第1話 ヘジュの石<10>

  ずくん

 森の空気が変わる。

  ずくん

 森が揺れる。

 「何?」

 突然の不穏な気配。

 森中が俄かにざわめき、小さな動物達が茂みを飛び出して駆けて行き、翼を持つ鳥や虫たちは、空に向かって大急ぎで逃れてゆく。

 ものすごい騒ぎは一瞬。森はひっそりと静まりかえる。

 ――息を感じない、静けさ。

  ぞく

 ナンシーは、怖くなって、水桶を取り落として走り出した。

 ――逃げなければ。どこかへ……どこへ?

 何も考えられない。ただ、この場から、早く離れなければ。

 ナンシーは走り続けた。ひたすら、どこかへ逃れるために。それ以外のことに、心を傾ける余裕などないあるはずがない。あるはずがないのに。

 ――何?

 ナンシーは、何故か、走りすぎる足元で光った何かに注意を引かれ、立ち止まった。引き返して拾い上げてみると、それは小さな石だった。

 透明な、小さな石の中で、白いもやもやが揺らいでいる。端には、針穴のような小さな穴があいていて、そこに細い細い一本の糸が通されていた。

 ――これは……

 「……姉ちゃん!」

 突然、脇の木と木の間から、少年が飛び出してきた。ナンシーと同じように息を切らして。

 「ヘジュ……」

 初めて見る、泣きそうな表情で飛びついてきた少年を抱きしめながら、十歳にしてはなんて小さいのだろう、とナンシーは思う。

 「……」


 気のせいか、ずっと遠くの、視界の端の木の影で、白い女性がほっと寂しそうに微笑むのを見た気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る