ぼんやりとした回答だが、人を助けたい、人のためなら自己犠牲をいとわない、そんな和奏の優しさがその行動を促したと考えると、釈然とする。

「……ふーん。そうなのか」

 宗田も少しは納得の色を見せているが、同時に、何か察したような、複雑そうな表情も見せていた。

「まあ、結果的に和奏のお陰で勝利できたから、素直にありがたいとは思っている。けど、実戦でそれはするな。――本当に死ぬぞ」

 比喩など一切含まず、俺は和奏に真摯に忠告する。

 模擬戦だったから、命に関わる危険は無かったが、あれが実戦だと仮定した場合、今頃和奏はこの世に居ないことになる。

 ――そんなことは、避けなければならない。

「そうだね……気を付けるよ」

 目線を逸らしながら申し訳なさそうに和奏は言う。だが、彼女はこう付け加えた。

「けど、私は最終手段としてそういう選択があることも頭に入れておきたい」

「それはダメだよ。和奏」

「……どうして?」

 すぐに否定をした宗田が、真剣な眼差しで理由を述べる。

「自己犠牲って、優しさに満ちた素晴らしき行動に見えて、実際は他人の心を傷付ける独りよがりの行動だからだよ。和奏が死ぬことで悲しむ人、苦しむ人がいる。――そして、和奏が身代わりになってまで救った人は、『自分のせいで彼女は死んだ」と自責の念に駆られる。……誰も、幸せにならないんだよ」

 他人のためにした自己犠牲の結果、誰も救われないという皮肉。それを和奏に提示し、宗田は身代わりをしないよう説得する。

 ――身も蓋もなく言うと、後先を顧みずに身代わりになることは、『優しい自分』という存在を作る、とも表現できる。

 俺は和奏に死んでほしく無い者の一人として、彼女の自己犠牲を防ぎたいがために、そんな憚りの無いことを考え始めていた。

「じゃあ、どうすればいいの……」

 迷いと苛立たしさの混じった、清冽さの無い声色。奥歯を噛み締め、俯かれた辛気臭い表情。強く握られた拳。

 その和奏の様子全てが、焦燥感を嫌と言うほど滲ませている。

 彼女は声を掛けていい雰囲気ではなく、自然と生まれる沈黙。何か良く無い予感から、不安を抱かせる重々しい空気。凜然としたささやかな風が心体に障る。

 ――直後だった。

「何だ⁉︎」

 突然、校内に響き渡る甲高く耳障りな音が、危機感を煽り立ててくる。増加する心拍数。高まる緊張。

 俺は直ぐに勘付いた。

「これは……警報か……‼︎」

 学校に危険が迫っていることを知らせる警報を背景に、俺達は忙しなく屋上の柵から顔を覗かせ、周辺を伺う。

 そして視認した。

「あれは――」

 学校の門の前、堂々と佇む妖しい複数の人影。正体不明、だが明瞭な不気味さ。嫌に立ち込む暗雲が、気鬱な未来を暗示しているよう。

 ――複数の人影の一歩前、悠々と立つ細身の青年が目に付いた。

「宇喜多……悠斗」

 俺は思わずその名を呟いた。


 

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