第1話 ヘジュの石<11>
「今日も帰ってこない……」
西の空にひろがる橙色に目を細めながら、ナンシーはほうと息を吐いた。
森が騒いだあの次の日、少年は家にいなかった。森を出て行ってしまったのだ。少年のいない森の家には、ナンシーの好きな、ゆったりとした、やわらかな明るさはなかった。
「みんなわかってしまったから……」
つぶやき。
「ねぇ、教えてくれますね?」
ナンシーは振り返り、今度ははっきりと声に出して言った。
「そう……疲れたわ……」
彼女は無言のまま家に入ると、ベッドに腰を下ろし、まずそう言った。
「五年前、初めてあの子に会ったの。悲しそうに泣いていた。あの子は、あんなに良い子なのに、ただ、みんなが好きなだけなのに、わかってもらえなくて泣いていた。けれど、私には、あの子の優しさがわかったから、大好きになってしまったわ。そして、とてもかわいそうだと思った。あの子が悪いのではないのに……あんな……。だから、お守りをあげたの。あの子が、本当のあの子でいられるように。あの子の本当の心を、みんなにわかってもらえるように……。私もできれば、ずっと一緒にいたかった。だけど、そうするわけにはいかなかった。別れて……帰ろうと思ったのだけれど……私は帰ることを許されなかった」
「それは、あの子に手を貸したから?」
「そう……彼らもまた、あの子のことを理解しなかった。あの子に手を貸した私は、永遠に追放された。だから私は、ここを彷徨うしかなかった……」
「でも、あなたは彼に出会った」
「そう。とても素敵な人だった。自然と話すのが上手で、この森のみんなと仲良しだった。森が、あの人といることを喜んでいるのが聞こえた。私もあの人といるのを喜んでいる自分を感じた。そして一緒に暮らすようになった。とても楽しくて、幸せで、帰れないことなど、もうどうでも良かった。そして、一年後、あの子が来た」
「魂のままに美しく?」
「ええ……。あの子は、あの子の心をねじ伏せようとする、大きな力に悩んでいた。けれど、もう決して、本当の心を偽るつもりがないあの子は、とても美しく輝いていたわ。そして、それから私たちは一緒に暮らした」
「……そう。でも、あの子は、あなたのことには気が付いていなかったのね」
「ええ。でも、そんなこと、どうでも良かった。いいえ、気が付かなくて良かった。気が付いていたら、きっと私はもう一度あの子と別れなければならなかった。そんなこと、できない。だって私たちはもう、あの子が大好きになってしまっていたのだから。でも……」
彼女は一度、声を止めた。ナンシーはすっと見つめていた女性の姿が、風に揺れた蝋燭の影のように、少し揺れたように思った。
「あの人は、殺されてしまった。彼にとってあの人は、最も気に入らない種類の人間だったから。その人間があの子と一緒にいることは、もっと気に入らなかったに違いなかったから。そのことを、あの子には知って欲しくなかった。あの子の美しい心を、悲しみで汚したくはなかったから……」
「……だから、封じたのね……」
「私はそれから町へは行けなくなった。大きな力を使って、弱くなってしまった私には、もう人間の世界に入ることは、とても難しいことだったから」
「この森は、私を長い間癒し続けてくれたわ。あの子と今まで一緒にいることがかなったのも、この森のおかげ。でも、もう限界。ねぇ、あの子を……ヘジュをよろしくね。私の涙の結晶は、私がいないと働かない。でも、あなたがいるから、大丈夫よね?あなたは、ヘジュをずっと好きでいてくれるから……ヘジュもずっとあなたが好きだから……」
泣き顔をやっと笑い顔に変えたような表情をナンシーの心に残して、彼女は消えてしまった。ナンシーは、天使の消えたベッドの上を見つめたまま、呆然と立ちつくしてた。
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